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第五話

 人も疎らな昼前の平日の本屋。

 新刊コーナーに並べられた大量の本を祈理は眺めていた。

「……あった」

 一冊の本を手に取る。目的の本を見つけて顔がにやけそうになったが何とか堪えた。人が少ないと言っても周りには人がいる。一人でにやにやしている不審者にはなりたくはない。

 今日は待ちに待った小説の発売日だった。

 因みに、祈理が書いた小説ではない。

 祈理が生まれる前から人気を博しており、ドラマ化や映画化、そしてアニメ化もされている人気作家の作品だ。大好きなシリーズでもう何度も何度も読み返した。

 表現豊かな文章。巧妙に盛られた伏線。そして、何と言っても登場人物のキャラクター性。そのどれもが面白い。何度も何度も読みたくなるそんな物語。

 実はこの作家はこの町の生まれで、度々志貴が営む喫茶店へやってくることがある。何でも、志貴がアルバイト時代の頃から交流があるとのこと。

「師匠が……先代のマスターが先生と呼んでいたから俺も先生と呼ばせてもらっているんだ」

 と、教えてもらった時は羨ましさのあまり首を絞めたくなった。いや、しなかったけれども。それでもやっぱり羨ましくて、「ていやっ!」とお腹に手刀を繰り出してみたのだが、繰り出された本人にはこれといったダメージはなく、祈理の手が痛くなっただけだった。

 折角本屋に来たのだからこのまま帰るのもなぁ……。

 そう思って、祈理はゆっくりと小説コーナーを物色する。「このシリーズの新刊出てたのかー」とか、「この表紙いいわー」とか、色々思いながら眺めていると、

「あ、祈理ちゃんだ」

 後ろから名を呼ばれた。聞き覚えのある少し高めの声に反応して、祈理はその場に立ち止まる。そして、ゆっくりと振り返った。

 そこにいたのは、小学校中学年から高学年ぐらいの年齢の少年だった。

 一目で外国人の血が混じっているとわかる金髪。女の子顔負けの白い肌。くりくりとした深緑色の大きな瞳。

 その顔立ちは幼いながらも整っており、誰がどう見ても美少年である。

 平日の本屋、しかもこんな時間にこの年代の少年がここにいるのは普通ではないだろう。振替休日の可能性はなきにしもあらずだが、彼と同い年くらいの子が町を歩いている様子はない。

 少年は嬉しそうに祈理の方にぱたぱたと駆けてきた。

「うんうん、予想的中だね。なんたって、今日は先生の新刊の発売日だからね。しかも、祈理ちゃんの大好きなシリーズだ。引きこもりがちな祈理ちゃんとは言え、たぶん来るんじゃないかなぁと思っていたよ」

