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104話

 最初の部屋の席に座ってしばらく。イーサンが部屋に戻って来る。その後ろには先ほどの少女が立っており、イーサンはカウンターに座って持ってきていた書類を机に置いた。


「こちらがシオン様にサインしていただく書類となります。しっかりとお読みください」

「あぁ」


 まぁ、今更僕を騙す真似をするとは思えなかったけどね。一応正式な物的証拠となるわけだから内容を読み進めていくけど、特に不利になりそうな契約はないし、説明を受けていた通りだ。それを確認してサインし、契約書に書かれていた金額と共にイーサンに渡す。


「書いたよ」

「はい、確かに受け取りました。それでは、これから彼女をどう扱うかはあなた次第です。是非ともご満足いただける働きをすることを願っております」

「あぁ、助かったよ。まぁ、そう遠くないうちにまた来ると思うけど」

「えぇ、お待ちしております………ほら、シオン様についていきなさい」

「………はい」


 控えめながら、透き通るような声で返事をした少女はゆっくりと近付いてくる。二年前に初めて奴隷として貸し出されたきりだからなのか、少しだけ痩せていて汚れも目立つ。流石に一度も水浴びをしていない訳ではないと思うけど、頻度も少ないんだろう。髪もボサボサだし、獣人族特有の大きな尻尾も荒れ放題だ。準備には時間が掛かりそうだね。


「さて、自己紹介から始めようか。僕はシオン。錬金術師だ」

「えっと………エコー、です。短い間ですがよろしくお願いします、主様」


 そう名乗った後で頭を深々と下げるエコー。顔を上げた彼女の美しい菖蒲色の瞳が僕を見つめる。初めて見た時は顔を伏せていたからよく見えなかったけど、確かに近くで見れば驚くほどに顔立ちが整っていた。これなら買い手がすぐに見つかるのも納得だ。

 今は少々不衛生なのが少しだけ気になるけど、しっかりと身なりを整えれば多くの人の目を引くだろう。まぁ、今回の仕事は外見には全く関係がない。

 ただ、それはそれとして身なりを整えないのは認める事が出来ないけどね。


「さて………この辺に体を洗える場所はないかい?出来れば男女でしっかりと別れているようなところとか」

「そうですね………店の前の通りを真っすぐ進んだ先にオアシスがあるのですが、その付近に有料でシャワー室を貸し出している店がございます」

「なるほどね………それじゃあ、僕らは行くよ」

「えぇ、またのお越しをお待ちしております」


 僕はイーサンに挨拶をして店を出る。その後ろを遠慮がちにエコーが付いてくる。別にやましいことがあるわけじゃないんだけど、そこまでおどおどされるとこっちとしても気まずくなってしまう。


「さて………僕が君を指名した理由は聞いているかな」

「………はい。遺跡の調査で、獣人族の五感が必要だと………」

「うん、その通りだ。実戦経験はあるかい?」

「いえ………模擬戦なら、私が幼い頃に母上としていました」

「ふむ………」


 複雑な事情があるみたいだし、彼女の今までに興味がないことはないけど………まぁ、この辺りは深く詮索する必要はないだろう。彼女も他人にそういうことは話したくないだろうし。


「実戦経験はなし、だね。まぁ、もし不安なら後ろに下がっていても良い。最低限、自分の身を守れる程度の腕はあると聞いているしね」

「………私は奴隷ですので、どうぞお気遣いなく」


 淡々とした無感情な返答に、僕は一瞬だけ落胆する。まぁ、奴隷としては何一つ間違っていない返答ではあった。けど、僕は言いなりの人間を雇いたいと思っていたわけじゃない。


「じゃあ、これは命令だ。自分の身を守る事を優先するように。僕は戦いで困ることは基本的にないからね。君に死なれると僕が困ると思ってくれると助かるよ」

「………それが命令なら」


 まぁ、返答はあまり好ましい物じゃなかったけど………まぁ、彼女の立場上は仕方ないかな。いっその事と割り切って、道具として扱うなんて出来るわけもないし。

 彼女がそんな様子だから会話なんてあるはずもなく、道なりに進んでいると大きなオアシスが見えてくる。確かこの近くに………


「主様、あれが先ほど話していた店です」

「ん?あぁ、あれか。助かるよ」

「いえ………」


 彼女が指差した建物。オアシスの傍に建てられたそれに向かう。看板くらい用意していて欲しいものだね。開いている入り口に入ると、そこはすぐに受付となっていた。そして、店に入った僕を見て立っていた女性が頭を下げる。


