その2
隊長代理に急かされながら美緖達は妖人まで50mの地点まで来ていた。
場所は元空港だったので遮蔽物がないところが多いが、格納庫と思われる物陰から妖人の様子を伺った。
妖人は一人で身動もせずにじっと突っ立っていた。
美緖達に気付いていないようだが、それは違っていた。
随分と前から美緖達の接近に気付いており、気付いていながら何もしないでいた。
何か意図があるのだろうか?
ただ、美緖達もこちらに気付いていないようで気付いていることは知っていた。
訓練学校で習っていたし、実際、こちらに注意が向いていることがヒシヒシと伝わってくるような感じを持っていた。
つまり、敵に隙がない状態だった。
「さて……」
美緖はそんな困った状況にどうしようかと声を発しようとした時に、
「よし、突撃なのだ!」
と大声を上げて美紅が腰の刀を抜きながら妖人の前に躍り出た。
その時、美希の手が美紅を掴み損ねていたので、美希は仕方なく美紅の後に続いた。
美紅一人では討ち取られる可能性が高かったからだ。
二人の行動を目の当たりにした美緖と美佳も済し崩し的に参戦していった。
彼女たちの武器は刃渡り40cmの小型の日本刀だった。
小さな刀を使うのは室内などで戦う場合も多いからだった。
また、歩兵が携帯できる銃の口径程度では妖人に対して傷を負わすことは難しかった。
ならば、口径の大きな銃を持てばいい。
実際、美緖達特戦隊員達は12.7mm重機関銃を一人で担いで持ち歩く事は可能だった。
しかし、だからと言って、口径の大きな銃を使うと機動性が落ちるので却って危なくなる。
そこで、考え出されたのが日本刀を使った接近戦だった。
つまり、刀を使って妖人の急所を貫くことだ。
これは妖人は基本的には飛び道具を使わないという点からも有効だった。
「117A、これより妖人との戦闘に入る」
美緖は他の3人を慌てて追いながら、慌ててインカムを通じて報告した。
「117H、了解」
インカムからそう返事が返ってきた。
返事より早く美紅は上段の構えからジャンプしていて、
「えぃなのだ!」
と気合いの叫び声と共に妖人の背後から脳天目がけて刀を振り下ろしていた。
だが、妖人の方はヒラリといった感じで軽くかわすと、美紅の刀は空を切り、勢い余って美紅は妖人を通り過ぎてしまった。
妖人は背中向きになった美紅に手を伸ばすとそれを捉えようとした。
「やぁ!」
そう叫ぶと、美希はすぐに妖人の背中に斬り掛かった。
無論、美紅の援護のためだった。
妖人はその攻撃もひらりと半身になってかわした。
美希はかわされるのが分かっていたようで、美紅の腕を掴むと、妖人から離れようとした。
そんな二人の背後を妖人は攻撃しようとしたが、美緖と美佳が同時に攻撃を仕掛けてきた。
息の合った二人の上段からの斬り込みに妖人は今度は大きく後退してかわし、次の攻撃に備えた。
しかし、美緖と美佳は次の攻撃には移らずに、逆に大きく後ろに下がった。
美緖と美佳、美希と美紅、妖人を頂点として正三角形が出来上がっていた。
「ナルホドナ」
妖人は片言でそう呟いた。
白目で白い顔なので表情はよく分からなかったが、口元が緩んでいるような気もした。
楽しいのだろうか?
美緖達の方は初めての実戦で余裕が全くなかった。
ないにも関わらず、なんとか自分達に有利な位置取りをしていた。
ただ、先程の戦闘で一太刀も浴びせられなかったので、4人とも力量の差ははっきりと認識していた。
「こちら連隊H、117A、直ちに戦闘を中止し、離脱せよ」
インカムから新たな命令が下された。中隊の隊長代理ではなく、頭ごなしに現在の総指揮を執っている連隊長からの命令だった。
「こちら117A、無理です。離脱したら全滅します」
美緖は現状をそう報告した。
「くそぁ、あの馬鹿代理!
監視だけだと言ったろうに!
