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第八話

 冷たいグラスを傾けて一気にごくごくと飲み干す。ぷはーっと息を吐いて、だんっとそれを叩きつけるように机の上に置いた。

「マスター、おかわり!」

「かしこまりました」

 叫ぶように言い放った茶髪の青年に、志貴はにこやかに対応する。

 だが、外面は兎も角内面は違った。

 味わって飲めとまでは言わないがもう少しゆっくりと飲め。あと、グラスは静かに置け。

 心の中でそう毒づきつつも、口に出して文句は言わない。空になったグラスを青年から受け取ってそこにアイスコーヒーを注ぐ。

 そう、先程青年が飲み干したのは酒ではない。ただのアイスコーヒーである。

「どうぞ」

「ありがとう」

 ジョッキもといグラスを持って、酒もといアイスコーヒーを仰ぐその姿は、さながら中年のおっさんだ。

 いい飲みっぷりだ、と志貴が逆に感嘆してしまう程には。だが、何度も言うようにそれはただのアイスコーヒーである。

 明るい茶髪だからといってこの青年は不良などではない。誤解を招かれることが多いがこの髪色は地毛だった。

 そして、彼はどちらかと言えば、「未成年の飲酒はダメ!絶対!」とはっきり言うタイプの人間である。尤も、真面目かと訊かれたら肯定しにくいのだが。

 何故なら、仕事の合間に休憩と称してこうして喫茶店でアイスコーヒーを飲んでいるのだから。

 まだまだ残暑が厳しい季節。たくさんの氷でキンキンに冷えたアイスコーヒーは、太陽の下で働いていた青年の喉をこれでもかという程に潤していた。

 少し落ち着いたからだろうか。先程よりも静かにグラスを置いて、青年は志貴に向き直った。

「マスター……オレの愚痴聞いてくださいよー」

 酔っ払いのおっさんよろしく青年が言う。

 こいつ、将来絡み酒をしそうだなぁ……。まあ、酔っ払いのおっさんと違って、話を聴くだけだから害はない。話を聴くことも自分の仕事だ。

 そんなことを考えながら己を諭した志貴は、二つ返事で青年に了承した。

「仕事でちょっと嫌なことがあってさぁ……」

 そして青年は語り始めた。今日の仕事の一部始終について――


 と、その前に。

 ここでこの青年の『仕事』について説明しよう。

 職種は違うが彼もまた、志貴と同じ――つまり、霊が見える人間である。その才能を活かして、彼は仕事をしているのだ。

 青年は伝達者である。伝達者とは運ぶ、または伝える人のことだ。

 その仕事の内容は、生前に預かっていた品物や霊に直接頼まれた品物を指定の受取人に届けるというものだ。手紙だったり、宝石だったり、他人から見たらどうでもいいような代物だったり、実に様々な品物を届けている。

 中には他人に霊を見せることができる者もいて、直接生者と霊を会わせることもある。尤も、「霊を見せられます」と言ったところで信じてくれる人なんてそうそういないため、基本的に遺品と称して物を届けることの方が多い。

