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交錯する想い

 あの同期会の日から、どうにも雄吾がおかしい。

 パソコン画面からふと顔をあげた時、休憩中にぼーっと遠くを見ている時。

 美沙が気が付くといつも目があう気がするのだ。

 あの日、美沙が自身の秘密を告白したことで気を使われているのだろうか。

 それとも、単純に勘違いか。

 気になるし、正直居心地の良いものではないが、美沙はあえてそれを雄吾に問いただすことはしなかった。

 

 誰かに無理やり引き離してもらいたい――


 美沙はあの日確かに自分でそう言ったのを覚えている。

 紛れもなく本心だった。

 しかし、日が変われば考えも180度変わる。

 宗太に近づこうとする自分を止めないでほしい。あわよくば、応援してほしい。

 あれから数日しか経っておらず、舌の根の乾かぬうちにこれかと美沙自身思うが、これが今の素直な気持ちだった。

 今は雄吾に余計なことを言われたくない。だから美沙からは極力接触しない。

 そのうち、また罪悪感で胸が押しつぶされるターンになって雄吾に泣きつくことになるのだろう。 

 それは美沙にも容易に想像がつく。

 一体、いつまでこんな不安定な感情を繰り返すことになるのか。

 ゴールの全く見えない未来に足がすくむ。

 しかし、なぜか今の美沙は少し先の未来よりも、この瞬間、宗太に会いたいという気持ちの方が何倍も大切なような気がしていた。

 美沙の理性が頭の左奥で叫ぶ。

 

『一時の気の迷いで身を滅ぼすな。本当に大切にすべきものは何か、よく考えろ』


 右側からは何も聞こえない。

 しかし、本能が何を囁こうとしているかは美沙には分かっている。

 そして、今の美沙にはそれに抗う心の強さを持つこともできなかった。



「木村さん、こんにちは」


 結局、美沙はまたあの場所に行った。

 高層ビルの山々をくぐり抜けて辿り着いた公園の大きな木の陰にあるベンチへ急げば、今日も木村宗太はただ静かにそこに腰をおろしていた。

 現れた美沙に少し目を丸くして驚いた様子だったが、宗太はすぐにいつもの柔らかな笑みを浮かべた。

 自然な動きで宗太がベンチの端へずれたので、美沙は少し会釈をしてその隣へ腰掛けた。


「中野さん。また会ったね。今日も外出だったの?」


「ううん……確かにここはリフレッシュするのにいいなぁって思って、木村さんの真似して来てみたの」


「はは、でしょ。……でも、ここで過ごすにはそろそろ寒くなってきたね」

 

 あの時色づいていた木々の葉はいつの間にか落ち始め、冬の訪れを告げていた。

 人の姿もまばらだ。

 確かにこれからの季節、美沙の使った口実は通用しなくなるだろう。

 

「本当ね。内勤だと、外の気温に無頓着で。木村さんは冬の間は会社でお昼を取ってるの?」


「ん……ちょっと考え中。会社は暖かくていいけど、俺、雪国育ちだから、結構寒いの平気なんだよね」


「雪国? 北海道?」


「ハズレ、新潟」


「木村さんは新潟出身なの? ……意外。何となく、東京出身なんだと思い込んでた」


 美沙はそう言って宗太の顔を覗き込む。

 さらりと品よく宗太の髪の毛が風に揺れる。よく見ればまつ毛も長くて見惚れてしまう。

 そんな垢抜けた外見なので、美沙は勝手に宗太を都会育ちだと思い込んでしまった。


「よく言われるよ。訛りがないせいかな?」


「羨ましいな。私は逆。東京生まれ東京育ちだけど、地方出身?ってよく聞かれるの。何でだろうって思ったけど、地味なのと、あと自己主張ができないタイプだからかなぁ」

 

 そう言ってから、美沙はわざわざ宗太に自分のコンプレックスを晒してしまったことに気が付き、顔を赤くした。

  