「いらっしゃいませ!何名様のご利用でしょうか?」

「一人で頼むよ」

「かしこまりました。シャワーだけなら三十分につき銅貨五枚、石鹼や道具などの貸し出しをご利用でしたら銀貨一枚となります」

「じゃあ後者で」


 僕は銀貨を二枚取り出して渡すと、女性はカウンターから籠と中に入った石鹸や体を洗う道具などを取り出し、僕に渡す。


「男性のお客様はあちらの方に………」

「いや、利用するのは僕じゃなくてこの子だよ」

「………え?主様、私は………」


 僕の言葉に一番に反応したのはやはりエコーだ。予想していたし、言葉の続きも予想できるから僕はそれを遮るように言葉を続ける。


「奴隷だからそんな身なりのままで良いと思っているのかい?僕は一応にも医学を学んでいる身なんだ。いつまでもそんな姿は認められないよ」

「は、はい………すみません」

「そう思うなら、素直にこれを受け取って体を洗って来るんだ。時間は気にしなくていいから、しっかりと綺麗になってから出ておいで」


 少し言葉が強めになってしまったけど、これくらい言わないと彼女は渋りそうだと思った。命令と言う形にしても良いんだけど、やっぱり人に何かを強制するのは好きじゃない。


「女性のご利用はあちらになります」

「はい………では、行ってまいります」

「あぁ、さっき言ったことを忘れないようにね」


 僕が釘を刺すと、エコーは頷いて案内された方へ向かう。体を洗わせるだけでも一苦労だなんて思いもしなかった。こう言った手間は余計なしがらみがない冒険者ならないんだけど、今回は何よりも信用出来るかが大事だった。

 まぁ、それにもう借りてしまったんだ。ここで返すと言うのも勿体ないし、彼女を遺跡に連れて行く上で致命的に向かないとかが無い限りはこのまま同行してもらうことになるだろう。


「………えっと、席をご用意しましょうか?」

「ん?あぁ、ここだと邪魔だったね。外で待たせてもらうよ」

「いえ!決してそんなことは無いのですが………」


 利用しない店の中で居座っているわけにはいかないし、僕は外に出る。あの汚れようから綺麗になるまではそこそこ時間が掛かるだろう。まぁ、あまり遠くに行かずに………そうだね。折角ならオアシスを見てみようか。

 水質………というか、実りの樹の影響を受けた水が気になった。面白そうな魚などはいるかな。そもそも魚は生息してるんだろうか。少し久しぶりなフィールドワークらしい事だし、ほんの少しだけ楽しみだね。










 私が通路を進んだ先には、幾つかの部屋が用意されていた。そのうちの幾つかは使用中の札が掛けられていたけど、殆どが空き室。この店は奴隷が定期的に水浴びをする場所として利用されているから、使い方は分かっている。いくら奴隷と言っても、一度も体を洗わないままで過ごすとなれば病気のリスクなどが高すぎるからだ。

 ただ、道具や石鹸まで付いてくるのは初めてだった。いつも体を軽くシャワーで洗い流すだけだし、それもかなり期間が空く。獣人族のように毛質が人間と違う種族だと、その期間でもこんなに汚れてしまっていた。確かに、この姿で主様の近くにいるのは見苦しかったかもしれない。


「………」


 あの人はなぜ私を選んだのだろう。私のような命令違反をした奴隷を、普通ならば誰も買いたがらない。檻にいる時に何度か指名されそうになったことはあったけど、担当の話を聞いて全員が口を揃えて言った。「命令を聞けない奴はいらない」「服も脱げないんじゃ奴隷の意味がない」と。

 あの店は奴隷の貸し出しを行ってはいるものの、最終的には一度借りた奴隷に愛着を持ってそのまま正式に購入するお客様が多い。入れ替わりだって何度も見てきたけど、私だけはずっと檻の中だった。

 そうして売れ残り続ける私を、最初に買おうとしたお客様が条件付きで買うと店に持ち掛けた。それが、隷属魔法の刻印を書き換え、私の意思と身体を切り離す事だった。そんなことをすれば、少なくとも私の人格が表に出ることは無くなるし、何を思っても体が従うことは無い。犯罪奴隷ですらそこまでの刻印を用意されることは無いと言う事で最初は店も断っていたけど、どうしても売れる目途が立たないのを見て、最終的には四ヶ月の期間を設けることでその条件を飲んだ。


「あと、二ヶ月………」


 私は買われた訳じゃない。借りてもらっている間は大丈夫だろうけど、店に返された後に待つのは変わらない未来。だから、せめてその時が悲しくならないように。今は何も思わず、ただ奴隷として働こう。


