花火
「ヤバすぎる……」
進藤はそう言って倒れた。
「死ぬなー!!」
「……」
「……」
「「はははっ!」」
俺達は笑いあった。これは『ぶらっく*ぼっくす』では定番のやりとりだ。部長のつきみが衝撃を受けて「○○すぎる……」と言うと魂がふわっと抜けてしまい、周囲の「死ぬなー!」という声で戻るというもの。いわゆる「いつもの」だ。
そもそも、『ぶらっく*ぼっくす』とはどういうお話なのか。簡単に説明すると――
幽霊屋敷と化した元・豪邸に住む祠堂つきみは、幽霊が大の苦手で、毎日を震えて過ごしていた。ある日、つきみの家に幽霊が出るという噂を聞きつけて、クラスメイトの嘉神うつるが肝試しにやってくる。うつるは特技の幽体離脱によって幽霊と交流し、つきみを怖がらせないよう言い聞かせた。それを見て、つきみはうつるに好意を持つ。うつるはつきみが幽霊を克服するために、自分の趣味であるホラースポット巡りに付き合わないかと提案する。つきみはその提案を呑む。
翌日、つきみはホラースポット巡りの旅費を入手するため「ホラー部」設立を提案。学校は、「品行方正な生徒会長であるつきみが部長を務める」という条件でホラー部の設立を許可する。これに日本の怪異に詳しい榊やえこと、西洋の怪異に詳しい篝火みこを加えることで人数要件が満たされ、めでたくホラー部が誕生した。
その後は、基本的に1話完結、四人でゆる〜くホラースポットを巡る話が続く。顧問の先生や生徒会の面々、マスコットの幽霊が追加キャラとして出てきて、それが追い風となり連載が軌道に乗る。じわじわとファンが増え、現在は連載5年を突破しアニメ放送中である。
おっと、長くなってしまった。元の話に戻ろう。
「というか進藤、『ぶらっく*ぼっくす』読んでたのか?学校でのお前のイメージからじゃ全然想像できない。接点が無いというか……」
「忘れたか?俺の家は古本屋だ。マンガやラノベの買い取りも受け付けてる。そのうえ、俺はそこにある本を開店閉店関係なく読み放題。で、その中の一つに『ぶらっく*ぼっくす』があった。それだけのことだ」
「ああ、なるほど」
意外なほどすっと納得できた。そういえば、高校で学業成績学年トップの進藤には、家の古本屋に積み重なっている古い学術書を全て読破したという噂が立っていた(彼自身も否定はしなかった)。読んだのは学術書だけじゃなかったのか。でも、老舗感が溢れ出るあの進藤の家に、日常系マンガが置いてあるなんて。
「……言っちゃ悪いけど、お前ん家結構古いだろ。ホントに幽霊が出そうなくらい。つきみの屋敷みたいに」
「出るかもな、見たことはないけど。それに今は幽霊よりもびっくりな事態だ。ああそうだ、幽霊といえばハルミ、お前は今うつるちゃんの身体なんだから、もしかして幽体離脱できるんじゃないか?」
「いやいや、そんなわけ……」
「やってみてくれ、多分できる。さっき、俺が『ヤバすぎる……』って言っただろ?その時に魂がふっと抜けた感覚があったんだ。お前が『死ぬなー』というから戻れたが。これはマンガのつきみちゃんそのものだろ?」
……まさか。あんまり驚くものだから気が遠くなっただけじゃないのか?……でも、やってみなくちゃわからない。
「確かにな。とりあえずやってみる」
昨日見たアニメの第7話を思い出す。海水浴ついでに海沿いにある廃屋を訪ねる話。霊に出会ったうつるちゃんは、正座をして両手を合わせ、強く念じていた。それと同じ感じで――ふんっ!
沈黙が訪れる。
「……できてるか?」
「……」
「どうした進藤、何か喋ってくれ」
「――どうやら、成功したようだな」
目の前に置いたスマホを遮るように、何かが覆いかぶさる。意識の抜けた自分の頭だった。身体はドンと音を立てて床に倒れた。
「うわっ!?」
俺は慌てて立ち上がろうとする。すると、ふわっと体が浮き上がって、天井裏まで飛んでいってしまった。ネズミが目と鼻の先にいた。
「ぎゃっ!?」
びっくりして飛びのくと、今度は部屋の隅っこまで吹っ飛んでしまった。ふと足元を見ると、足が煙のように透けている。ぎょっとしたが、これが幽体離脱……これ、夢じゃないのか?
