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第2話 名もなき狼

 スラムでの生活は最悪だった。

 荒れ果てた家屋。

 そこらに横たわる骨みたいに瘦せこけたガキ。

 ……とは言っても、俺もガキだが。


 正確な年齢は……分からない。

 名前も貰っていない。

 だから、俺は自分自身に『ガルド』という名前を付けた。

 響きが気に入って、そう名乗っている。


 スラムでの生活は『今』しかない。

 今日を生きるために食料を探し、誰かを蹴落とし、隠れながら眠る。

 

 「……ぐぅっ!」

 

 「随分とやんちゃだな、坊主」


 目の前にはあごひげを生やした大人。

 髪はオールバックで、雰囲気の割に髪は整えられている。

 質素な服だが、汚れや穴の開いていない。

 ――それだけで、ここの住人でないことがわかる。


 「さすがに力量の差くらいは測れるだろう。そんなんじゃ、この先生きていけないぞ」

 

 「この先? ……知ったことか。今、生きるだけで精いっぱいなんだよ!」

 

 未来なんて考える余裕も、過去を(かえり)みる暇もなかった。

 今を適切に見る基準だって知らない。

 

 地面を駆け、またしても襲い掛かる。

 素早く懐に潜り込み、手に持ったナイフを突き刺そうとする。


 しかし、相手は視界の死角に潜り込み、その剛力で投げ飛ばされる。


 「っ!!」

 

 数瞬の間、宙を舞い――背中から落ちる。


 衝撃と共に口から空気が吐き出されるも、吸うことができない。

 ――呼吸が上手く出来ない。

 

 地べたに倒れ伏し、無防備な姿をさらしてしまう。


 悶えながらも相手を睨み付け、可能な限り威嚇(いかく)する。

 しかし、予想に反して追撃はない。

 

 視界には男の笑みが映る。

 ……だが、その笑みはいやらしさを感じない。

 

 うつぶせの俺にしゃがみ込み、男は告げる。

 

 「はっはっはっ! いいね、気に入った。坊主、うちで引き取ってやる」

 

 「……っ!?」


 ――それが、育て親になってくれたディエゴとの出会いだった。


 ◇ ◇ ◇


 スラムで拾われてから数年。

 俺は兵士長をやっているという親父――ディエゴの元で生活を始めた。


 ここは……親父の家は、スラムとは比べ物にならないほど恵まれている。

 すきま風のない家屋、危険のない寝床、定期的にありつける食事。


 ――ふと、部屋の隅の金属鏡が目に入る。

 ところどころに黒ずみができ、縁も欠けていた。

 中古で安かった、と聞いたことがある。


 鈍く光った鏡を見ると、自分の姿が精細に映っている。


 今着ている羊毛のチュニックだってそうだ。

 簡素らしいが俺にとっては手の届かない代物だった。

 半袖から覗く腕も小綺麗になっていて、黒い汚れなどはついていない。

 木桶いっぱいの水と布も用意してくれるから、身体だって洗える。

 

 飯も用意されるおかげで、背も伸び、腕周りも太くなってきている。


 少しかがむと、自分の顔が映る。

 片目にかかるような黒い前髪が流れるように整っている。

 毛先が軽く外に跳ねているが、これくらいはいいだろう。

 黒髪が光を反射し、炎を閉じ込めたような赤みを帯びている。


 琥珀の瞳が鏡越しに睨み返している。

 獣じみた鋭さがそこにあった。

 

 そんな数多くのものを与えられた中、一番ありがたいのが教育。


 スラムで生活していた時、仲間はいないし、学もなかった。

 何もかも手探りで生きてきた。

 生きるための判断は全て勘と経験。

 

 特に気に入っているのは剣術だ。

 戦うのは得意だ。

 スラムでは何でも力で切り開けていた。

 

 いつも通りの訓練。

 しかし、着実に早くなる剣。

 ただの訓練でもやりがいがある。

 とはいえ、一番好きなのは親父との模擬試合だ。


 ――そして、今日は模擬試合の日。


 扉に手をかけ、外に出ると、朝日が部屋の奥まで照らした。


 ◇ ◇ ◇


 両手で木剣を持ち、親父に勢いよく斬りかかる。

 親父は片手で持った木剣で難なく受け止める。


 大人と子供なんだ、力の差は歴然。

 だから、速さで仕掛ける。

 二撃目、三撃目、回り込んで四撃目。フェイントをかけて五撃目。


 攻撃しようとしたところで、親父は大きく剣を振る。

 軽く後ろに飛び、回避する。

 親父の剣による豪風が僅かに砂を巻き上げる。


 もう一度、飛びかかろうとすると――親父が手で制止する。

 

 「待て待て、一旦休憩だ!」

 

 「……なんだよ、もう終わりかよ」

 

 どかっ、とその場に座り込む親父。

 

 「若いってのは凄いな……吸収力が半端ないわ……あと体力も……」

 

 「おじさん臭いぞ」

 

 「いやいや、何時間も試合はきついだろう!」

 

 「そんなことないが?」

 

 そう言って素振りを始める。

 先ほどの親父をイメージして、剣を振る。

 ビュン、ビュン、ヒュン、と徐々に鋭い風切り音に変わっていく。


 ……せっかくの親父との訓練なのに、もう終わりか。


 「なぁ、ガルド」

 

 「なんだ?」


 響きが気に入っていて勝手に名乗っていたが、他人に呼ばれたことはほとんどなかった。

 ……だからか、呼ばれるのは少しむずがゆい。


 「お前も兵士にならないか? 贔屓目(ひいきめ)に見ても、お前は強い。その力を活かせると思うんだが……」

 

 「……元々兵士に育てるつもりだったろ」

 

 「はは、ばれてたか」

 

 「誰かを守るために力を使えだの、群れで動くのも賢さだの、2歩後ろを歩くのもかっこいいのだの」

 

 「あー結構わかりやすかったな……でも、ほら、あれだ! 同じ屋敷に雇われれば、もっと訓練の時間を作れるぞ」

 

 「……まぁ、そうだな。生きてくための手段としては兵士は合ってると思う」

 

 頭を下げるのは好きじゃないが、仕方ないとも感じる。

 一人で生きていくのは難しいってことを親父は教えてくれた。

 獰猛(どうもう)な犬だろうと、誇り高い狼であろうと人間社会で生きていくには伏せなくてはいけない。


 「おお、本当か!? じゃあ、今度雇い主に頼んでみるよ! あと、もう少し言葉遣いとか学ばないとな!」

 

 「……それよりかは訓練したいんだが……」


 ある日の昼下がり。

 運命が少しずつ、歩みを進める。

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