窓
「なりたい自分」って、何だろう……。
「――進路希望調査の回収は明日の1限前です。出し遅れた人は出すまで帰らせません。以上。起立!」
気をつけ、礼の後、花笠先生は、足早に教室を出ていってしまった。
「はぁ〜あ、将来就きたい職業なんてちっとも思い浮かばねえ。俺らまだ高2だぜ?正直、毎日アニメとかマンガとかラノベとかを読んで過ごせりゃ万々歳」
「お前はもっと真剣に考えろ。テキトーに進路を決めると、ゆくゆくは娯楽に金を回せなくなって後悔することになるぞ」
「なんだよ進藤、相変わらずマジメか?俺は娯楽のためなら食事はいくらでも削っていいぜ」
「うっそだ〜!広野くん、毎日人の倍の量の弁当食べてるじゃん。すぐ音を上げるのがオチだよー」
鳴川さんが割り込んできて、いつものように広野に絡み始めた。
「うるせえぞナルコ!俺はお前みたいにダイエットしなくても太らねえんだ、代謝がいいからな」
「そうは見えないけど?それと、ダイエットして何が悪いっていうの?見た目って重要なんだから。寝癖も気にしないあんたとは違うの」
「はあそうですか。でもお前、また太ったんじゃねえか?よく見た目がどーたら言えたもんだな」
「はあー!?」
「ああー!?」
いつもの言い争いが始まった。進藤がこちらへ避難してくる。
「またアレが始まった。毎度毎度バカバカしい」
「微笑ましくさえ思えるよ。結局あいつら仲良いんだから」
「まったく。――ところでハルミ、お前はもう明日出すやつ書いたのか?」
「いや、俺はまだ――」
俺は悩んでいた。真剣に将来を考えたことなんて無かったからだ。俺はただ何も考えずに暮らせればそれで良い。そういう点で、俺は広野をバカにすることができない。
「まだ思いついてないけど、明日までには何かしら書いとくよ。進藤はどうなんだ」
「俺は親父の古本屋を継ぐつもりだ。前は自立しようと思って色々バイトして経験を積んでたんだが、結局、実家兼古本屋でのんびり働くのが俺に向いてると思ったんだ。まあ、どれも金を得るにはいい職場だったけどな。」
「ふーん、のんびりが好きだとは意外だな。毎日シフト入れまくってるお前のことだから、将来は高給激務の職場で働いてるイメージだったけど。今バイトしてるカフェものんびりなのか?」
「あそこは制服のデザインが好きで働いてるんだ」
「なんだそりゃ」
その日の帰り、進藤の働いている駅前のカフェに寄った。だが、あんなに可愛い制服を着ているとは思わなかった!あれが好きなのか進藤、お前オシャレ男子(?)じゃないか……!あのクソマジメwithメガネの進藤が!!
このカフェは駅前にあって、道路側がガラス張りになっている。だから、静かな雰囲気を求める人よりも、勉強する学生やノマドワーカーが多いと聞いた。俺も甘々のキャラメルマキアートで糖分補給をしながら少し勉強することにした。
ふと、道路を歩く会社員の会話が聞こえた。
「――で、有給取ろうとしたら部長にこっぴどく叱られて結局取れなかったんですよ。妹の結婚式があるって言ったんですけど。意味が分かりません」
「あの部長には何言ってもムダだよ。今日は外から人が来るからお前らは早く帰れって。急なことだったから仕事も終わってねえし、その後無理やり飲みに行かされるから時間も無くなるしで、結局家でも徹夜で残業だよ。人のことを何だと思ってやがる、クソ」
居酒屋へ向かっているのだろうか。目は虚ろで頬はこけ、足取りは重い。こういうのを見てしまうと、やっぱり社会には出たくない、と思う。将来のことなんて考えたくない――ずっと高校生でいられれば良いのに!やめた。進路調査については今日じゃなく、明日の朝考えよう。将来のことは将来考えればいい。だから今は帰って、録画したアニメを観て寝るんだ――。
「――C班。現在鳩木駅前のカフェ ル・ヴォワール。もや濃度が危険領域に達している。今夜にも『あれ』が起きる。住民に避難指示を」
「まだそうと決まったわけではない。作戦を続行せよ」
「……了解」
宿題はカフェで済ませたので、俺は家に帰ってすぐに2つのアニメの最新話を観た。1つは、『ぶらっく*ぼっくす』。いわゆる日常系というやつで、女の子たちが心霊スポットや廃墟などを巡る部活の話だ。題材とは裏腹に雰囲気はほんわかとしている。イチオシのキャラは、「ホラー部」副部長、嘉神うつるちゃん。白髪の女の子で、特技は幽体離脱。幽霊と友達になるのが趣味。快活で、見ていて元気をもらえるキャラだ。
よし、俺は元気を取り戻したぞ。さて次。
もう1つは『BIRDs―バーズ―』というアニメ。原作は月刊誌連載のバトルマンガだ。伝説の男「バードマン」が何者かに殺され、封印された殺人鬼「ビザロ・クロウ」が復活。世界を守るべく、鳥の輪という武器を手にした戦士たちが戦いに身を投じる話だ。ここまで聞くとダークな感じだが、小気味好い台詞回しや、主人公アイリーのヘコタレなさが作品を明るくしている。アニメ化を機に人気が沸騰し、現在放送中なのは第2期だ。