「えぇ? そんなことないよ。それに、中野さん自己主張できないって言うけど、結構意思は強いんじゃない? 数回しか会ってない俺が言うのもなんだけど、そう思ってたよ」


「……そんな風に言われたのは初めて」


「そう? 彩乃から中野さんのことを聞いた時、俺はすごい子だなと思ったよ。苛められて孤立してる彩乃と一緒にいるなんて、普通に考えればリスクしかないよね。あの通りあいつは目立つから、中野さんまでとばっちり受けることになるのは必至だし。それでも中野さんは高校3年間、彩乃の側にいることを貫いた。それって君が考えている以上にすごいことだよ」


 美沙はまじまじと宗太の横顔を見つめてしまった。

 彩乃と高校時代を過ごした美沙を、宗太はそう見ていたのか。思いもよらぬ事だった。


「私は……無理をして彩乃の側にいたわけじゃない。同情心だったら続かなかった。彩乃は本当に心が綺麗で、私を友達として対等に向き合ってくれたの。だから……」


 自分が何を言いたいのか分からないまま、美沙は涙がこみあげそうになるのを必死に抑え込んだ。

 本当に、何をしたいのか分からない。

 口に出してあらためて思う。彩乃は美沙の大切な親友だ。

 自分の好きな男の前で、彼女の素晴らしさを訴えるほどに。

 でも、それほどまでに彩乃が大切でも、諦めきれない宗太への思いをどうしたらいいのか。

 

「木村さん……彩乃のこと……」


 自分が何を言いたいのか、何を言おうとしているのか分からないまま、美沙は小さく呟く。


「うん……」


 宗太は手元の缶コーヒー見つめながら、彼も彼で意図の読めない返事をするのだった。 

 それから、本格的に寒さが東京を包み込む前に、美沙は2度ほどこうして宗太との時間を楽しんだ。

 仕事の話、趣味の話などお互いに語り合った。

 初めてここで邂逅したのはほんの数分間だったが、徐々にそれは延び、気付けばお互い時間を忘れるほど会話を弾ませるまでになっていた。

 彩乃の存在という抑止力が、美沙の中でどんどんなくなっていく。


 間の悪さというのは世の中に一定数あるもので、宗太との幸せな時間を過ごしたある日の夕方、美沙は彩乃から買い物と食事に付き合うよう呼び出され、最近オフィス街にオープンしたばかりの商業施設の前で待ち合わせていた。


「美沙! 遅れてごめん!」


 石畳の道にヒールを引っ掛け、美沙の背後からつまづきながら現れた彩乃は、息を切らしてそう言った。


「いいよ。どうせ道に迷ったんでしょ?」


「えっ何で分かったの?」


 彩乃は心底不思議そうに目を丸くした。

 友人として付き合い始めて十数年、彩乃の行動パターンは大体把握している。移動時間の見積もりが甘いことも、地図が読めないことも全て。

 

「彩乃が道に迷わなかったことの方が少ないでしょ。ところで、今日は何買うの?」


「んー……本当は特にほしいものはないんだ。美沙とこうやって久しぶりにおしゃべりしたり買い物したりしたいなぁと思って」


「何かあったの? 彩乃から今日急にっていうのはなかなかないよね」


「ごめんね。何があったわけじゃないんだけど……。そうちゃんが今また忙しい時期でなかなか会えないから、美沙に会いたいなって思って……」


「ふむふむ、私は木村さんの代打ってことね」


「えっ違う!……違うの、そうじゃなくて……」


「ふふ、冗談だよ。ぶらぶらしてご飯でも食べよ」


 美沙と彩乃は仕事帰りの女性会社員で賑わうビルの中に入り、たまに気になった店を覗いて洋服を当ててみては女同士の容赦ないアドバイスを送り合い、取りとめのない話を楽しんだ。

