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あの時、婚約破棄されたモブ令嬢です。ざまぁのために戻ってきました♡

掲載日:2026/09/11

「婚約を破棄するっ!」

「えっ⁉ なんで⁉」


 モブである自覚はあった。わたしはエリーズ。コルネオ子爵家の娘だ。茶色の髪と瞳を持つわたしの見た目は凡庸で、とりたてて優れたところがあるわけでもない。だが婚約は家同士の約束事。そう簡単に解消や破棄が出来るとは、わたしは思ってもみなかった。だというのに華やかな舞踏会が行われている王城大広間の片隅で、わたしは婚約者であるヨナスから冷酷な宣言を受けた。


「理由なんて、いくらでもあるだろ?」

「思いつきすぎて辛い。でも貴方だって、大概よ?」


 わたしが驚いたのも無理はない。わたしがモブであるように、ヨナスもまたモブであったからだ。男爵家の令息であるヨナスは、わたしと同じ茶色の髪と瞳を持っている。華やかな見た目をしているわけでもないし、特別に優秀というわけでもない。ヨナスはダルセー男爵家の跡取りではあるものの、ごくごく普通の、どちらかといえば貧乏寄りの男爵家なのである。少し格上の子爵令嬢を嫁にもらって箔をつけようという程度の家柄なのだ。

 モブはモブ同士、大人しく結婚して王家の顔色を窺いながら慎ましやかに暮らしていくのがふさわしい。だってモブだもの。モブってそういうものでしょう? 違うとしても異論は認めない。

 だというのに、ヨナスはわたしに婚約破棄を告げたのだ。それにしても婚約破棄ですって? それだとわたしに何かあったみたいじゃない。

 ヨナスが目を吊り上げ、わたしを指さして騒ぐ。


「お前は聖女であるヘレナさまに意地悪をしただろう!」

「はぁ⁉」

 

 わたしは混乱のまま、ヨナスに間抜けな返事をした。全く身に覚えがない。そこに平民出身の聖女であるヘレナがやってきて、ヨナスに細い腕とたわわな胸を擦り付けながら、甘い声でささやく。


「ああ、ヨナスさま。エリーズさまを責めないでくださいませ。わたくしたち平民と違って、エリーズさまは生まれついての貴族。そのご令嬢が平民を下見にて馬鹿にしてあざけり、軽んじるなど当たり前のことですもの。いちいち覚えてなどいらっしゃらないわ」

「はぁ⁉」


 まったくもって身に覚えがない。わたしは間抜けな声を出し、貴族令嬢らしからぬ間抜け面をさらした。


「どうした? 何か問題かい?」

 

 そこにタイミングよくキラキラの金髪と澄んだ青い瞳と絵に描いた王子さまのような見た目を持つアルフォンス王子が現れた。アルフォンス王子は第二王子だ。王位を継承する兄を支える調整役を求められているせいか、派手な見た目のわりに地味な性格をしていることを、わたしは知っている。なぜならアルフォンス王子は、わたしが王立学園へ入学したときの生徒会長だったからだ。

 見知った顔ではあるが、第二王子は子爵家の娘や、男爵家の息子がわずらわせていい相手ではない。ましてや聖女とはいえ平民が気安く近付いていい相手ではない。


「アルフォンスさまぁ~。わたくしが平民だからと意地悪をするエリーズさまを、ヨナスさまがいさめてくださっていたのですぅ~」

「あ、気安く触らないでくれたまえ。聖女とはいえ王族にベタベタしてはいけない」


 アルフォンス王子は、しなだれかかってくるヘレナを退けた。ヘレナが「あんっ」とかなんとか変な声を上げているが、いい気味だ。わたしは心のなかでほくそ笑んだ。

 ヨナスがわたしを指さして騒ぎ立てる。

 

「ほらほら、見ましたか? エリーズの、あの意地悪そうな表情。うぅ~、ぞっとする。エリーズは底意地が悪いんですよ、アルフォンスさま。聖女だからと平民から貴族社会へ放り込まれて戸惑っているヘレナに、気を使うこともできない。だから僕はエリーズに婚約破棄を伝えたのです」

「ほう。婚約破棄?」


 アルフォンス王子がヨナスに向かって目をスッと細くしてみせた。これはヨナスがこっぴどい目に遭うパターンが来る。そう思ったわたしは、自然と浮かぶ笑みを噛み殺そうと唇と頬っぺたあたりをぷるぷると震わせた。

 顔を真っ赤にしたヨナスが、わたしを指さして再び怒鳴った。

 

「ほらっ、この通り。エリーズは根性悪の悪役令嬢なのですっ。見てください、この悪い表情。これだけでも婚約破棄する理由になりますっ!」

「いや、無理があるな?」


 そうでしょう、そうでしょう、アルフォンス王子。言ってやってください、言ってやってください。わたしは心のなかでアルフォンス王子へ声援を送った。言葉に詰まったヨナスへヘレナがしなだれかかる。そして顔をヨナスの肩口あたりへ伏せながら、哀れっぽい表情を浮かべて、アルフォンス王子をチラリチラリと上目遣いで見ながら口を開いた。


「ヨナスさまはお優しいから平民出身のわたくしに、気を使ってくださっていますの。ですが、その婚約者様であるエリーズさまには、それが伝わらず……。エリーズさまが、わたくしに意地悪をするのです。嫉妬で」