 己の予想が当たっていたためか、少年は満足そうに頷いている。けれど、祈理は何も反応を示さなかった。話しかけることもせず、その代わりに鞄の中をあさくる。

 鞄の中から手繰り寄せたのはスマホだった。真っ黒な画面のそれを耳に当てて、少年を見遣りながら祈理は話し出す。

「こんにちは、景さん。遅くなってごめんなさい」

「気にしなくていいよ」

 ひらひらと手を振って、目の前の少年こと景が返事をした。

「僕の方こそいきなり話しかけてごめんね」

「いえいえ、それこそ気にしないでください」

「それで、お目当てのものは?」

「既にこの手に。会計はまだですが」

「さっすがー」

 スマホを耳に押しあてながら会話は続く。側から見たら少年ではなく電話向こうの相手と祈理が話しているようにしか見えない。

「あのさ、この後何か予定ある?あ、その小説を読む以外で」

「……特にないです」

 早く帰って小説を読みたいと思ったが、先に釘を刺されてしまった。

 仕方がなしに素直に答えれば、景は「よかった」と人の良さそうな笑みを浮かべた。

 あ、何か嫌な予感がするぞ。

 咄嗟にそう思ったが時既に遅し。祈理が目を逸らす前に、その顔を下から覗き込むように彼は言う。

「それじゃあ、僕とデートしよう」

 有無を言わせないあざとい笑顔。

 これを躱す方法があるのなら、是非とも誰か教えて欲しい。

 祈理は切に思った。だが、もう一度言わせてもらおう。

 時既に遅し。


   *


「うんうん。やっぱりここのコーヒーは最高だね」

 砂糖をたっぷりと入れたそれを、果たしてコーヒーと呼んでいいのか否か。

 そんな甚だ疑問である代物を景は美味しそうに飲んでいた。

 一体どれほど甘いのか気になるが、味見してみたいとは思わない。

 二人以外に客はいない昼間の喫茶店。静かな空間の中で優雅にカップを傾ける景の姿は子どもの姿ながらとても優雅で、さながら何処ぞの貴族のお坊ちゃまである。

「サンドイッチも美味しいなぁ。ほら、祈理ちゃん。あーん」

「え、えっと……」

 皿に乗せられたサンドイッチの一つを手に取った景が身を寄せてくる。

 無垢な笑みとともに向けられたそれに困っていると、さっと目の前に壁ができた。

「近い」

 耳に届いたのは志貴の低い声で、壁の正体は志貴の大きな掌だった。

 仰ぎ見ればその顔には不機嫌ですとはっきりと書いてある。

 祈理は思わず「ひえっ」と声を漏らした。一方、景は少しも臆してはいなかった。

「ちょっと邪魔しないでよ、志貴」

「邪魔するに決まってるだろ。何やってんだお前」

「何って、ただのあーんだよ」

「言い方を変えよう。人の恋人にそんなことするなんて何考えてるんだ。しかも、彼氏である俺の目の前で、だ。喧嘩売ってるのか?」

「さあ、どうだろうねぇ」

 何処吹く風で受け流す景に、志貴の機嫌はますます悪くなる。

 目の前で繰り広げられるそんな遣り取りに、

 そうだ、傍観者になろう。

 祈理はそう心に決めた。

 だって、話しているのはこの二人だし、敢えて自分が混ざる必要もないと思うのだ。

 触らぬ神に祟りなし。昔から言われている言葉だ。尤も、二人とも神なんて存在ではないのだけれど。

 腕を組んで眉間の皺を更に深くさせる志貴に対し、景はにやにやと笑っている。面白いおもちゃを見つけた子どものようにそれはもう楽しそうに。

「全く、心が狭過ぎるよ、志貴。顔が良くても中身がそんなんじゃ祈理ちゃんに愛想つかされちゃうよ」

「五月蝿い」

 志貴が景の頭に手刀を入れようとするが、それは容易く躱されてしまった。

 チッと舌打ちが聞こえてきたが、空耳ではないだろう。

「ほらほら、そういうところだよ。全くもう子どもなんだからー」

 やれやれと首を振る景に志貴が更に顔を顰める。

「子どもはお前の方だろ」

「ん?それは見た目の話かい?」

「見た目も中身もだ」

「ほうほうほう。それなら、子どもがすることを一々気にしてちゃダメだよ」

「見た目は子どもでも、中身はアラサーのおっさんだろ」

「童顔なアラサーのおっさんに言われたくはないよ」

「何だとアラサー」

「やるかアラサー」

 両者睨み合うは片や童顔、此方見た目は小学生。結論から言わせてもらえば、見た目は兎も角、精神年齢ではどちらもアラサーだ。

 こう見えてこの二人、実は同い年の幼馴染である。一回り年が離れていそうだが、それでも二人は同い年の幼馴染なのだ。

 幼馴染の定義とは何かを考えてしまうかもしれないがその答えは至って簡単で――

「だいたいさ、霊に嫉妬しなくてもいいじゃん」

 そう、景の言うとおり、彼は霊だった。

 だからこそ、本屋で祈理はあのような対応をした……いや、するしかなかった。

 人も疎らだったとはいえ、やはり全くいない訳ではなくて。そんな空間で他の人には見えない霊である景と話したら、一人でお喋りをする不審者になってしまう。

 真っ暗な画面のスマホを耳に当てて話していたのは、電話をしているように見せかけるため。

 そうすれば人がいる所でも堂々と話せると教えてくれたのは景だった。

 景は生前から志貴と幼馴染であった。けれど、彼は小学生の時に亡くなってしまった。霊と化した者は亡くなった時の姿をしている場合が多い。例にも漏れず彼もまたその中の一人だった。

