第6話 誇り高き鷲と、冷涼なワイン
「フィリップ様がお見えになりました」
侍女の声が静かな応接室に響いた。
……ついに縁談が始まる。
あまり慣れていないせいか、心臓が僅かに騒がしい。
ゆっくりと呼吸し、気持ちを整える。
今いる応接室は、数人で使う程度の落ち着いた広さの部屋だ。
中央に低い長方形テーブルと向かい合う二人掛けソファが置いてある。
シャンデリアや上質な深緑の絨毯など、高貴さと静謐さが混じった整いとなっている。
応接室の中央、主の席にリリアは静かに腰掛けている。
背筋がピンと伸びていて、座り姿からも気品が漂っていた。
俺は壁の方で待機し、風景に同化する。
リリアの背後に立っているため、リリアの表情はうかがい知れない。
お付きのメイドが、静かに、手際よく準備を整える。
銀のティーセットに、薄い磁器のカップ。
どれも壊したら大変そうな物ばかりだ。
準備を終えると、メイドはリリアの少し後ろに下がる。
ただの使用人には見えない。
動きに無駄がなく、姿勢も崩れない。
下手な兵士よりも、よほど育ちが良さそうだった。
…………。
しばらくすると、ドアの向こうから複数の足音が聞こえてくる。
応接室の扉の前で少しずつ足音が消えると同時に、部屋内の緊張感も高まる。
数瞬の後、数回ノックがされる。
「アルヴェス侯爵家ご嫡男、フィリップ様にございます」
扉の奥から執事の声が聞こえる。
俺は背筋を伸ばし、軽く息を吐く。
「どうぞ、お迎えいたしましょう」
リリアが柔らかく、凛とした芯を残して応答する。
扉が開き、貴族然とした男が入室する。
曇りなく輝く金髪、深さと理知を感じさせる蒼い瞳。
自負心が滲み出たような笑みを讃えた表情だ。
彼の服装は、深いロイヤルブルーのロングコートに白ズボンで、貴族らしさを十二分に体現していた。
胸元には金糸の刺繡で『鷲と盾』の紋章が刻まれていて、伝統や家に対する誇りが見て取れる。
その男の歩みは『主役は自分』だと言わんばかりに、胸を張って悠然と歩く。
ここが初めて来るフローレンス家であろうと、緊張も、ためらいも感じられない。
その縁談相手から武の余韻は感じたものの、そこまで強くは見えない。
ただ、引き連れている護衛からは洗練された強さが見て取れる。
騎士のような気品の服装と佇まい、端々から感じられる力量、まるで彼の力の在り方のようだ。
「ご機嫌麗しゅう、リリアーナ殿。
私はフィリップ・フォン・アルヴェスです。
本日はお招きいただきありがとうございます」
身体を大袈裟に動かし、それでいて優雅に礼をする。
いつの間にか立ち上がっていたリリアは丁寧に礼をして、柔らかく応対する。
「お目にかかれて光栄です。
リリアーナ・フォン・フローレンスです。
本日はようこそ、フローレンス家へお越しくださいました。
どうぞお掛けくださいませ。
本日はゆるりとお話できればと存じます」
それはただの挨拶のはずだった。
それでもなお、場は儀式のように張り詰め、見えない圧が静かに満ちていく。
フィリップは一瞬だけ目を細め、口元の笑みを深くした。
値踏みするような、あるいは面白がるような視線。
「ええ、ぜひ」
勧められるまま、彼はゆったりと腰を下ろす。
遅れて、リリアも静かに着席した。
衣擦れの音だけが、やけに鮮明に耳に残る。
俺は壁際に立ったまま、視線だけを動かす。
両者の距離は三歩。
テーブルを挟んだそれは、近いようでいて遠い。
先に口を開いたのはフィリップだった。
「実は以前より、フローレンス家のご令嬢について噂を耳にしておりました。
率直に申し上げますと、私は貴方に強い関心を抱いております。
ゆえに、お話を伺えること、楽しみにしておりました。
とはいえ、聞くだけでは貴方の心は動かせないでしょう。
まずは我が家について簡単にお話しいたしましょうか」
どこか惹きつける穏やかな声色が続く。
「アルヴェス侯爵家は代々、北方の防衛を任されてまいりました。
華やかな家柄ではありませんが、剣と忠誠だけは誇れるものと自負しております」
飾らない言葉で『守護』という重みが静かに置かれる。
対するリリアは、わずかに頷いた。
「北方の安寧あってこその王都でございますもの。
そのご尽力、王家のみならず我が家も感謝しております」
一呼吸の後、リリアもまた話し始める。
「フローレンス伯爵家は、実り豊かな農作物を筆頭に、特徴的な薬草が育つ領地を支えています。 近年では、その薬草を用いた錬金術での創薬研究に勤しんでおります」
「噂はかねがね聞いているよ。
リリアーナ殿の開発したシルフィム軟膏だが、私も購入したぞ。
植物由来だと言うのに保存性に優れた素晴らしい薬だ。鉱物由来の痒みなども少なく、何より治癒の効果が高い。
見落とされがちだが、寒冷地でも凝固しないというのは我が家の兵士達にも好評だ」
「ありがとうございます。お役に立てて嬉しい限りです」
「もちろん、私としても負けてはいないぞ?
