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第十話

 ――ああ、またやってしまった。

 顔に手を当てて祈理はがっくりと項垂れた。

 でも、これは自分のせいではない。自分の意志に関係なく起きる現象で、どうしようもないことなのだ。

 そう自分を正当化しようとするものの、目の前の現実が変わるなんてそんなことはなくて。

 祈理が見つめる先にいるのは、眠った志貴と祈理。そう、目の前には眠った自分がいる。

 それじゃあ、二人を見つめているお前は誰だと言われれば、魂――所謂生霊というやつである。ただいま幽体離脱真っ最中なのだ。

 眠っている間に生霊と化してしまうこの奇妙な体質は、生まれつきのものではなく、後天性のものである。

 小説とかでよく見る、事故に遭って生死を彷徨ってこうなった、という訳ではない。そういうきっかけのようなものはなかった……と思う。

 それは祈理がまだ学生だった時のこと。気づけば目の前に眠った自分がいたものだからとても驚いた。

 だが、ふと目が覚めたらいつも通り自室のベッドの上だったので、「ああ、あれは夢か」とずっと思っていたのだ。何度も何度もそんなことが起きていたけれど、所詮は夢の中の出来事。似たような夢をよく見るなぁと思っているだけで、これといって特に気にしていなかった。

 けれど、とある小さな喫茶店にて。

 ――これは夢じゃなくて現実だ。君は、生霊なんだよ。

 その店のマスターにそう言われて、これは現実なのだと諭された。更には、この体質についても指摘されたのだ。

「あはは、そんな小説みたいなことある訳ないじゃないですかー」

 なんて、最初は笑っていたけれど、その後も同じような事が続き、祈理は漸く自分の奇妙な体質について自覚したのである。

 事実は小説よりも奇なり。

 そんな言葉が、祈理の頭の中をずっと占めていた。

 けれど、彼女にはこの体質をどうすることもできなくて。

「眠っている間に生霊になっているんです」

 誰かにそんなことを言ったところで、信じてもらえないのは目に見えていて。

 喫茶店のマスターと店員は悩ましそうにしていたが、特にこれと言って害はないそうなので祈理本人は気にしないことにした。気になると言えば気になるけれど、「まあ、そういう人間がいても可笑しくはありませんよね。だって、世界にはたくさんの人間がいるんですから」と思うことにしたのだ。

 それに、実際にその喫茶店には、霊を見ることができたり、他人に霊を見せることができたりする人たちがいたから、祈理がそう思っても無理はないだろう。

 そんな体質で困ったことはないのかと訊かれたら、眠ったはずなのに寝た気がしなくて、次の日凄く眠いことぐらいだろうか。この体質で祈理が不憫に思うのは、ただその程度のことだった。

 でも、まさか自分がそんな体質になるなんて思いもしなかったので驚きはした。

 更に言えば、その喫茶店の店員さん――今ではマスターだけど――とお付き合いをすることになろうとは全然思っていなかったから、改めて考えてみるとこの現状には本当に驚くばかりである。

 はてさて、目の前で横たわるのは自分の抜け殻もとい身体。自分で見てもその見た目は酷く幼い。眠っていることにより更に幼さに拍車がかかっている。

 もう少しこう、大人っぽさというか色気というか、そういうものが身につかないかなぁ……。

 と、考えたが無理だなと即思考を遮断した。虚しいことこの上ないからだ。

 自分の姿を見ていても何も楽しくはないので、その隣で眠っている志貴の姿を祈理は拝むことにした。

「眠っていてもやっぱりイケメンだなぁ」

 まじまじと志貴を見て、うんうんと一人頷く。

 祈理ほどではないが、志貴も実年齢に比べて若く見えるのはこの端正な顔付きが童顔だからだろう。

 この容姿だけでも目立つというのに、極め付きは彼の持つ才能だ。普通の人には見えないモノが見え、更には他人にそれを見せることができるという類稀なる才能。

 生きた人間からも、人でないモノからも、数多もの視線を浴び、自分の才能を時には隠し、時には活かすという生活を志貴は何ともなしに送っている。

「たいへんそうですね」

「もう慣れたよ」

 返ってくるのは苦笑だった。

「大丈夫ですか」

「大丈夫」

 返ってくるのはいつも同じ言葉だった。

 そんな遣り取りを二人は何度もしてきた。

 志貴は何てことはないという表情を浮かべてはいるが、祈理にはその姿が何処か辛そうに、苦しそうに、そして、寂しそうに見える時があった。

 基本『見えない』自分が『見える』彼にしてあげられることなんてなくて。何もしてあげられない自分が情けなくて仕方がなかった。

 徐ろに手を伸ばして、触れるか触れないかの力加減で彼の頭を優しく撫でる。

「……志貴さんが少しでも安らげる場所になれたらいいなぁ」

 そう思うことはおこがましいだろうか。

 わからない。わからない。

 それでも、彼女は彼に触れる。


 暫く眠り続ける志貴を見ていたのだが、あまり見ていると気配に敏感な彼を起こしてしまうことになりかねないため、祈理は静かに部屋を後にした。

 時間が経てばこの現象は自然と終わる。気がついた時には普通に目を覚ましているので、それまで時間を潰すしかない。

「さて、何をしようかな」

 テレビを観るのは五月蝿いからダメ。本を読むのは起きてからのお楽しみにするとして……小説でも書こうか。でも、今はそんな気分ではない。気分が乗った時にしか書けない自分はまだまだ小説家としては未熟だと思う。