 美沙はもっぱら冬物コートに目が行くが、彩乃はどうやら自分のものより男性用商品が気になるらしい。

 メンズコーナーを覗いてはジャケットやセーター、ネクタイなどを物色する。


「木村さんへのプレゼント用?」


「うん……クリスマスあるし、何かあげようかと思って。でも、そうちゃん何が喜ぶかな。あんまり欲しいものとか言わない人だからよく分からないな」


 そう言いながら彩乃は手近にあったネクタイを手に取り、首を傾げながらうーんと唸る。


「そちらの柄は人気ですよ。派手に見えるかもしれませんが、色が比較的落ち着いているのでそんなにカジュアルにもなりませんし」


 30代と見られるスーツを着こなした男性店員が彩乃に話かける。

 彩乃はホッとしたようにその店員に相談を始めた。

 宗太の職業、似合いそうな色。微笑みを浮かべながら相槌を打つ店員は、ストライプやチェックの何本かのネクタイをショーケースから出し、見本のシャツに合わせて見せる。

 彩乃も満足そうに笑っている。

 ――全部違う。美沙は思った。

 宗太は無地、それかもっと控えめな柄が好きだ。

 これまで何度か会ったスーツ姿の宗太は、いつも主張しないネクタイを身に着けていた。

 彩乃はブルーのストライプ柄が気に入ったようで、そのまま購入した。良い買い物ができたようで、嬉しそうな表情だ。

 彩乃は宗太の恋人だ。美沙以上にスーツ姿の彼とも会っているだろう。美沙の時はたまたま同じようなネクタイを付けていただけなのかもしれない。

 美沙は、自分のおこがましさに恥ずかしくなった。


「これ、そうちゃんに渡せるかなぁ。最近そうちゃん本当に忙しくて、全然会えないの。かと思えば、この前なんかは平日急に時間ができたから会おうなんて言ったり」


 彩乃はため息をつきながらカバンの中の購入品を見つめる。

 一通り施設内を回った後、日本初上陸という地中海料理のレストランに入り、一息ついたところだ。


「そうなんだ……。コンサル会社って本当に大変なのね。急に会えるなんて日もあるんだったら、彩乃も他に予定入れられなくて大変なんじゃない?」


「そうなの。いつ会うことになってもいいように気の抜いた格好もできないし、土日ももしかしたら会えるかもって思ったら、何にも予定入れられなくて。何だか疲れちゃう……」


「今日はよかったの?」


「うん、いつまでもそうやって待ったりヤキモキしたりするの嫌だから、今日はそうちゃんのことは忘れて美沙と楽しもうって思って!」


「ふむふむ、私だったら毎日絶対空いてるもんね」


「ちょっと、美沙ぁ。違うってば」


「ごめん、冗談。分かってるよ」

 

 美沙が笑えば彩乃も釣られて笑みがこぼれる。

 しかし、その数秒後にはまた浮かない顔に戻ってしまう。

 彩乃にしてはとても珍しいことだ。笑顔の彼女しか思い出せないほど、毎日よく笑う子なのだ。


「……そうちゃんと付き合うのって大変。今までの彼は、みんな連絡をマメにくれたし、毎週のように会ってた。そうちゃんは全然違う。多分、そうちゃんの好きより私の好きの方が何倍も大きいの。そういう恋愛って、私初めてなんだ。あんまりしつこくすると嫌われちゃうかもって思うと怖くて、私もあんまり自分から誘ったりできないし。美沙、私どうしたらいいと思う?」


 縋るような目で目の前の美沙を見つめる彩乃。

 彩乃は本当に宗太のことが好きなのだ。恐らく、美沙が会ってきた彩乃の歴代のどの恋人よりも。

 同じく宗太を好きで、既に彩乃を裏切っている美沙に何が言えるだろう。

 今すぐここから逃げ出したい気持ちで一杯だ。


「……彩乃は、自分を押し殺しすぎだよ。彩乃はそのままで、絶対に嫌われるなんてことないんだから。だからもっと、素直な気持ちを木村さんにぶつけてみたら?」


 美沙は何とか声を絞り出し、偽善者の笑みを貼り付けてそう言った。

 そんな自分を、心の底で罵りながら。

 

 

 

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