愛の形
その男性は、いつも月始めの夕方頃に一輪の薔薇を買いに来る。
見た目は30代前半くらいだと思うけど、いつも綺麗にアイロンがけされたスーツを着ていて、とても清潔感のある人だった。
「すみません、薔薇を一輪、お願いします」
「はい、薔薇を一輪ですね? すぐにご用意しますので、お待ちください」
別に花屋にだって常連のお客様はいるけども、毎月同じ日に、同じ花だけを買いに来る30代の男性を気にならないという方が難しい。
なんなら、その人が来られるのが私の日付感覚を確認する目安になったし、そろそろ来るかな? とか期待して待っている気持ちさえあった。
「すみません。薔薇を一輪、お願いします」
「あっ、はい! すぐにご用意いたしますので、お待ちください」
もう何回目のやりとりだろう……
だから今日は思い切って、私から話しかけてしまった。
「あの……よろしければ、カスミソウなんてどうですか? 薔薇がよく映えますし、見た目も可愛くて私も好きなんですよ!」
「…………」
私の話に、彼は黙り込んでしまって、私はやってしまったと、勝手に舞い上がらせた気持ちを急いで鎮めて言葉を続けた。
「も、申し訳ありません! 余計なお世話でしたよね?」
「あぁ、いや、こちらこそすみません……ただ、薔薇は"妻"が好きだった花なので、あまり他の花を供えたくないなと……」
「……妻、ですか……?」
私は彼の口から出た、思いもよらない言葉に、ただ復唱して聞き返すことしかできなかった。
誰か特定のお相手がいる可能性は考えてはいたけど、結婚しているとは思ってもいなかった。
花を渡す時に、彼の手に視線を向けて何度も確認したが、彼の左手の薬指には指輪がされていなかった。
でも"供える"という言葉に、私は色々と察してしまった。
「あの、失礼かもしれませんが……奥さまは、いつ……」
「もう二年くらい前ですね、結婚する前に先立たれまして……それから毎月欠かさず、彼女に花を供えてるんですよ」
「そうなんですね……」
彼の奥さんへの愛の深さに、私はショックよりも素敵だなと思ってしまった。
私もこんな風に誰かに愛されたい、そんな衝動にも似た感情に引っ張られて、話を返すことを忘れていた。
「すみません。こんないつまでも引きずってて女々しいですよね?」
「そ、そんなことありません! とても素敵だと思います! 私もそんな風に愛されたら幸せだろうなって思います!」
私は何を言っているのだろう、そんなことを言ってしまっては、私に好意があると伝わってしまう。
でも、私の後悔とは裏腹に、彼が私に向けた視線は良い意味で期待を裏切ってくれた。
それは熱い視線、まるで右も左もわからない、暗黒の海に溺れ、絶望の中に差し込んだ光を見た時のような眼差し。
期待してはいけない、でもその視線からは、彼からある感情が向けられたと、本能的に理解してしまった。
「あの、急な話ですが……今度、お食事でもいかがですか?」
「……えっ?」
「あぁ、いや、すみません! ご迷惑でしたよね!? 忘れてください!」
「い、いやです! 忘れたくありません!」
その瞬間——私はまた言ってしまったと、今度は後悔ではなく、幸福が湧き上がっていた。
「そ、その、明日なら……いつもより早く仕事が終わるので……」
「あ、では、明日……?」
「……はい」
ああ、今日はなんて素敵な日なのだろう! そして、明日はどんな素敵な夜になるのだろう?
一輪の薔薇を受け取り、店を後にする彼を見送りながら、私は早く明日が来いと、でも明日は永遠に終わらないでと、年甲斐もなく気持ちを昂らせていた。
彼の中から、奥さんのことはいなくならないだろう。
でも、それでも私を愛してくれるなら、私もそんな彼を受け入れていこう。
だって愛の形は、人それぞれなのだから……
◇ ◇ ◇ 一ヶ月後 ◇ ◇ ◇
「すみません……」
「ああ、いらっしゃい! すまないね、急にバイトの子が辞めちゃったから忙しくて、少しだけ待っててくれるかな?」
「えぇ、大丈夫ですよ!」
「ありがとうね、いつもの薔薇一輪でいいかな?」
「いえ、それと……カスミソウを一輪ください」
「カスミソウかい? 珍しいね、何か心境の変化でもあったのかい?」
「えぇ……妻の隣に供える場所を作ったんですよ……」
——愛の形 完——




