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第十六話

 店内はいつもと変わらない。けれど、目の前にあるのはコーヒーでも紅茶でもなくビールで。

 日常の中のちょっとした非日常に、志貴は何だか不思議な感じがした。

「ここはバーでもなければカフェでもないんだけど」

「それは何度も聞いたよ」

「更に言えば、持ち込みも禁止だ」

「それも何度も聞いたよ」

 不機嫌そうな志貴とは対照的に景はとても上機嫌だった。

 バーは言わずもがな酒場、飲酒店のことである。

 喫茶店とカフェは混同されがちではあるが一応違いはある。

 店を営むには食品営業許可なるものが必要になるのだが、その種類が違うのだ。

 喫茶店は喫茶店営業許可。カフェは飲食店営業許可。

 一般的には、喫茶店営業許可の方が許可を得やすいと言われている。だが、それではアルコールや店内調理の食事を提供することができないのだ。

「あれ?でも、志貴さんって店内で調理してますよね?」

「飲食店営業許可は得ているから何も問題はない」

「そうなんですか?」

「ああ。大は小を兼ねると言うだろう」

「何か違うような……でも、それならここは喫茶店ではなくカフェなのでは?」

「そっちの許可を得たからといって、カフェを名乗らないといけない法律はないさ」

「……さいですか」

 なんて、そんな遣り取りが志貴と祈理の間でなされたこともあったがそれはさて置き。

 ぱんっと音を立てながら景が手を叩いた。

「兎に角!この店は喫茶店だけれど、飲食店営業許可を得ている。故に、この店は酒を提供できる。つまり、この店で酒を飲んでも何の問題はないってことさ」

「正当化しようとするな。それよりも店主の許可を得ろ」

「細かいことを気にしていたら、祈理ちゃんに嫌われるよ?」

「今それは関係ないだろ。というか、毎度毎度この酒どうやって用意しているんだか……」

 見た目は子ども、頭脳は大人な目の前の美少年こと景は霊である。志貴が買ってきたなら兎も角、霊である景が店で買い物なんて果たしてできるだろうか。

「んー、まあ、そこは僕の人望ってやつかな」

 返ってきたのは曖昧な答えだった。

 ……まあ、何となく見当はつくけど。

 霊と関われる者は一部しかいないし、霊が関われるのも一部しかいない。だから、予想は何となくだができる。

 でも、景は顔が広いからなぁ……。

 昔からそうだった。それこそ、景がまだ生きていた頃から。

 志貴が知る限り、この幼馴染は人見知りなどしなかった。霊となった今でも、それは変わらない。

 景は景なんだな……。

 そう思うと、何処かほっとする。景が変わらないことに、安堵している自分がいることに志貴自身気づいていた。

 ……本当なら、こんなことできないんだよな。

 自分は霊が見えるからこそ、霊となった幼馴染ともこうして他愛もない遣り取りができるのだ。普通ならできないことができている。そのことを時々忘れそうになる。

「おーい、志貴―?聞いてるー?」

「聞いてる聞いてる」

 適当に返せば、景が不機嫌そうに口を尖らせた。

「全く、飲み友達がいない志貴のために頑張って用意したっていうのに」

「……言っておくが、いない訳ではないからな」

 景の言葉にすかさず志貴が突っ込んだ。

「はいはい、そういうことにしておいてあげるよ」

 そんなことより!

