抜け始めた髪の毛
1回めの抗癌剤から十日後ついに髪の毛が抜け始めた。自然にハラハラと抜けるのかと思っていたけど、キュと誰かに引っ張られているような感じだ。
頭皮が痛む。 自分で引っ張るとスッと髪の毛が驚くほど抜ける。
枕にも落ちてきていた。
美容院で短めのショートにはしてあった。 アメリカの美容院なので、かなり残念な感じのカットであった。
これからどんどん抜けると思い、自分でベリーショートにまでカットしてしまった。
なんとアンダーヘアーもぽろぽろ抜ける。 髪の毛だけではなく全身の毛が抜けるそうだ。わかっていたことなので、悲しいというよりも不思議な感じがする。
また血液検査と腫瘍科で検査があった。 翌日2回めの抗癌剤があるのだった。
同じ時期に三沢から来たタミーに会った。彼女は同時再建で自家組織を使って手術をした。
「どうだった?」と聞くと「まだお腹が痛くて座れないわ、でも見せてあげる」とシャツをめくる。
お腹に真横に大きく切り傷でしかも上下がでこぼこしていて(お腹をへこませる手術)という感じではなかった。胸もがたがただった。正直な気持ちを書くと、こんなひどいのなら、再建したくない。と思った。
こういう再建手術はきっと日本のほうが上手なのだろうと思う。
夕方ダウンタウンまで行って、手術後用のブラを2枚、シリコン製の胸を受け取った。
シリコン製のフェイク胸は高価なのだが、これは保険が適用された。
重みがあり、とても自然で嬉しい。今までは綿を詰めたものだったので、軽くて上にずり上がってきたのだった。このシリコンはどっしりと重みがある。ヌーブラをうんと分厚くした感じだ。偽乳首まで付いている。
嬉しかった。 コットン製のパッドを買っていたのだけど、あまりに軽くて心もとない。
本を読むと(綿とともにお米などで重みを入れるといいでしょう)なんて書いてある。
ブラの中にお米とは……それは女性としてあまりにも悲しいと思った。
2回めの抗癌剤
左のリンパを手術しているので、右にしか点滴用の注射をさせない。だいたい失敗されて、いつも手首だ。親指の付け根。とても痛い。 血管が細い人は首の中にポートと呼ばれるものを入れる、血管とつながっていて、そこに抗癌剤など注入する。毎回血管を探さなくても良いように。
腕に刺した管をつけっぱなしの人もいる。胸のチューブが不愉快だったので、私はそれは嫌だと言った。毎回痛い思いをするけれど、しょうがない。
大体1時には終わる。まず点滴。 11時頃からアドレアマイシン、12時から1時までシクロフォスミド。今日も鼻の奥がツーンと痛くなった。海で鼻から水が入った感じだ。
その夜は全然眠れなかった。 まだ吐き気は来ていなかった。翌日も新しい薬が効いて吐き気はゼロだった。これは嬉しい。
親友に電話をした。ひさしぶりの大きな明るい声に元気をもらった。とってもうれしかった。
シャワーをすると両方の手のひらに、指に、髪が絡みつく。 わかっていたけれどやはり悲しかった。これから抜け続けていくのだろう。
夫が病院に白血球を増やす注射を取りに行った。これを毎日打ってくれる。抗癌剤の後10本打つ。 抗癌剤は全部で8回したので、80本注射をしたことになる。
今回は吐き気はないが具合が悪くずっと横になっている。精神的にも落ち込んで涙がぼろぼろ流れる。
夫と息子が日本に行くのがとても不安だ。離れたくない。
食欲が全く無いのに顔が丸くなってくる。この頃素麺とつゆにしょうがをすり下ろしたものが一番食べやすかった。 水も変な味なのでスプライトをガブガブ飲む。
夫がお腹に注射をしてくれたが痛かった。これを毎日自分でするのかと思うと悲しくなる。
後数日で日本へ行ってしまう夫と息子。3週間弱で帰ってくるけれど、とても不安で寂しい。
そして2回めの抗癌剤から5日目。
バラバラとものすごく髪が抜け始める。 コットンのターバン風の帽子を被る。それを見て息子は泣き始めた。
夕食後、髪の毛を全部そってしまった。 夫に手伝ってもらった。
毎日抜け続けるよりは良いと思ったけれど、やはり涙がボロボロ止まらなかった。
鏡に写った顔はおじさんのようだ。 それなのに夫は
「かわいいね、生まれたてのベイビーみたいだよ」と言ってくれる。やさしい人だ。
「うそつき」と笑い、そしてもっと涙がこぼれた。
「じゃあ、僕も剃るよ、一緒だよ」と自分の髪の毛も剃ってしまった。
その優しさに言葉では言えない大きな愛情と絆を感じた。これから日本へ行ったり、トレーニングもあるのに。一瞬の躊躇もなくバリカンで髪をそってしまった。
その気持に答えたい。絶対に元気になりたいと思った。