「はぁ⁉ わたしがあなたに嫉妬⁉」


 言うに事欠いて、とんでもないことを言いだしやがりましたよ、この女。わたしが嫉妬? ヨナスがヘレナと仲良くしていたところで、嫉妬なんてしませんよ。婚約者といっても、政略ですから。ヨナスが誰かと仲良くしてたって、どうだって……。アルフォンス王子がわたしに憐みの視線を向けた。違いますっ、違いますからねっ。ヨナスなんてどうでも……。

 開いた口が塞がらない間抜け面を見て何を思ったのか、ヘレナは得意げな一瞥をわたしに向けると、アルフォンス王子の方を向いて訴える。

 

「エリーズさまは、わたくしがドレスに慣れていないのを分かっていながら、わたくしのドレスの裾をかすめるように横切ったりするのです。ご存じの通り、わたくしは平民です。当然ですが、ドレスなど着慣れてはいません。ですから、必要以上に近付かれたりしたら、避けようとしてバランスを崩してしまいます。足元だってこんな華奢な靴、履きなれてはいないのです。だからよろけてしまっても仕方ないことだと思います。それなのにエリーズさまは、わざとわたくしに近寄ってきて……一度など、それを階段の側でやられて……わたくし、階段から転がり落ちてしまったのです」

「あ。それはないな?」


 苦し気に眉毛を歪めて訴えるヘレナを見て、アルフォンス王子は振り返るとわたしを睨んだ。しまった、思い当たる節がある。それは事実です。やっちまいましたー。でもでも、近付いただけよ? 当たってもいないのよ? それでもわたしが悪いの?

 ヨナスは我が意を得たりとばかり自信満々にわたしを指さして宣言する。

 

「だからエリーズ。お前との婚約は破棄させてもらうっ。そちらの有責だから、持参金は返さないっ」

「そんなー」


 わたしは結婚に備えて既にダルセー男爵家で暮らしている。持参金はかなりの額にのぼり、ダルセー男爵家の財政を潤しているのだ。返さないというか、返せないだな? 分かっているんだ、そんなこと。なんて悪いヤツだ! アルフォンス王子、なんか言ってやってくださいっ。


「それは仕方ないな。では、そのように処理をしなさい。届け出をキチンと済ませることは大切だ」

 

 アルフォンス王子はキッパリとそう言うと、踵を返して舞踏会会場の中央へ行ってしまった。嗚呼、ここにわたしの味方はいないのか?


「話はついた。ではヘレナ。踊っていただけますか」

「喜んで」


 ヨナスはヘレナに向かって綺麗な礼をすると、自分の腕をスッと差し出した。ヘレナはその腕に、レースの手袋に包まれた細くて白い指をそっと置く。そしてふたりは、わたしを振り返ることなくダンスフロアへと向かっていった。


 ちょっとー。わたしはココにいるのよ? これってどういうこと?


 こうしてわたしはひとり、王城大広間の片隅へと取り残されたのだった。


◇◇◇


「なんでっ! 実家にっ! 戻れないのよっ!」


 わたしはブツブツと文句を言いながら険しい山道を登る。足元に岩やら木の葉やらの気配を感じながら踏みしめる土地に、道らしい道はない。だが登っていかないと本当に何もない。だから登るしかないのだ。ドレスは山歩きには適さない。だから木の枝に引っ掛かったり、草を引っ掛けたりして既にボロボロだ。足元はブーツを履いているからまだ救いはあるものの、ドレスのスカートのなかにある足は擦り傷だらけで無事ではない。

 

 ヨナスに婚約破棄されたわたしは、当然のようにダルセー男爵家の屋敷から追い出された。昨夜の騒ぎで疲れ果てて寝ていたわたしは、朝早くに叩き起こされた。そして婚約解消の手続きが終わったから屋敷からでていけ、と宣言されたのだ。使用人に。そこはせめてヨナスか、ヨナスの両親が告げるべき話だと思う。だが実際には、執事やメイド長ではなく、下っ端メイドのキンキン声に告げられたのだ。屈辱である。


「どこまでもわたしを馬鹿にしたいのね、ヨナス。あぁ、違うわ。ダルセー男爵家総出で馬鹿にしてきたと言っていい。なんて家なのかしら、ダルセー男爵家! あれだけわたしの実家によくしてもらっておきながら……なんて恩知らずなっ」


 わたしはダルセー男爵家への復讐を心に誓った。喧嘩を売ったのは向こうで、こちらの恨みを買ったのだ。買いたくもない恨みを買ってやったのだから、相応の罰を受けるべきである。問題はわたしが、今のところ何の手段も持たないということである。


「せめて婚約解消で持参金を返してもらえていたらよかったのに……文字通り、無一文で追い出すなんてっ。しかも本当に身の回りの物しか渡さないなんて……あっちの家へ入るときに鏡台とか、ベッドとか、家具はもちろん、他にも色々と買って持って行ったのにっ。そもそも宝石とか、ドレスとか、お金になる物だって沢山あったのよっ。それのにっ! 私物まで取り上げるなんて、なんて極悪っ!」


 ダルセー男爵家が意地汚いのは知っていた。なんといっても貧乏なのだ。一度手にした財は、小金であっても手放すはずがない。それがダルセー男爵家だ。わたしはそれを承知で嫁入りを決めた。喉から手が出るくらい金を欲しがっている貧乏な家なら、財力のある実家を持つわたしを丁重に扱うはずだと思ったからだ。


