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戸惑い

 ほどなくして、宗太がトレイを慎重に抱えながら人波をくぐりぬけて戻ってきた。


「そうちゃん、おかえり!ありがとう、3人分は大変だったね」


 彩乃がトレイからビールグラスをテーブルに下ろす。

 

「持つのは問題なかったけど、やっぱり人がすごいな。これが俺と中野さんのレーベンブロイで、彩乃はこれな。フルーティーで甘めだって。でも無理して飲むなよ」


「うん、甘い!おいしいね!」


「うん、お天気もいいし、外で飲むには最高だね。木村さんの選んでくれたこのビール、おいしいです!」


 宗太は苦笑いした。


「まぁ、実は俺も詳しくないから、、一番有名な銘柄を店員に聞いたんだけどね」


「そうちゃんは何でも飲めるけど、あんまりお酒には詳しくないよね」


 彩乃がいたずらっぽく隣の宗太を見上げる。

 

「取引先との会食は多いけど、そんなに銘柄とかこだわりがないから一向に覚えなくて。よく先輩に怒られてマス」


 バツが悪そうに目線を逸らす。


「木村さんのお仕事って、コンサルタント会社……でしたっけ」


「うん、俺はまだ営業だけどね」


 美沙は、彩乃がまだ宗太と付き合いたての頃にそんな話を聞いたことを思いだした。

 確か、街中や電車でも広告をよく見る、大手の人材系コンサルティングファームではなかったか。

 寝る間もないほど忙しい時期もあり、一カ月間全く会えないこともあると彩乃はぼやいていた。

 宗太のようにスマートな営業マンなら、契約などいくらでも取れそうだ。


「すごい。身近にそういう職種の人がいないから、すごく憧れる」


 美沙は先ほどから少しずつ敬語を使わないようにしているのだが、どうにも慣れずにぎこちなくなってしまう。彩乃も宗太も、美沙の必死の努力に気付いているのではないだろうか。

そう思うと顔から火が吹き出そうなほど恥ずかしかった。

 

「でも、私は美沙だってすごいと思うなぁ。貿易の仕事、すごくかっこいい」


 目の前のソーセージを小さく切り分けながら、彩乃は噛みしめるようにポツリと呟く。


「私、トロいからそういうスピード感の求められる仕事には向いてないって分かってるけど、美沙の仕事が羨ましいよ。そうちゃん、私前に電話で美沙がお客様と英語でしゃべってのを見たことあるんだけど、すごくかっこよかったんだよ」


 そんな風に見られていたことに、美沙は驚いた。羨ましいと思うのはいつだって美沙の方だと思っていた。

 まるで自分のことのように興奮しながら話す彩乃が、可愛くて愛おしい。


「彩乃の仕事だって大事だろ。彩乃が突然辞めたら、たくさんの社員が困ることになるんだから」


 宗太が、元々の柔和な顔立ちをうんと優しく緩めて彩乃を見る。

 彩乃はとある機械メーカーの総務の仕事をしている。オフィス管理というのは地味な仕事が多く、彩乃も多少コンプレックスを持っている。

 しかし、宗太が言うようになくてはならない仕事だし、社員の問い合わせ窓口にもなる存在なので、人に好かれることが絶対条件だ。

 美沙も宗太の言葉に大きくうなづき同意を示すと共に、宗太の人間の大きさを感じた。


 (やっぱり羨ましいのは私の方だよ。木村さんのあんなに優しい笑顔、今初めて見た)


 目の前の理想的なカップルを微笑ましく思う気持ちと、どうしようもなく切ない気持ちが、ミキサーにかけられたようにごちゃまぜになる。

 幸せそうにはにかむ彩乃を見るのは少し辛い。


「そうだ!写真撮らない?」


 彩乃が急に思いついたように言い出す。

 美沙は思わずドキっとした。宗太と写真を撮ることになるとは考えていなかった。


「はい、そうちゃん手が長いから自撮り係ね。うまく取れそう?できればこの賑やかな雰囲気も入れてほしいんだけど」


 宗太は彩乃のスマートフォンを受け取り、長い左腕で器用に位置を調整するが、どう頑張っても3人が腰掛けるテーブル席を映すのが限界だ。


「3人で映るのが限界だよ。中野さん、もうちょっと中央寄って。撮るよ!」


 美沙はできるだけキレイな顔で映るように、表情に力を入れる。気を抜くとよく目を閉じていたりすることが多いのだ。

 