援軍を送るから何とか持ちこたえろ!117A」
美緖の返答を聞いて、先程の落ち着いた女性の声から図太い男の声に変わってそう言ってきた。
声の主は連隊長で、かなり頭にきているようだった。
「了解、何とかします」
美緖はそう言ったが、何とかなる気は全くしていなかった。
妖人は間合いを詰めようと、美緖と美佳の方へ躙り寄っていた。
美緖と美佳はその圧に耐え切れなく、じりじりと後退していた。
ただ間合いを詰めさせないという点では正しい行為だった。
「こちら104A、117A、8分で向かうから頑張りなさい」
声の主は東京104A小隊の隊長初音だった。
無論、この小隊は美緖達と同じく特戦隊で、美緖達より8つ年上のベテランと言える隊だった。
「了解しました」
美緖は頼もしい援軍が来るので安心した。
しかし、そんな美緖の心を見透かしたように、妖人が美緖と美佳へ向かって一気に詰め寄ってきた。
無論、攻撃のためだった。
美緖と美佳は間合いを保とうと、後ろ足で後退したが、妖人の方が早く一気に間合いを詰められて妖人の手が届く範囲に迫ってきた。
攻撃が来ると美緖と美佳が身構えた瞬間、妖人の側面に美希と美紅が襲いかかっていた。
不意を衝かれた格好になった妖人は焦ってはいなかった。
妖人は2人に襲いかかられた方向と逆の向きに一旦後退すると、2人を完全に迎え撃つ形で正面を向いていた。
どうやら2人を誘っていたようだった。
美緖と美佳は妖人の意図をすぐに察すると、一斉に妖人の側面へと斬り掛かった。
そして、美希と美紅は迎え撃たれると感じた瞬間に、妖人の懐には飛び込まずに後退した。
流石の妖人もこの4人の対応力に手を焼いたらしく、後ろに大きく下がって美緖と美佳の攻撃をかわした。
美緖と美佳の斬撃は空を切ったが、2人はそのまま妖人の前を通り過ぎ、距離を取って妖人に向かい直った。
その結果、再び、美緖と美佳、美希と美紅、妖人を頂点として正三角形が出来上がっていた。
「ナカナカ」
妖人は片言でそう声を発した。
表情は読めないが、楽しそうだった。
一連の戦闘を見れば、ランクAの妖人に対して新兵の4人が善戦しているかのように見えたが、当の4人は圧倒的な力量差に敗北感が漂い始めていた。
この妖人が本気になったらたちまち全滅させられる。
そういう共通認識があった。
「こちら117H、妖人から攻撃を受けている。
117A、至急救援に戻れ」
ギリギリ感のある戦いの最中、中隊指揮車からそう命令された。
またもや無茶苦茶な命令だった。
「こちら117A、ランクAとの交戦中につき、救援できない」
美緖は突き放すようにそう返答した。
形の上では善戦しているが、気を抜けば、すぐにやられてしまうからだ。
「このグズが!さっざと戻って来いって言ってるんだよ!」
ヒステリックな男の声が美緖の脳裏を駆け巡った。
声の主は勿論新米中尉だった。
美緖はこんな時にこんなことを言われて動揺した。
その動揺を見透かしたように、妖人は美緖と美佳に向かってきた。
それを見た美佳は後退したが、美緖の方は反応が遅れた。
そして、妖人の体当たりを避け切れずに跳ね飛ばされた。
反応が遅れた美緖を見て、他の三人はびっくりして慌てて妖人に斬り掛かった。
勿論、美緖を助けるためだった。
ただ、焦った攻撃が当たるはずもなく、妖人は三人の攻撃を難なくかわして、自ら距離を取った。
倒れている美緖を庇うように他の三人が前に壁として立ち塞がり、妖人と対峙している形になっていた。
「美緖ちゃん、大丈夫ぅ?」
美佳は後ろで倒れている美緖を心配していた。
いつもののんびりした口調だったが、間違いなく焦っていた。
「美緖、すぐに立つのです」
美希の方はいつもの抑揚のない口調で命令するように言った。
たが、心配しているのには変わりなかった。
「おおぉぉ!」
美紅は妖人を牽制するように叫び声を上げていた。
本人としては美緖を精一杯庇っているつもりだった。
「ヤルキ、ウセタ」
妖人はそう言うと、ダランと力を抜いた。
美緖達が思ったより弱くてがっかりしたようだった。
「ぐっぞぉ!