「甘かった……あの家の意地汚さを甘くみてた……」


 わたしは悔しさに唇を噛む。ヨナスという味方を無くしたダルセー男爵家でのわたしはヨワヨワだった。ゴミ扱いといってもいい。粗大ゴミならまだよかった。わたしは糸クズのようにポイ捨てされてしまったのだ。転落の扱いすら、あまりに軽い。わたしのはらわたは煮えくり返っている。怒りの理由は他にもあった。


「しかも実家っ! 何だアレはっ。血縁とは思えないこの扱いっ」

 

 小さなトランクひとつ持たされてコルネオ子爵家へと戻ったわたしを、実家であるコルネオ子爵家が温かく迎える……なんてことはなかった。わたしは拒絶されたのだ。というか相手にしてもらえなかった。両親はもちろん、肉親は誰一人としてわたしの顔を見にすら来ることはなかった。わたしは屋敷へ入ることすら許されなかったのだ。


「酷いっ! あの屋敷にはまだ、わたしの部屋だってあるはずなのにっ。わたしのっ、わたしの部屋っ」


 子どものころから使っていた部屋には、まだ私物が残っていたはずだ。結婚式のときには、いったん屋敷に戻って身支度をととのえて神殿で式を挙げる。そのあとで正式にヨナスの妻となり、ダルセー男爵家の女主人となるべく嫁ぐことになっていた。わたしの未来は、地味ではあるが安泰だったはずだ。欲張らず、ほどよいところで妥協する。とても賢い生き方を選んでいたはずだ。だというのに。

 

「自分の部屋にも入れないまま追い出されるって、どういうことっ⁉」


 わたしの部屋には、まだ高価な品物も置いてあったはずだ。宝石やドレス。ヘアアクセサリーに小さくて高価なバッグ。侍女に持たせるための豪華で重たいカバン。自分で刺しゅうを施したハンカチに価値はなくとも、刺しゅうを入れるまえのレースのハンカチ1枚だって平民にとっては高価な品物だ。持ち出すことが出来れば、多少の現金を手に入れることができただろう。


「ココが我が家の領地だからって、無一文で放り出されたら生きていけないじゃないっ!」

 

 わたしは気持ちのまま叫んだ。叫ぶくらいはできる。そのくらいの元気はある。ただし今であればという期間限定付きだ。今のわたしはパン1枚もってはいない。


「これからどうやって生きていけばいいの⁉」


 実家では屋敷にも入れてもらえなかったし、お金ももらえなかった。


「わたしが馬鹿だった。馬車に乗せられた時には、どこか別の屋敷へ送ってくれるのだとおもったのにっ」


 甘かった。甘々だった。馬車から雑におろされた先には、山しかなかった。


「『旦那さまから『あとは自活せよ』との伝言です』……じゃねぇーんだよっ! 御者っ! わたしはっ、こんなところに捨ててっていい相手じゃないっ! だって、そうだろう⁉ わたしは子爵家とはいえ、貴族の令嬢だぞ? いきなり山に放り出されて生きているわけがないだろうがっっっ!!!」


 わたしは空に向かって叫んだ。山々にわたしの声がこだましていく。虫の音も、鳥のさえずりも聞こえない。わたしはひとりだ。

 御者から渡された手紙には、領地の山をくれてやるから好きにしろ、と書かれていた。好きに使っていい、好きにしていい、と言われたところで何をどうすれば生きていけるのか、わたしには分からない。


「コルネオ子爵家の持つ領地のひとつ、といっても、こんな山。何の価値もないじゃないっ!」


 だから気前よくわたしにくれたのだろう。だが何もできない貴族令嬢がこんなところで生きていけるわけがないのだ。


「わたしが死んだら、この領地はコルネオ子爵家へと戻るのだもの。どうにかなると思ってわたしにくれたわけじゃない」


 もともと政略結婚する予定だったわたしには、とりたてて特技はない。頭だってたいしてよくないし、運動神経もナシ寄りの普通だ。だってモブだもの。モブ令嬢だもの。優秀な商才もないし、金持ち家庭で育ったから家事もできない。ファッションデザインをしたり、絵を描いたりする才能もないのだ。なーんもない。モブだから。


「モブが何もない山を貰ったって、生きていけないっ」


 死ぬのを待たれているのか。なんて実家だ。


「ここは姥捨て山かっ! わたしはピッチピチの18歳だというのにっ!」


 わたしの叫びに合わせて腹がグウゥゥゥゥと空腹を訴えて鳴く。


「ああ、お腹空いた……今日はバタバタして、朝食もまともに食べてないから……」


 外聞なんて気にしないで、あの時だされたパンをトランクに詰めてくればよかった。トランクのなかには山の中にあっては無駄なものばかりが詰まっている。小さなトランクに入っているのはブラシやタオルに着替えの下着とごくごく一般的なものだ。食べ物も入っていなければ、金目の物も入ってはいない。山に分け入る盾の代わりに使っていたトランクは傷だらけで、このトランクそのものも売り物にはならないだろう。そもそも山を登ってきたから、売る先も見つけられるわけがない。

 暑くも、寒くもない季節の森だ。探せば食べられるものくらいはあるだろう。しかし————。


「わたし、森で食べ物を探すとかできない。そもそも火も起こせないし……水もどうしたら……」


 モブゆえに特技もなく、実家から追い出されては生きていく術がない。日が落ちてくれば、あたりは真っ暗になってしまうだろう。今は寒くもないし暑くもないけれど、夜になったらどうなるか分からない。

