血に濡れる袖。
一人の翁が打たれたばかりの大太刀を炉の火にかざす。七尺はあるその大太刀は妖しく揺れる焔を映し、紅く輝く。
翁は大太刀を掲げ、独り呟く。
「人の世の先は道なき闇。過去に囚われ現在にいすわることなど愚かなり。過去を捨てよ、現在にいすわることなかれ、闇に目を向けよ。主は世に変革をもたらすモノ、平らかな世に革命を起こし新たな時代を切り開くモノ。そのための代償とあらば、我が命、悦んで差しだそう」
大太刀の切っ先を胸に当て、言葉を続ける。
「人を殺さず神を伐り、血祭りの禊を捧げ、狂った涙を降らせよう」
大太刀が翁の身体に埋まっていく。
「白き神に祈りを」
大太刀の切っ先が空気に触れる。
「全ては、旧きを滅ぼすために」
翁の血が、地に垂れることはなかった。肉片一塊、血液一滴、大太刀一振り、翁のいた痕跡は何一つ残っていなかった。
これが、二度目の始まりを告げた瞬間だった。
時代は移ろい、世は室町時代の終わり頃。各地で戦国大名が群雄割拠している動乱の時代。力を持つ者達が覇を競いあう血みどろの時代。
彼らを支えるのは己の膂力と精神力、幾千幾万の兵士や馬、そして秀逸な武具であった。刀鍛冶の打つ刀一本で戦況がおおいに変化することは、全く珍しい話でなかったのである。
中でも、<巨無>の『間』、<不殺>の『神伐』、<血祭>の『禊』、<蟲綜>の『両双』と言う刀匠達の打つ刀は、その一振りが普通の刀千本を軽く凌駕する力を秘めており、各地の戦国大名はこぞってその刀を求めた。それらの刀匠は一括して『四大刀神』とも呼ばれ、それぞれ大きな特長がある。
『間』の打つ刀は至大至剛。四大刀神において唯一、妖刀を打たない刀匠である。しかし圧倒的な破壊力を誇り、金剛石の硬度に勝るとも劣らない刀を生み出したことでその名はすぐさま世に広まった。また、『間』は鬼の血を引いているという噂もある。
『神伐』の打つ刀は彫心鏤骨。肉体のみならず、精神にも損傷を与える能力を秘めた刀を生み出すことで有名となった。ただし自身の精神に悪影響を及ぼすこともあり、諸刃の剣になりかねない。
『禊』の打つ刀は残虐無道。四大刀神の中で最も異常な能力を秘めた刀を打つ。切り裂いた者の血を喰らい、その刃を自ら鍛える吸血刀はもはや伝説となっている。
『両双』の打つ刀は暗中模索。『両双』の生みだしたとされている刀の全ては独創でなく、既に存在している刀を鍛え直したものである。だがその能力は模倣とは言いがたく、必ず基の刀の二歩三歩上を行くものとなる。さらに、武具ならば刀剣のみならず、鎧や銃火器など何でも加工することが可能であると言われている。
『四大刀神』の生み出した刀は強大な力を秘めている。それでも全ての人間が力を使えるとは限らない。人が刀を選ぶのではなく、刀が主人を選ぶからである。刀に選ばれた者はその力で覇に近づくことが可能だが、刀に選ばれなかった者が力を使うと刀に秘められた力が逆流し、使用者の身体を内側から破壊するのである。今までも力に溺れた多くの人間が身を滅ぼした。
世は、戦国時代。血で血を洗う力こそが至上の時代。そんな時代の最中に生まれ、激動から泰平へと進む世を陰ながら救った少女がいた。その少女を知る者はほとんどいない。少女自身も世界を救ったという自覚はない。ただ己の感情に身を委ねた結果、世界を救うことになった。どのように世界を救ったのかを知る者はもういない。
あるいは、少女の得物だったあの刀なら全てを知っているかもしれない。刀が人と話せるかどうかはさておくとして……。
禊羽衣は、父の刀を打つ姿をいつも眺めていた。
父が鎚を振るうたびにどろどろの物体は様々な形になり、黒い塊が鏡のように姿を映す銀色の刀へと変わっていく様子は、何度見ても心を奪われた。
母は物心ついた頃には既にこの世を去っていたが、別段悲しみや寂しさを覚えたことはなかった。母の記憶が一切ないということもその理由の一つだが、刀鍛冶である父の仕事を見ているだけで楽しく、祖母に長刀の稽古をつけてもらったり、父の打った刀を買う人々を密かに観察したりと毎日の生活に不満はなかったのだ。周囲の同年代の子ども達から遊びに誘われたことも幾度かあったが、稚拙な遊びよりもそれらの方がよほど心が引かれることであり、誘いには乗らずいつも刀の近くにいた。父が刀に触れさせてくれたことは一度もなかったが、間近に見るだけで充分満足だった。