 亡くなった人からの贈り物と想いを受け取った受取人の中には涙を零す者もいる。ぼろぼろと、さめざめと、泣き方は人それぞれ。

 だが、時には例外もあって――


 今回の届け物は手紙と手の平サイズの小さな箱。真っ赤なベルベットの小箱はジュエリーボックスで、中に入っているのは指輪だった。

 V字ラインのアーム。その中央に鎮座するのは美しく輝くダイヤモンド。指輪は指輪でも、それは所謂婚約指輪だった。

 受取人は二十代の女性。とある高層マンションのとある一室の玄関先でそれを受け取った彼女は、手紙と箱の中身を見て肩を震わせた。

 女の人の涙は少し苦手なんだよなぁ……まあ、男が泣く姿を見たい訳でもないけど。

 と、青年はのんびりと考えていた。

 目の前の彼女は顔を俯かせたまま動かない。

 ……そっとしておくか。

 そう結論付けて青年は彼女に一声掛けてその場を去ろうとした。

 だがその瞬間、目の前の彼女が勢いよくばっと顔を上げた。

「巫山戯んじゃないわよ!」

 彼女の怒声が響き渡った。

 あまりにその声が大きくて、青年はびくりと肩を揺らした。そして、目をぱちぱちと瞬かせながら彼女を見遣った。

「こんなものいらないわ!持って帰ってちょうだい!」

 声を荒げ、投げつけるように彼女は手紙と小箱を青年へと返す。

 目を白黒とさせる青年は何が何だかわからないといった様子で酷く困惑気味だ。

「え、でも……」

「今更……今更こんなもの渡されても困るのよ!やっと前に進めると思ったのに!どうしてくれるのよアンタ!」

「えっと……」

 ヒステリックに彼女は叫ぶ。髪を乱れさせ、勢いのまま攻撃的に言葉を放つ。

 何だ何だと隣の部屋の住人が扉を開けてちらっと二人を窺ったが、修羅場だと察してすぐに扉を閉じた。

 彼女の様子に怖気づきながらも、青年は何とか彼女を宥めようとする。

「お、落ち着いてください」

「五月蠅いわね!いいからさっさとそれ持って帰って!あと、もう二度と私の前に現れないでちょうだい!」

 その言葉を最後にバタン、と目の前の扉は閉じた。

 シーン、と辺りは静寂に包まれる。

 手紙と小箱を持って呆然と突っ立っている青年の耳に響いてきたのは、キィという物音で。

 その音の方を見ると、隣の住人が再度扉を開いていた。

 ぱちり。二人の目が確と合った。

 暫し見つめ合うことたっぷり十数秒。

 住人ははっとしたように目を彷徨わせ、気まずそうにゆっくりと静かにその扉を閉めた。

 ……ああ、何か勘違いされた気がする。

 マンションの通路。何事もなかったかのように静まり返ったその場所で、青年はただただ立ち尽くしていた。

 ――以上、回想終了。


「何でオレがこんな目に遭わないといけないんだよぉ!」

 泣き崩れるように青年が机に突っ伏す。その際ゴンッと鈍い音が聞こえてきた。

 痛くないのだろうかと志貴は手持ち無沙汰にカップを拭きながら思う。

「オレが一体何したってんだよぉ!」

「ただ仕事を全うしようとしただけで、悪いことはしてないと思いますよ」

「そうですよね!あー、こういう時にやけ酒できたらなぁ……」

「この店に酒はありません。あと、未成年は飲酒禁止ですよ」

「わかってますよ。未成年の飲酒はダメ!絶対!」

 でもいいよなぁー、こういう時大人は酒が飲めて。

 半目でこちらを見てくる青年を志貴は笑顔で躱した。

 うわぁ、面倒くせぇー。

 と、やはり心の中では毒づいていたのだが。

「それで、その突っ返された品物はどうするんですか?」

 志貴が指差した先にあるのは、机の上に置かれた一通の手紙と一つの小箱。先程話した受取人の女性が受け取らなかった品物だった。

「どうしたもんですかねぇー。まあ、依頼人に事情を説明して決めるしかないんですけど……」

 その依頼人は言わずもがな男性で、霊だという。彼は婚約指輪を彼女に渡そうとした矢先に不慮の事故に遭ったそうだ。

 霊となってしまった彼は彷徨った末に伝達者へと辿り着いた。そして、恋人へと贈るはずだった小箱を一通の手紙とともに伝達者である青年に託したのだ。

 その霊の男が何を思ってそうしたのかは志貴の知るところではない。依頼人に直接会った訳でないし、その人がどんな人なのかも全く知らないから、予想を立てたとしても所詮それは志貴の見解による想像に過ぎないからだ。