 わたしは空を見上げた。まだ充分に明るいが、日はいずれ落ちてあたりは闇に包まれる。


「どうすれば……あぁ今夜寝るところだって、自分で探さなきゃならない。こんなところに宿屋はないし、宿屋があったところでお金がないから泊まれない。わたしには山で暮らす知識も、それを支える技術もないし……詰んだ。これは詰んだ……」


 トイレだって、どうしたらいいのかわからない。膀胱が丈夫でよかった。その辺で済ませればいいのだろうが、わたしには何の知識もないから蚊一匹すらもしりぞけることができない。山に入ってから頬も、首筋も、手や足も蚊に刺され放題である。刺された跡が痒いからって犯人が蚊とは限らないが、虫に刺されたのは確かだ。ここは山だ。虫は各種取りそろっている。虫はもちろん、野生動物だって出るだろう。なかには肉食獣だっているはずだ。


「襲われたらどうしたら……」


 わたしはブルブルッと震えた。女性だから殿方に襲われたらどうしよう、くらいの警戒心はあるものの、基本的にはお嬢さま育ち。牙の生えた獰猛な野獣に襲われでもしたら身を守る術はない。モブだから武器など使えないし、モブだから格闘も出来ない。モブだから……。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! わたし……こんなところで死んでしまうの⁉」


 それはいくらなんでも酷すぎはしないだろうか。わたしは善良なモブなのに。悔しさと、情けなさと、悲しみと、恐ろしさと。そのほか様々な感情がわたしのなかに巻き起こり満ちる。視界がゆがんだと思った瞬間、わたしの頬を涙がツッーと一筋、落ちていった。


 悲劇のヒロインかっ。わたしはモブなのに……。


 そう思えば思うほど情けなく悲しくなるのはなぜだろうか。少しひらけた草むらに出たからといって立ち止まったのがいけなかったのかもしれない。わたしは自分の置かれた立場にゾッとした。モブとはいえ貴族令嬢として生きてきたため、森の匂いはわたしにとっては嗅ぎなれない匂いだ。濃い緑の匂いには、新しい命の芽吹きと朽ちていく命の匂いの両方が混ざり合っていた。

 わたしは新しく人生を始めていくのか、それともここで朽ちていくのか。どちらへ転がるにせよ、今までにはない苦痛が待っているだろう。わたしはそれが恐ろしかった。背筋が冷たくなってブルッと震える。わたしは両腕を自分を抱きしめるように体に巻き付けた。

 

 と、そこに幼女の笑い声が響いた。

 

「ぷーくすくす」

「え⁉」


 驚いて笑い声のした方へ顔を向けるとそこには、5歳くらいの幼い女の子が、白い木綿のワンピースを着て立っていた。細い手足が露出している。平民の娘のようにも見えるが、木々の茂る薄暗い森にワンピースの白が妙に浮いて見える。幼女はわたしの視線を感じても悪びれる様子もなく、可愛らしい顔をニヤニヤさせてこちらを見て嗤っていた。

 

「くすくす。お姉さん、泣いてるの? ざぉこ~。ざぁこ~。ピッチピチの18歳なのに、まるで死にかけのババァみたい。ぷーくすくす」


 幼女は黒い瞳のはまった目を愉快そうに歪め、闇のように黒くて長い髪を揺らしながら嗤った。

 

 なにこの子? わたしのことを嗤うなんて酷い! 幼女だからって許せないっ!


 最初にわたしの心に巻き起こったのは、強烈な怒りだ。次に湧き上がったのは、不思議なことに恐怖だった。


 なんで幼女が、こんな山のなかにひとりでいるの?


 他には人間どころか動物の気配もない山のなかに、幼女はどこから来たのだろうか? ふもとの里から来たにしても、子どもがちょっと遊びに来るような場所でもなさそうだ。そもそも里から登ってきたのなら、真っ白なワンピースが白さを保てたはずがない。生地にも引っ掛けて傷めたような跡はない。真っ白なワンピースを綺麗な状態のまま保って、山をここまで登ってこられるだろうか? そもそも相手は幼女だ。幼い女の子の足で、ここまで登るとしたら、何時間かかる? わたしは情けない人間だとしても大人だ。大人の足と子どもの足ではスピードが違う。それに大人のわたしですらドレスがボロボロなのに、幼女のワンピースがピカピカって状況的におかしい。この子は何者なのだろうか? そもそも人間かどうかも怪しい。幼女に化けた化け物? 王都から出ることなく育ったわたしには分からないが、世の中には化け物や怪物、あやかしの類がいるらしい。たぬきが化ける話なら聞いたこともあるし、動物が変身した姿かもしれない。動物が化けるとして幼女に化けて何のメリットがあるのか分からないが、今の自分が置かれた立場を考えたら、わたしが思っているよりも世の中はなんだって起きるのだろう。知らないことは不気味である。

 わたしはトランクを両手で胸に抱えて、身を固くして幼女を見つめた。

 幼女は面白そうにコチラを眺めながら嗤う。


 「ざぁこざぁこ。お姉さん、ピッチピチの18歳なのに死にかけのババァみたいなことを言って、ざぁこだねぇ~。ぷーくすくす。なーんもできないのに、こんなところへナニをしに来たの?」


