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第九話

 鈍く光る黒の革靴を履くその姿を祈理はまじまじと眺めていた。因みに、自分の顔が緩みきっているのは自覚済みである。けれども、それを隠す気は全くないようだ。

「何度見てもいいですねぇ」

「お前、ほんと好きだよな……」

「だって、スーツ姿の志貴さんかっこいいですから」

 まあ、かっこいいのはいつものことなんですけどね。

 惚けつつそうのたまった祈理に志貴は盛大に溜息を吐いた。

 よくもまあそんなことを堂々と言えるな……恥ずかしがる時は恥ずかしがるくせに。

 なんて、志貴は一人毒づきながらも、その内心褒められて喜んでもいた。少しばかり照れくさくもあったが、彼女にかっこいいと言われて悪い気はしない。

 照れ隠しとして髪を掻き上げながら、けれども照れていることを全く顔に出さずにいるのだからつくづく器用な男である。

「スーツ姿の何がそんなにいいのかさっぱりわからない」

「逆に訊きますが、志貴さんは女性のスーツ姿に何も思わないんですか?」

「……ふむ」

 こちらを眺めながら顎に手を当てて何やら思案している志貴を――正確にはそのスーツを見ながら祈理も想像してみた。自分がスーツを着たらどうなるのかを。

「……うん、大学の入学式だな」

 結論、実年齢と一致しない。きっと、スーツを着て入学式に紛れ込んだとしてもバレない。寧ろ、スーツを着た高校生……酷ければ中学生が紛れ込んでいるのではないかと、そちらの方で疑われそうだ。

 そんなことを考えていると、何だか情けなくなってきた。祈理はその思考を振り払うためにぶんぶんと頭を振る。

 スーツは着るものではない!拝むものだ!

 最終的にそんな結論に至り一人で頷いていれば、地を這うような声が聞こえてきた。

「大学の入学式……ほおー、そんな風に見えるか」

「ち、違いますよ!志貴さんじゃなくて、自分のことを言ったんです!」

 志貴さんはどちらかと言えば新卒ですかね。まあ、大学の入学でも普通に紛れ込めると思いますが!

 と、祈理は付け足した。勿論、心の中で、だ。

 だが、口に出してはいないはずの思考を読んだのか、志貴は祈理の頭の上に手を乗せて、ぐしゃぐしゃとその髪を掻き乱した。

「ちょっと何するんですか!」

 慌てる祈理に志貴がくつくつと笑う。「すまんすまん」と軽く謝りながら、自分が乱した髪に手を通してゆっくりと梳いていく。祈理は大人しくされるがままだ。

 一通り整えた後、そのまま頭を引き寄せながら彼女を抱き締める。

 油断していたからか、思い切り顔面ダイブをした祈理が「うわっ!」と可愛げのない声を上げた。

「うう……鼻打った……」

「すまんすまん」

「……志貴さん、謝る気あります?」

「ない」

「はっきりと言いやがったこの人!」

 わーわー喚く祈理の言葉を無視して、志貴は更に腕の力を強める。すると、べしべしと背中を叩かれた。だが、これといって痛くも痒くもないのでそれも無視して志貴は呟く。

「あー……帰りたい」

「いやいや、まだ家から一歩も出てないじゃないですか」

 ぷはっと顔を上げて祈理が突っ込んだ。

 そう、志貴はこれから仕事なのだ。スーツ姿なのはそのためだ。

 因みに、喫茶店の仕事ではない。

 あの喫茶店に制服なんてものはなく、マスターの志貴の恰好といえば基本清潔感のあるラフな服にエプロン姿だ。勿論、スーツなんてものは着ない。

 志貴は喫茶店のマスターの他にもう一つ仕事を抱えている。基本はスーツで、時には礼服で、彼はその仕事へと赴く。

 彼曰く、「喫茶店が本業で、もう一つが副業」とのことだが、どちらの方が稼ぎが上かは祈理の知るところではない。

 喫茶店が不定期営業である理由は、志貴の気分次第以外にこのもう一つの仕事が関係していた。

 結論から言ってしまえば、どちらの仕事もとある組織から命じられている仕事である。

 決して真っ黒な怪しい組織などではない。寧ろ、この組織があるからこそ、不定期営業且つ普通の喫茶店ではないあの店を営むことができていると言っても過言ではない。

 その組織は表立って活動はしていないし、聞く人によっては胡散臭いと思うだろう。けれども、それは致し方ないことで。

 何せその組織が取り扱う仕事とは、霊に関する仕事なのだから。

 組織は霊が見える者やその存在を認める者たちで構成されている。

 彼らの目的は、一般人では解決できない非現実的で奇妙な現象を解決したり、安定させたりすること。

 生者と死者を繋ぎ、ビジネスとして成り立たせ、支援する。その取り組みは多岐にわたって行われている。

 霊に関する仕事は、小説などではよくある話だ。所詮はフィクションの中の話だと思っている人ばかりだろう。

 でも、実際にそういう仕事を営んでいる者は少ないが確かに存在している。

 その仕事をするためには、まず大前提として霊が見えなければ話にならない。中には見えない人もいるが、霊が見えないといざという時に対処することができないため、その人たちは必然的に霊が見える人のサポートをすることになる。主として動くのはやはり霊が見える人たちだ。

