109話
「全く………はしゃぎすぎるのも考え物だね」
「す、すみません………!」
「………!」
僕がため息を付くと、同時に頭を下げて謝るロッカとエコー。僕らの傍には巨大な人型の魔物が複数倒れている。額から突き出した二本の角と、僕らよりも大きな棍棒が近くに転がっていた。
その魔物はオーガだった。魔物としては中堅どころと言った程度だけど、肉は食用にならないし素材も使えないからわざわざ戦う理由が無いのだけど、こうなったのは偏に二人が狩りに夢中になりすぎたからだ。
止めなかった僕にも責任はあるとはいえ、まさか獲物を追ってオーガの群れと衝突するとは思わなかった。特に苦労なく倒せる相手だったから良かったけど、これが竜種だったりしたらどうするつもりだったのだろうか。
「まぁ、止めなかった僕にも責任はあるけどね………取り敢えず、もう満足したかい?」
「はい………すみません」
「気にしなくていいさ。今まで魔物を見なかったし、存在を確認できたのも一つの収穫だよ」
この森で初めて見た魔物がオーガになるとは思わなかったけどね。取り敢えず、先ほどまでの狩りでそこそこ時間を使ってしまっているし、昼食にしていいだろう。
「さて、あちこち駆け回って疲れたからね。そろそろ昼休憩にしようか」
「はい………」
そこまで怒っていないんだけどね。まぁ、僕としては彼女が長時間走り続けるだけの体力があることに少し驚いたよ。今も殆ど疲れた様子は見せていないし、流石に狼の獣人族と言うだけあるのかもしれない。それに、彼女が獲物を追いかけて森を走っているときは、とても生き生きとしていたように見えた。
狩猟本能………という奴かな。今まで思いっきり暴れる機会なんて殆どなかっただろうし、ここであれを悪いことだと思われるのは彼女のためにならないだろう。
「本当に気にする必要はないよ。獲物だってそれなりに捕れたし、魔物と当たったのだって、相手がオーガじゃなければ良い収穫になっただろうからね」
「………はい。ありがとうございます」
「じゃあ、ここから離れよう。オーガの死体は………まぁ、一応燃やしておこうか」
他の魔物や動物が食べる可能性も考えたけど、量が多すぎるからね。一体分くらいなら残しても良い気がするけど、餌の取り合いで争いになる可能性を考えたら余計な事はしない方が良いだろう。
僕が炎の魔法でオーガの死体を全て燃やし、二人を連れて場所を変える。魔物とは言え、人型の死体の近くで料理を食べる気にもなれないし。
狩りの途中、森の中で大きな木を見つけていた。木陰としては丁度いいだろうし、ここから遠くなかったはずだ。僕は記憶を頼りに森を進み、目的の木を見つける。
「あそこで休憩しようか」
「はい………昼食は用意しているんですか?」
「いや、ここで作るつもりだよ」
普通ならお弁当か保存食の類を用意するんだろうけど、僕は折角なら美味しい物を食べたい。小食だから、自分で作れば量の調整もしやすいと言うのも理由の一つだ。
それに、現地で取れた食材を使って料理するのも調査の一環になると思うし。流石に未知の食材を使うような事はしないけど。
木を背もたれにして座った僕は、バッグからフィールドワーク用の調理器具を取り出す。さて………そうだね。流石に肉をメインにした料理を作るのは憚れるし、折角野菜なども採れたし、調味料の類なども持ってきているからシチューでもいいかもしれない。
そういえば、僕が料理をするのは久しぶりだったなと思い出す。ここ最近はずっとフラウとステラが作ってくれていたから、変な失敗をしなければいいんだけど。
それから少しして、周囲に良い匂いを漂わせた鍋から少しだけ中身を小皿に掬って味見をする。うん、そろそろ良いだろう。
用意した二つの器にシチューを注いで、片方をエコーに渡す。
「あ、ありがとうございます………」
「熱いから気を付けなよ」
「はい」
