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分岐点

 雄吾と付き合い始めて3週間が経った。

 激務にも関わらず、雄吾の努力のおかげで毎週1、2日は2人で会う時間を確保できている。

 今のところ美沙から誘うことはないが、雄吾はそれほど気にはしていないようだ。

 それどころか、恐らく雄吾は美沙の気持ちをかなり慎重に推し量って距離を縮めようとしている。

 手を繋いだり腰を抱き寄せらるくらいのことはあった。

 しかし、雄吾はそれ以上のスキンシップを積極的に求めることはない。

 待ってくれているのだと、美沙は理解している。そして、いつかは雄吾に応えなければいけないのだということも。

 

 クリスマスイブ前日、連休初日で気分が乗っていた美沙は、ボーナスが出たこともあり、午前中から一人でショッピングを楽しんでいた。

 雄吾とは翌日のイブの日に会う約束をしている。

 冬晴れの気持ちが良い青空の下を歩いている途中、微かにカバンの中が振動しているのを感じ、スマートフォンを手に取る。

 発信先は公衆電話と表示され、一瞬美沙は出るのを躊躇ったが、緊急の用件かもしれないと思い直し、電話に出る。


「もしもし」


「……美沙? 分かるかな。彩乃です」


「彩乃!?」


 美沙は驚いてつい街中で大声をあげてしまった。

 話越しの声は、まさか彩乃とは思えないほどがらがらに掠れていたからだ。


「どうしたの!? 風邪!?」


「ううん、違うの。今大丈夫?」


「うん、どうしたの?」


「あのね、私昨日忘年会で……盛大に酔っ払っちゃったみたいで、スマホなくしちゃったの」


「えっ!? 彩乃がそんなに酔っ払うの? それにスマホ、どこで落としたか心当たりある? 」


「うん……多分帰りのタクシーかなとは思ってる。でも、もう今日は二日酔いがひどすぎて動けなくて。この公衆電話にもほとんど這うようにして来たの」


「彩乃、私今から行くから! 部屋まで戻れる?」


「ううん、美沙いいの。大丈夫。それよりお願いしたいことがあって」


「何?」


「今日、そうちゃんと会う約束してたの。だけどこんな有様じゃ無理。本当情けないけど、美沙からそうちゃんに連絡してほしい。二日酔いって理由は言わないで。軽蔑される……」


 電話越しの彩乃の声が涙声に変わったように聞こえる。

 酒がそれほど飲めない彩乃がそこまで羽目を外すことも珍しいが、仕事上での付き合いもあったのだろう。


「彩乃……。分かった、木村さんにはうまく断っておくから、心配しないで」


「ありがとう、美沙。ごめんね、こんなこと頼んで。11時に約束してるから、この電話を切ったらすぐにでも伝えてほしいの」


 美沙は左腕の時計をチラと見る。もうあと30分を切っている。

 時間に少しルーズなところがある彩乃だが、今回は本当に二日酔いが辛くてなかなか起きれなかったのだろう。


「分かった、すぐに連絡するね。11時集合ならもう木村さんもう出ちゃってるかもね」


「もしかしたらもう着いてるかも。東京駅の駅前広場、ぼーっとするのにぴったりだからって結構気に入ってるみたいだったから」

 

 美沙は一瞬足を止めた。

 美沙が今いるのは、駅前広場の道路を挟んで向かいにあるショッピングビルだ。

 

「あ……そうなんだ……。いずれにしろ大丈夫だから、彩乃は部屋に戻って水分たくさん取って寝てること。二日酔いにはそれが一番よ」


 彩乃をなだめ、美沙は電話を切った。

 途方もなく深い迷いが美沙の頭に渦巻く。

 宗太がすぐそこに現れる。

 雄吾のおかげで束の間宗太の存在を遠ざけられていたが、この瞬間に全てがリセットされた。

 少し踏み出せば宗太に会える。

 もちろん、こんな距離であってもスマートフォンを使えばその方が断然早い。

 そうするべきだ。今の美沙は雄吾という恋人がいるのだから。

 しかし、そう思っていながら美沙の足は再び動き始める。

 遠目から見るだけでも。

 宗太の姿を確認したら、すぐにでもメッセージを送ろう。そう頭の中で言い訳していた。

 横断歩道を渡り、東京駅のレトロな駅舎を見渡せる広場に差し掛かった時、美沙は足を止めた。

 もう見えていた。

 これだけ広い場所にも関わらず、美沙には、まるでそこだけが何か別の色をしているかのようにすぐに目に入った。

 宗太のさらさらとした黒髪。少し疲れたような黒っぽいコートの肩のライン。 

 美沙には背を向けているが、紛れもなく木村宗太その人だと美沙は確信した。

 宗太の姿を確認したらしたで、欲が出た。顔が見たい。

 そうでなければ、もう二度と宗太の優しい笑顔を見ることはないのだ。

 これが最後――自分に言い聞かせるように呟き、一歩ずつ距離を詰める。


『私本当バカだよね……そうちゃんと一日会うの久しぶりなのに、自分からチャンス逃すなんて』


 彩乃は電話を切る前、そう涙声で呟いた。

 そのチャンスを今美沙が奪い取ろうとしている。

 

