125話
「まずいね………」
鎖を飛び移って外なる神の触手を躱しながら僕は呟く。ロッカが敗北したのはこちらからもしっかりと見ていたし、それがどういうことかも理解している。
少なくとも、僕はロッカと白兵戦で戦って勝てるとは思わない。魔法を使えば話は別だけど、彼はそもそも高い防御力を誇るのだから苦戦は必至だ。そして、それは僕に限らずここにいる全員が同じなはずだ。マリンならば唯一ロッカに勝ち目があるかもしれないけど、それでもロッカなら五分五分の勝負をしてくれると踏んでいる。
そんなロッカを降したケラヴはそのまま大地を蹴ってエコーの方へと向かった。
「考え事とは余裕だな。『権能』」
「君も鬱陶しいんだよ!」
黄金の鎖を放ち、投げられた短剣を全て叩き落とす。そのまま僕は炎の槍を作り出して黒衣の男に対して投擲するが、それを霧となって躱した黒衣の男。さっきからまともに攻撃もしてこないくせに、回避だけは堅実だ。
勿論、僕だって理解している。彼らの狙いはステラであり、彼女を捕らえる時間さえ稼げればいい。けど、いつまでも茶番に付き合っている訳にもいかないのは事実だった。ちらりとエコーの方を見る。既に彼女と戦っていた二人の黒衣はアズレインの方に向かっており、ステラを狙っていた。
そして、代わりにエコーと戦い始めたケラヴだけど、その圧倒的な戦力差を覆せるはずもなかった。あのロッカを倒したケラヴ相手にかなり善戦はしているけど、確実に経験が違う。焦りを滲ませた彼女が剣に紫電を纏わせてケラヴの背後を取る。
「一閃………!」
「単調だ」
エコーはそのまま一瞬で切りかかるけど、ケラヴは振り向きざまに剣を右手だけで受け止める。エコーが驚愕の表情に染まったのも束の間、彼の左腕が彼女を殴り飛ばす。
「ぐぅっ………!」
強烈な衝撃波と共に地面に叩きつけられて苦し気な声を上げるエコー。痛みに体が僅かに動いているから死んではいないのは確かだったけど、意識があるようには見えない。これで二人目だ。
「っ………」
何とかしないといけない。そう思った僕は右手に黄金の光を纏わせてケラヴに向ける。多少無茶をしてでも、彼の気を引かなければいけない。そんな焦燥に駆られたのが間違いだった。
「隙を見せたな」
「しまっ………!」
僕の背後に二人の黒衣の男が迫っていた。既に短剣を振るう構えをしている。魔法で吹き飛ばすのはもう間に合わない。
苦肉の策として、体を反らしながら鎖を蹴る。躱すのは不可能だけど、直撃だけは免れるはずだ。
「ぐっ………!」
「ちっ………しぶといな」
地面に転げ落ちるようにして鎖から降りる。僕の身体には二本の傷が刻まれて血が滴るけど、深い傷ではない。暗殺者だから毒でもあるかと思ったけど、流石に作り出す武器でそんな器用な真似は出来ないみたいだ。とは言え、小さくはない傷を負ったのも間違いない。
傷を押さえながら立ち上がる。痛みで戦えないなんて情けないことを言うつもりは無い。とは言え、状況は芳しくない。そう思った時、僕と黒衣の男の間を何かが高速で横切り、柱に叩きつけられる。
「………」
目を見開いて飛んできたそれを見る。煙が晴れて地面に倒れていたのはアズレインだった。既に意識も失っており、額から血を流している。慌ててケラヴの方を見ると、既にそこは乱戦と言える状態だった。黒衣の男たちとケラヴに対し、セレスティア、シエル、マリンがフラウとステラを守っている。マリンはケラヴを相手取っているけど、間違いなく押されている。彼の二の舞になるのも時間の問題だ。
セレスティアとシエルも決して弱くは無いけど、流石に人数差が圧倒的過ぎて苦戦を強いられている。今すぐいかないといけない。僕は赤い光を纏わせ、乱暴に炎を周囲に放つ。
「っ………」
「行かせん!」
そのまま僕は地面を蹴って彼女達の方へ向かうと同時に黄金の光を纏わせて振るう。その瞬間、この巨大な空間を隔てるように巨大な壁が作り上げられた。一時の時間稼ぎにしかならないだろうけど、それでもただ彼女達の戦いを見ているだけと言うのは出来なかった。