彼女は器を受け取り、小さく息を吹きかける。流石に熱い物を食べる時の冷まし方を知らない訳ではなさそうで安心したよ。僕も自分の分を少し冷まし、食べ始める。うん、久しぶりだけど悪くない出来だ。
「………美味しいです」
「それは良かった」
作った身としては、やはり美味しいと言って貰えると嬉しいね。久しぶりの料理に一人で満足しながら食べ進めていく途中で、ロッカが小石を補充している様子を横目で見る。すると、やはり鋭利な小石を見つけて忍ばせようとするのを見て呆れながら声を掛ける。
「ロッカ、そんなのを入れたらだめだよ」
「!」
身体を大きく跳ねさせて小石を落とすロッカ。ダメな事をしている自覚があるなら最初からしなければいいんだけどね。まぁ、最近は手加減をしなければいけない相手と戦う事が少なくなってきたからあんまり問題にはならない気がしないでもないけど、そもそも殺傷目的で作ったわけじゃないし、やっぱり止めておくべきだろう。
小石を補充し終えたロッカは土いじりを始め、まさかいじけているのかと思ったけど、地面に絵を描いてるのを見てただ暇を潰しているだけなんだと判断する。ちょっと何を書いてるのかは分からないけど。
「………静か、ですね」
「そうだね。静かなのは苦手かい?」
「いえ………どちらかと言えば好き………です」
「なるほどね」
まぁ、そこは大人しそうな印象に違わないかな。それに、人間より聴覚が発達している分騒がしいのは辛いだろうし。
「………あの店の奴隷が閉じ込められている檻、お客様が来ているときは静かなんですけど、そうじゃない時はとても騒がしいんです」
「ふむ。それは意外だね。仲が良いのかい?」
「………大体は喧嘩や暴行です」
「おや………それは災難だったね」
「えぇ………」
苦い顔をして話すエコー。彼女もトラブルに巻き込まれたことがあるんだろう。とは言え、そうなってしまうのも仕方ない事なのかもしれないね。あそこは部屋の左右に分かれた二つの大きな檻の中へ無造作に奴隷が入れられていたみたいだし、犯罪奴隷がいればトラブルは絶えないはずだ。
「店の人間は止めないのかい?」
「気付いた時には止めることもありました………けど、お客様が来た時以外は食事を渡しに来るだけなので………」
「随分と杜撰な管理だね」
「………奴隷ですから」
まぁ………正直、彼女の境遇を不憫に思わない訳ではない。生まれた頃から奴隷になる事を決められていたなんて、普通じゃ考えられないしね。僕としては、彼女を正式に買って自由に生きさせる事ができるならそれでも構わない。
けど、今までずっと奴隷として生きるように育てられてきた彼女が、一人で生きて行けるのか。そう考えると、簡単に決断できることでもないんだけど。
そんな風に悩んでいると、ふとロッカが僕らに背を向けて何かをしていた。何かを書いている………ようには見えない。また変な石でも詰め込んでるんじゃないだろうね。
「ロッカ?」
「?」
「クル?」
「………ん?」
振り向いたロッカと同時に聞こえた何かの鳴き声。その聞き慣れない鳴き声に驚いたが、そのままロッカの肩に乗ったそれを見て更に驚くことになる。
「なっ………!?」
「主様?どうされたんですか?」
「クルル?」
ロッカの肩に乗ったその生物。美しく流れるような金の体毛と、全体的にリスのような愛らしいシルエット。大きな耳と尻尾………そして、額に赤い宝石が特徴的な小動物だった。
「カーバンクル………?何故こんな森に………」
「………カーバンクル?」
「あぁ………伝説上で語られる幻獣だよ。確かな発見例が出てこなくて、存在しない生物だとして扱われていたんだけど………特徴を見るに、間違いなくカーバンクルだと思う」
まさか、ここで発見できるとは思わなかったけどね………いや、寧ろこんな場所だから、かな。人の手など一切届かず、古の時代に想像されたこの森には、外の世界で見つけられない生物がいてもおかしくはないね。
