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9/22

燻ぶるもう一つの炎

 早朝、秋の優しい日の光がカーテンの隙間からこぼれ出る。

 それがひんやりした明け方の空気に混ざって何とも心地よく、美沙は自然に目が覚めた。

 ベッドに横たわったまま昨日のことを思い返す。

 美沙は宗太と運命的な再会を果たした。

 たった数分間の出来事だったが、それはそれは幸せなひと時だった。

 しかし、今の気分はと言えば、決して良くない。

 彩乃と出会った頃の夢を見たのだ。

 美沙の大切な思い出の詰まった頃のことだ。

 夢の中の彩乃は可憐で愛らしく、美沙を対等な友人として心の底から信頼を寄せていた。

 そんな彼女の態度は、10年以上経った今でも1ミリのずれもない。

 美沙はどうか?

 彩乃のことが今でも大好きで、その気持ちは彩乃の同じく少しも変わっていないと断言できる。

 しかし、完全に彩乃と同じと言えるのか。

 何か決定的に違うことをしてはいないか。

 彩乃を裏切る行為をしてはいないか――。

 美沙は勢いよく半身を起き上がらせた。

 ――いよいよ警告なのかもしれない。


「中野、明日の店メールしといたから。すげーぞ、15人参加。これも幹事の俺の求心力の賜物だよな」


 資料保管庫に向かう途中で、背後から雄吾に話しかけられた。 

 美沙は何の話か分からずに一瞬足を止める。


「あっ……同期会ね。うん、分かった」


「お前、忘れてただろ」

 

「や、違うよ。もうそんな時期だったっけと思っただけ」


「ドタキャンなしな。もう店もキャンセル料かかるし」


 そう言い捨てると雄吾はさっさと美沙を追い越して行ってしまった。

 雄吾の長い足が憎らしい。

 とは言え、忘れていたのも行きたくないという気持ちがよぎったのも図星だ。

 美沙は席につくとメールを確認する。

 確かに、雄吾から明日の出席者宛にリマインドメールが送られていた。

 場所は銀座。18時半から。

 勇気を出して出席の回答をしたものの、やはり日が迫ると億劫になる。

 今は営業部全体がそれほど忙しくない。仕事が片付かないという言い訳も難しいだろう。

 出席者を確認すると、女性同期の参加者は美沙一人のようだった。

 美沙は小さく舌打ちした。

 サナかアコのどちらかは参加するだろうと決めつけ、彼女らに確認するのをすっかり怠っていた。

 ますます行きたくない気持ちが大きくなる。

 大勢の男性に囲まれるのはいつだって彩乃で、自分にそういうシチュエーションは似つかわしくない。

 美沙はメールを閉じると、小さくため息をついた。

 そんな風に憂鬱しか覚えなかった同期会だが、当日いざ参加してみれば思いの外楽しめた。

 居酒屋の掘りごたつ式の個室で、長テーブルに15人が囲む形で座り、美沙の隣では雄吾が会話を盛り上げている。雄吾のさりげない気遣いもあり、美沙も気兼ねなく会話に参加できる雰囲気があった。

 他に女性の参加者がいない中で、席順に気を使ってくれたのだろう。雄吾は決してそうは言わないが、彼の心配りがありがたかった。


「でさ、ある日突然電話でフラれたよ。電話ってアリか!?」


「雄吾の場合、別れ話しようにも全然時間取ってやれねーんだろ? そしたら電話になるのもしょうがないだろ」


「いや、別にそんなに会ってなかったわけじゃ……。やっぱり解せん。俺の小学生時代からの親友は、大変だったなって頷きながら一晩中俺のやけ酒に付き合ってくれたぞ。あんな奥さんが欲しい!」


「お前キモイよ!」


 ドッと笑いが起こった。雄吾はその場の空気を和ませるために、こうしてよく自身の恋愛話をネタにする。


「ま、実際俺は学んだよ。男と女は結局深いところでは理解しあえない生き物だ。最終的に大事にしなきゃいけないのは友情だよ」


 美沙の心臓が大きく跳ね上がった。危うくビールジョッキを手から滑らせそうになる。

 

「男女の仲はいつまでも続かないけど、友情は本物だからな。お前ら、彼女に入れ込んでばっかりじゃなくてたまには男同士の絆も深めろよ」


「ふざけんな、俺らに対する嫉妬だろ、お前の場合!」


 バレたか、と言いながら再び盛り上がる雄吾達だが、美沙はどんどん気持ちが落ち込み始める。

これは本当に他愛もない世間話か。

 誰かが美沙に罰を与えているのではないだろうか。


「中野さんは、友達大事にしそうだよね。ちゃんと誕生日プレゼントとか毎年あげてそう」


 黙っている美沙に気付いたか、あまり話したことのない経理部の同期が話題を振ってきた。


「あ……うん、そうだね。誕生日プレゼントもあげるし、何なら倦怠期の彼氏よりも会う回数多かったくらい」


 美沙が何とか笑顔を作りながら調子を合わせて言う。


「本当、寂しいやつなんだよコイツは。今や倦怠期の彼氏とも別れ、生きがいが親友ただ一人……!」


「奥村、本当うるさい」


 雄吾との絶妙な掛け合いでさらに場を盛り上げることに成功したが、美沙がそれを楽しむ余裕はもはやなかった。

 美沙がしようとしていることは間違っている。

誰かが――この場合、神様なのかもしれない――そう言っているようにしか思えない。

 

 男女の仲はいつまでも続かない。

 友情こそ本物――

 

