血に暮れる夜。
1尺=約30.3cm
1貫=約3.75kg
要するに、でかくて重いのです。
女の歌:室町時代後期の歌謡集、『閑吟集』より。
意味は、後書きにて。
ガツン――ガツン――ガツン――。
霞たなびく山の奥深く、重い物同士の突き当たる鈍い音が、木々を揺らしていた。日は既に高いといえども、四方に厚絹が掛かっているかのごとく視界は黄昏時と違わない。腕に覚えのある猟師でさえ、狩りに入ることを避けるであろう。そもそも猟師が、否、人がこの山に足を踏み入れるなど滅多に起こりうることではないのだが。
年中もやに包まれているために人々は畏怖し、『鬼の棲む山』として近づかぬようにしてきたのである。鬼を見た者が本当にいたのか、山の纏う雰囲気がそうさせているのかは定かではないが、鬼が棲むと言われる山を訪れた者はここ数十年でただの二人のみしかいない。
ガツン――ガツン――ガツン――。
一つの影が、空気を震わせる音の中心へと進んでいた。自然の帳など物ともせず、音に吸い寄せられているかのようで、その歩みに一分の迷いもない。影は何事かを呟きながら、足下を気にすることなく、さらには足音一つ立てず淡々と歩いていた。
ガツン――ガツン――ガツン――。
一人の若い男が石槌らしき物を振り上げては、目前の赤い塊へと打ち下ろしている。衝撃を受けた塊は火花を弾かせ、一振りごとに少しずつ形を変えていく。炉の炎に照らされた男の頬は恍惚の色に染まり、流れる汗を拭う素振りも見せず、一心不乱に赤い塊に向かっていた。
「すまんが、もうしばらく時間をくれねえか?」
男は唐突に、そばにいるらしい何者かへ問うた。その声には焦りの気配など微塵もなく、むしろ快楽と興奮を帯びた軽い調子の言葉だった。
誰もいなかったはずの男の背後に、一つの影が現れていた。
「其レガ己ガ身デアルノカ」
人の形をした影が男に問うた。
「まあ、待て。早まんな。もう少しで良いモノができあがるからよう」
影は男の言葉を聞き入れたのか、男の様子を静かに眺めていた。
ガツン――ガツン――ガツン――。
一時ほど経ち、男はいっそう大きな音を響かせ、石槌に似た物を傍らに置いた。影に背を向けたまま、男は先程まで自分が打っていた塊を左手で軽々と持ち上げた。五尺を超す長さのそれは両刃の大刀であった。何と重さ三十七万貫もある大刀を、男は片手で炉の炎にかざし始めた。
「おめえさん、アレだろう? そこいらで騒がれとる『現し世の弁慶』という盗人だ。何でも、業物を帯いた侍や鍛冶屋を襲うらしいじゃねえか。どこで俺のことを耳にしたかは知らねえが、次はここにお鉢が回ってきた、と」
大刀の状態を注視しながらも、男は影に言葉を投げかけ続ける。
「おめえさんも、それから俺も、存外運が良いようだ。こんな山じゃあ、月が見えることもねえというのにな。つきが回ってきたってか?」
男は天を仰ぐともせず、ただ大口を開けてカカカッと笑った。
影は男の言葉に何の反応も示さず、大刀にのみ意識を向けていた。
「この場所まで来れたってえことは知ってるかもしらんがさ、これは独り言だと思って聞き流してくれや。俺ら一族は特別な方法で刀を打ってきたんだが、その中でも俺はさらに特殊でな、こんな山奥に棲んでいるのも姿を隠すためさ。まあ、その秘密も今日限りなんだ。せっかくの機会だしよ、冥土へ逝く前に教えてやってもいいぜ?」
影は何も言わない。
炎に当てる向きを調節しつつ、男は話を続ける。
