安息の日々は束の間としても
「‥‥司祭様、芝生の手入れですか?お精が出ますね」
教会の庭の外から女性の声がする。
「ああ‥‥これはこれは、エイラさんでしたか。何しろ晴天に恵まれましたからね。これも神様のお恵みなのでしょう。‥‥ところで、今日はどちらまでお出かけでしたかな?」
司祭は立ち上がって軽く会釈をした。
「ええ、今日は皆で山の方に薪を取りに行ってましたの」
エイラが振り返ると、そこには二人の娘も立っていた。
「こんにちは、司祭様」
ニッコリと笑ったのは長女のエリザベートだ。
そして、母親であるエイラの足に隠れるようにして司祭を見ているのが、次女のハンナだった。
「こら、ハンナ!チャンと司祭様にご挨拶なさい?」
エリザベートがハンナを促すが、ハンナはエイラの引いてきた荷車の後ろに隠れてしまった。
「やぁ‥‥どうも相変わらず、嫌われてていけないね」
司祭が苦笑いをする。
理由はわからないがハンナは小さい頃から司祭が苦手らしく、こうして逃げてしまうのだった。
「すいません、司祭様」
エイラが済まなそうに言う。
「いえいえ。どうぞお気になさらず。それにしても薪を集めるのも、さぞかし大変でしょうに。何かあれば言ってください、私で力になれれば何なりと手助けしますよ?」
エイラは旦那を病気で無くしていて、女手ひとつで娘二人を育てているのだ。その苦労も一通りではあるまい。
「勿体無い事で‥‥ありがとうございます」
エイラが手を組んで頭を下げる。
「薪を取るのも大事でしょうけど、どうぞ気をつけてくださいね?最近は山も荒れ気味なので、土砂崩れの危険もありますし。猟師だったジュゼッペさんが生きててくれた時には、土留の補修にも気を配ってくれたのですが‥‥」
司祭が遠い眼をする。
「そうですね、あの方はそういう処で本当に細やかな方でしたから。‥‥ご病気で亡くなられて、もう1年になるかしら」
エイラがハンナの方を見やる。
「確か、この子の7歳の誕生日が近かったから。多分そうね」
「私も、あの時の事は覚えてるわよ?だって、ハンナを連れて山まで歩いたんだから」
エリザベートがエイラの腕を引っ張った。
彼女はハンナと5つ離れているので、今年で13歳になる。
「ああ、そうだったわね。あの時は三人共一緒に居たからねぇ。そう言えば、村まで司祭様を呼びに行ってくれたのも、エリザベートだったわね」
エイラが眼を細めた。
‥‥そうだった。
『私』の生命を救ってくれた『ジュゼッペの身体』も、結局そう長くは持たなかった。『あの時』から5年後には、死の病が『私の身体』を襲ったのだ。
だが、『今回』の乗り移りは前回の時を思えば遥かに『楽』だったと言える。
何しろ床に伏して動けない身であったものの、最期の瞬間に『この身体』が居てくれたのだから。
思えば、あれからもう1年になるのか。どうりで『ジュゼッペだった時の記憶』が怪しくなっているハズだ。
いつも通りなら、あと2年もすれば完全に『ジュゼッペ』の記憶は『私』から消えて無くなる事だろう。
何事もなく。
そう、何事もなく此のままで。このまま無事に過ごしたいものだ。
何しろ、もう『あんな思い』は二度と御免だ。
痛くて、辛くて、寒くて、怖くて、そして何よりも悲しくて。
そのためには徹底的に『隠す』のだ。何がなんでも。
『私』が『この身体』に隠れているのを、決して悟られてはらない。
例え何があったとしても、何を言われたとしても頑として口を割ってはならない。
何故ならジュゼッペの『前』は、それで失敗したのだから。
『前』の『前』だから細かい事情は覚えていないが。
鋭く絶え間ない追求を前にして、ついには『私』が『魔女』成るものであることを白状してしまった事だけは記憶している。
その結果が、あのザマなのだ。
もう二度とあんな失敗を繰り返してはならない。
絶対に、絶対にだ。
「‥‥ところで、エイラさん?」
「え?ああ、司祭様。はい、何でしょうか?」
エイラが慌てて返事をする。
「大丈夫ですか?少しボウっとしてらした様ですが?」
司祭がエイラの顔を伺う。
「いえいえ!大丈夫ですわ。『この子達も大きくなったな』と思ったら、少し気が抜けちゃって」
ははは、とエイラが頭を掻いた。
「もう!しっかりしてよ、お母さん」
エリザベートがエイラの腕を引っ張った。
なるほど、エリザベートの身長はエイラとほぼ変わらない迄になっている。
特にこの1年での成長は著しいと言える。『大きくなった』と言えば、その通りかも知れない。
‥‥思い返してみると。
『幸せ』という概念を、これまでの『私』は感じた経験が無かった。
『私』が誰に宿っているのかを明かすことは出来ないが、こうして『暖かい瞬間』に立ち会えると、本当に『嬉しい』と心から思う。
何時までも、この瞬間が何時までも続くと良いのに。
『私』は心からそう願って止まなかった。