俺の友人
ガン、ガン、ガン。
乱暴に扉を叩く音が玄関に響く。俺はゆっくりとそちらに向かう。キィ、と小さく音を立てて扉を開けた。そこには1人の男が立っていた。右手には大振りのナイフを持ち、着ている服の一部を赤黒く染めている。男はにっこりと無邪気な笑みを浮かべながら、左手を振り上げた。
「やあ友人。泊めてくれない?」
気の抜けるような声で男は、否、俺の友人はそう言った。
「服くらい着替えてこい。玄関に血がついたらただじゃおかないからな。」
「大丈夫だよー。乾いてるから。」
ヘラヘラと笑いながら話す友人。その言葉に嘘はないようで、玄関に血は滴っていない。
俺はひとつ、大きなため息を吐いた。
「とっとと中に入れ、誰かに見られたらどうすんだ。」
「殺せばいいんじゃない?」
至極当然のように物騒なことを言う友人に俺はまたため息を吐く。
俺の友人は、殺人鬼だ。
こいつに「遭った」のは、満月の夜だった。
バイトの帰り道、近道をしようとして真っ暗な路地を通った。いつもなら通らないような場所だが、その日は月が出て明るかったから気が向いたのかもしれない。
そいつは路地の真ん中で、空を見ていた。
丁度月は雲に隠れて、辺りが薄暗くなった時だ。最初は酔っ払いだと思った。夜中に外にいる人間なんてそんなにいない。無視して横を通り過ぎようと思った時、月が雲の切れ目から顔をだし、そいつの姿を照らした。
赤く染まった服、大振りのナイフ。明らかに異常なそれらには目がいかなかった。
月に照らされて見えた横顔に、目を奪われていたから。
「綺麗だ。」
思わず声に出た。
そいつが此方を向く。冷めた瞳が俺を見た。
殺されるとは思わなかった。俺はずっとその目に、月の色をした瞳に見惚れていたから。
結論から言えば、俺は殺されなかった。なんの気紛れか、そいつはにっこりと笑いながら
「ねぇ、君の家に泊めてくれない?」
なんて言ったのだ。
その日の俺は頭がおかしかったのだろう。
その言葉に頷いてしまった。
まるで家族のように家にあがり、風呂に入り、隣で眠ったそいつは、朝になると消えていた。髪の毛一本も残さずに消えていたから、俺は夢だと思ったのだ。
丁度一週間後に、またそいつが来るまでは。
週に一度、必ずそいつは家に来た。服を血で汚し、右手にナイフを持って、「泊めてくれない?」と聞くのだ。
服に付いた血は、そいつのものではない。明らかに致死量に達しているだろう他人の血を付けてくる姿に、最近ニュースで取り上げられている殺人鬼を思い出した。
きっと同一人物だろうに、俺は警察に連絡しなかった。何故なのかはわからない。
ただひとつ確かなことは、俺がそいつと友人になったということだった。
目の前で機嫌良さそうにカレーライスを食べる友人。俺はこいつの名前も知らない。こいつも、俺のことを「友人」としか呼ばない。特に不便はないし、構わないと思う。俺達が友人なのに変わりはないのだから。
不意に、友人が俺を呼ぶ。
「ねぇ、友人。」
「なんだ、友人。おかわりが欲しいなら自分でしろ。」
「そうじゃなくてさ、その喋り方、変える気ないの?」
ああ、またその話か。俺は思いっきり顔を顰める。
「癖のようなものだ。今更どうにもならん。諦めろ。」
俺の台詞に今度は友人が顔を顰めた。
諦めろって、と不満そうに言う。
「君は女の子なんだから、それっぽい喋り方のほうが可愛いと思うんだけどねぇ。」
ふたつの月が、俺を見つめていた。