余命82年5ヶ月6日
「オンギャー」
分娩台の上、一人の女性の数時間にも及ぶ奮闘によって、3259gの元気な男の子が生を受けた。
「おめでとうございます。余命82年5ヶ月6日の元気な男の子ですよ」
医師は朗らかに産まれたばかりの赤ん坊の余命宣告をした。
医療が進みに進み、留まるところを間違えたであろう人類は、産まれたばかりの赤ん坊の余命ですら明確に判る迄になった。
さて、この余命であるが、何事もなければという注意事項がある。
当然、寿命である以上、不摂生をすれば縮む。また、不慮の事故という不確定要素も存在するのでこの余命は緩やかに縮まるというのが社会通念でもある。
それでも、自身の余命を早い内に知っておけば、それらを避け慎重に生きるという倫理観と今後の人生設計がしやすくなるといったメリットの元に、人類は余命の早期確定に邁進した。
何はともあれ、突き詰めた結果、産まれながらの余命宣告に行き着いたのだ。
そこまで発達した医療であるのに、お産に係るリスクはさほど埋まらなかった。
母体が若いほどリスクが低いのは今も昔も変わらない。むしろ若ければお産が軽すぎてそこらのホテルに素泊まりするのと変わらない気軽なものとなっている。
しかし、誰も若い内に出産をしなくなった。
単純に若い内に子育てに追われるのは大変で、更に精神が未成熟なまま、経済的に余力のないままに子どもを持ち、育児放棄する親が増加した。
また、若ければ若いほど自分の為に費やす時間を確保した方が豊かな人生を送れると考えられるようになっていった。
それに、出産は生命の神秘に触れる神聖な経験でなければならないという固定観念は払拭されなかった。ある程度のリスクは許容しなければならいということもあるらしい。
そうした様々な要因に依って、初産婦の高齢化が加速した。
50代で初産を迎えれば「あら、お若いのに」といった具合だ。
さて、つい今しがた元気な赤ん坊を出産した彼女は52才。
余命32年8ヶ月12日での出来事である。
まだ名前もない彼の余命は後、82年5ヶ月5日23時間26分。
多くの笑顔に囲まれている。