 だが、見えたとしてもその職に就くとは限らない。どちらかと言えばその才能をひた隠しにする者の方が多い。

 どんな時代でもどんな場所でも普通でない者たちは虐げられることが多いから。だが、酷く生き辛い世界の中で、それでも彼らは普通に生きて、普通に暮らしているのだ。

 そして、霊が見える者の中でも更に特異な才能を持った者たちがいる。

 その一つが、他人に霊を見せることができる者たちだ。

 志貴もまたその中の一人で。彼は霊が見えるだけでなく、他人に霊を見せることができる。だからこそ、生者と死者が共存できる場を提供することができる。

 ――生きている人は勿論、霊にだって休憩する場所が必要だ。

 それが、志貴の師匠――先代のマスターの言葉だった。

 喫茶店のマスターという『本業』に対して、『副業』とは霊を祓う仕事のことである。

 とは言っても、祓うことを本業としている者たちのサポートである。組織から命令があった際に、志貴は副業へと赴くのだ。

 喫茶店のマスターの時の志貴は、基本霊を祓ったりはしない。何処からか噂を聞きつけて祓って欲しいと頼みに来る霊もいるが、その場合は祓うことを本業としている者たちに任せる。

「普通の喫茶店のマスターは霊を祓ったりはしないだろ?」

 と、志貴は言う。喫茶店にいる時の彼は、あくまで喫茶店のマスターに徹するのだ。まあ、時には例外もあるのだがそれはさて置き。

 本業と副業。志貴は自分の才能を活かしてそれらの仕事をしている。

 その一方で、祈理は組織のことも副業の仕事内容もよく知らない。志貴が詳しく話そうとしないのだ。

 どんな仕事で、どんな風に祓うのか。志貴に訊いても言葉を濁されるだけで。

「祈理は、知らなくていいことだよ」

 穏やかに微笑んで彼はそう言うのだ。

 ……ああ、訊いてはいけないことなんだな。

 祈理は、そう思った。

 それからというもの、志貴が愚痴を言ってくるなら聞きはするが、祈理が自分から訊くことはほとんどなくなった。

 興味がない訳ではない。知りたいと思うし、教えてもらえないことに寂しさを感じることもある。

 けれど、訊けない。訊いてはいけない。

 これ以上訊いては彼の迷惑になるから。そして、何より彼に嫌われたくないという思いがあったから。

 だから、祈理は訊きたいと、知りたいという思いを押し殺す。小さな口を閉ざし、ただただ耳を傾ける。無意識につい訊いてしまい、「あ、しまった」と思った後、一人反省会をして自己嫌悪に陥ることもあるのだがそれはさて置き。

 組織のことも副業のこともよく知らないけれど、それでもその世界と自分は全く関係ない訳ではないと祈理は思っている。

 何故なら、祈理も度々霊を見ているから。志貴曰く、「霊は波長が合えば見える」とのことで、その波長とやらを合わせて、彼は他人に霊を見せているらしい。その方法はやはり祈理にはわからないのだけれど、わかることはわかる。

 波長が合えば霊は見えるし、合わなければ見えない。至極簡単なことだ。

 基本祈理は霊が見えない。けれど、あの喫茶店にいる時に――正確に言えば、志貴がいる時に――祈理は霊が見える。志貴に見せてもらっているから。

 でも、志貴がいない時に霊が見えることもある。景のように自分が見えるように波長を合わせてくる霊もいるし、本人にその気はなくても波長を合わせてしまうモノや波長が合ってしまうモノもいるのだ。尤も、それで本当に見えるかどうかは人によるのだが。

 祈理は自分の特異な体質も相俟って、時々霊が見えてしまうのは仕方がないことなのかなと思ってはいる。

 思ってはいるのだけれど、ホラーとかスプラッタとかは苦手だから、怖いことはできれば勘弁してもらいたいとも思っている。

 でも、霊が見えるからこその出会いもあって、それが全て悪いものであるかと訊かれればそうじゃなくて。勿論、全て良いものであるとも言えないし、怖い思いもすることもあるけれど、見えるからといって不憫だなと思うことも特にこれと言って思いつかなくて。

「まあ、そういう人間がいても可笑しくはありませんよね。だって、世界にはたくさんの人間がいるんですから」

 なんて、そんなことを言って、志貴を驚かせたこともある。祈理はそういう女である。

「……志貴さん。そろそろ行かないとマズいのでは?」

 ふと、気づいた祈理が志貴に声を掛けた。

「……帰りたい」

「志貴さん」

「……はいはい」

 祈理が諭すように名を呼んで、今一度志貴の背をべしりと叩く。志貴はしぶしぶといった様子でゆっくりと彼女を解放した。

 離れた体温が少しだけ名残惜しいと思ったのは、彼か、彼女か――。

「それじゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい」

 祈理が軽く手を振って見送れば、何処か嬉しそうに笑って志貴は家を後にした。

 ぱたん、と閉じた扉がこの家にいるのは祈理だけになったことを告げる。

「……さてと、わたしも頑張るとするかな」

 くるりと踵を返して祈理は歩き出す。

 向かうはリビング。様々な資料や小説が山積みになっている環境で、彼女はノートパソコンを開いて小説を書くのだ。

 その間志貴が何をしているのかを祈理は知らないし、その逆もまた然り。

 こうして二人はお互いに知らない時間を、全く別々の時間を過ごす。

 付き合う前も、付き合ってからも、この家で一緒に暮らす前も、暮らすようになってからも。

 それはこれからもずっと変わらないだろう。

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