「来たか、『権能』」
「イグニス!」
炎の剣を作り出して振るう。ケラヴはそれを後ろに跳びながら回避し、拳を構える。それを見たマリンは僕を一瞥してすぐにセレスティア達の方へと向かった。しかし、ケラヴは僕の身体に刻まれた傷を見て詰まらなそうにため息を付く。
「手負いか。貴様とは全力の手合わせをしたかったのだが」
「そうやって油断してると良い!!」
青い光を纏わせて地面に右手を添える。その瞬間、僕の背後から巨大な波が作り出され、ケラヴを呑み込まんと迫る。
「砕かれよ………!」
ケラヴが右腕に赤い光を纏わせてその大波に向けて拳を突きだす。その瞬間に赤い閃光が周囲を包み込み、巨大な衝撃波と共に大波が破裂する。あぁ、この程度で何とかなるとは思っていないさ。
「顕現せよ!ロアの権能!」
「ふん!」
僕の周囲に生成された炎球から収束して放たれた複数の熱線。ケラヴはそれを見ると大地を殴りつけ、隆起した大地で阻む。そのままケラヴが隆起した大地を殴りつけ、粉砕した破片を僕へと発射する。
黄金の光を纏わせた右手を振るい、飛来した破片を全て僕の周囲から飛び出した黄金の鎖で叩き落とす。続けて猛烈な勢いで接近してきたケラヴの右腕を鎖で絡めとり、乱暴に地面に叩きつけた。しかし………
「迂闊だな」
「っ!?」
叩き付けられながらも両足で大地を踏んだケラヴが自身の右腕に巻き付いた鎖をしっかりと握りしめ、綱引きのように全力で引っ張る。その瞬間、僕の周囲から突き出ていた鎖は地盤ごと僕を宙へと吹き飛ばした。彼の怪力がロッカと同等クラスであるのだから、気付くべきだったよ………!
地上にいるケラヴは右腕に赤い光を纏わせて、宙を舞う僕に構える。僕は薄緑の光を纏わせた右腕を振るい、風を収束させた壁を目の前に生成する。
「メテオフィスト!」
「っ!」
振るわれた拳から赤き衝撃波が放たれ、僕を吹き飛ばす。しかし、風壁で何とか威力を分散させて致命傷を避けた僕は、そのまま風を身に纏って滞空する。
「暴風!万象を刻め!」
「ほう………!」
ケラヴの周囲を取り囲むように四つの巨大な竜巻が発生し、彼へと迫る。だが、ケラヴは両腕の筋肉が盛り上がるほどに力を込め、大地を掴む。そんな馬鹿な。そう思ったのも束の間、彼はそのまま大地を引き剥がし、一つの竜巻へと投げる。当然、膨大な質量の前に雲散する竜巻。ケラヴは包囲網を抜け出し、すぐに空中に浮かんでいる僕へと跳ぶ。
僕はすぐに右手に白い光を纏わせ、掌に白い光球を生成する。そして、ケラヴが膨大な赤い光を纏わせた右腕を振るうと同時に、僕も光球を同時に突きだす。
「っ!」
「ふんっ!」
激突する赤と白。巨大な衝撃波が発生し、地面や天井に亀裂が走る。真っ向勝負で僕が唯一彼に勝ち目のある切り札。しかし、僕の予想に反してその力は拮抗していた。
更に魔力を込めていこうとしたその瞬間だ。僕の背中に外なる神の触手が勢いよく叩きつけられ、魔力の操作が乱れる。
「ぐっ!?」
それが致命的だった。魔力の供給が断たれた白い球体はそのまま雲散する。そして、僕は全身に感じた大きな衝撃と共に意識を失ったのだった。
「シオンさん!!!」
「愚かな」
「っ!」
大きく吹き飛ばされたシオンさんを見て咄嗟に声を上げてしまうが、そのような隙を黒衣の男たちが見逃すはずもなかった。次の瞬間に腹部に感じた強烈な痛みと共に体は吹き飛ばされ、地面を転げる。
既に戦い続ける中で体力は限界であり、立ち上がろうと思っても痛みに呻くだけだった。シエルさんも私とほぼ同時に彼らに一撃を受け、そのまま地に倒れ伏していた。残っているのはマリンさんと私達の援護をしていたフラウさんとステラさんだけだった。
そんな三人へ、シオンさんをも降したケラヴが近付いてくる。
「もはや勝敗は決した。大人しく有翼族を渡すが良い。無益な戦いは何も生まぬ」
