107話
翌日。僕はロッカとエコーと共にニルヴァーナで遺跡に向かっていた。勿論、彼女がニルヴァーナを初めて見た時の反応は予想通りだ。
『権能』の事は一般常識として知っていたとはいえ、奴隷として檻の中に居れば僕の噂話なんて耳にするはずもないしね。まぁ、混乱していたと言うほどでも無かったから、すぐに現状を把握して一人で納得していたけどね。
「さて………見えて来たよ」
「あれが………」
僕にとっては二度目に見る光景だ。と言っても、彼女からすればここから見るほとんど全てが新鮮に映るのだろう。何もない砂漠すら、興味深げにキョロキョロと見渡していたのだ。
少なくとも、奴隷としての仕事で困ることが無いように最低限の教養はあると判断している。ただ、そのほとんどは自分で見たことが無い物だろう。今回の仕事が、一つの経験になればいいんだけど。
「さぁ、降りるよ」
「はい」
「!」
黄金の光に包まれ、地上に降りた僕ら。遺跡は以前と変わらず………まぁ、当然だけどね。しかし、エコーは呆気にとられたように立ち尽くしていた。ぽかんと口を開けたあどけない表情に、ほんの少しだけ笑みが浮かぶと………
「………あっ!す、すみません!」
「ふふ。いや、問題ないよ。初めて見る景色は、得てして惹かれてしまうものさ」
「………はい。ありがとうございます」
「さぁ、進むよ。この先に、僕すらも見たことが無い物が待っているからね」
僕の言葉に頷くエコーとロッカ。今回、ロッカを連れてくるかは迷った。一応エコーだけでも人手は足りると思ったんだけど、もしものことがあった時はロッカがいてくれた方が頼もしいのは間違いない。
今回は彼女の実力や能力を測るという意味合いもあったし、しばらくはこのままだろう。そのまま、前と同じように遺跡の奥へと進む。今日は少し風が強いみたいで、遺跡に守られているとはいえ砂が壁に当たる音が聞こえてきていた。
まぁ、無音すぎるよりはマシかな。そんなことを考えながら進んでいくと、最深部の壁画が見えてくる………ただ、今回はそれだけじゃなかった。
「兄貴、これ本当に開くんですかい?」
「あのガキと考古学者が言ってたんだ。間違いねぇ」
「でも昨日から色々試してるけど、びくともしないっすよ」
「あいつら、夢でも見てたんじゃないですか?」
十人程度の男が壁画の前に立っていた。こちらに聞こえて来た言葉を察するに、間違いなく僕らの話を聞いていた人間だろう。確かに、宿と言う場所でああいう話をした僕が迂闊だったとは思う。
ただ、なんというか………呆れると言うべきかな。ここは神々が残した遺跡で、普通の人間が突破できるような仕掛けなんてしてるはずが無いのに。
取り敢えず、どうしようかな。そんな風に悩んだ時、リーダーの男が僕達に気付く。
「あ?………あぁ、あのガキか」
「初めまして。と言うべきかな?お取込み中だったようですまないね」
「いやいや、良い所に来てくれたぜ」
粗暴な笑みを浮かべながら背負っていた大剣を抜き、地面に突き刺す。他の男たちも同じように、獲物が来たと言わんばかりに笑みを浮かべていた。
「お前、ここの開け方を知ってるんだろ?さっさと開けてくれよ」
「………それをして、僕にどんなメリットがあるのかな」
「ほぉ………この状況で自分のメリットを考えるとはなぁ?舐めた口も大概にした方が良いぜ?」
やれやれ、面倒な相手に絡まれたね。相手にするのも面倒だし、人間を殺すのは気が進まないから、ここで街に帰って彼らが諦めるのを待っても良い。三日もすれば、水や食料も尽きるだろうし。
ただ、その口ぶりからして間違いなく僕の泊っている宿を知っているはずだ。このまま彼らが僕を追いかけて、宿で騒ぎを起こされたらもっと面倒になるし、黙って従ったら調子に乗って今度はステラやロッカを寄越せと言いかねない。
そこまで考えた僕はため息を付いて、剣を生成する。
「はぁ………全く。荒事は好きじゃないんだけどね」
「………戦いますか?」
「こういう連中は、一度痛い目を見ないとしつこいからね」
僕が剣を作ったのを見て、ロッカも左手を変形させる。そんな様子を見て、相手も僕が戦うつもりであることに気付いたんだろう。