 景は声を張り上げ、机の上の缶ビールを手に取ってそれをばっと天高く掲げた。

「志貴よ!我が幼馴染よ!早く一緒に盃を交わそうではないか!」

「……はいはい」

 幼馴染の言動にやれやれと首を振りつつ、志貴は戸棚からグラスを取り出した。それを見て景がにやりと笑った。

 ビールを注いで二人は「乾杯」とグラスを鳴らし合った。

 ごくごくと扇ぎ、だんっとグラスを机の上に置く。ぷはっと息を吐いて景は呟いた。

「あー、生き返るなぁー。いや、本当に生き返りはしないんだけどね」

「おい」

「あはは、冗談冗談ー」

 ぷらぷらと手を振った後、景が空になったグラスにビールを追加する。瓶を持つその手は小さい。祈理の手とどちらが小さいだろうか、と志貴は思った。

「見た目的にお酒飲むのアウトだよな……」

「ん?まあ、年齢的にはセーフだから、気にしない気にしない」

 志貴にしてみれば慣れてしまった光景だが、見た目は小学生な景がビールを飲んでいる姿は改めて考えてみると違和感を覚える。

 良い子の未成年の皆さんは絶対に真似をしてはいけません。

 なんて、そんなことを志貴は心の中で一人唱えた。

「そう言えば、一人で酒を買うのが怖いって祈理が言ってたな」

「まあ、祈理ちゃんも見た目的にはアウトだからねぇ。志貴はもう年齢確認されなくなった?」

「……偶にされる」

 むすっと答えた志貴に、景がぷはっとふき出した。

 ツボに入ったのか、景の笑いは止まらない。決して酔っている訳ではない。景は酒に強い方である。ただ、笑い出したら止まらなくなるというだけだ。

「アラサーの、くせに、年齢確認、とか……。流石は、童顔……ははっ、ウケるー」

「笑うか話すかどっちかにしろ。……って、おいこら、机を叩くな」

 笑い過ぎて呼吸し辛そうな幼馴染よりも、志貴にとって今心配なのは机だった。

 腹を抱えて何とか呼吸を整えようとする景に、「何やってんだか」と志貴は呆れた。

「はー、辛かったー」

「自業自得だろ」

「いやー、だってさ。いつまで経っても童顔に悩まされているんだなぁって思ったら、ねぇ?いっそのこと髭でも生やしてみたら?」

「髭、ねぇ……」

 自分が髭を生やした姿を想像してみたが、何ともしっくりこない。

 景も想像したのか、再び笑い出した。

 あ、ダメだこいつ。

 再起不能になる幼馴染が落ち着くのを、志貴はビールを飲みながら待った。そして、落ち着いたところで声を掛けた。

「笑い過ぎ」

「いやー、だってさ。でも、やっぱり笑うことは良いことだね」

「それに関しては否定はしない」

「うんうん。志貴も最近素で笑うことが増えたよね」

「……そうか?」

「そうだよ。祈理ちゃんのおかげかな?」

 口角を上げて、景が悪戯っぽく笑う。志貴は顔を逸らして、グラスに口をつけた。

「マスターが亡くなってから、志貴は笑顔の仮面を貼り付けたままだったからね。まあ、今もイケメンスマイルをばらまいてはいるけど」

「おい」

 志貴が思い切り顔を顰めて突っ込めば、「まあまあ聴いてよ」と景が苦笑した。

「祈理ちゃんの前では、志貴は自然に笑っている。そのことに僕はほっとしているんだ。あの子がこの店を訪れてくれて、志貴があの子と付き合うようになって、本当に良かったって僕は思っているんだよ」

 だから、と景が続ける。

「早く結婚しなよ」

 景がその一言を言った瞬間、志貴は噎せた。ごほっごほっ、とそれはもう盛大に、だ。

 志貴は苦しそうに咳き込んだ後、じろりと景を睨んだ。

「いきなり何言ってるんだよ!」

「先に言っておくけど、遊び半分で言った訳じゃないからね?」

 僕は真剣なんだ。

 丸い大きな深緑の瞳が灰青の瞳を確と捉える。

「志貴よ。幼馴染よ。君は、最期の瞬間に怯えているね?」

 志貴の肩が震えたことを景は見逃さない。真っ直ぐ幼馴染を見つめて、諭すように彼は言う。

「きっと、君のことだ。最期まで祈理ちゃんと一緒にいたいと思っていても、それを伝えたいと思っていても、最後の一歩が踏み出せないんだろう?」

 図星をつかれ、志貴がうっと言葉を詰まらせる。

 やれやれと呆れた様子で景が首を振った。

「仕方がないから、僕が背中を押してあげよう」

 それは、前にも言われた言葉だった。

 そう、それは、自分と彼女が付き合う前のことで――

「いつか別れる瞬間が来るのなら、その時が来るまで一緒にいればいいんじゃないかな?」

 景はふっと目元を緩め、優しく微笑んだ。

 ずっと変わらない幼馴染の顔。けれど、その表情は自分よりも大人びて見えた。

 黙っていた志貴がゆっくりと口を開く。

「……付き合うのと、結婚は違うだろ」

「なら、志貴は結婚するつもりもないのに祈理ちゃんと付き合って同棲までしているの?」

 言われて志貴は再び押し黙る。

 何も言わない彼に、景は尚も言葉を投げ掛けた。

「いいかい、志貴。人間、いつかは死ぬ。それは当たり前のことだ。有意義であろうと無意義であろうと、時間は限られている。その限られた時間をどんな風に生きて、誰と一緒に生きるかはその人次第だ」

 どうするかは、志貴次第だよ。

 唯一無二の幼馴染はそう言った。霊の彼が言ったからこそ、その言葉は酷く重く感じた。

「……俺次第、か」

 手持ち無沙汰にグラスを弄りながら、何処か観念したかのように志貴が宙を仰いだ。

 そんな彼を見て、「全く、手の掛かる幼馴染だねぇ」と景が肩を竦めた。

「兎に角、祈理ちゃんを悲しませるなんてことはしないようにね」

「わかっているよ」

 はっきりと志貴は頷いた。

 わかっている。

 そう、わかっている、はずだった。

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