 幼女が首をかしげて聞く。小さな顔は整っていて、あざとい表情を浮かべていた。見た目が整っている小さな生き物から煽られるほど気に障るものはない。わたしは急に腹が立ってきて、気付いた時には叫んでいた。


「わたしだって来たくて来たわけじゃないっ!」

「ほう」

「婚約を解消され、実家にも迎えてもらえなかったのよっ。わたしは、とっても、とってもかわいそうな貴族女性なのよっ」


 自分で言っていて情けなくなってきたわたしは、またひとすじ涙を流した。緊張と不安と疲れで、わたしはおかしくなってしまっているのかもしれない。だが幼女は同情するどころかクスクスとあざけるように笑っている。


 腹立つ! ここは一矢報いてへこませてやるっ! へこまさないと気が済まないっ!


 わたしはトランクを右手に持ち、肩を怒らせてズンズンズンと幼女に近付く。そして彼女の前で立ち止まってトランクからを足元に置き、中から御者に渡された手紙を出す。再びトランクを閉じて足元に置くと、手紙を開いて幼女の前に突き出した。


「見てちょうだいっ。この山はわたしの領地なの! ここはっ! わたしの土地っ! わたしの物だから、わたしがいたって何の不思議もないのっ! それでっ! あなたはっ、どこのお子さんなのかしら⁉ わたしはっ、税の徴収をしたいのだけれどっ」


 住人がいるならお金の問題は解決だ。なんといってもココはわたしの土地なのだ。税金を取れば現金は手に入る。食べ物だって分けてもらえばいい。なんなら税金の代わりに食料をもらったっていい。わたしはココで生きていかなきゃならない。

 とはいえ子ども相手に、むきになって大声をあげている自分は情けない。そうは思うけれど、自分を止めることもできない。叫ぶような声は、自分でも耳障りで嫌な声だ。ボロボロのドレスを着て、怒っているように幼女に迫っている自分が惨めで嫌だ。でも止められない。

 わたしは、ざぁこ、と幼女から罵られるのを覚悟した。が、幼女の反応は少し違った。


「あー……それは……」


 幼女は、グッと顔を近付けて覗き込むわたしの視線を避けるかのように少しずつ顔を背けていく。言いよどむさまを眺めていると、してやったりというよい気分がわたしのなかに広がっていく。いい気味だ。調子に乗ったわたしは、更に幼女を追い詰めた。


「ねぇ、あなた。こんなところにいるということは、ご両親も近くにいるんでしょ? どこに住んでいるの? わたしは、あなたのご両親にご挨拶したいのだけれど、連れて行ってもらえるかしら?」


 幼女は頬をポリポリと掻きながら、きまり悪そうに言う。


「あー……それは、ちょっと……無理かも。あーしの両親はとっくに亡くなっているので」

「えっ⁉」


 これは気まずい。

 わたしが後悔しながら声を上げると、幼女は更に驚きの事実を告げた。


「あーしは、山にこもって100有余年。こんな見た目をしているけれど、100年を軽く超えた成熟した大人の女性なのだ」

「はぁ⁉」


 わたしは幼女をジロジロみた。見た目は完全に幼女だ。髪は真っ黒で白髪なんてない。背の低い大人の女性というわけではなさそうである。黒い瞳のはまった目はデカく、全体的に整っていて、さらにはネコのようなキュートさがある。なんかむかつくな、この幼女。


「見たところ、お姉さんは迷子というわけではなさそう。ということは、家を追い出された?」

「事実だけど他人から指摘されると胸にグッサリ刺さる~」


 わたしが胸を両手でおさえて仰け反ると、幼女が気まずそうな表情を浮かべた。


「あーしは、この山に勝手に住み着いて長いし……ねぇ、お姉さん。なんなら税金を納める代わりに、あーしがお姉さんの面倒みようか?」


 5歳児のざれごとを真に受けるほど子どもじゃないし、と思う間もなく、わたしはコクコクとうなずいていた。

 

 だって仕方ないじゃない。幼女と話をしている間に空は赤くなっていき、木々が茂っているあたりは真っ暗だ。心細さが半端ない。今夜の宿を得られるなら、相手が嘘つき幼女でも一向にかまいませんよわたしはっ! という気持ちになってもしょうがない。


「じゃ、決まりだね。あーし、お金はないけど家と食べ物は確保してあるから。お姉さん、トランク持って。うん。それでいい。それじゃひとっ飛びに行くよ!」

「へ⁉」


 ひとっ飛びとは? と聞く間もなく、わたしは幼女に抱えられていた。


「ふわっ⁉」


 そして文字通り、ひとっ飛び。わたしを抱えた幼女がピョンと飛び上がると、木々の茂る山肌が眼下に広がり、次の瞬間には小さな家の前にいた。


 何事? 何が起きたの?


