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生者と死者の、小さな境目  作者: 仲島香保里
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人身事故

 初めてのデートとキス。あれから二年が経った。二回目のデートで、早いかもしれないという不安を抱きつつも告白し、美世もそれに応じてくれた。

 それ以来、敬語で話すのはお互い止めようと決め、それまで真壁先生、と呼んでいた美世も、俊くん、と呼ぶようになっていた。真壁も塾では植野さんで通していたし、美世も真壁先生で通していた。

 二人が付き合いだしてから三か月ほどが経ったころだろうか。美世の体調が良好になってきたのを機に、彼女は本格的に就職活動を始めた。そして、一か月ほど活動をした結果、かねてからの希望だった出版社への就職が決まったのだ。

 美世は子供のように喜び、真壁もまた自分のことのように喜んだ。就職祝いだと言って、ネックレスをプレゼントした。デートのときも仕事のときも、二種類くらいのネックレスしか見たことがなかったので、もう一つくらいはと思ってのプレゼントだったのだが、美世は大喜びで、頻繁に付けてくれているようだ。

 そして今も、美世はその出版社に勤め、週末に会って食事をし、真壁の家に泊まりに行くという関係を続けている。

 しかし、真壁も今年三十一歳になる。結婚や子供のことをまるで考えないわけではない。

 そろそろいい年のオジサンになってしまうので、結婚はしたい。できれば子供も早めに欲しい。いろんなところに連れて行って遊んでやる体力があるうちには。

 美世も、確か今年二十七歳になるはずだ。こんなに美人で、優しい女性を、世の他の男が誰も目を付けないわけがない。

 余計な虫が付く前に、という焦りも募るというものだ。


 「向こうの車線、えらい混んでるな。大渋滞じゃん」

 「……ほんとだ。事故かな?」

 「かなぁ。なんかニュース出てる?」

 美世が真壁の車のカーナビを操作し、ワンセグ画面を呼び出した。

 「あ、これかな?」

  ――本日十九時三十分頃、S県I市内を走る市営地下鉄の線路内に、ホームから若い女性が転落し、死亡するという事故が起きました。現場はI市営地下鉄のG駅で、目撃者の証言によりますと、女性は混雑していたホームの線路側を歩いて移動していた際、何かに躓いたようだということです。転落に気付いた電車の運転士が急ブレーキをかけましたが間に合わず女性は轢かれ、その……、女性の死亡が確認されました。死亡したのは、I市内に住む…… ……い……の さ、二十……です。



 「ん?電波悪いな」

 「うん……このG駅、いつも使う駅なんだよね」

 「え⁉事故が今日の十九時半だから……美世、結構ギリギリ巻き込まれなかったってことか?」

 「……たぶん。こわいね」

 電波がすっかり悪くなってしまったのか、女性アナウンサーの声は耳障りなノイズと化してしまった。

 「電車が止まったからタクシーとか車移動が増えて渋滞してんのかな」

 「あの地下鉄線て、結構使う人多いんだよね」

 美世かダッシュボードからお気に入りのCDを探し出した。

 「今日のお店って、どんなところ?」

 美世がワンセグを切って、その代わりにCDを差込みながら訪ねてきた。さっきの人身事故の件は忘れてしまったかのようだ。

 「ん?行ってのお楽しみ」

 「えー。ちょっとだけヒント。ね?」

 「そうだなぁ。和洋中どれかって言ったら洋だね」

 「おお。じゃあワインもあるよねきっと」

 洋食だとしか教えていないのに、この喜びよう。店に案内する甲斐があるというものだ。

 車を走らせ続け、真壁の自宅近くにあるレストランについた。店の外観で判断してしまうと和食がメインの大衆居酒屋といった建物だ。しかし、一旦ドアをくぐれば薄暗い店内に小さなアンティークなシャンデリアが各テーブルの上に吊るされ、テーブルを適度に照らしている。カウンターも僅かではあるが備えれらてある。カウンターもテーブルも、木製で高級ロッジに来たかのような感覚に陥る。

 ボリュームを抑えたBGMも、ワイン樽の木の香りも、店の雰囲気を誇張することなく醸し出している。

 わぁ、素敵。

 美世が感嘆の声を上げた。よかった。気に入ってもらえたようだ。

 どう?気に入った?

 ――あれ?

 尋ねようとして振り返ったとき、また、美世の顔色が悪いように感じたのだ。いや、顔色というより……全体の色?全体の色とはなんだと聞かれたら答えられない。ただ、そんなふうに感じたのだ。

 振り返ったまま何も言わない真壁を不思議に思った美世が首を傾げて真壁の顔を覗き込む。

 きょとんとした表情と、心配そうな表情。美世の顔を見ていると、気になっていたことがどうでもいいものに思えてくる。

 なんでもないよ、と言ってから、予約しておいた席に案内してもらう。

 「このお店は食後のデザート……ドルチェってんだっけ?それも美味しいんだよ」

 「やった!最近ずっと甘いの我慢してたの」

 我慢していたとは知らなかった。そんなに我慢しなくても十分細いのに。しかし、我慢していたのなら、それならばちょうどよかった。こんなに喜んでくれるなら、それに越したことはない。


 食事中の二人の会話は、他愛もない会話ばかりだ。悪く言えば刺激的な会話はないのだが、日常のありふれた会話だ。こんな当たり前のような日常にありがたさを感じる。これも真壁が歳を取ったせいなのだろうか。

 しかし、今日に限っては妙に美世の様子の変化が気になって、それを気付いていないものと自分に思い込ませようとして、話を下手に盛り上げてしまったり話しすぎたようだ。根拠のない不安を払拭しようとするかのように、知らず知らずのうちに、会話をつなげることに必死になっていたようだ。

 会話をしていて、噛み合わないということはないのだが、それでも何か……薄い壁を隔てた向こう側の人物と話しているような気がするのだ。テレビ番組で、放送局と中継を繋いだ地点で会話をすると、ワンテンポ遅れて返答がある、そんな感じなのだ。もちろん、オカルト現象など信じていない真壁だ。頑張って働いている美世が、少し疲れているだけだろうと思うことにした。

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