「……決めた!」

 何をするか決めた祈理は、ちらりと寝室を見遣った。よしよし、起きてくる様子はない。

 今日はちょっと悪いことをしたい気分だった。

 志貴には家から出ないようにと何度も何度も言われている。特に夜には。それが心配故の言葉だということはよくよくわかっている。でも、悪いと思いながらも、言いつけを破ることに少しわくわくしてしまうのが人間というモノである。

 どうしようもなく子どもだなぁと自覚はあるが、それでもやめられないしとまらない。

「さてさてさーて。それでは深夜徘徊に行くとしますか」

 小さな声は弾んでいた。まあ、悪いことと言っても、ただ夜のお散歩を楽しみたかっただけなのだが。

 良い子のみんなは真似しないでね。

 と、取り敢えずここで忠告しておく。


   *


 はっと目を覚ます。寝ぼけ眼でぼうっと虚空を見つめる。辺りは暗くて、一点の淡い光がぼんやりとした視界に映った。

 一瞬ここが何処だかわからなかった。

 ……ああ、家か。

 すぐにそれを理解して、志貴は一つ息を吐いた。

 何か夢を見ていたような気がするがその内容は覚えていなかった。けれど、楽しい夢ではなかった気がする。

 気づけば額には汗をかいていた。暑かったからか、それともその夢のせいだろうか。

 徐に手を伸ばしてベッドの傍らに置いてあるスマホを取る。確認すれば時刻は丑三つ時を回ろうとしていた。

 起きるにはまだ全然早い時間だ。尤も、この時間に仕事をしている時もあるがそれはさて置き。

 ……寝よう。

 そう決めて志貴は言葉通り二度寝をしようと瞼を閉じる。けれど、なかなか寝付けなかった。

 仕方がなしにごろりと寝返りを打って隣で眠る祈理を見遣る。

 豆電球が一つ点いてはいるがやはり部屋は暗い。朧気にしか見えなかったが暫くしたら目が慣れてきた。眠る祈理はいつにもまして幼く、あどけない。

 自分の口元が自然と緩んでいくのは自覚している。

「……ん?」

 ふと、違和感を覚えて志貴は上体を起こした。祈理の顔の両側に手をついて、まじまじとその顔を覗き込む。

「……またか」

 思わずぽつりと独りごちた。

 目の前の祈理はすやすやと眠っている。だが、ただ眠っているのではない。

 言うならば、今の彼女は抜け殻だった。身体だけがここにあって、魂が何処かへ行っている状態。

 こんな言い方したらまるで幽体離脱しているみたいじゃないかと思うかもしれないが、まさしくその現象が起きている。

 祈理は今、生霊となっている。

 でも、生霊と化した彼女はここにはいない。気配を探ってみたが、この部屋どころかこの家の何処にもいないようだ。

「深夜徘徊はするなってあれ程言ったのに……」

 全く、何処をほっつき歩いているのやら。

 溜息を吐きつつ、志貴は再び横になった。そして、静かに横たわる祈理をじっと見つめた。

 ぴたりと閉じた瞼。身じろぎ一つせず、ましてや指一本すら動くことはない。その姿はまるで――

「……馬鹿馬鹿しい」

 首を振って自分の思考を振り払う。

 よく見ろ。そして、聞け。彼女はちゃんと生きているじゃないか。

 目に見えるのは小さく呼吸をする身体。耳に響くのはかすかな寝息。そして、頭の中に過るのは昔聞かされた言葉。

 ――害はないよ。でも、彼女が彼女である限り、これは治ることはない。そういう体質なんだ。

 そうだ。師匠にそう教えてもらったじゃないか。

「最初はびっくりしたけどもう慣れたから大丈夫」

 彼女自身もそう言っていたじゃないか。

 霊が見えて、他人に見せることができて、祓うことができたとしても、祈理のこの体質を治すことは志貴にはできない。何よりも大切な存在なのに、彼女のために何もしてやれない。

 もどかしくて腹が立って情けなくて悔しくて悲しくて辛くて。色々な感情がないまぜになって、自分でもよくわからない感情がぐるぐると志貴の胸を占める。

 もしも……もしも祈理に何かあったら――。

 そう考えると、凄く怖くなる時がある。

 祈理本人は特に気にしていないようだし、自分の気にしすぎだと思う。

 けれど、志貴は最期の瞬間を何度も見てきた。それは、生者の時もあれば死者の時もあり、知り合いの時もあれば全く知らない人の時もあった。

 その瞬間は何度見ても胸が苦しくなる。口では慣れたと言っているし、自分自身でももう慣れたと思ってはいる。でも、「慣れるはずないだろ!」ともう一人の自分が叫んでいるのだ。