「うん、いい感じ!」


彩乃が、撮った写真を美沙に見せるようにしてスマートフォンをテーブルに置く。

写真の中の美沙は、どこか自分ではないようだ。

必死に取り繕った顔つきは不自然な気がする。

第一に――、美沙は、カメラ越しに弾けんばかりの笑顔を見せる彩乃を見つめた。

頑張ったところで無意味だ。隣で笑う彩乃がこんなに美しいのでは。分かっていたが、実際にこうして写真を見せられると卑屈になる。

美沙は気持ちが翳っていくのを感じたが、目の前の宗太は楽しそうに笑っている。

その笑顔をもう少し見ていたくて、宗太に付き合って2杯目に手を挙げるのだった。

 

「んー、疲れた……」


 自宅に戻ったのは夕方過ぎ。

 私服姿の宗太を見ることもできたし、色々な話を聞くこともできたことがとても嬉しかった。しかし、宗太が彩乃の恋人であるという事実がますます美沙を苦しめた。

 そんな相反する出来事に少々疲れが出た美沙は、帰るなりそのままベッドに倒れ込む。


「会ってよかったのか、会わなきゃよかったのか、よく分からない気分……」


 美沙は自室の白い天井を見つめ――全く手の届かないところなのにどうして油はねのような茶色いシミがあるのか疑問に思いながら――ボーっと考えた。

 彩乃は言わずもがな、宗太も心から彩乃のことを大事にしている。見ていれば分かる。

 宗太に惹かれているとは言え、そんな2人の世界の中に足を踏み入れるというのは、よく考えれば美沙にとっては辛いことでしかない。

 もっと宗太のことを知りたい。どんな友人がいるのか、趣味は何なのか、仕事観や家族のこと、たくさん知りたいことがある。

 しかし、これ以上は罪悪感云々でなく、美沙が傷つくだけだ。

 もう会うのはやめよう。ぼんやりとそう思った。

 その時、ローテーブルに置いたスマートフォンから、メッセージアプリの通知音が鳴った。

 誰かからメッセージを受信したようだ。

 美沙は疲労の残る体を気だるそうに起こし、スマホを手に取る。

 メッセージは彩乃からだった。


『今日は楽しかったね! 撮った写真を送ります』


 というメッセージと共に、昼間見せてもらった、よそ行き顔の美沙が写った画像が送られてきた。

 美沙は驚きのあまり目を見開いた。

 写真にではない。

 その画面には美沙と彩乃だけでなく、もう一人のアカウントが表示されていた。

 <Souta.K>と表示されたアイコンは、紛れもなく木村宗太その人のものだろう。

 彩乃は、美沙と宗太と一緒に写真を配信したのだ。

 美沙は、今自分が見ているものをどう受け止めればいいのか分からなかった。

 本人の承諾なしに連絡先を開示した――とかそういう類のことではない。

 いや、厳密に言えばそういう話もある。美沙に対しても宗太に対しても、本当なら彩乃はまず連絡先を教えてもいいかどうかの確認を最初にするべきだった。しかし、彩乃にそういった無自覚の不用意さがあるのは昔から分かっていたし、実際連絡先が漏れて困る相手でもないので、今回はいい。

 そうでなく、美沙は何の脈絡もなく、突然手にしてしまったのだ。

 宗太に簡単に連絡できる手段を。 

 たった今まで、もう二度と会うのはやめようと心に誓ったはずだったにも関わらず、その決意をいつも簡単に覆すほどの目の前の事象に、美沙はしばらく身動きすることができなかった。

 

 


 

  


 

 



 

 

 


 


 




 





 

 


 

 

 


 

 





 





  



 


 


 


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