父の打つ刀はどれも美しく、冷たく、そして気高く感じた。また、何故か羽衣には、どの刀が禊の血筋の打ったものかがわかるという変わった能力を持っていた。誰が買ったかを覚えているわけではない。父が打った刀のみならず、禊家の先祖が生み出した刀には惹きつけられるのである。まれに別の家系の刀に惹きつけられることもあったが、禊の刀を他の家系のものと間違えたことは一度もない。これは後の羽衣の運命に大きく関わってくることとなる。
その話を語る前に、羽衣の最初の運命の分岐点について語るとしよう。羽衣の出生を除いた場合の“最初”であるが。
それはある雨の日のことだった……。
神鳴る雨の日の夜のことだった。その日七歳を迎えた羽衣は、珍しく祖母だけでなく父からも祝ってもらえたため、とても幸せな気分だった。いまだ興奮覚めやらない表情で布団に包まり、父との会話を思い出していた。
「羽衣、お前の歳が十を迎えたら祝いに刀を打ってやろう」
「本当ですか、おとうさま。それなら羽衣は、太刀がほしいです。羽衣よりも、大きな大きな太刀がほしいです」
「よし、分かった。羽衣のためにこの世で一番の大太刀を打とう」
「ありがとうございますっ、おとうさま!」
「ただし、それまではばあちゃんの言うことをしっかり聞き、長刀の稽古に励むのだぞ」
「はいっ!!」
(あと三年で、思い焦がれていたおとうさまの打つ刀を握ることができる!)
羽衣に誰かを切るつもりはない。ただあの美しい刃をより近くで、いつでも見て触れられるということが、羽衣にとって一番の楽しみだった。父が初めて羽衣にそのような約束をしてくれたことも、認めてもらえたようで嬉しかったのである。
しばらく寝つけそうにないと思った羽衣は、少し夜風にあたろうと母屋を抜け出した。
ふと工房の方を見ると、まだ明かりが点いていた。父が刀を打っているのだろうか、何を打っているのかを知りたいと、羽衣は工房へと向かった。
格子の隙間から覗いたが、誰もいない。ふと父ではない他の誰かの声が、打ち終えた刀を七日間安置する神床から聞こえた。
入り口に回り、工房の中へと這入る。作業場から神床の様子を覗いてみる。
神床には父と、もう一人背の高い男が言葉を交わしていた。男の背丈は七尺を超えており、背のわりに細い腰には上等な大小を帯びている。まるで死に装束のような着物を纏っただけの着流しと珍かな総髪が、男の印象を怪しく見せる。顔は陰に隠れて見えず、男の身体からは錆びた鉄の臭いがした。
話は済んだのか、父は神床を立ち去ろうとした。突如男は太刀を抜き、背後から父の胸を深々と突き刺した。
神床は一瞬のうちに黒い海と化した。羽衣には何が起こったのか理解ができなかった。しばらくすると、神床から男と同じ錆びた鉄の臭いが羽衣の鼻に届いた。
羽衣は、それが血の臭いだということを知らなかった。血という言葉は知っているが見たことも流したこともなく、その臭いは刀を買っていく人や使いものにならなくなった刀から発せられていたものと似ている、程度の認識しかなかった。羽衣が理解できたのは、背の高い男が太刀で父を刺したことだけだった。
そして羽衣の採った行動は母屋へ戻ることだった。
(今起きたことは全て夢だ。布団に入って、眠って、目が覚めればいつも通りの毎日が始まる。おとうさまは刀を打ち私はそれを眺めて、おばあさまは長刀の先生となって私は稽古を受ける。だから母屋に戻れば元通りになるんだ)
男に見つかったら刺されるから静かに帰ろうとその場を後にしようとしたが、一歩踏み出しただけで声を掛けられた。
「己ガ身ハ何処カ」
(見つかって……しまった)
いや、羽衣が工房に来ていたことは男は疾うに知っていたのだが、そんなことを羽衣は知るよしもなかった。
羽衣は男に刺されぬよう、夢を終わらせようと母屋へと駆けだした。しかし羽衣は母屋にたどり着くことができなかった。男の投げた太刀の鞘が羽衣の背中を強く打ち、転倒してしまったのだ。
「己ガ身ハ何処カ」
男はそう語りかけながら近づいてくる。父を刺した太刀を携えて。
羽衣はようやくこれが現実なのだと理解した。父はもう助からないのだと。羽衣ももうすぐ死ぬのだと。
「己ガ身ハ何処カ」
男は羽衣を見下ろしながら太刀を構える。