クズども何やってるんだ!
僕は死なないぞぉ!」
新米中尉の先程がマックスだと思われたヒステリックな声が一段と高まっていたのが、インカムを通じて聞こえてきた。
「何をなさるんですか!」
悲鳴にも似た通信士の声がしたが、何が起きているか状況が分からなかった。
美緖はインカムからその様子を聞いてはいたが、最早それに構っていられなかった。
美緖は3人の後ろでゆっくりと立ち上がった。
跳ね飛ばされた時に腰を少し痛めたが、他はどうと言うことはなかった。
まだまだ戦えると感じていた。
インカムの方からはしばらく何も聞こえなかった。
だが、急に多くの悲鳴が上がったと思ったら突然雑音が入ってきた。
そして、それっきり、中隊指揮車両からの通信が途切れた。
だが、美緖達にはやはり構っている余裕がなかった。
妖人が隠していた爪を剥き出しにしてきたからだった。
これは本気で美緖達を殺しに来るという合図と同じだった。
それを見た美緖はゴクリと生唾を飲み込んだ。
と同時に、妖人が一気に突っ込んできた。
美緖の前の3人はすぐに妖人の動きに反応して飛び出していった。
3人と妖人の間で刀と爪の激しい斬り合いが始まった。
金属音が響き合っていることから妖人の爪も刀に対抗できるくらい硬いものだった。
3対1だったが、押されているのは美佳・美希・美紅達の方だった。
「104Aより、連隊H。
現在、117Hが襲撃された地点に到着。
妖人には逃げられた模様。
なお、117Hはほぼ壊滅状態。
女性隊員が1名連れ去れた模様」
初音の声がインカムから聞こえてきた。
10分以上経っても美緖達の所に到着していなかったのはこの為だった。
「こちら連隊H、104A、了解。
引き続き、117Aの救援に迎え」
「104A、了解。
117A、5分で行くから」
「117A、了解」
美緖はインカムでそう答えた。
美緖が妖人との戦闘に参加していないのは、通信を待っていたからではなかった。
参戦の機会を伺っていたからだった。
現状、美緖が参戦することにより数的有利になる。
しかし、この場合、それが必ずしも有利に働く訳ではなかった。
したがって、美緖はここという所で参戦するつもりでいた。
だが、中々現れなかったので、刀を構えながらじっと見守る他なかった。
美緖にとってはジリジリとした展開だが、負担は無かった。
むしろ、他の3人は妖人に打ち負かされないようにするために、攻撃を繰り返さなくてはならなく、かなりの負担だった。
美緖がそのまま参戦しないかと思われた矢先、いきなり戦闘地帯へと突進を開始した。
すると、他の3人が妖人の動きをピタリと止めていた。
美緖は3人の内の中央に位置していた美佳の肩に飛び乗ると、踏み台して動きが止まった妖人に対して、
「やぁ!」
と言う叫び声と共に斬り掛かった。
まさに渾身の一撃だった。
美緖の刃が妖人の脳天を捉え、妖人は悶絶した。
しかし、次の瞬間、悶絶したはずの妖人に美緖達4人は吹き飛ばされるように、地面に叩き付けられた。
地面に倒れたまま見上げると、無傷の妖人がいた。
美緖が倒したと思った事は幻想で、一瞬のうちに美緖達4人は窮地に追い込まれていた。
「フン、ジャマカ……」
妖人は4人にとどめを刺すのではなく、片言でそう言うと、この場を立ち去っていった。
「みんな、大丈夫?」
東京104A小隊隊長の初音の叫び声が聞こえた。
どうやら妖人は援軍の来援を察知して交戦する前に撤退を選んだようだった。
美緖達は地面に転がったまま、敗北感を噛みしめていた。