「まあ、勝手にしゃべるけどな。骨さ。それも、同族の、仲間のだ。俺らの血にはな、化け物の血が混じっているんだとよ。そのせいで人間とは身体のつくりが違う。特に骨はとてつもなく硬えから、滅多なことで折れねえんだわ。俺らは仲間が死ぬと、まずそいつの骨に値をつける。一番高い値をつけたやつが骨を貰える――ここまではわかるな?」
男の話が聞こえているのか定かではないが、影は身動ぎせず黙って立ったままである。視線さえ微塵もぶれない。
「俺らの骨は金剛石より硬えらしいし、火にも強え。つまりな――」
男は空いている右手で、傍らの石槌らしき物を掴んだ。
「これは、俺らの仲間の、誰かの骨なのさ。俺らは『餌』としか呼ばねえがな。刀に喰わせる『餌』、さ」
そろそろだなと呟き、男は『餌』を炉に投げ入れた。
「両目かっぴらいてえ、しっかり見とけよ! 俺らの骨が『餌』だっていう所以をよお!」
男は笑みを浮かべながら懐より短刀を取り出し、胸に突き立てた。そして、躊躇いなくそれを引き抜く。
紅い飛沫が宙を舞う。飛沫が『餌』にかかった瞬間、『餌』は大刀に染み込んだ。
「これが俺らの一族の、刀の打ち方さ。だが俺のは違えくてよ、生きてる同族の骨を使う。同族殺しってやつだな。だから俺は追放なんかされて、ここにいるのさ」
胸の傷は深く、血は止めどなく溢れていく。鼓動を刻むたびに、血が体外へと送りだされる。だが、男にとって血も命も既に必要はなかった。男は大刀を炉から抜き、その切っ先を天に向けた。
「おめえさんも、俺も、本当に運が良かったなあ。この刀は、おめえさんにやるよ。俺の最高傑作がこんな山で眠らされるのは許されねえ。それに、風の噂によれば、俺の故郷は怪物にぶっ壊されちまったらしいしな。今の俺は、気分が良いんだ」
これで最後だ、と男は言った。
「最後に、名前をつけてやんねえとな」
柄頭を掌に乗せ、大刀を徐々に傾けていく。刃は男に向けられていた。
「俺ら鬼の骨から生まれ、鬼の骨を砕くことで完成する……」
大刀は重力に従い、地面へ加速していく。男に止める意思はない。
「こいつの名は――」
「夜叉之骨割」
男は振り返り、影に笑みで応えた。新たな刀が生まれた瞬間だった。
霧が晴れた。影もまた、男の姿をしていた。
「此レハ我ガ身ニアラズ。ナラバ次ハ彼処ダ」
地に伏した刀を拾いながら、毛の一本たりとも残らず真っ白な総髪の男は、心底不満そうにこぼした。片手でそれを掲げながら。
男は闇の中を滑るようにどこかへ進みだした。男の目的はただ一つ、ある刀を見つけること……。
「おい、知ってるか。弁慶がまた出たんだとよ」
一人の侍の声に、少女の肩が跳ね上がった。
「ああ、そうらしいな。上杉や葦名とかいう大名の土地辺りで暴れてるんだってな」
もう一人いた侍も、そう返す。
少女は二人の話に聞き入っていた。聞き耳を立てずとも侍たちが声を潜めるほどの世間話ではなく、少女と侍たちとの距離が近いために、彼らの声は一言違わず聞き取れるのである。
とある武家屋敷の一角、刀が所狭しと並ぶ十畳ほどの部屋に、侍たちと少女はいた。二人の侍はとある大名の使いであり、少女から刀を買いに来ていた。少女は若き刀鍛冶であり、この屋敷の主でもあった。
禊家三代目当主、禊羽衣。それが少女の名である。齢十六の女子にして『四大刀神』の一角を継承した羽衣への風当たりは、さほど強くはなかった。むしろ大いに喜ばれた。
父親譲りの才能は幼少の頃から既にその片鱗を見せていた。刀を愛し、刀に愛されていた羽衣は、当主としての器を十全に備えていたのである。さらに、羽衣の見目は大層麗しいのである。
