111話
翌日、僕はまだ日も登っていない時間に起きてニルヴァーナで家に向かっていた。なるべく時間は無駄にしたくないしね。
一応僕には空の魔法があるから、荷物は嵩張らないし、そこは心配する必要が無かった。まぁ、空間系の魔法は場所や場合によっては使用できない場合も考えられるから、普段は必需品を入れておくわけにはいかないんだけど、あの森では適当な場所に拠点を構えるから今回は問題ないだろう。
少し急いだからそこまで時間を掛けずに家まで戻った僕は、調査で使う道具などを空の魔法に収納していく。一食抜くくらいなら特に問題ないんだけど、これから少しの間調査で会わないのだから朝食くらいは皆で食べたい。少し急いで荷物を纏めると、僕は再びニルヴァーナでソアレまで戻る。
そうしてまた街まで戻って来たのは良いんだけど………うん、思っていたより余裕があったね。ニルヴァーナの最高速度を考えれば当然とも言えるけど、かなり時間が余っている。
太陽が昇り始めているから、中には起きてくる人はいるんだろうけど、宿の中は未だに静寂に包まれていた。僕も案外寂しかったりするのかな。そんな風に思って一人で苦笑する。
「………さて、どうしたものかな」
いくらなんでも寝直すには時間が短すぎる。となれば………そうだね。折角研究道具を持って来たんだし、昨日の調査の資料を纏めておこうかな。流石に宿の中で研究をするわけにもいかないしね。僕は食堂に入って、この宿でよく使っている席に座る。自室で書いていても良いんだけど、机は広い方が便利だからね。流石に資料を作るくらいなら文句は言われないと思う。
昨日採集した植物や見かけた動物、魔物や昆虫の種類を纏めていく。勿論、カーバンクルの事は書いていないけど。特に誰かに見せる予定はないけれど、この場で書いてもし誰かに見られでもしたら困るからね。カーバンクルの件は全てが終わって、家に帰ってから資料を作ればいいだろう。そうして資料を作っていた時だ。
「………え?」
「ん?」
聞き慣れた声。僕がそちらを見ると、キョトンとした顔でエコーが立っていた。特に疲れた様子や眠そうな感じは無いから、眠れなかったという訳ではなさそうだ。
「おはよう。随分と速いね」
「おはようございます………主様も、こんな時間から何をしてるんですか?」
「資料を作ってるんだよ。調査を振り返ったりする時は、例え覚えていたとしても記録として残した方が後から整理しやすいんだ」
「そうなんですね………」
そう言ったエコーが僕の隣に座って資料を覗き込む。やっと彼女との壁が無くなって来た気がしているけど、この距離だとその首に刻まれた隷属の刻印が良く見えてしまい、ほんの少しだけ複雑な心境になってしまう。
「………主様?どうされました?」
「いや、何でもないよ………君は文字の読み書きは出来るかな」
「はい。母に教わったので」
「ふむ………なら、君も書いてみるかい?」
「え?」
驚いた顔をしているエコーに、僕が持っていた手帳と筆を渡す。彼女はどうしようかと迷っていたけど、おずおずとそれを受け取った。
「えっと………何を書けばいいのでしょう?」
「君の自由だよ。一日の出来事を記録するとかね。流石に僕が内容を確認するなんてことはしないから、書きたいことを書くといいよ。それこそ、僕への不満とかね」
「そ、そんな!主様に不満なんてありません!」
「はは、冗談だよ」
慌てて首を振るエコー。まぁ、冗談とは言ってみたけど、本当は少しくらいあるんじゃないかな、とも思っていた。少しずつ打ち解けてきたとはいえ、たまに暗い表情を見せたり、何かを言おうとして止めた事があったからだ。彼女には色々と抱えている事が多いんだろうと言うのも分かっているつもりだから、特に詮索はしないけど。
大きな環境の変化とは様々な不安や悩みが生まれ、時に自分でも整理が付かずに混乱してしまう事がある。その変化が良い物でも、悪いものでも。その解決方法は一つに限らないし、人によって違うだろうけど、日記のようにその日の出来事を自分の主観で綴って後から読み返すことで、自分がどうしたいのか、何を考えているのかを見つめ直すきっかけになるんじゃないかな。
