第9話 透明な境界線
ビュン、と剣の鋭い風切り音が響く。
屋敷の裏手に広がる土の訓練場で、俺は一人剣を振っていた。
打ち込み台に刻まれた無数の傷が、訓練場の年数を物語っていた。
訓練の時、いつも身体のイメージを鮮明に浮かべて、剣を振る。
第三者から見たような自分の身体の動き。
四肢の細かい角度を意識し、構える。
足の裏、腰、肩、腕の連動させた連動で剣を振る。
さらに、一撃目から二撃目へ繋ぎ、三撃目へ繋ぐ。
1つ1つを意識して、剣を振ってきた。
……でも、今はリリアのことが頭から離れない。
「はぁ……」
ダメだ、身に入らない。
……どうしたものか。
ヘルマンとの縁談以降、リリアのことを考えてしまう。
考えるのは苦手だ。
なのに、ずっと心のモヤモヤが晴れない。
そのせいか、悶々と考え続けている。
手持ち無沙汰で剣をブンブンと振る。
身体が動きを覚えているのか、そこそこマシな剣筋ではある。
……が、集中時に比べたら『適当』という言葉が似合う。
身が入らないまま、訓練を続けてもな……。
……。
…………。
……そうだ、リリアのところへ行ってみるか?
行ったところで、このモヤモヤが解消するかはわからないが、このまま訓練するよりはマシだろう。
今の時間帯的にリリアは温室だな。
いなかったとしても、隣接する調合室の方だろう。
……リリアに会いに行くか。
木剣を手早く片付け、服についた土埃を軽く払う。
訓練場を出ると、さっきまでの嫌な感覚も減った気がする。
訓練場は遮るもののない広い空間で、見渡しはいい。
だが、敷地を囲う石壁が遠くに見えるせいか、どこか閉じ込められたような感覚がある。
庭園は自然豊かな草木や花が生い茂っているので、安心感がある。
……そのおかげだろうか?
モヤモヤが減りつつあるが、歩みは止めない。
リリアに向かうその足は、少しだけだが早くになっていた。
◇ ◇ ◇
温室へ続く石畳の小道を進む。
陽光を反射する全面ガラスの建物は、遠目にも白く輝いて見える。
白塗装の鉄骨が規則正しく並び、その骨組みに嵌め込まれたガラスが陽光を余すことなく取り込んでいた。
足を止め、ガラス越しに中を覗くと、白い影が見える。
扉を開けると、植物の独特な匂いが立ち込めた。
部屋の中は外よりもやや暖かい。
全面ガラス張りの部屋は日光によって十分に温められ、窓の換気で温度調整しているほどだ。
温室の中には机のように高さを設けた花壇――栽培ベッドが所狭しと並んでいる。
1つの栽培ベッドには1種類の薬草だけが植えられ、整然と並べられている、それらは展示場のようだ。
生き生きとした自然の象徴に囲まれながらも、リリアの強い理性が感じられる。
机には何かの器具が置かれている。
調合室は隣にあるとはいえ、移動を省くために温室で過ごすことも少なくない。
背の高い薬草越しにリリアを見つけ、近づこうとしたが……やめた。
リリアは真剣な表情で植物を観察し、手元のレポートに記載していた。
黄金の瞳を見開き、何度も薬草と紙を見比べている。
普段の柔らかい笑顔とは違う、張り詰めた顔だった。
……あんな表情初めて見た。
呆けていると、研究員がリリアに話しかける。
「リリアーナ様、エリクス液の抽出が滞っております。いかがいたしましょうか?」
「レセント値を超えたのかも……蒸留温度を0.7オルム上げ、コルサ抽出を併用しましょう」
「マグナリア実験の件ですが、グラナイト結晶が発生しませんでした。Aqが多いせいか、ニグレド反応も起きていません」
「うーん……Flを0.3マギナ、Aqを0.8マギナの比率で試しましょう。ルベド反応が起きないように気を付けて」
「次回の実験では何を用意しますか?」
「そうですね……ソルヴァ粉末とベルディ花蜜、月光を照らしたルミナ根が欲しいです」
研究員の質問は次々と飛び、リリアは迷いなく答えていく。
迷いがない。
まるで答えが最初から分かっているみたいだ。
レセント値、コルサ抽出、ルベド反応。
俺には言葉の意味すら分からない。
……何も、分からなかった。
リリアとは色んな場所に行った。
そこで色んなものを見て、聞いて、採取した。
それなのに……。
特殊な形のガラス器具、魔法陣の描かれた器具、大きな窯。
机の上には見たこともない薬草。
俺の知らない世界がここには広がっている。
血統から引き継がれる魔力、高度な教育による優れた知恵。
それらの魔力と知の結晶である錬金術。
研究員たちはリリアを見ていた。
若い研究員は目を輝かせ、年配の研究員は腕を組んで頷いている。
中には、まるで答えを求めるように視線を向ける者もいた。
その中心にいるのは、リリアだ。
尊敬なのか。
畏怖なのか。
少なくとも俺を見る目ではない。
昔は、リリアの隣で薬草を集めていた。
何の役に立つのか分からないまま、言われるがまま袋に詰めていた。
それでも、同じ景色を見ているつもりだった。
だが、実際にはリリアの見ている世界は…………リリアのいるここは……。
――俺ではどうやっても辿り着けない世界。
いつの間にかリリアが手の届かない場所に行ってしまったような感覚に襲われる。
「あっ、ガルド!」
リリアがこちらを見つけ、手をぶんぶんと振っている。
こちらも軽く手を振ると、小走りで駆けてくる。
「どうしたの? ここに来るなんて珍しいね」
久々にリリアの城に来たのが嬉しいのか、黄金の瞳をキラキラとさせながら俺を見上げる。
……そう、彼女はすぐ近くにいる。
手を伸ばせば届くほどに。
そのはずなのに、リリアと俺の間にはガラスの壁があるような感覚に陥る。
「……ああ、少し気分転換にな。……邪魔したな、もう戻るわ」
「え? もう?」
リリアは少し寂しそうな顔になってしまう。
リリアを思うなら、少しくらい一緒にいてもいいかもしれない。
それなのに――。
「……剣を振るった方が性に合っていてな……」
なぜかリリアの隣にいるのが辛くて、逃げてしまった。
ここは俺の居場所ではない。
あの場所に留まるのは…………とても、苦しくなる。
心のモヤモヤは積もるばかりだ。
土の訓練場に戻るも、結局、訓練に身が入らなかった。




