115話
シオンが遺跡の調査に行ってから二日目。朝食を食べた私は外の空気を吸うために宿から出ていた。私があの家で暮らすようになってからは一度も彼と離れたことは無かったから、こうして彼と会えないのがこんなにも寂しいなんて思ってもいなかった。
彼と翼で触れていた時の温度が少しだけ恋しい。そんなことを思いながら一度深呼吸をして、宿に戻ろうと思った時だ。
「おい、そこの有翼族」
「え………?」
ここに私以外の有翼族がいる訳もないから、その声に驚いて振り向く。そこには豪華な装いをした男性と、その後ろに待機している護衛が二人いた。それだけで相手が貴族なんだと理解したけど、頬に刻まれた大きな傷が印象的だった。
「………私に何か御用でしょうか?」
「ほう。有翼族でありながら礼儀を弁えているのか。気に入った。我が妻の一人として迎えてやろう。私と共に来い」
「っ………え、遠慮します」
貴族の男性が私の手を掴もうとしたのを、反射的に後ろに下がって躱す。いきなり妻にするなんて言われても、そんなの受け入れられる訳が無かった。でも、ここでトラブルになったら私は戦える自信が無い。穏便に事を終わらせないと。
「ふん。私ほどの者に見定められ、遠慮してしまうのも仕方がない。だが案ずるな。貴様程の美貌があれば、我が妻としても恥ずかしくはない」
「い、いえ、その………」
まさか、この街で一番最初に目を付けられるのが貴族だなんて思っていなかった。この街では商人に気を付けるべきだと言われていたけど、この街をフラウと一緒に出歩いても変に声を掛けられる事はなかった。
シオンが『権能』だっていう噂は広がっているみたいだから、私達に手を出して彼の怒りを買うのを恐れたというのは考えられる。でも、その彼はここにはいない。どうにかしないと………そう考えた私の脳裏に、一つの案が思い浮かぶ。
決して褒められる方法じゃないし、後でシオンを困らせてしまうかもしれない。それでも彼ならすぐに状況を把握して合わせてくれるはず。それに………
「………申し訳ありません。私は共に一生を歩むと誓った方がいますので」
それに、全くの嘘ではないはずだから。
朝食を食べた僕たちは昨日とは反対の方向に進んでいた。そこはまるで鬱蒼とした密林のようになっていて、生い茂る木々のせいで視界がかなり悪い。見たこともない木の実や植物は多かったけど、探索するには少し面倒くさい場所だった。
いつものように日中の子守り役であるシルバーホークもこんな場所を飛ぶのは御免だと言わんばかりに、ここに入ってからはずっとロッカの肩に留まっていた。そこまで来ると、君もエコーに抱きかかえられているカーバンクルと変わりない気がするんだけどね。
まぁ、空もほとんど見えないこの密林で空を飛びたくないのは確かに納得できるけどね。
「あぁ、そうだ。明日は朝から一度外に戻るから、ここの調査が終わったら必要な荷物を纏めておいてくれるかな」
「………ここの調査はやめるんですか?」
「いや、やめるわけではないよ。ただ、ここにも何もなければ次に来た時は拠点を移すことになると思うけどね」
「………ふぅ、分かりました」
エコーが安心したように息を付いた後に頷く。研究者としてはここでもう少し滞在した方が良いと思っているんだけど、個人的には街に残してきた二人の様子が気になった。特にステラはその容姿から人目を引くし、トラブルに巻き込まれやすい。
心配しすぎかもしれないけど、変なトラブルに巻き込まれていて手遅れ、なんて事になっていたら僕は自分を許せないだろうからね。少し早いけど、あっちに一度戻ることにした。トラブルに巻き込まれる可能性があるから僕は自分の事を名乗っていなかったけど、寧ろ僕は『権能』であることを大々的に広めて周囲に牽制をした方が良いのかもしれない。
「ついでに、街に戻ったら一度店のほうに顔を見せに行ったらどうかな?」
「………そうですね。そうさせてもらいます」
一週間に一度だという話だったから少し早いけど、大体と言っていたしそこまで大きな問題じゃないだろう。次に調査をしに来た時のために、時間は余裕を持っておきたいしね。