 わたしは事情が全く呑み込めないまま、幼女の腕のなかでポカンと口を開けて小さな家を見上げていた。


 わたしは幼女師匠のお宅でお世話になることが決まった。


「あーしはひとり暮らしだから、テキトーにくつろいで」

「はぁ……」


 わたしはコンパクトな幼女師匠の家へと入った。可愛らしく小ぶりな外観と同じく、室内も小ぶりだ。ごちゃごちゃしているのに、どこか可愛らしい室内。これが幼女の力? わたしはキョロキョロと周囲を見回しながら、勧められるままソファーへと腰を下ろした。家のなかは特に部屋で区切られている様子はなく、ちょっと間仕切りがあるくらいのワンルームのような作りになっている。キッチンも、寝室も、作業部屋も、玄関入れば見渡せるような感じだ。


「こんな森のなかで、お客さんも来ないから散らかってる。えーと、エリーズ、だっけ? エリーズは、お腹空いてる?」


 わたしはコクコクとうなずいた。


「シチューとパンがあるから、これ食べよう。果物とかも、なんかあったはず。ジャムとかもあるよ」


 幼女師匠の言葉に、わたしのお腹は遠慮なくグゥ~と鳴った。


「はは。そこで返事するんだ? すぐ準備するからちょっと待ってて」


 幼女師匠が料理をする姿を眺めていたわたしは、ふと窓の外へと視線を向けた。空は赤く染まり、辺りは闇に沈みかけている。あのまま外にいたらどうなっていただろうか? わたしはブルリと震えた。

 ほどなくいい匂いが漂ってきた。


「口に合うかどうか分からないけど、食べよー。どうぞー」

「ありがとう」


 わたしはキッチンテーブルの前にある木の椅子へと移動した。幼女の小さなおててでテーブルの上に並べられた料理は素朴で美味しそうだ。木の器に盛られたシチューは湯気が立っている。


「いただきます」


 わたしは木で出来たスプーンを持ち、シチューをすくうと口元に運んだ。


「あ、美味しい」

「美味しい? へへっ。それはよかった」


 幼女師匠はニコニコと表情をほころばせながら、自分もシチューを口に運び、うんうんと何度もうなずいている。


「こんな山の中で、こんな美味しいシチューが食べられるとは思わなかった」

「ふふ。明日になった秘密をおしえてあげる」


 わたしはその晩、幼女師匠の作ったご飯を食べて、ソファを借りて就寝した。


 翌日。その日は朝から忙しかった。


「ココで暮らしていけるように、あーしが色々と教えてあげる。でもその前に魔法契約を結んでもらうよ」

「魔法契約?」

「色々と教える代わりに税金免除を確約してもらうっ!」


 胸を張って主張する幼女はかわいい。わたしは思わず洩れそうになる笑いをこらえながら、魔法契約を結んだ。


「コレでヨシ。税金免除してもらったから、あーしが知ってることは全部教えてあげるね」


 幼女師匠は文字通り全部教えてくれた。家は森のなかに建っているが、周囲は広く開けていて、そこでは様々な作物が育てられていた。


「ここで野菜や果物なんかを育てているけど、森のなかでキノコとか採取してきたりもするよ。もちろん獣も狩るから肉も手に入るし、川も近くにあるから魚も釣れる」

「え? でも作業量が多すぎません?」


 わたしが驚くと、幼女師匠はにやりと笑った。


「あーしは魔法も使えるし、修行してるから身体能力も高い」


 目の前で実演してくれた動きをなんと表現すればいいのか分からないが、とにかく動きが早かった。一部は魔法だろう。土を耕していたかと思うと、次の場所に行ったときには元の場所に植物の芽が生えていたりする。森に入っていくと罠があり、そこにはデカいイノシシがかかっていた。まだ元気に動いている。逃げようとするイノシシを、幼女師匠は一発殴って仕留めた。


「体を鍛えると魔力も強くなるし、肉体も強化されるよ」


 幼女師匠は血まみれになってイノシシを解体しながら、今後の修行について語った。


「あー……それって、しないとダメ?」

「ダメ。魔法契約したっしょ?」


 アレってそういう契約だったんだ。後悔しても遅かった。そこからわたしの厳しい修行は始まった。暴力。暴力はすべてを解決する。わたしは修行にあけくれた。その間にも季節は巡っていく。夏の暑さを乗り越えて実りの秋を迎えたと思ったら、あっという間に冬。雪に覆われた森では食料は乏しくなるが、秋までの間にたっぷりと蓄えられたので割と陽気にしのいだ。いざとなれば、幼女師匠は見事な跳躍で町へ買い出しにいくのだ。余った動物の毛皮などを売るので、多少の現金はあるらしい。ちょっと卑怯なくらい快適な暮らしだ。わたしは暴力の才があったのか、割と順調に修行は進んだ。春を迎えた頃には、熊やイノシシをワンパンで倒せるようになった。モブなのに。

 一年、二年と時が過ぎ、そろそろ三年が過ぎようという頃には、わたしはすっかり逞しくなった。


「そろそろ浄化とか解呪なんかもできると思うよ」

「おお。そうですか」


 試しに浄化してみたが、森には邪気などあまりなく効果のほうはイマイチ分からなかった。とはいえ身体は強化され、多少の魔法は使えるようになったので、自分の家を建ててみた。幼女師匠の家ほど立派ではないが、寝るくらいなら困らない。そうこうしている間に、買い出しに行った幼女師匠がきな臭い噂を仕入れてきた。