そんなことを説明すると、義務的になってしまうから好きにさせるのが一番だと思うけど。
「さっきも言った通り、僕は内容を絶対に見たりしないから、自分の好きなように使ってみるといい。色々とやってみるのも経験だよ」
「………はい。ありがとうございます」
取り敢えずは素直に受け取ったから良しとしようか。最初みたいに遠慮ばかりじゃ無くなったのは良い事かな。取り敢えず、そろそろ時間だね。僕は少しずつ席が埋まり始めている食堂を見て、一度資料を片付ける。久しぶりに本格的な調査をするわけだし、少しだけ楽しみだ。
その後、起きて来たフラウとステラ、シエルとマリンと共に朝食を食べた僕は、昨日と同じようにエコーとロッカを連れてニルヴァーナで遺跡に向かう。フラウ達は見送ってくれたけど、やっぱり少し心配そうな様子だった。申し訳なく思うと同時に、心配してくれることを嬉しく思っていた。
帰って安心させるためにも、油断はしないようにしないとね。遺跡まで到着した僕たちは、周りに人がいない事を確認して中へと入る。もう道は覚えているけど、道が変わっている可能性を考えてエコーに道案内をしてもらいながら進む。結果として、道は変わっていなかったけどね。
昨日と同じ岩山から出ると、そこには変わらず広大な森林が広がっている。さて………後はそうだね。拠点を決めないといけない。出口に近い時の方がもしもの時は便利だけど、それだと結局探索してから戻るまでの時間が掛かることに変わりは無いからね。
まぁ、安全そうな場所を探してそこにテントを立てればいいだろう。取り敢えず、今日は昨日と同じ道を進むとしようかな。
「さぁ、行こうか」
「はい!」
「!」
頷くエコーとロッカ。僕たちは昨日と同じように岩山を下りて森を進んでいく。今回は………そうだね。ここに生息する動植物の生態調査なども行っていこうかな。
勿論、本来の神時代に関連する物を見つけると言うのは忘れていない。けど、ここはそれとは別に興味深い場所だし、推測でしかないとは言え神時代の古代種や幻獣と言った存在が暮らす場所だ。全くの無関係とは言い切れないし、焦っても見つからない物に必死になるよりは余裕を持った方が良いと思っている。
「相変わらず綺麗な森だね………こういう場所が、外の世界にはあとどれくらい残っているんだろうね」
「………そんなに珍しいんですか?」
「あぁ、そうだね。少なくとも、ここまで原始的な森林は外じゃ滅多にないだろう。それこそ、今は邪神に乗っ取られてしまった生誕の森付近くらいじゃないかな」
「………あの、昨日から少しだけ話している邪神とは一体何なのでしょう?」
「ん?………あぁ、君には話していなかったね」
すっかり忘れていた。けど、彼女はこの件とは無関係だ。話したところで何にもできないとなれば、今後彼女は邪神と言う恐怖に怯えながら何もできない日々を送る事になってしまう。ならば最初から話さない方が良いんじゃないか。
「その………知りたい、です。色んな事を知ることも、経験だと思うので………」
「ふむ。ただ、これに関しては事が大きすぎて、後悔することになるかもしれないけど、それでも構わないかい?」
「大丈夫です」
彼女が真剣に言うから、僕はそれを断ることは出来なかった。それに、今後メディビアに眷属が現れる可能性がないとは言い切れない。その時に混乱するよりは良いかな。そうして僕は道中で邪神の事、その眷属の事を話していった。彼女はスケールの大きさに驚いていたけど、それでも真剣に話を聞いていた。
「そんなことが………」
「まぁね。今回の調査は、それに関係する秘密が隠されているかもしれない………と言うのもあるんだよ」
「………そうだったんですね。なら、私ももう少し緊張感を持った方が良いんでしょうか」
「いや、その必要はないよ。何だかんだと、邪神の復活はかなり遅れているみたいだからね。この付近ではまだ眷属も本格的に活動していないみたいだし、そんなに切羽詰まった状況ではないんだ」