 霊であるが故に景の見た目はその当時のままだった。時が経って志貴が大人になっても、景の姿は変わらない。

 だが、中身は違う。学校に通う志貴に便乗して授業を受けたり、本屋や図書館でこれまた便乗して本を読んだり、店頭に並ぶテレビとかそこら辺のおばさまや女子高生たちの話とかから情報を得たりしていたため、その知識は豊富だった。正に、見た目は子どもで頭脳は大人というやつである。

 姿はそのままでも知識は蓄積されていく。そして、霊になっても景は幼馴染として志貴と共にいたのだ。

 そんな彼らは、どちらも顔面偏差値が高い。

 類は友を呼ぶんだなぁ。

 初めて彼らの関係を知った時に祈理はそう思った。

 見目麗しい喫茶店のマスターと美少年はそこにいるだけで目の保養になる。たとえ中身はアラサーのおっさんだとしても、だ。

 志貴は未だに学生と間違えられるし、景は言わずもがな。どちらも実年齢と一致しない容姿で、そんな彼らがお互いをアラサーのおっさん呼ばわりをしている。ぶんぶんブーメランが飛び交うそのやり取りは、第三者から見れば実に滑稽で何ともシュールだった。

 第三者こと祈理はのんびりと紅茶に口をつける。

「どっちも年齢詐称できそうだなぁ……」

「祈理もだからな」

「祈理ちゃんもだからね」

 思わず零れた言葉に両者から突っ込まれた。ブーメランがこっちにも飛んできた。解せぬ、と祈理は口を尖らせて少しふてくされる。

 だがしかし、たとえ彼らよりも数年後にこの世に生を受けた身といえども、所詮祈理も童顔に過ぎない訳で。

 わたしもあと数年でアラサーの仲間入りだけど、まだおばさん呼ばわりはされたくないなぁ……。

 なけなしの女心で祈理は思うのだった。

 因みに、志貴も景も彼女のことをおばさん呼ばわりはしていない。彼らのためにもここにそれを補足しておく。

 とまあ、話は逸れたが再び志貴が景に訊ねる。

「それで、何であんなことしたんだよ」

「我が幼馴染ながらぶり返すなぁ……そんなに気になるの?」

「……別に」

「そうかそうか、気になるのかー。でもまあ、デートであーんは定番でしょ?」

「……は?」

「僕たちデート中なんだー。ね、祈理ちゃん」

 ぐりんと景が顔を向けてきた。

 やめて、ここでその飛び火はやめて。

 祈理の願い虚しく、雲行きはどんどん怪しくなっていく。主に、見た目は子どもで中身は大人なアラサーのおっさんのせいで。

「本屋で祈理ちゃんを見つけてー。デートしようって誘ったらOKもらったんだー」

「ほおー……」

 それはそれは。

 感情を押し殺した声。

 あ、これはあかん。

 祈理がそう思ったのも束の間、絶対零度の眼差しが彼女を射抜いた。

「彼氏の前で浮気とは」

「異議あり!その言い方は何か違います!」

「でも、デートしようって言われたんだろ?」

「うっ……」

「男にデートしようって言われて着いて行ったんだろ?」

「それ、は……」

 確かにそう言われたし、着いて行って今に至る。

 でも、これはデートでない。デートというものは男女が日時を決めて会うことだ。だから、この定義からすればこれはデートではない。

 それじゃあこの状況は何だと訊かれれば……浮気?浮気になるのか?でも、決してうわついてなんかないし、景さんに親しみはあれど恋情なんてものは全くないし……。

 ぐるぐると思考が回る。いろいろと考えてはみるものの、どう言葉を返したらいいのか思いつかなくて。祈理は頭が痛くて仕方がなかった。