その時、ロッカが僕を見る目………まぁ、表情は本来ないんだけど、僕が感じた視線に不安が宿っていたように思えた。気にしているのは、カーバンクルの方。あぁ、なるほどね。
「安心して。いくら貴重だからって実験体にしようとは思ってないよ。襲ってくる魔物ならともかく、その子は君の友達みたいだからね」
「………!」
ロッカが安心したかのように胸をなでおろす。敵意の無い生物を殺めるのは心が痛むし、それがロッカの友達なら尚更だね。研究者として素材の性質に興味が無いのかと言われれば否定できないのだけど、『空の目』で確認した限りだと、この子の本質には特に変わった点は無いみたいだし。
すると、カーバンクルはロッカの肩から飛び降り、僕の方へ歩いて来る。警戒心が少々薄すぎるんじゃないかと苦笑するけど、やはり敵意はなさそうだね。
「クルル!」
「随分と人懐っこいね………」
僕が手を差し伸ばしても逃げる様子はなく、顎を少し撫でてみようかと思ったのだが、寧ろカーバンクルの方から手に擦り寄って来た。幻と言われていた生物が、こうも人懐っこく撫でられに来るとは少し複雑な気分だ。
「可愛いですね………」
「そうだね。ただまぁ………この遺跡の秘密を外部に漏らせない理由が増えてしまったけどね」
当然だけど、カーバンクルは存在そのものが幻とされている生物だ。そんな生物がいたなんて話が出回れば、ここは彼にとっての安住の地ではなくなってしまう。普通の人がカーバンクルがいたなんて言っても意味が無いだろうけど、生憎と僕は普通じゃないし、そのことを周りも察し始めているようだしね。
取り敢えず、このことは誰にも話さないでおこう。申し訳ないけど、フラウとステラにも内緒だね。
「………分かっていると思うけど、この子の事を他の人に話したりしたら駄目だよ」
「はい、勿論です」
「クルルルル?」
僕が一度撫でるのをやめてエコーに言うが、彼女も十分に理解していたみたいだ。そして、僕が撫でるのをやめると、カーバンクルは今度はエコーに「撫でて?」と言わんばかりに歩み寄り、彼女の足に擦り寄る。
「ふふ………」
彼女もその愛らしさに笑みを浮かべ、カーバンクルを優しく撫で始める。その手つきは妙に慣れていて、カーバンクルは喉を鳴らしながら無抵抗で撫でられ続けていた。
昼食も殆ど食べ終わったし、調査を再開するつもりでいたんだけど、折角だしもう少しカーバンクルと戯れていてもいいかもしれないね。ロッカも新しい友達が出来て嬉しそうだし、エコーもカーバンクルをとても可愛がっているみたいようだし。
流石にメモに残すわけにもいかないし、僕ももう少しだけ観察しておこうかな。
人懐っこく喉を鳴らしながら、カーバンクルは私に撫でられていた。こんな小動物を見たのは生まれて初めてだ………いや、主様に借りられてからは初めてばかりだった。
初めて美味しい料理を食べ、初めて街の外を見て、初めて母以外の人間と戦い、初めて誰かの役に立ち、初めて明るい世界で静寂を感じた。何もかもが新鮮で、それはどうしようもなく楽しいと感じてしまう。
それと同時に、私はいずれ来る自分の未来を想像して怖くなる。この楽しさを、この喜びを、この温かさを知ったばかりなのに、すぐに全て奪われてしまうんだと。多分、主様は私が借りられたことで最初に私を買おうとした人の契約は無かったことになると勘違いしているんだと思う。
勿論、細かい説明をしてしまえば情に訴えかけるようになってしまうから、敢えてそういう説明を担当がしたんだろうけど。そして、主様はそのことを知ったらきっと私を助けようとしてしまうんだろう。
「………主様」
「ん?………どうかしたかい?」
「クルル?」
撫でる手が止まる。私が言ってしまえば。奴隷を奴隷だと思わず、生きる権利があると言ってくれた主様なら。『権能』である彼ならきっと助けてくれるはずだけど。
「………すみません。何でもありません」
「ふむ………そうかい。何かあったら遠慮なく言うんだよ」
その優しさに付け込むような勇気も、私には無かった。