腕は立つが寡黙で無愛想な父親に対し、才能がある上に愛想良く、若く可憐な少女。九割九分の客が侍――すなわち男であるために、羽衣が好まれることは必然だった。
これほどまでに名の通っている羽衣だが、しかし、未だ禊としての刀の打ち方は知らない。刀鍛冶の腕は一人前であるが、『刀神』としては駆け出し者であった。それでも羽衣が好まれているのは、父親譲りの刀鍛冶の才能が父親のそれを軽く凌駕していたからだ。羽衣に打たれた刀は『刀神』としての禊の下位互換ではあるものの、切れ味も強度も同等の能力がある。使用者が狂わぬ分、『刀神』よりも使い勝手が良いのだった。
羽衣の打つ刀には『想い』が込められている。刀への愛、そして、恨み、怨み、憾み。父親の仇を己の刀で斬るために。
ただし、羽衣の心の裏を知るのは彼女の打つ刀のみ。
「禊様も、気を付けられた方がよろしいですぞ。弁慶は業物、それも、妖刀の類いを狙うようですからな」
侍たちは草紙にいくつかの刀の名を書き付け、小判を数枚置いて主の下へと帰っていった。小判は前金であり、羽衣は侍たちの主に草紙に記された刀を届ける。彼らとはそうやって刀のやり取りをしていたのである。
だが、羽衣の頭を占めていたのは『現し世の弁慶』についてであった。十年程前に突如として現れた、父親の仇でもある謎の盗人。刀を集めている剣戟の達人――それだけが唯一、大衆に知られている盗人の姿だった。
侍たちが去ってすぐ、羽衣は普段よりもかなり早くに店じまいを始めた。羽衣の心はざわめき立っていた。そして浮き足立っていた。
「今日はもう仕舞いかい?」
芯の通った嫗の声が、部屋の空気を震わせた。羽衣の肩は再び跳ね上がった。
「えっと……、いえ、はい……。おばあさま」
「そうかい。なら、後で緋翼の座敷に来な。大切な話があるからね」
羽衣は驚きの余り祖母への返事を忘れてしまう。
緋翼とは、かつて殺された父親の名。彼の死後、祖母の初依は息子の私用の部屋を全て閉ざし、十年近い間、羽衣をそれらの部屋から遠ざけていたのである。そして、おそらくそこには、父親の生み出してきた刀たちが眠っていると羽衣は想像していた。
(おばあさまは、全てを解っていらっしゃるのですね……)
諦めの吐息を一つもらし、羽衣は店じまいを続けた。
半時後、羽衣の父親の座敷にて。羽衣は祖母の向かいに正座している。母親代わりとして厳しくしつけられてきたために、羽衣は祖母に敵わなかった。禊家の現当主であることを加えても。
「行くんだろ、越後の方へ」
「たとえおばあさまでも止めることは許しません。解っておられるのでしょう? 私が何を考えているのか、どれほどの覚悟の上でのことなのかを」
(おとうさまが殺されたあの日から、私の決意は揺るがない)
掌を固く握りしめ、次に控える祖母の言葉を待つ。
「止めたりはしないさ。羽衣の言うとおり、あたしはお前のことを理解しているつもりだよ。羽衣を育てたのは、あたしと刀だけなのだからね。だからこそ最後に、羽衣に教えておこうと思ったんだよ」
羽衣は祖母が何を言っているのか理解できてはいなかった。止める素振りを見せないどころか、刀が羽衣を育てたなどと、意味の捉えられぬ虚言じみたことをのたまうのである。
「羽衣には多くのことを教えてきた。それらはたとえあたしが死んだとしても生きていくための術であって、羽衣が一人で戦うための術でもある。こんな腐った時代、衣食住を備えるのみじゃあ生きられんのさ。長刀もその一つ。もちろん、刀の打ち方もそうさ」
(おばあさまは何をおっしゃりたいのだろう。教えたいこととは一体何なのですか?)