「その………フラウ様が他人事ではないと仰っていたのも………」
「あぁ、ステラがその邪神の眷属に関連することで辛い出来事を経験しているんだ」
僕がそういうと、エコーは納得したように頷いた。どんな出来事があったかは詳しく言っていないけど、ある程度は想像がつくんだろう。取り敢えず、事実だけ理解していればそれで良いと思う。
「………主様とステラ様は、番なのですか?」
「番?………いや、違うよ。そう見えたのかい?」
聞き慣れないと言うか、突拍子のない質問に少し驚いたけど、その意味を理解して否定する。寧ろ、ステラとその関係を問われたのは何度目だろうか。そんなに親密な関係に見えるようなやり取りをしていたかな………いや、していたね。少なくとも、突然抱き着くなんて勘違いされてもおかしくはないか。
「そ、そうだったんですね………すみません。その………ステラ様が、主様をとても………大事に思っていらっしゃったみたいなので」
「まぁ………そうだね。それに関しては否定しないよ。ただ、そういう関係とはまた別かな」
今までの事を思い出しながら、何故そこまで僕とステラがそんな風に見られる傾向があるのかを考えていく。というか、このことを知ったらフラウがまた不機嫌になりそうだね。ここに居なくて助かったよ。まぁ、質問をすると言う事は確信があったわけじゃないんだろうし、違った時の事を考えると僕とステラが一緒にいる時は気まずい雰囲気になりかねないから、この場で聞いたんだろうけどね。空気が読める子で助かったよ。
そんな風に雑談をしながら進んでいたけど、昨日も通った道だから特に新しい発見は無い。そうしているうちに丁度太陽が真上になる頃になっていた。距離的にはこの辺りに拠点を作るのが良いだろう。
「さて、この辺りに拠点を作ろうか。少し広くなっている場所はあるかな。出来れば川が近いと助かるんだけど………」
「………主様。向こうから微かにですけど、水が流れる音が聞こえます」
「おや………助かるよ。案内してくれるかい?」
「はい、お任せください」
エコーを連れてきていて正解だったね。別に川が無いと困ると言う訳じゃないけど、様々な点を考えるとあった方が便利だ。飲み水はあるけど、ここに滞在して調査をするなら汚れることも多いだろうし、水浴びなどは出来た方が助かるからね。
エコーの案内で森を進んでいくうちに、僕にも水の音が聞こえてきていた。そして少し開けた場所に出ると、そこには川………ではなく、少し狭い湖があった。湧き水がこの湖を形成しているようで、驚くほど澄んでいる水だったけど。
「川………じゃありませんでしたね」
「いや、寧ろ丁度いいよ。この広さなら、僕らが使ったところで枯れると言うことは無いだろうし、広い川と違って他の動物たちを怖がらせることもないだろうからね。良く見つけてくれたよ」
「………ありがとうございます」
確かに川ではなかったけど、僕とエコーだけで使うならこれくらい丁度良いくらいだ。エコーは川を見つけれなかったことを申し訳なく思っているみたいだけど、僕としては寧ろこれ以上ない程絶好の場所だった。周辺はテントを張ったりするのに十分な広さのスペースもあるし、正にうってつけだ。
「じゃあ、ここに拠点を作ろうか。テントの作り方は分かるかな?」
「いえ………すみません」
「謝ることは無いさ。なら、一緒にやってみようか」
「お願いします」
僕はテントを二つ出して、エコーに教えながら組み立てていく。彼女は要領がいいから、教えればすぐに覚えて二つ目のテントは僕が教えなくても作業を進める事が出来ていた。ロッカは周辺を警戒しているけど、特に襲ってくるような魔物もおらずに平和にテントを組み立て終わり、焚火などを作って昼食の準備を進める事が出来ていた。
僕はパンとスープだけど、エコーにはそれに追加して昨日エコーが捕った獲物の肉を焼いて出すつもりだった。そうして昼食を作っていた時だ。
「クルルルッ!」
「え?」




