第8話 芽吹く新緑と、切実なる想い
訓練の汗がまだ引ききらない午後だった。
庭園はやけに穏やかで、風に揺れる花の色だけがやけに鮮やかに見える。
柱だけで囲まれた東屋――ガゼボの中に、白い背中があった。
リリアだ。こちらには気づいていない。
何となく、足音を殺す。
近づいたその時。
「……今回の縁談相手は、ヘルマン様か」
小さな声が静けさに溶ける。
同時に、砂利を踏む音が響き、リリアが振り返る。
「あ、ガルド」
「おう」
……いつもより、リリアの元気がないように見える。
もっとも、はつらつな勢いが鳴りを潜めたくらいの程度だが。
近づくと、リリアが手紙を持っているのがわかる。
「また、縁談の話か?」
「ええ、しかもヘルマン様から」
「知り合いか?」
「隣の領地の貴族で、昔から懇意にしている相手よ。うちにも何度か来ている」
「そうなのか? 会ったことない気がするが……」
「だって、そもそも貴族の集まる場は苦手だーって距離取ってたじゃない」
「……まぁそうだな」
……昔からの馴染み、ね。
「どんな感じなんだ?」
「ドレイク家?
うーんとね、爵位は子爵で、家業は林業。錬金術で木の成長を早める肥料や活力剤を使っているけれど……正直、伸び代はあまりないの。
木材そのものの利益は頭打ちで、今は国の補助金でどうにか回している領地ね。
林業自体は堅実よ。でも、国の政策1つで補助金が減れば、一気に苦しくなる構造でもあるのが難点ね」
「いや、そうじゃなくて……ヘルマンってどんなやつなんだ?」
「また、『様』が抜けてるよー。縁談中は気を付けてね、もう。
ヘルマン様は、うーん、夢想家? 温和で努力家だとは思う。常識人でいい人だとも。
……でも、どこか感情が先行しているように見えるんだよね」
「……感情は大事じゃないのか?」
「大事だよ。人を繋ぐのは、いつだって『感情』だもの」
?
なんだろうかみ合っていない気がする。
致命的なところでズレてるような。
「……いやでも、林業がどうのとか、感情が先行するのはマズいみたいな」
「そう、財力や権力、そして立ち振る舞いが『感情』を形作る。……貴族としては、ここらへんの機微に詳しくないとね」
……やっぱり、分からない。
つい、押し黙ってしまい、リリアが苦笑いする。
リリアが別の話題に逸らし、いつもの雑談に流れてしまう。
◇ ◇ ◇
縁談とはいえ、2回目になると少しは慣れる。
そもそも、自分は壁を背に立っているだけで話さない。
そこまで気負うことではなかったのだ。
そんなどうでもいいことを考えていると、部屋の外から足音が聞こえてくる。
「ドレイク子爵家ご嫡男、ヘルマン・フォン・ドレイク様、ご入室でございます」
その声を合図に、室内の空気がわずかに引き締まる。
「お入りいただいて」とリリアが促すと、扉が静かに開き、年若い貴族の男性が一歩、室内へ足を踏み入れる。
少しくすんだ金髪に、新緑のような若々しい緑の瞳だ。
緑の礼装に身を包んでいるも、服に着られている感覚も感じる。
部屋の中央に進む動きは丁寧だが、どこか硬さが残っていた。
引き連れている壮年の護衛は、日焼けした顔に年季が刻まれていて樹木を思わせる。
しかしながら、その動きに老いは感じさせず、ただただ積み上げられた年月を感じさせる。
「お久しぶりです、リリアーナ様。
ドレイク子爵家嫡男、ヘルマン・フォン・ドレイクにございます」
リリアは静かに席を立ち、スカートの裾を整えて一礼する。
「お久しぶりです、ヘルマン様。
本日はお越しいただき、ありがとうございます。
どうぞお掛けくださいませ」
「ドレイク領は最近どうですか?」
縁談が始まる――が、今回はフィリップのときと比べて、緊張感がない。
「最近はちょっと林業の雲行きが怪しいですね。
他の領地でも錬金術の肥料を使った成長促進を進めていて、ドレイク領の木材の需要が減っているんだ。……いや、こうじゃないな……今はより高品質な木材にすることによる付加価値を狙っております。
土壌の性質を変えることで、硬さやしなやかさ、香りが変わるので、それの研究をしております」