ただ、その顔に浮かぶのは嘲笑だった。
「おいおい、まさか戦うつもりか?てめぇみたいなガキがか?俺達はCランクの冒険者だぜ?それとも、自分にはゴーレムがいるから平気ってか?」
「まぁ、君達ならロッカに任せても十分だろうけどね。弱い者いじめになってしまうと、僕の良心が痛むじゃないか」
「————————————」
当然のように呟いた僕の挑発に、呆気にとられたように言葉を失う冒険者達。しかし、次の瞬間には額に青筋を立てて声を荒げる。
「はは!舐めた口もここまで来たら見事だな!てめぇはここで殺して、代わりにあの有翼族を俺達の奴隷にしてやる!」
そう叫ぶリーダーの男。この程度の挑発に乗るようじゃ、取るに足らない小者であることは間違いない。ただ、それはそれとして家族に危害を加える気があるのなら、許してはおけないけど。
僕が赤い光を右手に纏わせた時だ。今まで動かなかったエコーが僕の前に立った。
「………エコー?」
「主様。私にやらせていただけませんか?」
「………ふむ」
今までと違って、とてもはっきりとした声だった。昨日までとは全く雰囲気が違う彼女に少し驚きながら、言葉を返す。
「いいのかい?相手は人間だけど」
「問題ありません。それに、私の能力を測る良い機会だと思いませんか?」
余程自信があるのだろう。僕の問いかけにも一切迷う様子が無かった。それに、彼女の能力を測る機会に丁度いいと言うのも間違いない。
もし彼女が危ないと判断したら、途中でも介入すればいいだけの話だ。
「………それに、私の主を侮辱されて黙っているわけにはいきません」
彼女もやる気十分なようだし、折角自分からやりたいと意見を口にしたのだ。ロッカも彼女の意見を汲んで、既に構えていた左手を降ろしていた。僕も同じように、持っていた剣を消して腕を組む。まぁ、手を出すのなら魔法で何とかなるだろうしね。
「………君がそういうなら、彼らは任せるよ。ただ、危険だと判断したらそこで介入するよ。構わないかい?」
「はい。ありがとうございます」
「………あと、出来るだけ殺さないようにね」
頷いたエコーが数歩前に出る。いつものように気弱な態度はなく、そこに立つのは凛とした表情を浮かべ、鋭く敵対者を見つめている戦士だ。しかし、それに気付いた冒険者達は、彼女の整った顔立ちを見て下卑た笑みを浮かべた。
「まさか、あの女が戦うのか?」
「兄貴、あの獣人族かなりの上玉ですぜ」
「はは、いいだろう。取っ捕まえて、有翼族と一緒に可愛がってやるよ」
エコーを見ながら好き放題言っている冒険者達。しかし、エコーはそんな彼らに表情一つ崩さず、無言で剣に手を掛ける。
「………ふぅ」
静かに息を吐く。その瞬間、波打つ水が静まったかのように彼女は冷たく厳かな空気を纏う。それを感じ取った冒険者達が口を閉じ、反射的に武器を構えようとした時だった。
「——————————は?」
先頭にいた男に迫る刃。男はそれを躱す事も出来ず、着ていたレザーアーマーをごと切り裂かれて鮮血が舞う。痛みに叫ぶより先に、口から出たのは困惑の声だった。
何が起こったのかを理解できない男たちは、瞳を閉じたまま姿勢を低くし、剣を鞘に納めているエコーに切りかかることすらない。
「………は………っ」
血を流しながら地に倒れる男。まだ死んでいないだろうけど、放っておけば出血多量で死ぬのは間違いない。まぁ、出来るだけ………とは言ったし、口を挟むのは野暮だろう。ただ、それよりも驚きの方が強い。
僕は今の一撃を捉えられなかった訳ではない。紫電を纏って駆け出し、抜刀と共に男を斬ったところまでをしっかりと目で追えていた。ただ、それでも初動を見逃せば僕ですら躱すのは難しかった事は否定できない事実だ。
「………これは予想外だったね」
「!」
しかし、当然ながらいつまでも呆けているばかりではない。リーダーの男が我に帰り、すぐに叫ぶ。
「っ!お前ら!やれっ!!!」
その言葉にハッとした冒険者達が走り出す。それと同時にエコーが目を開いた。その瞳は薄らと輝き、紫電を放ちながら納めていた剣を抜く。剣は迸る雷光を纏い、彼女の姿が消える。