 ……志貴さんに、嫌な気持ちを抱かせてしまった。好きな人に、嫌な思いをさせてしまった。

 そのことが、ただただ申し訳なくて仕方がなかった。

「……ごめんなさい」

 顔を俯かせて祈理がぽつりと零す。そして、小さな体を萎縮させた。

「あー、もう……」

 がしがしと頭を掻いて志貴は悪態を吐いた。そんな彼の一挙一動に祈理はびくりと肩を震わせてしまう。

 それが志貴を更に苛つかせる原因となっていることに彼女は気づかない。志貴が悪態を吐いたのは、祈理にではなく自分自身にであることにも彼女は気づいていない。

 志貴は別に自分の恋人が尻軽女であるとはこれっぽっちも思ってはいないし、幼馴染が冗談でデートという言葉を口にしたのはわかっていた。

 それでも、志貴はイラついてしまうのだ。他に客がいないのも相俟って、歯止めがきかなくなっていた。

 たとえ知っている人であろうと、たとえ見た目が子どもであろうと、男にデートしようと言われて着いて行った。

 そのことを不満に思い、志貴は祈理を咎めたのだ。

 ここにいるのは喫茶店のマスターなんじゃなくて、彼女に対して苛立つ彼氏で、一人の女に対して感情をコントロールできないただの男だった。

 ピリピリとした重い空気。それを払拭したのは、声変わりもしていない少年の声で。

「はいはいそこまで」

 ぱんぱんと手を打つ音が響く。それだけで空気が変わった気がした。

「祈理ちゃん。志貴はね、ただ心配しているだけなんだよ。志貴が嫉妬深いなんて今に始まったことじゃないし、こいつが嫉妬深いやつだって祈理ちゃんも知ってるでしょ?」

 祈理がこくりと頷く。

 志貴は「おいこら待て」と口に出かかったが、何とかそれを押し留めた。

 祈理がゆっくりと顔を上げる。そして、志貴の灰色がかった青い瞳を確と見つめた。

「志貴さん、ごめんなさい」

「……いや、俺も悪かった」

 気まずそうにしながらも志貴も謝る。

 冷静になってみれば、嫉妬してもらえた祈理は嬉しいし、嫉妬した志貴としては少しばかり恥ずかしい。

 お互いの顔を見て、二人は小さく笑い合った。

 そんな二人の姿を微笑ましそうに、そして、眩しそうに景は眺める。

「全く、困った二人だ」

 景がうんうんと一人頷いていれば、ふいに視線を感じた。

 あれ、と思い、景がそちらを見遣る。じとりとこちらを見つめる四つ目が誰のものかなんて言わずもがな。

「ん?どうしたの二人とも」

「いや、元はと言えば景が悪いんだよなって」

「ですよね」

 志貴の言葉に祈理が同意した。

「え、そこは二人の仲が深まったってことで良くない?」

「良くない」

「良くないです」

「えー、別にいいじゃんかー。僕だってさ、女の子とデートしたい時があるんだよー。食べ物シェアして、できればあーんしたいし、あーんしてもらいたい」

「願望だだ漏れかよ」

「わたし、女の子って年じゃないんですが……」

「祈理、そういう問題じゃない。少し黙っていろ」

「あ、はい」

 言われて祈理は黙る。こういう時は静かにしているのが一番だ。

 という訳で、祈理は再び傍観者に徹することにした。

 祈理は皿に乗っているサンドイッチを手に取った。そして、一口齧ってもぐもぐと咀嚼し、ごくんと飲み込んだ。

 幼馴染二人組の口論はなおも続いている。

「二人とも仲良いなぁ」

 騒ぐ彼らを見て、二人とも子どもみたいと祈理は破顔した。

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