ハワイに来て6ヶ月目 放射線治療の途中
9月に入っていた。ハワイに来て6ヶ月間ずっと治療をしている。
家を引っ越すことが出来た。 息子は地元の小学校に通うことが出来た。
そして放射線治療も始まった。
だんだん抗癌剤が抜けてきたようだ。 髪の毛はまだフワフワの産毛だ。 眉毛のあった場所がうっすら青くなってきた。 それから嬉しいのは短い睫毛がプツプツと生えてきていた。 はじめて見た時は飛び上がるほど嬉しかった。睫毛のない目はなんとも言えず、奇妙だ。
私のDNAはここに眉毛が睫毛が生えていたことを覚えていてくれた。嬉しさと同時になんだか神秘というか、不思議な気もした。
病気をする前は髪を切ったら伸びる、眉毛を抜いたら生えるということが当たり前だと思っていた。でも当たり前だと思っていたことは実はすごく複雑な身体の中のしくみなのだと気がついた。
毎日6時半に起きてランチを作り、朝食を作り息子を送り出し放射線治療に行く日々だった。毎日放射線があるので、ほぼ同じような毎日だ。
10回目頃からかなり疲れが出てきた。 足の痛みはなくなったが手足はまだしびれていた。抗癌剤はなかなかしつこく身体の中に居座っていた。
ファーストフードも相変わらず多かったが、家で作るときはなるべく健康的にしようと思っていたが、それでも食材に限りがあるので洋食中心になってしまう。
肉が多いのでなるべくサーモンなどを買ったり、煮物ができなくてもせめて温野菜をとブロッコリーやアスパラガスを毎回食べていた。
息子の精神状態も安定してきた。 毎日宿題を見て、学校の話をしている。 ちゃんと話を聞いてあげられる母親でいたいと思う。
ある日放射線が終わってドクターと話しをしていたら抗がん剤の部屋から呼び出しを受けた。何事かと思ったら新しい抗がん室に患者の手形を押すのだという。
私とキャリーは手に平にカラフルなペンキを塗られて手形を塗られる。 何の記念もなかったので嬉しかった。 奥の方にペタッと手形を押して日本語でありがとう。と書いた。キャリーは何か英語で書いていた。 最初は少なかった手形が行くたびに多くなっていって、壁一面の手形は正直不気味だなと思った。 一通り見渡すと胸の型を押している人までいた。
放射線治療でしょっちゅう病院へ行っていたのでキャンサーサバイバーの会に顔を出して見た。
手術が終わってすぐの頃に行ってみたのだが、どうしても(サバイバー)という気持ちになれずに続けることが出来なかったのだ。 自己紹介をするのだが、皆私よりもステージが低いようなきがして「だからサバイバーなんじゃないの?」とふてくされたことも会った。
キャリーもあんなに泣いていたけれどステージ1だっだ。抗がん剤は4回だけで放射線もなしだ。彼女のために喜ぶべきなのに
「そんなに軽いんだ」とショックを受ける自分がいた。
誰かと比べてもしかたがないことはわかっていたけれど、いつも自分よりも(悪い乳がん)でも生きている人を探していた。
放射線治療は途中まで、痛くも痒くもなく、同じことの繰り返しだった。
だいたい朝息子を学校に送って行ってから病院へ行く。受付で名前をいい、着替えて放射線室へ。寝たまま左腕を伸ばして白い大きな機械を通る。
20回を超える頃から副作用も強くなってきた。 だるさと腹痛だ。 それから肌もどんどん焼けてきた。 手術の痕を中心に四角く黒くなってくる。
「いい感じにトーストになってるわ~」とドクターSは笑う。
「ちょっと痛痒くなってきました」
「うん、やけどと同じだからね。塗り薬だすわ」
このドクターとのアポイントメントは楽しみだった。毎回夫と笑いながら部屋を出ていけた。どれだけ助けられたわからない。 息子とも話を合わせてくれて、本を貸したりもしていた。
「この本すごくおもしろいよ、貸してあげるね」なんて言ってる。 ドクターも
「わあ、うれしい! ねえナルニアって知ってる?」
「ダッドが読んでくれてたことある!好き!」
「私もすごく好きなの。お礼にビデオあげるよ、古いのだけどね」と棚から出して渡してる。
ドクターSの大きい暖かいハートは皆の傷をを癒していった。