「クルルゥ?」
そんな僕らの会話にカーバンクルが首を傾げる。だが、その鳴き声がほんの少しだけ寂しそうだったのは僕らの言葉を理解していたからか、それとも雰囲気で察したのか。
どちらにせよ、彼と別れるのは僕としても寂しいけど。
「大丈夫。またすぐに来るよ」
「クルゥ」
約束だよ?彼はそんな風に言っている気がした。僕はそれに頷いて再び足を進ませる。それからは午後も探索を続け、ずっと密林を歩いていた。少しずつこの環境にも慣れてきた頃に、不意にエコーが声を掛けてくる。
「主様、あれはなんでしょう………?」
「ん?」
彼女の視線の先。鬱蒼とした木々の先に見えるのは、石で造られた建造物だった。それは長い時を放置されていた事を示すように植物が絡みつき、石の部分が見える割合の方が少ない程だった。森を分け入って建造物に近付いていく。入口だと思われる場所も植物に覆われているけど、これに関してはどうとでもなるから問題はない。ただ、今から中を探索するとなると………無理だろうね。そう思った僕は、ここに風の魔法でマークをする。
「………入らないんですか?」
「あぁ。今から探索するんじゃ、どうしても時間が足りないからね」
僕が空を見上げながら言う。鬱蒼とした木々の間から見える空はまだ明るいけど、光の差し込む方向を考えれば恐らくあと二時間もすれば夕方になるだろう。この建造物の中がどれくらい広いかは分からないけど、もしもの事を考えれば時間が多くあるときの方が良いのは間違いない。
それを見たエコーも納得したように頷く。けど、これがあったと言うことは拠点は移さなくても良さそうだ。
「今度来た時はここの調査をするから、そのつもりでね」
「はい、分かりました」
彼女が頷いたのを見て、僕たちはこの場を後にする。そろそろ帰り始めないと、この森の中で夜になってしまうからね。
その後、僕らが拠点に戻ったのは日が沈んだ後だった。明日はなるべく早いうちに戻りたいと思っているから、研究などはせずに夕食の準備をした方が良いだろう。シルバーホークは既に自分の巣に帰っており、代わりにヘルハウンドの群れがいつものようにカーバンクルを見に来ていた。いつもお疲れ様だね。
そう思いながら目の前にいる彼らに肉を渡し、それを美味しそうに平らげていくを見ると、ただ餌を貰いに来ただけにしか見えないんだけど。
「君達も随分と馴染んだ………いや、この場合は僕らが馴染んだと言った方が良いのかな」
「グルルル」
僕の言葉に返事をするように鳴いたヘルハウンドの頭を撫でる。特に怒ったりすることもなくそれを受け入れるヘルハウンドに、犬だという感想が浮かんでしまう。いや、ハウンドだから犬でも間違いじゃないんだろうけど。
下らない事を考えながら焚火の方に戻る。そこには僕たちが椅子にしている倒木に腰を掛けて、エコーは手帳を書いていた。あの日から欠かさず暇を見つけては書いているみたいだけど、それが嫌々やっている訳ではないのは彼女の真剣な表情と、朝や昼休憩の時に読み返している姿で理解していた。ちゃんと使ってくれているようでうれしいね。
「………よし」
彼女が小さく呟いて手帳を閉じる。そのまま僕の方を見て言葉を続けた。
「主様、今日は料理を教えてくれませんか?」
「料理?………構わないけど、僕も料理は得意じゃないよ」
「大丈夫です。主様の料理は美味しいですから」
さらりと嬉しいことを言ってくれるエコー。思わず笑みを浮かべてしまうけど、そもそも断る理由はないし、準備を兼ねて彼女に料理を教えていく。エコーは地頭が良いし、料理だって教えればすぐに覚えるだろう。彼女に僕が知っている料理の基礎を教えながら一緒に夕食を作っていく。やはりと言うべきか、彼女はすぐにコツを掴んだようだ。
そのまま作った夕食を食べた後は、彼女は水浴びをしに行っていた。僕はその間に後片付けをして、カーバンクルの相手をしている。
「クルルルゥ!!」
「はは、こら、はしゃぎすぎだよ」
「クルゥ!」