我が領地は大鹿が作物を食い荒らして民が困っているのだが、幸いにも私は武芸に優れていてな……先日も森で2頭の大鹿を弓で仕留めたのだ!
もちろん、その鹿肉を寄贈したぞ。領民たちの感謝の声が響いたものだ」
「……まぁ、とても素敵なお話ですね」
フィリップだっけか? ……そんな会話でいいのか?
なんか、……モヤモヤする。
「ああ、他にも武勇伝はいくつかあるが、……私だけ話すのも忍びない。
リリアーナ殿の方はいかがかな?」
止めどない弁論に反省したのか、話の主導をリリアに渡してきた。
「はい、シルフィム軟膏は常備薬としての有用性があり、好評を博しているのですが……高価であり、市民の手に届かない現状です。なので、安定した生産を整備中です」
「何を言うリリアーナ殿。
消費期限の早い薬ではないのだ。一度買えば、購買の波は収まる類の品だ。安定供給をしようものなら、市場に溢れてしまう。
品質の向上による付加価値の創出か、新商品の開発を提言するよ」
「素敵なご助言ありがとうございます。フィリップ様のご慧眼……参考になります」
「ふっふっふっ。……なに、これも伝統を磨き続けたアルヴェス侯爵家ゆえの経営術さ」
フィリップは上機嫌にティーカップを持ち、紅茶を優雅に啜る。
リリアも続いて紅茶を啜る。
「ときにリリアーナ殿。結婚後はどちらの領地で住む予定かな?
アルヴェス領は素晴らしい領地であるが、貴殿の力を十全に発揮できるか懸念されるな。
……誤解してほしくはないのだが、アルヴェス領の冷涼な気候だからこその魅力的な環境と言える。例えば、アルヴェス領のブドウはゆっくりと熟すことで美しい酸味を生む。
このブドウで造られたワインは、繊細でエレガントな余韻を生む高級ワインとなり、王都でも流通するほどだ!」
「はい、存じています。
距離の大きく離れた王都でも飲まれるというのは、ひとえにワインの上質さによるものと存じます。
私もアルヴェスワインを飲ませていただいたことがあるのですが、とても素敵な味わいでした。冷涼な感じがあって、後味がきれいだ、と」
「ふっふっふっ。そうだろう、そうだろう」
満足げに頷くフィリップ。
聞き入りたいのか、先ほどのような弁論は投げかけない。
「それにアルヴェス領にも素敵な植物があるのですよ。
植生を調べたのですが、特に高山では非常に毒性の高い花があるのだとか。……高山で育ったのか否かで毒性も変わるとのことで神秘性が気になりますね」
「う、うむ、気に入ってくれて何よりだ……」
「そして、結婚後についてですが、アルヴェス領では力を十全に発揮できないかと……。
先ほどの毒草は希少性が高く、薬とするには安定供給が難しいです。
人の管理の元、増産するとしても先ほどの特性の結果、毒性がなくなりやすい。……私の強みが活かしづらいと考えています」
フィリップは深く頷くも、若干顔をしかめる。
「ふむ、了解した。
……しかし、想定はしていたが、領地内に妻を呼びづらいというのは、やはり体裁的には辛いものだな」
……気のせいか?
口ではそういうものの、フィリップは気にしていないように見える。
口角を上げ、フィリップが話を再開する。
「ときに、錬金術を薬以外で役立てるつもりはないか?