 特に大切な人たちの最期は何年経った今でもしこりのように心の中に残っている。大人になってもそれは変わらない。

 人はどうなるかわからない。昨日までいた人が今日にはいなくなってしまうかもしれない。今日会った人が明日にはいなくなってしまうかもしれない。

 明日のことはわからない。生者であろうと死者であろうとそれは同じ。

 大切な者と別れなければならない瞬間はどんな者にもいつか必ず訪れる。

 それが怖い。怖いけれど、気丈に振る舞うのだ。悲しみも恐怖も押し殺して、それらをできるだけ表には出さないようにして、自分のできる限りのことをして、今までもこれからも過ごすのだ。

 今の自分にできることといえば、祈理の目が覚めるのを待つことだけ。それだけしかできないのだ。

 不安を払拭するように、徐に祈理へと手を伸ばす。頬にかかる髪を優しく払う。露わになった肌は白い。小さな身体を引き寄せ抱きしめて、そのあたたかさと聞こえてくる鼓動に志貴は安心した。

 大丈夫。祈理は、ちゃんと生きている。

 祈理が目を覚ました時、もしへらへらしていたら悪態の一つでも吐いてやろう。いや、悪態の一つじゃ足りない。これは説教コースだな。

 だってだってと言い訳を述べようとするが、結局は言い負かされてしまうであろう彼女の姿が容易に想像できて志貴はくすりと笑った。それを咎める者はいない。この空間にいるのは志貴と抜け殻の祈理だけだ。

「早く戻って来いよ」

 眠り続ける祈理にそっと声をかける。

 そして、腕の中のぬくもりに身を寄せ、志貴はゆっくりと瞼を閉じた。


   *


 地に足をつけて歩いているはずなのに、足元の感覚はふわふわとしている。

 生身の身体で深夜徘徊なんて怖くてできないが、魂だけの存在であると自覚している今はあまり怖さは感じない。これは現実だと理解しつつも、何処か夢うつつな意識がそうさせているのだろう。

 人々が寝静まる夜はとても静かで、いつも以上に孤独を感じる。車が通る音が聞こえて来たかと思えば、それはすぐに遠くなっていく。

 寝ている人もいれば、車に乗っている人もいる。いつ、何処で、何をしているかなんて人それぞれで。当たり前のことなのに、祈理はそれが不思議に感じた。

 そんなことを考えながらあてもなくぶらぶらと歩いていると、近くの公園に辿り着いた。

 昼間と違い誰もいない公園。子どもたちの声も遊戯で遊ぶ音も聞こえないそこは酷く無機質で、何となく物寂しい。ちかちかと点滅する照明がそれを更に際立たせていた。

 祈理はゆっくりと青いブランコへと近づいて行ってそこに座った。そして、徐ろにぎこぎことブランコをこぎ始めた。

「怪奇現象発生中ー」

 傍から見たら誰もいないし風も吹いていないのにブランコが動いている。そんな奇妙な光景を生み出した本人は緩い口調でそう呟いた。

 久方ぶりのブランコに、祈理の脳裏に蘇ったのは朧げな昔の記憶だった。

 反動をつければつけるほど勢いが増して、そのスピード感を楽しみながらも宙に浮く感覚が怖くて。他の子たちがやっているようにそのままブランコから跳び下りるなんてことは祈理にはできなかった。運動神経がよくない自分がそんなことをすれば、怪我を負うなんてことは目に見えていたし、何も掴まずに身体が宙に浮くということが怖かったから。

 霊である祈理はふわふわとしている。でも、それは感覚としてだけだ。フィクションでよく見かける霊は宙を浮いているモノもいる。しかし、祈理はそんなことはできなかった。足のない霊も定番だが、祈理にはこの通りちゃんと二本の足がある。物を掴めない霊もいるが、祈理はこうして鎖を掴んでブランコをこぐことができている。

 人に見えるか見えないか。大きな違いはそれぐらいだ。霊であろうとできないことはできないのだ。

 気づけば、いつの間にかそこそこスピードが出ていた。

 鎖を掴む両手にぐっと力を入れる。

 昔できなかった跳び下りを今こそ――

 なんて、そんなことはせず、地に足をつけて祈理はブランコをとめた。

 うん、やっぱり怖い。大人になろうと霊であろうと怖いものは怖い。

 生身の肉体であろうと魂だけの存在であろうと所詮祈理は祈理だった。

「志貴さんが見たらなんて言うのかな……」

 ブランコをこぐこの姿を見て、何やってるんだよと呆れるのだろうか。ほんと子どもみたいだなと笑うのだろうか。

 安易に想像できて笑ってしまった。傍から見たら一人で笑う危ない人間だ。

 でも、ここは誰もいない公園。そして、今の祈理は普通の人では認知できない生霊。だから何も問題はない。そう、問題はないのだ。

 でも、自分以外誰もいないこの空間が、誰にも認知されない自分の存在が、寂しくて虚しいなと祈理は思った。

「……早く目が覚めないかなぁ」

 祈るように口から言葉が零れ出た。

 見上げた空には幾つもの星が瞬いていた。

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