僕の注意を聞いていないかのように顔を僕の頬に擦り付けてくるカーバンクル。その様子を、ロッカとヘルハウンドが一緒になって微笑ましそうに眺めていた。なるほど、君もそっち側に行ったんだね、ロッカ。
懐いてくれるのは嬉しいけど、ここまでくると少し困るね。そう思いながらも、明日は一度お別れになるのだから好きにさせてあげようと思っていた時だ。湖の方から、エコーの歌が聞こえ始める。
「クルル!」
その歌声を聞くや否や、湖の方へ駆けだしたカーバンクル。そのまま仕切りの向こうへ飛び込み、続けてエコーの悲鳴が聞こえて来た。続けて彼に文句を言うエコーの声。
「………君たちの王子は随分とやんちゃだね」
「グルル」
同意するように鳴いたヘルハウンド。そうしているうちに彼女の説教が終わり、次に聞こえてきたのは二人の歌声だった。即興の合唱とは思えない程にその歌声はとても美しく響き、僕たちはその歌声に聞き入っていた。
翌日。いつもより少し早めに起きた僕はテントを出る。やはりと言うべきか、エコーは既に起きており、荷物も纏めて倒木に腰を掛けて手帳を見ていた。その膝の上には眠っているカーバンクルいて、エコーはテントから出た僕を見て笑顔を浮かべる。
「おはようございます、主様」
「あぁ、おはよう。待たせてしまって申し訳ないね」
「いえ、しっかりと眠れたようで何よりです」
焚火に火をつけて朝食の準備を始める。それを見たエコーはカーバンクルを抱え、彼を水辺にいるヘルハウンドとロッカに預けて朝食を作るのを手伝ってくれる。
「助かるよ」
「いえ………やりたくてやっていることなので」
そうして朝食を作り終え、様子を見に来たシルバーホークとまだ去る様子がないヘルハウンド達にも餌を与えて朝食を食べる。その間にカーバンクルも起きてきたから、彼にも木の実を与える。
餌を貰ったカーバンクルは嬉しそうに鳴くけど、そのあとには寂しそうに僕やエコー、ロッカに頭を擦り付けていく。その姿を見てほんの少しだけ心が痛むけど、これが永遠の別れというわけじゃないはずだ。
次に来た時にまた会えるかは分からないから、絶対とは言えないけど。少なくとも、この森の魔物達は僕たちを認識しているはずだし、次も会えると可能性が高いだろうとは思っていた。周辺の片づけを終え、荷物を持って立ち上がる。
テントなどはまた来るときにここを拠点にするから残したままだ。まぁ、破壊されている可能性もあるけど、それはそれで仕方のないことだ。予備もあるからそこまで問題じゃないしね。
「クルル。クルルルゥ」
「世話になったね。短い間だったけど楽しかったよ」
「クルルゥ………」
寂しそうに鳴き声を上げるカーバンクル。シルバーホークとヘルハウンド達も見送るように彼のそばに来て僕たちを見ていた。未だに落ち込んでいる様子のカーバンクルを慰めるように声をかけていた。
「はは、大丈夫。またすぐに会えるさ。今度は、もっと色んなところを一緒に探索しようか」
「………クルル!」
僕の言葉に頷くカーバンクル。それを見たエコーも彼に声をかける。
「またね。今度、また一緒に歌おう?」
「クルルゥ!」
「わっ!?」
彼女の言葉に、カーバンクルは彼女に飛びつく。慌てて受け止めながら悲鳴を上げたエコーは文句を言う暇もなく、頬に顔を擦り付けるカーバンクルに困ったようにしながらも笑みを浮かべていた。
「!」
「クル!」
ロッカが軽く手を上げて挨拶すると、一度エコーに顔を擦り付けるのをやめて鳴き声を上げる。そのままエコーから降りたカーバンクルは、ヘルハウンド達のそばで座る。それを見た僕たちは、出入り口のある岩山を目指して歩き出す。
「まるで今生の別れかのような見送り方だったね。ここまで気に入られるとは思っていなかったよ」
「そうですね………彼らが魔物だということすら忘れることがありました」
「全くだね」
「!」
僕とロッカが彼女の言葉に頷く。とにかく、向こうの様子を確認して何事もなければすぐに戻ってこれるはずだ。別れたばかりだけど、僕は早くも彼らとの再会を楽しみにしていた。
夜に更新できず申し訳ありません。書いている途中でPCが落ちた為にデータが全て吹き飛び、最初から作り直していました。