ああ、今週の話もサイコーだった。カタルシスが凄い。嫌な気分が吹っ飛んだ。
「ただいま」
階下から父の声が聞こえた。はあ、もう帰ってきたのか。せっかく良い気分のまま眠れると思ったのに。仕方なく階段を降りる。
「おかえり。夕飯は食べたから」
「俺も食べたよ。今日の学校はどうだった」
「大した出来事は無かったよ。進路希望調査の提出締め切りが迫ってるくらい」
「そうか。どのみちお前の将来は決まっている。問題ないだろう」
「……ああ」
親父の眉がピクッと動いた。
「もしかしてお前、まだそれを書いてないのか?」
――クソ、だから親父とは話したくなかったんだが……仕方ない、もう観念しよう。
「……そうだ」
「はぁ。いいか、お前は勉強ができるんだから、良い大学を出て、どこかの省庁とか役場とかに勤めれば良いんだ。以前から何度もそう言っているだろう?俺も、俺の親父も、祖父ちゃんも、みんなお国のために働いてきたんだぞ。お前には先祖を敬う気持ちが無いのか?」
「そういうわけじゃ――」
「はぁ……最近の若い奴には精神的に向上心の無い奴が多いと聞くが、お前までそうだったとはな。俺を失望させないでくれよ。いや、そもそもお前に期待などしていなかったが。高校生になって将来のことも考えてないやつがこの先やっていける訳が――」
「わかったよ!!」
つい声を張り上げてしまった。気まずい雰囲気が流れる。
「……」
「……わかったから。俺はもう寝る。風呂は湧いてるから。」
「ふん、勝手にしろ」
俺はリビングのドアをぐっと閉めて、振り返ることなく階段を昇った。
部屋に戻ってすぐ、机のスタンドライトだけを付けて、そこに調査用紙を置いた。俺は頭を抱えた。
「……」
ネチネチうるさいクソジジイめ。……でも、親父の言う通り、公務員は悪い仕事じゃない。うまく行けば、嫌いな息子の部屋にさえ、テレビと録画機器とエアコンを買ってやれる程度の安定した生活を送れるのだから。社会にも貢献できる。……だが、俺は決めかねている。本当にそれでいいんだろうか。自分が公務員として働く未来が想像できない。しかしそもそも、俺は親父を拒否するに足る「なりたい自分」を、俺は持っているとも思えない……。ああ、進路調査ごときでこんなに悩んでいる自分がバカバカしく思えてくる。だが現に俺は死ぬほど苦悩している!
気晴らしにさっき観たアニメをもう一度観てみるが、セリフが右耳から左耳へと抜けていく。悶々としたまま、俺はただ何かから逃れようと、画面を食い入るように見ていた。
明滅する画面。混濁する視界。俺はイヤホンを付けたまま、いつの間にか、眠りに落ちた。
夢……夢だとわかった。奇妙な風景だ――これは俺の心だろうか。もやが濃すぎて何も見えない。ただ、俺は歩き続けなければならない――もやの先に「何か」があると、なぜか確信していた。――時間が限りなく希釈されていく。
どこまで歩いただろうか。俺はただまっすぐに歩き続けた。赤い光が瞬いている……俺は、それに手を伸ばすが、掴むことができずに倒れてしまった。もう、立ち上がる体力は無い。意識が遠のいていく――
「目覚めよ」
「はっ」
荒く、肩で息をしている。光が天井に差している。朝だ。朝?
俺は焦った。今は冬だというのに、もうこんなに明るい。とうに7時は過ぎているはずだ。まずい。進路希望調査を書く時間がない。回収は朝のホームルーム。電車で書くか?無理だ。通勤ラッシュと被って本もまともに開けない。
時計はどこだ。スマホは。ベッドの横に置いてある。立ち上がってそれを拾い、時刻を確認する……3時37分?
混乱してもう一度確認するが、確かに午前3時37分だ。振り返って窓を見ると、明らかにそれは太陽の光ではなかった。カーテンの向こう側、窓のすぐ外側に、何かがいる。何だ?俺は一歩、二歩、……と恐る恐る近づいて、さっとカーテンを開けた。
そこには「何か」がいた。目がくらむ。一度閉じた目を細く開いて見てみると、翼の生えた人のようなものがただ輝いている。顔は見えないが、確かにこちらを見ている。俺は目をそらすことができない。そのまま、「何か」は翼を大きくはためかせた。
「うああっ」
俺は情けない声を出して尻もちを突いた。気がつくと「何か」は飛び去ってしまっていた。午前3時の暗さが戻った室内で、俺は再び窓に近づく。何もいない。俺は呆気にとられて、しばらく窓の外をみていた。
だから、ふと、気がついた。お前は誰だ。窓にうっすら反射する人影は自分のはずだ。しかし、そこには明るい髪の女の子が映っていた。
「えっ?」
力無い声が口から漏れる。一歩下がると、窓の影も一歩退いた。俺はそいつと目を合わせる。
俺はそいつを俺だと認識するほか無かった。手の大きさ、服、髪の長さ、それら全てが「本来の俺」と違うにもかかわらず、だ。しかし、最も信じられないのは、俺はこの女の子に見覚えがあるということだ。俺は窓に反射る人影に尋ねる。
「――うつるちゃん?」