(おとうさまはもう死んでしまったのだろうか。今私が死んだら、おとうさまと同じ場所に行けるのだろうか。おとうさまの刀を打つ姿を、見ることができるのだろうか。私だけの大きな大きな太刀を打ってくれるだろうか)
「己ガ身ハ何処カ」
男が太刀を振り上げる。
(こいつが私のおとうさまを殺した。私もすぐに殺されてしまうのだ。そしてこいつは生き続ける。それで良いの? おとうさまも私も殺しておきながら、こいつはのうのうと生き続けるんだ。わけも分からないままに私たちは死んでいくのに……)
「己ガ身ハ何処カ」
鈍く輝く切っ先が心の臓に迫る。
(私は――、まだ死にたくない! 私が死ぬのは、おとうさまを殺したこいつの身体をずたずたにした後だ。だからまだ死んでしまうわけにはいかない)
ガツッ。
羽衣の左腕に衝撃が走る。とっさに胸を庇った左腕に一瞬間冷たさを覚え、熱さを感じたかと思えば、それもすぐに消えた。羽衣に不思議と痛みはなかった。時とともに左肩が、鉛のように重くなるのを感じるだけだった。
左腕に目を向けると、父を刺した太刀が突き刺さっていた。見た目はとても悍ましいのだが痛みは全くない。それどころか、左腕の感覚が一切ないのだ。冷たさや熱さが、皮膚に触れる風や床の様子が、昨日まで、いやこの男に遭った先程まで感じられていたこと全てを、今は知ることができない。
男は羽衣の腕に刺さった太刀を引き抜こうとした。しかし、羽衣の腕の骨と骨の間に無理矢理差し込まれた太刀を、男は引き抜くことができなかった。男は柄から手を放すと、どこかある場所を睨みながら言葉を発した。
「此レハ己ガ身デハ無イ。己ガ身ハ彼処カ。己ガ身ハ彼処カ」
男はゆっくりした足取りで工房から去ろうとしている。
「ま……、待っ……て…………」
声は掠れ、起き上がろうとしても身体に力が入らない。男は立ち止まらず振り向かず、何かを目指して進んでいる。
(眠くなってきた。意識を保つことだけでさえ辛い。私はもう死ぬのだ。おとうさまと私を殺した男は生き続けるというのに。もっと、もっと生きたかった。もっと長刀を使い熟したい、もっとおとうさまの打った刀を買う人を見ていたい、もっと刀を知りたい、もっと強くなりたい、もっともっともっと……。せめておとうさまの仇を討つまでは。
衣が湿ってきた。外の雨が這入ってきたのだろうか。刀が錆びてしまう。窓を閉めなければ。おとうさまは既に死んでいるのだから。私が刀を守らないといけないから。あぁ、鉄が錆びていく臭いがする。刀も既に手遅れだったのか。私と同じ、もうおしまい)
一瞬強い光が工房の中を照らした。羽衣の目にははっきりと、自身の身体から生じた紅い海が映った。一陣の雷鳴の後、光の失われた工房に幼い笑い声が響く。
(これが血というものなのか。この色が、臭いが、冷たさが、血というものなのか。あの男の臭いも、おとうさまの打った刀を買うあいつらの纏う臭いも、使いものにならない刀の臭いも、全て血の臭いだったのか。皆、血で汚れている。人は血で汚れている。ヒトノチハヨゴレテイル)
そして、羽衣は気絶した。
再び工房が光に満たされる。
羽衣の身体を浮かべていた紅い海は一滴残らず干上がり、傷は塞がり、左腕に刺さっていた太刀は打たれたばかりの様相で羽衣の右手に収まっていた。まるで刀の所有者が羽衣であったかのように。
こんにちは、白木 一です。
新連載です。
血と刀が舞うお話となっております。一応四話で完結しますが、このお話は後の長編作品に関係していく物語となっておりますのでそういう部分も想像しながらお楽しみください。あくまでも予定ですが。
ところで、私、物語を思いつく時が大きく分けて三つあります。
一つ目に、不意に生まれた物語のイメージを広げて作り出すこと。
二つ目に、主要登場人物の性格を設定し、それに沿って物語を作り出すこと。
三つ目に、結末を設定し、それに沿って物語を作り出すこと。
今回の物語はその三つ目に当てはまります。
私の頭の内にある結末に向かって物語は進んでいくのです。
完結まで残り三話です。
短い作品ですが、完結させるまでに約三年かかりました。読んでいただけれぱわかりますが全然大作ではございません。サボっていただけです。それでも興味を持っていただけましたら最後までお付き合いください……。