 この言葉を何度も頭の中で反芻していた頃、雄吾がおもむろに立ち上がり、軽く締めの挨拶をしたところで、美沙の時間が一気に現実に戻る。

 いつの間にか会も締めくくりを迎えていたようだ。

 皆の後について店から出たところで、ちょうど良い具合に酒の回った同期の一人が、二次会の参加者を募っていた。

 美沙は参加する気もなく、店の目の前で年甲斐もなくはしゃぐ同期達を尻目にそっとその場を離れた。

 そのまま駅へ向かおうとして――ふいに背後から腕を取られた。

 

「おい、待てって」


 驚いて振り向いた先にいたのは、雄吾だった。


「奥村! 何、どうしたの? 二次会は?」


「や、お前がそーっと抜け出すの見えたから。お前、まだ時間大丈夫だろ? もうちょい付き合え」


「えっ、私二次会には行かないよ!?」


 雄吾はその声を無視し、美沙の腕を引いたまま夜の繁華街を進む。

 メイン通りは次の店に流れ込もうとするほろ酔いのサラリーマンで溢れているが、そこを逸れて細い路地に入った雄吾は、美沙が好みそうなこじんまりとしたバーに入る。


「ちょ……奥村、二次会行かなくていいの? 幹事でしょ?」


「二次会からはもう幹事とか関係ないだろ。行きたい奴らで行けばいいし」


「ふーん。で? 奥村は一体私に何の用なの?」


 雄吾は束の間美沙のことを見つめ、ふっと目を逸らして言った。


「中野が最近ずっとおかしいから。俺で話聞けるなら聞こうと思ってさ。同期だし」


 美沙はドキリと胸が鳴るのを感じた。

 前々から雄吾には表情の変化を見抜かれてはいたが、おかしいと言われるほどの異変を感じ取っていたのか。


「そんな……奥村に相談に乗ってもらうようなことはないよ。私の悩みなんて次のクリスマスどう過ごそうってくらいだし」


「中野はそうやって何でもないって顔してかわそうとするけど、あんまり成功してないぞ、それ」


「奥村……」


 怒ったような顔をしながら、真剣な面持ちの雄吾を正面に見据え、美沙は悩んだ。

 こんなことは誰にも言えない。だけど言いたい。一人で抱え込んでおけない。

 誰かに無理やりにでも手を引いてもらわないと、このままでは間違った方向へ進んでしまう。


「……前に、親友の友人の話をしたの覚えてる?」


「? 何だっけ」


「私の親友が、友達の女の子に彼氏を紹介したら、その子がどうやら彼氏を好きになっちゃったって話」


「あぁ、言ってたな」


 美沙は少し躊躇した。

 この先を話せば、雄吾を軽蔑させるかもしれない。


「……それ、私のこと」


「え?」


 雄吾が分からないというように目を軽く見開いて美沙を見た。


「親友の彼氏を好きになったのは私なの。……自分でも最低だと思うけど」

 

 はっきりした口調でそう告げた美沙に、雄吾は何か言おうとして――言葉が見つからないというように目を伏せた。


「……中野とその男は関係を持ったのか?」


「……まさか、そんなこと……」


「だったらまだ何もないのと一緒だ。もうこれ以上はやめとけ」


 雄吾が美沙の言葉に被せるように、強い口調で言い放つ。

 美沙はハッとして顔を上げた。


「これ以上進んだら誰も幸せにならない。お前とその親友は今後一生元に戻ることはないし、たとえその恋愛がうまくいったって……中野が罪悪感を背負い続けたままそれを貫けるとは、俺には思えないよ」

 

 雄吾はきっぱりと美沙の目を見て言い切った。

彼は至極当然の話をしている。美沙も頭では理解していることだ。

しかし、分かっていてもどうしようもないから苦しい。


「奥村の言うとおりだよ。でも…私、彼に簡単に手を伸ばせる距離まで近づいてしまったの。ここまで来てちゃったら、もっと近づきたくて自分を止められない。どうしたらいい? 誰かに無理やり引き離してでももらわないと、私…」


「中野がもっと周りに目を向ければいい。お前が幸せになれる相手なんていくらでもいるんだ」

 

「そんな人…」


「いるよ」

 

私にはいない――という美沙の言葉を、雄吾の硬い声がそっくり飲み込んだ。


「例えばもう目の前に一人いるだろ」


少し緊張したような表情の雄吾と目が合い、美沙は口を開きかけて、しばらくその瞳の奥を探るように覗きこんだ。

雄吾の真意を図りかねた。


「えっと…慰めてくれてありがと。確かに、奥村みたいにカッコいい商社マンと巡り会うチャンス、私にもあるよね」


からかわれたのか、それとも真剣なのか――そんなことあるはずないと美沙は思ったが――雄吾の表情からは何も読み取れず、当たり障りのない答えを返した。

対する雄吾は、面白くなさそうにため息をつく。


「…………ばーか、俺みたいな商社マンとそんな簡単に出会えると思うなよ。もっと女子力あげてから出直せ」


「!?」


顔をしかめて怒ったフリをして見せたが、美沙は雄吾に秘密を打ち明けたことにホッとしていた。

雄吾は美沙を責めることをしなかった。

美沙の葛藤を受け入れてもらえただけで嬉しかったし、肩の荷も少し降りた。

いつか自分がいよいよ過ちを犯そうとしたら、どうか雄吾には全力で止めてほしい。

自分勝手にもそう思ったのだった。






 


 


 


 


 

 

 







 

 

 

 

 

 


 


 


 




 


 


 


 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 








 

 

 


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