「あの………大丈夫ですか?」

「え?………あ、す、すみません!少しボーっとしていました!」


 黙って個室の前に立っていた私に、さっきの受付の人が声を掛けてくる。掃除か何かだろうか。とにかく、こんなところで立っていたら他のお客様の邪魔になってしまう。私は逃げ込むように個室の中に飛び込んだ。

 時間が掛かってしまうと、その分だけお金がかかる。主様は一時間分の利用料を渡していたけど、少しでも私が早く終わらせれば余分な利用料は戻ってくるはずだ。少し焦り気味に、私はボロボロの奴隷服に手を掛けた。











 僕はしばらく、水辺に住む生物を記録したりとそこそこに楽しんでいた。一人でゆっくりとした時間を過ごすのは久しぶりだったかもしれない。勿論、ステラやフラウ達と一緒にいるのが疲れるわけではないけどね。しゃがみ込んで水面近くを泳いでいた魚を記録していた時、背後から声を掛けられた。


「主様」

「ん?あぁ、終わったんだね」


 慣れない呼ばれ方に一瞬だけ理解が遅れたけど、すぐに彼女が出て来たことに気付いて立ち上がり、声を掛けられた方に振り向く。しかし、振り向いた僕は少し驚くことになった。

 申し訳なさそうに顔を伏せていたエコーだったけど、ボサボサだった白い髪と尻尾は光を反射し、艶やかな毛並みとなっていた。これなら、誰が見ても文句なしに美少女だと呼べるだろう。その分、ボロボロの奴隷服がアンバランスに思えてしまうけど。


「へぇ………随分と見違えたじゃないか」

「えっと………ありがとうございます」


 そう言ってエコーが丁寧に頭を下げる。妙に礼儀作法がなっているけど………彼女の面倒を見ていたのは母親なのだろうか。不治の病を患っていたらしいけど、彼女が模擬戦が出来る年齢くらいまでは生きていたみたいだし。

 彼女の母親は東の国の出身だとイーサンが言っていた。生憎と、権能の知識にもその辺りの詳しい事は分からないみたいだ。と言うのも昔は酷く排他的で、冒険者や商人すらも受け入れを拒んでいたらしいからね。

 今はどうなっているのか分からないけど、奴隷が流れてきているということはそこまでの状態ではないんだろう。まぁ、機会があれば行ってみたいね。


「さて………後は君の装備を整えないとね」

「そんな………私なんかに………」

「あぁ、素手で魔物を倒せるなら構わないよ?」

「えっ………と」


 少し意地悪な返しだけど、勿論からかっているだけだ。それでも困ったように言葉に詰まるエコー。やっぱり冗談は通じないタイプみたいだ。


「冗談だよ。ただ、何度でも言うけどね。君が死なれると僕が困るんだ。自分の身を守れるように武器を持って、もっと丈夫な服を着てくれればそれでいい」

「分かり………ました」


 僕がそういうことでやっと頷いたエコー。遠慮をするのは良いんだけど、僕としてはもう少し素直でいてくれた方が助かるんだけどね。まぁいいや。

 そうして僕らは元の道を戻っていく。多分だけど、道中に冒険者用の装備を売っている店があった気がする。


「それと、申し訳ありません………」

「ん?」


 出発するよ、と言おうとしたところで急にエコーが頭を下げた。何の謝罪か全く見当がつかなかったから、一瞬だけ戸惑う。彼女の申し訳なさそうな顔を見るに、適当に謝ってみたとかそういう訳じゃないんだろうけど、別に謝られるようなことをされた記憶はない。


「何とか早く洗えたらと思ったのですが………時間を掛け過ぎてしまいました」

「いや、待つことくらいならどうってことないよ。それとも、銀貨二枚分じゃ足りなくなってたかな」

「いえ!ですが………その、利用料は戻ってこないので………」

「あぁ、そんなことかい?別に構わないよ。寧ろまだ時間はあるんだし、ゆっくりしていても良かったんだけど」

「そんなことは………」


 生真面目と言うか何というか………まぁいいや。それに、わざわざお金を返してもらいに行くのも手間だしね。


「まぁ、取り敢えず気にしないでくれ。そろそろ行くよ」

「は、はい………」


 まぁ、悪い子ではなさそうだったからそこだけは安心した。頭が固い所を覗けば今のところは不満はないかな。短期間になるとはいえ、その間にそれも直ってくれればいいんだけどね。















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