ところどころ、ぼそぼそ小声になりつつ、ヘルマンが家のアピールをする。
「そうなんですね、それはこの先が楽しみですね」
対して、リリアは柔らかいような何も響いていないような振る舞いだ。
「……リリアーナ様は錬金術の事業どうですか? 今はどんな薬を研究しているのですか?」
「……ええ、創薬を初め、様々な研究を進めていますわ。……その甲斐もあり、最近売り出した保存に優れたシルフィム軟膏は、多くの貴族、兵士達からのご愛顧をいただいています」
なぜか一瞬リリアの返答が遅れ、僅かに冷たい声が返ってくる。
「そうなんですね。最近はどんなものを?」
「……申し訳ないのですが、研究中の内容は機密ですので公開できません」
「あ……これは失礼いたしました」
しばし、沈黙の時間が流れる。
「あ、そうだ。リリアーナ様から紅茶がお好きと伺っていたので、実はドレイク領の紅茶をいくつか持参したのですよ」
「ありがとうございます。後でいただきますね」
「はい、色々持ってきたので、楽しんでください! ちなみに、リリアーナ様は何がお好きでしょうか」
「アールグレイが好きですね」
「そうなんですね! フレーバー系もいくつか用意しているので試してください。香りは何系がお好きでしょうか? フルーツ系ですかね?」
「ヘルマン様」
ぴしゃりと、冷や水を浴びせるように名前を呼ぶ。
「今は縁談の場です。この話を続けたとして、私たちの関係は何も変わりませんよ」
「あ……申し訳ございません……」
またしても、気まずい沈黙が流れる。
この話題は違うのか?
フィリップの話題よりは、お互いを知るのにいい話題だと思ったのに。
……やっぱり、リリアはフローレンス家に役立つかどうかで見ているのか。
ヘルマンが大きく深呼吸をする。
覚悟を決めたかのようにまっすぐとリリアを見据える。
「本日は縁談の席として参りましたが……その前に、1つだけ、私個人の言葉をお許しください」
「私は、幼い頃から何度もフローレンス家を訪れました。その度に、あなたは本を読み、薬草の話をし、誰よりも領民の話をしていた」
「気づけば私は、あなたが笑っているかどうかで、一日の気分が変わるようになっていました」
「私は……あなたが好きです。貴族としてではなく、一人の男として、あなたの隣に立ちたいと思っています」
突然の告白に心臓がバクバクする。
なんだよそれ。
だったら、俺の方が……。
俺の方が……なんだ?
俺はリリアの事を……?
いや違う。考えるのはそこじゃない。
もし、リリアが同意してしまったら、どうなるんだ?
ちらり、とリリアの方を見る。
リリアの後姿からは――何も読み取れない。
拒絶感も、動揺も、そして喜びも。
「お気持ちはありがたいです。
ですが、当家の立場を考えますと、この縁談を前向きに考えることはできません」
ヘルマンの表情が目に見えて落ち込んでいる。
――なるほど、たしかに貴族の割には感情が出やすい。
「……でも、その、ほら。うちの林業は国営事業だからさ、安定してると思うんだ。僕だって、もっと努力して切り盛りして領地を発展させていくつもりだ。……君をきっと、幸せにして……みせるから」
ヘルマンの勢いがどんどん萎んでいく。
対して、リリアの後姿には何の揺らぎも起きない。
貴族然とした、背筋の伸びた姿だ。
……リリアは一体どんな表情をしているのだろうか?
「……ヘルマン様」
冷たいような、普段のような、どちらとも言えない声色で話し始める。
「そのお気持ちが本物であることは、疑っておりません。だからこそ、曖昧な返事は出来ません」
ヘルマンの表情が覚悟を決めるように、口を引き締める。
釣られて、固唾を飲んでしまう。
「ヘルマン様がおっしゃっているのは、『ご自身がどうありたいか』という願いです」
「ですが、縁談とは――『互いの家と立場が、同じ未来を描けるか』を問うもの」
「私は、その未来を、ヘルマン様と共有することが出来ません」
この間の『感情』についての話を思い出す。
ああ……そういえば、前回も今回も、リリアは『好きかどうか』で相手を見てなかった……。




