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第1 本能寺の変

「サムライー日本海兵隊史」本編、最終部の大プロットを考える一方、気分転換もあって、色々と日本の中世史の本を読み返しています。

 何しろ、ここ最近、「応仁の乱」、「観応の擾乱」、「承久の乱」と話題の新書での出版も目白押しという有難い状況にあります。

 それで、新たに購入したり、既に読んだものを再読したり、もしているのですが。

 ふと、本能寺の変と源実朝暗殺事件について、あらためて私なりに比較したエッセイを書こうと思い立って、書くことにしました。


 歴史上の大事件では、本当のところ、真相はこうだ、ならまだしも、実は黒幕が云々、という話が出てくることが稀ではありません。


 実際の私の年齢がバレる話になりますが。

 私が子どもの頃、本能寺の変といえば、織田信長に怨恨を抱いた明智光秀によって起こされた、というのが通説的な話でした。

 その怨恨の理由ですが、記憶に従って書いているので、多々間違っているかもしれませんが。


 波多野氏に人質になっていた母を殺されたことだとか。

(圧倒的に優位にある光秀から、母を波多野氏に人質に差し出すこと自体おかしいと思います)

 光秀が下戸なのに酒を呑まされたことだとか。

(信長自身が下戸らしいのに、酒に酔った信長が、光秀に大量の酒を呑ませる筈がないと思います)

 本能寺の変の直前に、丹波等の全ての領土を光秀は取り上げられ、出雲、石見を代わりに自力で切り取るように、信長に命ぜられたためだとか。

(そんなことをされては、光秀は軍勢をどこから集めればよいのでしょう?)


 今になって考えれば、どう見てもあり得ないだろう、という論拠が、真面目に取り上げられていました。


 そんな状況が1990年代に入ると一変します。

 本能寺の変には黒幕がいた。

 朝廷が、いや、足利義昭が、羽柴秀吉が、徳川家康が、イエズス会が、等々、本能寺の変は黒幕が起こしたという説が多数、唱えられるようになるのです。

(もっとも、そう主張する人の多くが、いわゆる在野の研究者や、作家でしたが)

 もっとも、そういった状況も長くは続かず。


 大体ですが、2000年代に入ると、黒幕説は下火になってしまい、本能寺の変は、光秀の単独犯行説が通説化していき、現状としては、最近、新たな黒幕説が出てきていますが、基本的には光秀の単独犯行説が通説という状況は揺らいでいないようです。


 もっとも、光秀の単独犯行にしても、その動機が問題になります。

 最近、注目されているのは、信長の四国政策転換説らしいです。

 それまで、四国政策については、明智光秀が基本的に担当しており、長宗我部元親が主な交渉相手で、信長とは友好関係にありました。

 それは阿波を中心とする三好氏が反織田方であり、敵の敵は味方ということで、長宗我部と信長は友好関係を結んでいたのです。

 ところが、三好氏が衰亡し、織田家に従属したことで、長宗我部と信長の関係が微妙になります。

 こういった場合、それまでの担当者である明智光秀が、対長宗我部との和戦両様の対応に当たり、対長宗我部戦になった場合には、明智光秀が担当するのが筋なのですが、信長は明智光秀を、対長宗我部の担当から外してしまいます。


 このことが一因となって、明智光秀は本能寺の変を決意したという説らしいです。

 確かに、明智光秀は当時55歳、又は67歳らしいです。

 当時としてみれば、それなりの高齢です。

 四国政策の転換は、会社で重要な仕事を任されていたのに、いきなり外されたようなもので、将来に明智光秀が不安を覚えて当然のような気がします。


 それに、佐久間信盛等への仕打ちを見ても、信長は温かい引退をさせる人間には思えません。

 そして、光秀の嫡子は、まだ初陣をしていない年齢だったとのことで、それも考え合わせれば、光秀の将来への不安は極めて大きくなったのではないでしょうか。


 自分が生きている間に、嫡子に初陣をさせて、それなりの地位を継承させられると思っていたが、このままいくと、自分は失脚、いや、下手をすると佐久間信盛と同様に追放されて、妻子も路頭に迷うのでは、そういう不安が、光秀の頭の中をよぎっても仕方ない気がします。


 更に、いわゆる明智家中、光秀の重臣の間でも、主君の光秀が失脚したら、自分達はどうなるだろう、という不安が広まっていたのではないでしょうか。

 光秀が本能寺を襲撃した際に、重臣が誰も光秀を裏切らなかったのは、そういった不安が重臣の間で既に広まっていたからではないか、と私には思えるのです。


 そこに信長、信忠親子が京にほぼ無防備で宿泊するという情報が光秀の下に飛び込んできました。

 更に中国攻めを理由に約1万3000の武装兵を、公然と光秀自らが率いて、京に入れるという状況が加わりました。

 そして、織田家の重臣の多くは、京周辺にはいないという状況もあるのです。

 千載一遇ともいえる好機だ、と光秀が考えて、単独で本能寺の変を起こしておかしくない、と私には思えてなりません。 

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