「好き勝手言わないで頂戴!私はまだ立っているわよ!!」
傷だらけの体で、マリンさんはケラヴに走る。しかし、彼女はいくら強靭な肉体を持っているとは言えども人間。長時間の戦いの中では彼女も体力の限界で迫るマリンさんに、未だに息を荒げてすらいないケラヴはため息と共に振るわれた戦斧を片手で弾き、そのまま彼女の首を掴む。
「っ………!」
「その心意気は認めよう。だが、もう時間切れだ」
ケラヴはそのまま勢いよくマリンさんを地面へと叩きつける。フラウさんとステラさんも、既に黒衣の男たちに周囲を囲まれていた。そこで、私の視界が徐々に閉ざされていく。
最後に見たのは二人に近付いていくケラヴと、フラウさんを庇うように前に出たステラさんだった。
意識が徐々に覚醒する。全身に走る痛みに顔を歪めて小さく呻くと、誰かの足音が近づいてきた。
「兄さん!起きたよ!」
「本当かい!?」
聞き覚えのある声だった。それにゆっくりと目を開くと、黒髪と大きな獣の耳をした兄妹。間違いなく、ルイとリンだった。以前も似たようなシチュエーションで助けられたな。そんな呑気な事を考えてしまったが、次の瞬間に浮かんだステラの顔に、痛みも忘れて体を起こした。
「ステラは!?」
「ちょ、まだ動かない方が………」
「そんなことは良いんだ!ステラは………」
「………彼女なら」
そう言ってルイが見たのは地面に座り込んでいるフラウだった。その近くにステラの姿はない。そして、壁に磔となっていた外なる神も姿を消していた。痛みに悲鳴が上がる体を無視して立ち上がり、フラウへと近付いていく。
「フラウ………怪我はないかい?」
「………ごめん、なさい………」
「………っ」
「………何も、出来なかった………守らないとって、思ったのに………」
彼女の頬を涙が伝う。フラウ自身には怪我などは無かったけど、僕は彼女に慰めの言葉など掛けれなかった。ステラを守れなかったのは僕だって同じだったからだ。ここで彼女に悪くないと言うのは、僕が守れなかったことにすらその言葉を向けてしまう事になる。
僕は何も言えずに腰を下ろし、泣いている彼女を抱きしめるしかなかった。
「………家族を、守らなきゃって………思ったのに………!」
「………あぁ」
彼女の言葉が僕の心を突き刺す。僕だって、家族を守りたい気持ちは同じだったはずだ。『権能』」と呼ばれていた僕はなんて惨めなものか。歴史に名を遺す程の称号を持ちながら、家族一人守れなかった。
そんな僕に、ルイとリンがゆっくりと歩いて来る。思えば、ここに彼らがいるのも不思議だ。
「………すまないね。また迷惑をかけたよ」
「いや………寧ろ全てが終わった後だったみたいで、それこそ申し訳ない。何かしら、力になれたらと思ったんだけど………」
「………君たちはどうやってここに?」
僕の問いかけに、ルイは困ったように頭を掻きながら答えた。
「ちょっと手こずって長くなってしまったけど、リンの依頼が終わって帰る途中で遺跡に寄ったんだ。そしたら、遺跡の中から出て来たのは意識を失ったステラを抱えた大男とあの暗殺者達だった。追うのは無謀だと判断して、恐らく彼らに負けたであろう君たちの安否が気になって中に入ったんだけど………」
「………そうかい」
僕は一言だけそう返す。この状態で長く話せるほどの気力など残っていなかった。それを察したのか、ルイはリンと顔を見合わせて頷く。
「………一応、他のみんなの治療もしているよ。命に関わるほどの怪我をした人はいなかったから、また後で話そう」
「………あぁ」
そう言って、二人は去っていく。まだ治療の途中だったんだろう。ただ、僕はもう決めていることがあった。
必ずステラを助け出す。新たな邪神を生み出すわけにはいかないと言うのも当然だけど、それ以上に、このまま家族を連れ去られたままにしておくなんて出来るはずが無かった。僕はどんな時でも優しい笑みを浮かべていたステラの姿を思い浮かべながら、拳を強く握りしめた。