直後に男たちの間を縫うようにして走る雷。すれ違ったその身体には大きな傷が刻まれ、同時に雷に打たれたかのように周囲には酷い火傷を負っていた。おかげで出血する事は無いけど、だからと言って食らった方は堪ったものではない。声を上げる事すらなく、意識を失って倒れていく冒険者達。
そして、最後に立っていたリーダーの男の背後で彼女は止まる。剣を振るった体勢のまま、纏っていた雷光が雲散する。
「………どういう………こと、だ………」
獣に引き裂かれたかのように刻まれた三本の傷を見て、震える声を上げるリーダーの男。だが、それを最後に意識を失って倒れる。十数秒………いや、最初の男が倒れた所から数えれば十秒も経っていないし、ほぼ不戦勝の形でこの人数を無力化出来るとはね。
それこそ、僕が範囲魔法を使えば同時に倒すことだって出来るけど、彼女は接近戦だ。彼女が奴隷じゃなければ、今頃多くの人に必要とされる立派な戦士になれただろうに。
男が倒れた音を聞いたエコーは剣に付着した血を払い、慣れた動きで剣を鞘に納めて僕達の方に振り返る。
「主様。どうでしたか?」
「………見事だね。正直驚いたよ」
「!!」
ロッカが興奮した様子で拍手をする。僕の隣で。金属がぶつかり合う大きな音が響き渡り、僕の耳を貫く。ため息を付いて彼を小突くと、それに気付いたロッカが申し訳なさそうに両手を合わせて頭を下げた。
種族柄、聴覚も発達しているエコーは離れた場所にいるにも関わらず耳を押さえていた。
「………!」
「い、いえ………大丈夫です」
「全く………申し訳ないね。それにしても、ここまで腕が立つとは思っていなかった。良い意味で期待を裏切られたよ」
「………光栄です」
少し誇らしげに頷くエコー。これなら足手まといの心配をする所か、護衛として見ても十分すぎる活躍が出来るかもしれない。勿論、守られるつもりは無いけど。
少なくとも、Cランク冒険者の集団を一人で制圧するだけの戦闘能力があるのなら文句などあるはずがなかった。
「色々と心配していた事はあったけど、全部杞憂だったみたいだ。これなら、安心して助手を任せられるよ」
「………良かったです」
安心したように小さく笑みを浮かべて答えるエコー。そういえば、彼女の笑顔を見るのは初めてだ。やはりと言うべきか、整った顔立ちをしているだけあってとても可愛らしい笑顔だった。
少しずつ打ち解けていっているのかもしれないね。そのことに少しだけ安堵しながら、最初の一刀を受けた倒れている男に、バッグから取り出した回復薬を掛ける。傷はそこそこ深そうだけど、僕が錬金術で作った魔法薬だから衰弱死はしにくいだろう。確実とは言わないけどね。
まぁ、死んだら彼の運が悪かっただけだ。そもそも僕が彼らの命の責任を負う必要だってないのだし。悪意を持った敵対者にまで優しくする甘さは持ち合わせていないからね。
「主様がそんなことをせずとも、私が傷を焼いても良かったんですが………」
「ここまで弱った体にそんなことをしたら、本当に死んでしまうよ」
悪意を感じさせないまま容赦ない事をしようとするエコーに苦笑する。彼女も見かけによらず血気盛んな性質なのかもしれない。今まで実戦経験が無かったからか、手加減の仕方もかなり雑だ。
これが死んでも文句を言えないような連中だったから良いけど、そうじゃなかった時は色々とまずかったね。
取り敢えず、彼らは放っておいていいだろう。ここまで痛い目にあったら大人しくどこかへ行くだろうし。もし諦めていなかったとしても、扉を開く瞬間さえ見られなければ獣人族を連れていない彼らが中に入ったところで終着点に辿り着けるとは思えない。もし宿にいるステラに手を出すのなら………まぁ、次こそ命はないと言うことくらいは理解しているだろう。そもそも、彼らが彼女を害せるとは思えないけど。
僕は以前のように、壁画の前で詩を唱える。すると、大地の揺れと共に壁画が開き、大きな入り口が作り出された。
「さて………行こうか。ここからは君の五感が頼りだからね。期待しているよ」
「はい、お任せください」
頷くエコーを見て、僕は入り口に続く階段に足を踏み出す。次こそは進展があることを願おうか。