「木村さん」


 驚くほど冷静な声が出たと美沙は自分で思う。

 声を掛けられた相手は、背後からの声に驚いて後ろを振り返る。

 目を丸くしてこちらを見ているのは、やはり宗太だった。


「中野さん? ………偶然だね」

 

 宗太は美沙がここにいる理由が思いつかないようで、戸惑いを隠せないでいる。

 思えば、美沙と宗太が出会うのはいつも偶然のタイミングだったのだ。宗太にしてみれば、ここまでそんなことが重なるものかと思ったのだろう。

 今回の場合、半分偶然で半分は故意だ。


「お久しぶりです。そんなところにいて寒くない?」


「あ……うん、まぁ。でもほら、俺前に言ったと思うけど寒いの結構平気だし、ここでぼーっとするの好きなんだ」


 本当に彩乃が言っていた通りのことを口にし、美沙はくすっと笑った。

 美沙はそのまま近づくと、宗太の隣に腰掛けた。

 

「あのね、彩乃のことなんだけど……風邪で熱を出してしまって、今日はキャンセルしてほしいって。それを伝えにきたの」


「えっ、熱!? 大丈夫かな。っていうか、あいつ何で俺に連絡しないんだ?」


「あっそれが、スマホもちょうど壊れちゃったみたいで……。私の電話番号は高校時代から変わってないから、何とか私には公衆電話からかけてこれたみたいなの」


このように言うしかなかったが、自分でもお粗末なストーリーだと感じ、美沙は冷や汗をかいた。

 

「そうなんだ……タイミング悪かったな。じゃあ、俺心配だから彩乃の家に行くよ」


「あっ! えーと、今彩乃のお母さんが看病に来てるから大丈夫みたい。木村さんにうつしたくないからって。彩乃、今日のこと楽しみにしてたし、本当に申し訳ないって言ってたよ」


「それは別に気にしないでもいいんだけど……。そっか、お母さん来てるなら平気かな」


 何やら考え込んでいる宗太だったが、美沙のとっさのウソに何とか騙されてくれたようだ。

 美沙はホッと息をつく。


「中野さん、わざわざそれを伝えるためにここまで来てくれたってこと?」


 宗太が隣の美沙を覗き込む。顔を見られるのがくすぐったい。


「ううん、まさか。私のスマホは壊れてないもん。彩乃に連絡もらった時、私あそこにいたの」 


美沙は先ほどまで買い物をしていた背後のビルを指さす。


「あぁ、そうだったんだ。何だか、中野さんと会う時はいつも偶然の連続だね」 


「……本当にそうね。私もそう思ってた」


 同じことを考えていた。

 たったそれだけの共通点が、美沙にとって死ぬほど嬉しい。


「買い物の途中だよね? ごめんね、ここまで来てもらって」


 宗太が美沙の手元にある紙袋を見て言った。

 それが、別れを匂わす合図であることもすぐに分かった。


「ううん。……買い物はもう終わったから……」


 だからどうだというのか。

 美沙は、自分が何かに期待を寄せた返事をしたことをすぐに悔いた。

 それでも、こうして偶然に会えた奇跡を何もせずに終わらせることはできなかった。

 一分でも一秒でも、宗太と同じ空間にいて、宗太と同じ時間を過ごしたい。

 美沙はわけもなく泣きたい気持ちに駆られた。 

 不自然な沈黙が美沙と宗太の2人を包む。

 少し俯き気味の宗太は恐らく困って何と声を掛けたらよいか考えているのだろう。これ以上の空気には美沙も耐えられない。


「じゃあ、私帰るね」


 勢いよく立ち上がり、宗太の方も見ずに立ち去ろうとした時、


「中野さん。もし、このあと予定がないなら、映画見に行かない?」


 この言葉に、美沙の足はそこに縫い付けられたかのように止まった。


「……え?」


 美沙は振り返り、信じられないといった表情で宗太の顔をまじまじと見つめる。

 宗太は目尻を下げて、困ったような笑みを浮かべている。


「先週から上映してるホラー映画。一人よりも、二人で見た方がやっぱり楽しいと思って」


 宗太の心は読めない。

 雄吾はあんなに分かりやすく瞳を揺らしたり口元を歪めたりするのに、宗太はただただ優しい笑みを浮かべているだけだ。

 しかし今、宗太が自分のことをどう思っているかなど、もはや気にならなくなっていた。それよりも、ただ側にいたい。


(何だっていい。私はやっぱりこの人のことが……)


「うん」


たったそれしか発することができなかったが、はっきりとそういった美沙に、宗太はほんの少し目を見開き、それから、どこか寂しげな笑顔で笑った。

 

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