 未だ項垂れる目の前の青年なら何か知っているかもしれないが、口を割らせようとは思わない。

 依頼人の想いを受け取るのは自分などではないのだから。

 それに、訊いたとしても青年は答えないだろう。仕事には守秘義務というものが付き物だ。

 まあ、こうして愚痴を零している時点で守秘義務なんてないに等しいと思わなくもないが。

「うわー、気が重いー。仕事に戻りたくねぇ……」

「ここは宿屋じゃないので、流石に閉店までには戻ってもらわないと困ります」

「そんなことわかってますよ。現実を突きつけないでください……」

 ああー、どうしたものかなぁー。

 と、青年は頭を抱える。

 喫茶店で休憩という名の現実逃避をしているように見えて、この後依頼人にどのように伝えるのかを考えているのだろう。

 そのことをわかっていながらも、こんな言葉を投げるのは少しばかり意地悪すぎるだろうか。

 それでも、志貴は言い放った。

「いっそのこと、やめてしまえばよいのでは?」

 辛いのならやめてしまえと。悩み苦しむぐらいなら全てを放り出してやめてしまえと。

 軽い口調で紡がれた志貴の言葉は、人によっては酷く甘い蜜であり毒である。疲れた人ほどその言葉は効く。じわじわと麻酔のように身の内に浸透していくのだ。

 ぴくり、と青年は反応した。

「……やめない」

 ゆっくりと顔を上げて青年は告げる。

「オレは、やめない。たとえ辛いことがあっても、苦しいことがあっても、オレはやめない。最後まで貫き通してやる」

 意志の強い目が真っ直ぐ志貴を見つめる。

 それに、と青年は続けた。

「オレ、この仕事が好きなんですよ。確かに今回みたいに理不尽だなぁとか、辛いなぁとか思うことはあるけど、それだけじゃなくて。預かった物や想いを届けた先に誰かの笑顔があって、泣きながらも『ありがとう』って言われるのが凄く……凄く嬉しいんだ。その瞬間に全てが報われる気がして……ありきたりな言葉だけど、凄くやりがいのある仕事だって思うから」

 だから、やめられないんだよなぁ。

 少し困ったように、何処か照れくさそうに青年が頭を掻いた。

 その姿をまるで眩しいものを見るように志貴は目を細める。

 成年だろうと未成年であろうと、仕事を受け持ったからには責任を持ってやり遂げなければならない。どんな仕事であろうとそれは同じことだろう。

 そのことをこの青年はきちんと理解している。今は少し落ち込んでいるだけ。悩んで、苦しんで、それが最善の策でなかったとしても、最後まで仕事をやり遂げる意志の強さをこの青年は持っている。

 だからこそ、志貴は何処か挑発するように先の言葉を青年に投げかけたのだ。

 彼をわざと焚き付けて、自分の仕事に責任と誇りを持っているいつもの彼に戻すために。

 志貴の思惑が成功したかどうかは言うまでもない。

 ――自分の仕事をしっかりとやるのは大切なことだ。でも、時には休息も必要だ。そうだろう?どんなモノでも休息は大事だよ。生きている人であろうと、霊であろうとそれは同じ。そんな人たちのために存在するのがこの店なんだよ。

 ふと耳に響いたのは、懐かしい言葉だった。

 それと同時に思い出したのは、青年の言葉――いや、彼の配達先の、顔も声も知らない受取人の女性の言葉で。

 ……やっと前に進めると思ったのに、か。

 時間が経てば経つ程薄れてきてはいるものの、大切な人がいなくなった後の虚無感はふとした瞬間に蘇る。それは志貴自身が感じていることだった。

 ……俺は、前に進めているのだろうか。

 考えてもそれに答えてくれる者はいない。

 思考に浸っていたその時、「マスター?」と声を掛けられた。はっとして志貴は意識を戻す。

「マスター、どうしたんだ?」

「いえ、何でもありませんよ」

 不思議そうに首を傾げる青年に、志貴は静かに頭を振った。

 しっかりしろ。今、この店のマスターは俺だ。

 心の中で自分を叱咤する。

 一瞬にしてマスターの仮面を貼り付けた志貴は、徐にポットを掴んだ。そうかと思えば、空になったグラスにアイスコーヒーを注いだ。

「え?」

「頑張っている君に僕からのサービスですよ」

 輝かんばかりの笑みを向け、青年にそれを差し出す。女子がきゃーきゃー言いそうな、そんな笑みだった。

 疲れた人に注がれる甘い言葉と笑顔。それもまたある種の毒である。

「マスター……そういうところだぞマスター……」

 こうやってこの人は一体何人の女性を虜にしてきたのだろうか……。

 そんなことを考えながら、青年が呻く。そして、げんなりとしたその顔を再び机に伏せた。

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