初依は、目前で正座する孫娘の両目を覗いていた。羽衣を値踏みするかのごとく、何かを確かめていた。
「このままじゃあ、何もできずに死ぬだろうさ。相手は刀を知っていた緋翼でさえ手に負えない、化け物みたいなやつなんだからね。今の羽衣で漸く、死んだ緋翼と同等と言ったところかね」
「戦うと決めたのです。死ぬことは恐くなどありません!」
「だから、あたしは止めないと言っているだろう。話は最後まで聴きな」
つと立ち上がった初依は、背後の桐の箪笥から、鞘に包まれた一振りの大太刀を取りだした。羽衣の目がそれを捉えた瞬間、興奮と違和感が同時に湧きだした。
(あの刀には禊の臭いともう一つ、何かが混じっている。不気味だけれど――美しい。とても不思議……)
「羽衣には判るのだろうね。だが、この刀の話は後だよ。羽衣に教えること――」
――それは、妖刀の生み出し方さ。
羽衣に教えただろうけど、人が刀を選ぶんじゃない。刀が主を選ぶのさ。ならば、刀は、何を基に主を選ぶんだい?
血、だよ。あたしたち人間の身体に流れる紅い水が、刀を惹くんだよ。澄んだ血は刀の力を引きだし、主の力さえ底上げする。反対に澱んだ血は刀を狂わし、所有者は身を滅ぼす。要するに、純粋な血があれば刀は強くなる、妖刀だって誰でも生みだせる、そういうわけさ。
そして、羽衣。お前は刀を愛する余りに、刀に愛されてしまった。だから、刀の癖や好みが判り、刀を本質的に理解できるのさ。羽衣の刀が『四大刀神』の一角を、いまだ妖刀ならずして担えているのもそのためだ。
お前の血は汚れなく、さらには刀に好かれやすい。おそらくは、いや、確実に、『四大刀神』の中で最も資質に恵まれているんだろうね。実感がない? 妖刀を生みだせるようになればすぐ明らかになるさ。
ああ、前置きはこのくらいにしておこうかね。
妖刀を生み出す方法はね、羽衣、お前の血を刀に与えればいい。想いを込めて、だよ。刀自体は何でも良い、折れていたとしても構わない。羽衣の血と、刀へ込める想い。その二つで、刀を妖しき道に迷わせてしまえば良いのさ。それだけで、妖刀の完成だ。後は名前で縛るだけ。名のない刀は暴走しやすいからね。これで話は終い。
最後に、これは餞別だよ。錆びちまって使えはしないが、緋翼の遺作さ。あたしの旦那、つまり禊の初代が、さらにその先代から受け継いだ刀を、緋翼がお前に合わせて打ち直した一振りだ。名は血錆とかいうらしいが、羽衣が好きに縛ってやりな。
店の面倒はあたしが見るから、羽衣は何も気にせず仇を討ちなよ。今日まで厳しく育ててきたんだ、これからは羽衣の好きなようにやってきな。三代での幕引きなんて、切りが良いじゃないか。帰りたければいつでも戻っておいで。帰らなくとも心配はせん。
羽衣の好きなように、生きなさい。
背中に父の遺作を腰には男の残した太刀を帯き、着物の中には現在での最高傑作である懐剣『羽衣』を備えていた。
望月の明かりが羽衣の行く道を照らしている。羽衣は自分が何処へ向かうべきかを知っていた。否、解っていた。
伝えられたわけでも噂を尋ねまわったわけでもない。いうなれば、羽衣の本能が彼女の足を、男の下へと運んでいた。羽衣はただ越後へ向かい、そこから男を探すつもりだったのだが。
羽衣は坦々と歩き続けた。自分の心に従って。
羽衣が男と邂逅する一時前、羽衣は一人の女に出会った。
薄紫の花が散りばめられた袿を纏った壺装束姿で、市女笠によりその表情は窺い知れない。女は木陰に屈み、涼んでいるようであった。歌っているのだろうか、ときおり女の唇から小さな音がこぼれていた。
目の前を羽衣が通り過ぎる間際に、女は呟いた。