……そう、例えば、ワインの酒精強化や酸化の防止、ボトル酔いの抑制とかな」
「ボトル酔い、ですか?」
「ああ。
……とはいっても馴染みが薄いかな? 1つ1つ説明しよう」
フィリップが指を立てて説明し始める。
「まず、ワインの酒精強化。
そもそもとして、うちの領のワインはアルコール度数が他領地のそれと比べて相対的に少ない。しかし、寒冷地なため、皆が欲しがるのは高い度数の酒だ。……身体が温まるからな」
「次に、酸化の防止。
アルヴェスワインはその酸味が秘訣であるとともに、過度な酸化との戦いでもある。ここの調整が出来れば、より領地は潤うだろう」
「最後に、ボトル酔い。
これは輸送したワインが、風味の低下や熟成の加速によって劣化が早くなるという現象だ。王都などで飲むアルヴェスワインは十全な味わいではない。
ボトル酔いの改善は、それだけで我が家の格を知らしめるのだ。
……どうだ? これらの開発をする気はないか?」
「はい、とても興味深いです。
ただ、ワインに関しては改めて検討と調査をした上で回答をさせていただけないでしょうか」
「もちろん構わないとも。良いお返事を期待しているよ」
フィリップはご機嫌となり、その後も利益を述べ続ける。
◇ ◇ ◇
長い縁談が終わり、フィリップは退席した。
部屋にはすでに緊張感は無くなり、リリアもリラックスモードだ。
「おつかれ」
「ありがとう~、結構疲れたー」
「……なんというか、商談みたいだったな」
「そうそう、縁談の会話ってお互いの家を知ったり、結婚後の方針すり合わせが基本だからね」
「……アレと結婚するのか?」
言葉にするか迷ったが、抑えられずに聞いてしまう。
「アレって……もー、外では言っちゃだめだよ! フィリップ様!」
「わかってる」
「うーん、どうだろうね、利点はある。……けど、縁談まではいかないと思う」
「……利点?」
縁談の話なのに……『利点』?
「フィリップ様の熱のこもり具合的に、最後のワイン関連が本題っぽい。
『婚約は価値があればしてもいい、婚約に相応しくなくても商売相手にはなりそう』
……みたいな感じじゃないかな?」
「なんだそれは……リリアを何だと思っているんだ」
声を押さえてはいるが、声は僅かに震える。
胸の奥から怒りがどんどんこみ上げてくる。
そんな心構えでリリアとの縁談を希望したって言うのか?
「待って待って! ただの憶測だから!
……まぁ、今回の話的に、婚姻というカードをきるには勿体ないかな」
「?? ……フィリップが魅力的じゃないって話か?」
「フィリップ様というより、アルヴェス家と領地自体かな」
話がかみ合っていない気がする。
「婚約の話だろう? 見るべきはフィリップ一人じゃないのか?」
「えーとね……貴族って言うのは、家や領地の繁栄を見越して婚姻を結ぶの。
だから、私にとって魅力か、というより、フローレンス家の利益になるかを見るってこと」
好むか、好まないか。
そういう思いではなく、家のため。
「それはリリアの意思じゃないだろう」
「そうだよ? 意思で決めるものじゃなくて、意志で決めるものだもの」
「……貴族だからか?」
「そう、貴族だから」
何でもないようにリリアは答える。
男女は惹かれ合って結ばれるものだろう……。
意思に反した結婚をしたとして、リリアは本当に幸せなのか?
◇ ◇ ◇
リリアーナ・フォン・フローレンス。
それが私の名前。
フローレンス伯爵家という貴族として生まれた。
だからこそ、生まれた時から責務が、職務がつきまとう。
日々の学習、創薬研究、フィリップとの面談……色んなことがやっと終わった。
メイドを下がらせ、暗い私室に私だけになる。
明かりはつけていないが、大きな窓からは柔らかな月明かりが部屋の中を照らしている。
部屋の中には、壁一面の書架や薬学や錬金術の器具が飾られている。
机の上の花瓶には白い花――シルフィムの花が一凛さしてある。
薬効によって腐敗しにくいシルフィムの花言葉は『変わらぬ永遠の恋』。
このシルフィムは錬金術でさらに腐敗を抑えた試作品で、経過観察と彩りのためにここに置いている。
恋、か……。
縁談後のガルドの話を思い出してしまう。
私の意思……。
私の心……。
昔は王子や騎士と結ばれる話に憧れた。
武芸に優れてるか……。
でも、ガルドに比べたら、頼りないんだよね。
ガルドが白馬に乗ってきたら、どうだろう?
ちょっと跳ねの残る流れるような黒髪に、力を宿した琥珀色の瞳。
外出のときは、だいたい黒とダークグレーの軽い皮鎧。
指ぬきの手袋に腕まくり――ちょっと野性味のある格好。
対照的に、乗っている白馬は毛並みも整えられていて、煌びやかな装飾の鞍を背負っている。
ふふ、似合わなさすぎて、ちょっと可笑しい。
でも、一緒なら毎日が楽しいかも。
なーんてね……。
夢を見るのは止めにして、早く寝ることにしましょう。
――だって、ガルドは貴族じゃないんだもの。