「お前の元婚約者、ヨナスといったか? そやつ、聖女の取り巻きをやってたぞ」

「あー。聖女ヘレナさまの……」


 わたしは元婚約者とその浮気相手のことを複雑な思いで思い返していた。今の生活が快適すぎてヨナスに全く未練がない。モブらしからぬ自分の思い切りの良さに驚くほどだ。


「そうじゃ。あーしの見たところ、ありゃ魅了をかけられてるね」


 驚きだ。ヨナスに魅了を使うほどの価値があるとは思えない。


「アレは取り巻きというか、腰ぎんちゃくというか……。利用されているな。他にも複数の者が男女を問わず魅了をかけられているようだ」

「それは詳しく知りたいです、師匠」


 わたしは身を乗り出して幼女師匠にねだった。


 間抜けなヨナスが平民出身の聖女ヘレナに振り回されるくらいなら構わないが、国家を巻き込むなら話は変わる。幼女師匠との話し合いの結果、聖女が変に介入して国ががたつくと自分たちの楽しく自由な生活が脅かされることになるのではないか、という懸念が生じたのでどのような企みがあるのかを探ることとなった。


「エリーズは貴族なのだから、夜会にでも紛れ込めば色々と分かるだろう」


 幼女師匠がそんなことを言い出したが、幼女師匠が持ってきたドレスはサイズが合わなくて着られなかった。当たり前だ。わたしは幼女ではない。立派な成人女性である。加えていえば修行の成果で筋肉もついた。筋肉。筋肉は全てを解決する。だがドレスの問題は別だ。そこで余った毛皮を売って、ドレスを買うことにした。山には磨けば宝石になる原石もあったので、それも売ればそこそこの金額になる。そう考えたわたしは、幼女師匠について、というか抱えられて山を下りた。町で毛皮を現金化する際、幼女師匠は幼女の見た目ゆえに買いたたかれていたことが判明した。そこを逆手にとって、原石は高値で買い取ってもらうことに成功した。筋肉。筋肉は全てを解決する。


 こうして無事ドレスを手に入れたわたしは、夜会へ潜り込むことに成功した。幼女師匠は見た目が幼すぎて夜会は無理。だから潜入することになった。


「美味しいお菓子があっても、食べすぎちゃダメですよ?」


 わたしは幼女師匠に釘を刺した。効果があるかどうかは分からない。


 王城で行われる夜会は豪華だ。久しぶりの華やかな場に、わたしの気持ちはウキウキと弾んだ。とはいえ今のわたしは筋肉の鎧を身に着けている。わたしを知っている人にあったとしても、誰もわたしがエリーズだとは気付かないだろう。


「おやエリーズ。久しぶり」

 

 そこにタイミング悪く、キラキラの金髪と澄んだ青い瞳を持った美しき第二王子アルフォンスが現れた。なぜ気付く。そんなだからお前は煙たがられるんだよ、と思いながら、わたしは軽く礼をとった。


「随分と雰囲気が変わったね」


 アルフォンス王子は、わたしをマジマジと見た。見なくていい、見なくて。わたしはチッと舌打ちしたい気分になったが、相手は第二王子だ。大人しくアルカイックスマイルで、その場を乗り切ろうとした。だが無理だった。


「わたくしでは、王太子婚約者という大役は務まりませんわぁ~」


 わたしたちの目の前を、美しく着飾った令嬢が泣きながら走り去っていった。なんだアレは?


『アレは魅了をかけられたな』


 近くのテーブルの下に潜んでいた幼女師匠がつぶやいた。


 男性だけでなく女性も魅了して味方につけたのか、あの聖女。なんて恐ろしい子。


 やっぱ何か変だな、と思うわたしの横で、アルフォンス王子があからさまに顔をしかめていた。その視線の先には、聖女ヘレナの姿があった。聖女の周りには貴族の令嬢や令息が取り巻いていて、その中にヨナスもいた。聞いていた通りヨナスは取り巻きというよりも腰ぎんちゃくといった様子で、聖女に惚れているというよりもおこぼれにあずかりたいようだ。なぜなら今まさに第一王子が聖女にプロポーズしていて、ヨナスは目を輝かせてそれを見ている。嫉妬は欠片も感じられない。


「聖女ヘレナ、あなたこそ王妃にふさわしい人だ。どうか私と結婚してください」


 王太子である第一王子が聖女の足元に跪き、夜会会場の皆の視線をあつめながら彼女の手をとってプロポーズしている。未来の国王が平民相手に何してんの? とわたしは思ったが、誰も突っ込みを入れない。


『あー。やりおったな、あの聖女』


 テーブルの下で幼女師匠がつぶやき、アルフォンス王子は目をつり上げて第一王子を睨んでいた。


 結果からいえば、わたしはどうにか聖女ヘレナの企みを阻止した。


『殴れ、エリーズ。あの王子をボッコボコにしろ』

「え? いいんですか?」


 幼女師匠がテーブルの下から出した指示に従い、わたしは第一王子をボッコボコに殴り倒した。もちろん周りは驚いて止めに入ったが、そこはテーブルの下から飛び出した幼女師匠が対応した。アルフォンス王子はポカンとしてわたしたちを眺めていたが、止めたりはしなかった。でも流石にコレはマズいんじゃないかな~、国から脱出しないと処されるんじゃないかな~、と思ったわたしは心残りがないように力いっぱい第一王子を殴りつけた。もちろんボッコボコにしたあと第一王子を浄化して魅了を解いたので、最悪の事態は逃れることができた。


「ああ、私はなんてことを……」


 第一王子は聖女に魅了をかけられ、夜会という場で衆人環視のなかプロポーズまでぶちかましてしまったことにショックを受けて、王太子を辞退することになった。

 聖女は山奥の脱出不能といわれる修道院送りとなり、魅了をかけられた貴族の令息や令嬢たちもそれぞれに罰を受けた。令嬢は結婚したら出られる修道院へ送られ、令息たちは有期刑の炭鉱送りになった。