「あなた、死ぬよ?」
羽衣の足が止まった。
「今のあなたじゃ、過切には勝てないよ。たぶん、触れることすらできない。力の差は歴然。完膚なきまでに潰されて、あなたの人生もそこでおしまい。それでもいいの?」
「過切……とは、どなたのことでしょう?」
「ああ、まだ、だったわね。現し世の弁慶のことよ。あなたの仇の刀の化け物」
羽衣は女に違和感を覚えた。橘の香りの奥に、血に塗れた何かのにおい。刀……ではない。異質で、まるでこの世のものではないかのような。
「どなたかは存じ上げませんが……止めても無駄です。おばあさまからは生きろと言われましたが、あいつを斬ることができるなら、こんな命はあってもなくても同じです。ここにある『羽衣』とともに、私は覚悟を決めました」
女は、ため息を吐くと立ち上がった。
「私も人のこと、とやかく言える立場じゃないし、止めはしないよ。でも、世の中覚悟だけじゃできないこともあるってことは覚えておいてね」
「……はい。ご親切に……どうも」
「じゃあ、また、逢えたらいいね」
女と別れ羽衣は再び歩きだした。これから戦う男の下へと。
残された女は、小さくなっていく背中に向けて歌を手向けた。
「何せうぞ、くすんで。一期は夢よ。ただ狂へ」
丑三つ時、とある廃寺の境内。
現し世の弁慶――過切と、羽衣が、対峙している。過切は大刀を片手で構えていた。
(あれが……刀? 斬るよりも砕く、そんな感じがする。でも、血の臭いは……濃い)
「我ガ身ハ何処ニアルノカッ」
一瞬で距離を詰めた過切は羽衣に斬りかかった、否、砕きにかかった。
ガギッ! 大刀が羽衣に触れることはなかったものの、咄嗟に抜いた過切の元得物が掠れた、ただそれだけで太刀にひびが走った。そして――、太刀を握っていた羽衣の左腕にもその衝撃が響く。羽衣の腕から鈍い音がこぼれた。
(おそらく、折れましたね……。それにしても、重すぎる。正面から受けるのは当然として、身体が触れるだけで私は死ぬでしょう。その前にこの刀が保たない……)
羽衣の左腕には感覚がない。物をつかむことは出来るが、何も感じない。男の残していった爪痕であった。だがそのおかげで痛みを気にせず思案にふけられる。今の羽衣には僥倖だった。
「貴様ハ何ヲ隠シテイル」
過切の目は、羽衣の小袖の懐辺り、『羽衣』を睨んでいた。再び羽衣に、鉄の塊が迫る。
(刀で受けてはいけない、触れてもいけない)
「きゃっ!」
大刀を避けようと足に力を入れた羽衣は、滑って転倒した。目の前の空を切る大刀。
「其ノ刀ハ我ノ身デアルノカ? ヨコセッ」
森羅万象の法則を無視し、大刀の軌道が捻じ曲がる。その刃はまるで意志を持って羽衣を狙っているかのようだった。
(格が、力の差が、これほどまでに違うなんて……。勝てない。勝てるわけがない。仇討ちどころか、返り討ちではないか。あの女の人が言ったとおりだった。覚悟ごときで太刀打ちできる能力の相手ではなかった。
ああ、私は、今度こそ死ぬのだろうか。傷一つ付けられず、あっけなく、殺される。こいつは生きて、殺し続ける。
死にたくないなあ、おとうさまの仇、討ちたかったなあ。ここまできても私は何も出来ないのか。無駄な十年だった。お勉強も稽古も刀鍛冶も、私の今までは、何もかもが無駄だった。
さようなら、私の打った刀たち……。ごめんなさい、こいつを斬りたい、ただそれだけのために生んだ『羽衣』……。せめて、あなたたちには……、刀としての生き方を教えてあげたかった……)
羽衣は目を閉じ、全てを諦め、受け入れた。
――太刀を握りしめるその手には、血が薄らかに滲んでいた。