少しの間、ほほを何度もつねったり、幽体の操作に苦戦したりしながらも、俺はなんとかスマホの音が聞こえる位置に戻った。
「おーいハルミ、いるかー?」
「いる!見えないのかー?」
「おーい、元の身体に戻って返事をしろ、ハルミ」
あれ、今の俺は幽体だからカメラに映ってないのか?
「ああ、もしかして身体に戻ってこれないのか?」
そうだ、と言いかけて、言葉が届かないことに改めて気がつく。
「そういえばそんな話が原作にあったなあ。うつるちゃんが幽体離脱を覚えたての頃に、幽体のコントロールが効かなくなって色んなところに飛んでいっちゃう過去話が――」
「そんなこといいからどうにかしてくれ!!」
進藤は喋り続けている。俺はそれをよそに、慎重に幽体をコントロールしながら何度か自分の体に重なってみる。
――うう、何度やっても戻れない。もどかしくて歯ぎしりが止まらない。アニメじゃスーッと戻ってたのに……。
進藤が何か喋っている。
「――とにかく早く戻ったほうが良いぞ。5巻でチョロっと言ってたろ、太陽の光に幽体は弱いって。もうすぐ朝なんだから」
ああ、そういえばそんな話があった。でも実際にどうなるかは、描写されてたっけ……。
「そうだ、幽体離脱のコツなら、うつるちゃんが戻り方も含めて触れてたはずだぞ。確か――」
ブツッ。
進藤の話が途切れる。
スマホが電池切れを起こしたのだ。
見ると、充電プラグが抜けている。さっき俺の身体が倒れた拍子に外れたのか。くそっ、確かにもともと残量は充分じゃなかったが、こんな大事な話の途中に切れるなんて。
まずい、今の状態で朝日を浴びたらどうなるか分からない。部屋に『ぶらっく*ぼっくす』の単行本はあるけど、幽体じゃ触れないから確かめられない。
仕方ない、進藤の家に向かおう。幽体は浮かべるから、直線の最短ルートで向かえる。それなら夜明けまでに往復できるはず。
それに進藤は今、霊感のあるつきみの身体なんだから幽霊も視えるはずだ。
早くしないと。俺は初めて自分を見た窓をすり抜け、外に出た。空には無数の星が輝いている。屋根の上に昇ると、あちらこちらで街灯が道を照らしているのが見える。
他にもまだ光るものがある。あの家の窓からか。時刻は4時を過ぎたくらいなのに、もう起きてるんだろうか。早起きだなあ。
――あれ?
――違う。人じゃない。あれは部屋の照明じゃない。俺がさっき窓の外に見た「何か」だ。光っていて人型で、翼のある「何か」――光る天使。
さっき見た「何か」の記憶がフラッシュバックする。ヤバい。俺は直感した――今の俺や進藤の状況は、あの「何か」に引き起こされたものだ。
あれは危険だ。本能がそう警告している。一旦室内に避難しよう――
遅かった。俺はあれがこっちを見ていると感じた。それに気づいた瞬間、俺の全てが硬直して動けなくなった。無い足がすくんでいる。
「何か」は狙いを定めたように俺をじっと見て、びゅんと空高く飛び上がった。浮かんでいる……と思ったら、放物線を描くようにこちらへ落ちてくる。くそっ……!逃げろ逃げろ逃げろ、動け、動け俺の幽体!!
背後に一人、車道の真ん中に、両手を「何か」に向けて構えた女性が立っていた。
「――そっちから来てくれるとは、ありがたい……!」
ドン!
背後から、赤い光の束がこちらに向かって飛んでくる。
「うおっ!」
光は俺をギリギリ逸れ、上空へと飛んでいった。次の瞬間、赤い光が「何か」を貫通し、爆発が起こった。
バン!
大爆発。
「何か」はバラバラになった。残骸が四方八方に飛び散り、キラキラと煌めきながら空から舞い落ちる。
それはまるで――夜空に炸裂した花火のようだった。
今まで見た中で一番美しい花火だった。俺はしばらく心を奪われたように、舞い落ちる光を見ていた――。
はっ。
俺は自分が誰かに助けられたことを思い出す。あの人はどこへ行った?
上昇して周囲を見渡すが、人影は見えない。
……まあいいか、何だか分からないが助かったんだ。それより俺は早く進藤の家に向かわなきゃならない。ええと、進藤の家は駅のそばだから、駅の方向に――。
ふらふらと拙い幽体のコントロールで、俺は必死に進藤の元へと向かった。
うーん、あの人、何者だったんだろう……。
――……ザザ。
「――C班。『具現機構』1体、討伐完了。次の場所へ向かう」
ザッ……――。