 わたしには第一王子の魅了を解いたことで褒美を与える、とのことだったので、ヨナスを無期限で鉱山送りにすることをお願いした。「そんなことでいいのか?」とアルフォンス王子に呆れられたが、ヨナスには無事ザマァすることができたのでわたしは満足だ。実家にはザマァできていないので、その辺はおいおい考えることにする。幼女師匠は、美味しいお菓子を山ほどもらってホクホクしながら森へ帰った。

 わたしは何故か王宮へ招かれて滞在を促された。下級貴族の娘にその申し出を断ることなどできるはずもない。だがモブであるわたしは、泊まったことがないような豪華な部屋に案内されて、なんだか落ち着かなかった。


◇◇◇


「わたしが王子さまの婚約者に⁉」

「嬉しいだろう?」

「微妙っ!」


 わたしは次期国王の座をうっかり手に入れてしまった第二王子であるアルフォンス王子の婚約者となった。そうだ。わたしもうっかり次期王妃の座を手に入れてしまったのだ。あまり嬉しくはない。幼女師匠との生活が懐かしいな。王宮での暮らしは、自由な鍛錬を受けたわたしにとっては窮屈だ。しかし頼られたら応えたくなるのも当然の流れといえよう。とにかくわたしの能力は出番が多い。


「エリーズ! 婚約を破棄するっ」

「アルフォンス! また魅了されたでしょ⁉」


 次期国王は狙われやすいと宰相が言っていたが、本当に狙われる。わたしはモブなので知らなかったが、我が国の王族は魅了にかかりやすい体質だ。次期王妃なんて面倒なので別の誰かに譲ってもわたしは一向にかまわないが、だいたい魅了をかけてくるようなヤツはろくなもんじゃない。悪人である。聖女であろうと、他国の姫だろうと、魅了をかけるようなヤツは粛清一択だ。魅了を使って王子に近付くようなヤツは、そもそも女性とは限らない。美しい少年だったり、上品な青年だったりするときもあった。アルフォンス王子は、一度などひげ面の小汚いオッサンと結婚すると言い出したこともある。ヤメテ欲しい。

 わたしは毎回アルフォンス王子をボッコボコに殴り倒し、その後に浄化して魅了を解いた。殴っては回復、殴っては回復とやっていたら、アルフォンス王子はかなり丈夫になった。これなら国王としての激務もこなせるだろうと宰相もお墨付きをくれた。わたしは別に加虐趣味があるわけではないので毎回複雑な気持ちになってるというのに、この国の上層部には、ボッコボコにされる王子とボッコボコにするわたしを見て「ホッホッホッ」と微笑ましく見守るタイプしかいない。大丈夫か、この国。


 アルフォンス王子が甘く優しいスパダリになったなら別だが、彼は相変わらずである。他人には厳しく接するのに、自分には極甘である。

 わたしはいつものように彼をボッコボコにしたあと浄化をして魅了を解きながら吐き捨てるように聞いた。


「その呪いみたいな性格の悪さ、いつになったら治るの?」

「性格は病気じゃないからね。治らないよ」

「わたし、こんな性格の悪い男のそばにいつまでいなきゃいけないの?」

「すぐそうやって不幸のヒロインぶる。ホントに君は性格悪いよねっ」


 顔を合わせればだいたい喧嘩になるのだが、周りの人たちからは【お似合いのカップル】という評価を得ている。解せぬ。

 幼女師匠は時折、王宮にやってきてはわたしに稽古をつけてくれている。お土産の甘いお菓子が目当てなのだそうだが、幼女師匠も性格悪いうえにちゃっかりしているので本心は分からない。最近は宰相と微妙な空気を作ったりしている。宰相が四十代のイケオジだったとしても、幼女師匠は100歳越えなのでかなりの年齢差だ。冷静に考えると微妙が過ぎる。でもまぁ、このくらいなら平和だ。


「じゃ、あーしは帰るね」

「はい。これ、お土産です。この程度の物ならいつでも渡せますから、賞味期限内に食べてください。この間みたいに大事にとっておいて、古くなったお菓子を食べてお腹壊したりしないでくださいね」

「へへっ。わかった。じゃっ、またね」


 テヘヘと照れたように笑うと、幼女師匠は空を飛んで帰って行った。相変わらず見事な跳躍力だ。わたしは暮れていく赤い空に影を作りながら飛んでいく幼女師匠の姿を見送った。そこにスッとアルフォンス王子が現れた。


「エリーズ。森が恋しい?」

「恋しいとか、恋しくないとかは感じないですね。そもそもあそこは、わたしの領地ですし」

「……帰りたい?」

「その気になればいつでもいけますからね。特には……」


 わたしが隣へ立つアルフォンス王子に視線を向けると、彼はこちらを何とも言えない甘い表情を浮かべて見ていた。最近のアルフォンス王子は、時折こんな表情でわたしを見ている。わたしはそれに気付くたび、頬がぶわっと熱くなるのを感じる。わたしはモブなんだから余計なことを考えさせないで欲しい。わたしは視線を元に戻して、赤く染まっていく空を眺めた。




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何故こんな魅了という名のハニトラに弱い奴らがトップなんだ?
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