夜叉之骨割が羽衣を喰らおうとした刹那、羽衣の握る太刀が紅く輝きだした。過切は膂力だけで大刀を静止させた。
「何ガ起キテイル?」
ユラリと羽衣は立ち上がり、紅く染まった太刀を逆手に構える。過切を見据える羽衣の瞳は澄んだ墨の色ではなく、血のように美しい紅色だった。
羽衣と過切の間を通り抜けた風が、鳴いた。それは悲鳴のようで悲哀を孕んだ声だった。
「ナ、ニ……!?」
夜叉之骨割が刀身の中央で真っ二つに切断されていた。切口以外にひびや欠けはなく、綺麗に二分されていた。
「何ヲシタ? 其ノカタナハ何ダ?」
過切は何も理解できていないようだった。太刀の切っ先が、過切に向けられる。羽衣は沈黙したまま過切に一歩近づく。
「妖シキチカラヲ持ツ刀……。マサカ、其レガ? ナラバ、イズレハ我ガ身トシテ…………」
突きだされた太刀が過切に触れる寸前、過切は闇夜に紛れ、その姿を隠して逃げた。大刀だったモノとともに。力の抜けた羽衣はその場に倒れ、そして太刀は砕け散った。羽衣の瞳と太刀に紅い痕は消えていた。
戦いの一部始終を眺めていた若者がいた。
(あの弁慶が逃げた? あの少女は何者だろう。刀が光るとは……じい様に訊かなくては。いや、まずは……)
若者は羽衣に駆け寄った。
(息は…………ある。左腕の骨に、ひび、と。あの刀、ただ重いだけではないな。おそらくは鬼――間のモノか。それとも弁慶の怪力か)
若者は横たわる羽衣の背面に腕をまわし、両腕で羽衣を抱きかかえた。
(刀は三つか。砕けた神伐の太刀に、禊の懐剣。それと……この大太刀。不気味だが、じい様なら恐らく……)
羽衣を横抱きに持ち上げたまま、若者は廃寺を後にした。
緋翼を斬り、羽衣の腕を刺し、夜叉之骨割を切断した太刀。それは、神伐により生み出された太刀。名を『和太刀』と言う。主人の心の調和を図り、主人の心の闇を喰らうことで、それを力へと置き換える。だが、今宵の和太刀が喰らったのは闇ではなく、羽衣の深過ぎる刀への愛。
和太刀は羽衣を選んだのだった。己の主として。
こんにちは、白木 一です。個人的な都合で、一年半近くエタらせてしまいました。
エタる:最近知った言葉なので使いたくなりました。更新せずに放置するという意味らしいのですが、よく知らないです。
前回は物語の思いつき方について書いていたようなので、今回はストーリーのつくり方でも書いてみましょう。
(少しネタバレ含みます。注意してください)
この『紅い雨フル白刃の下に』の場合だと、まず、刀が生まれます(起)。次に、羽衣(ヒロイン兼主人公)が登場です(承)。そして、誰かが刀に関する話をします(転)。最後に、バトルします(結)。
大雑把にこんな感じです。残り二話もこんな風に進みます。たぶん。
しかし正直に言いますと、上記みたいな綺麗な形では進みません。頭の中でキャラクターたちがアニメやら漫画のごとく動き回っているのを、私の拙い文章で表現しているだけなのです。イマジネーションです。
というわけで? 二話目、ようやく投稿できました。
もう一作エタっているのがありますが、それはこの作品が完結した後に書くことにします……。勝手な都合だ……。
次話は、すぐにとは言いませんが、恋愛小説の片手間に進めていきますので、本当に気長に、お待ちください。エタらせはしません、とはお約束します。といいながら完結まで三年……。
これからも、白木 一をよろしくお願いいたします。
『何せうぞ、くすんで。一期は夢よ。ただ狂へ』
「どうしようってのさ、まじめくさって。どうせ人生は夢さ。さあ、かまわず遊び狂え、踊り狂え」