第10話 赤に滲む本心
リリアとの身分差に気づいてから、この数日間、雑念を払うように剣を振り続けている。
とっくに訓練時間は終わっている。
訓練場の影も、長く伸びていた。
それでも剣を止める気になれなかった。
感情に飲まれないように、別の事に集中して気を紛らわせたかった。
リリアに会うと違いが目につく。
流麗な服装、身を飾る装飾、所作、髪や肌の艶やかさ。
1つ1つが、『俺とは違う』と囁いてくる。
リリアは貴族で、俺はスラム出身の平民以下だと感じさせられる。
だから、少し避け気味だった。
なのに――。
「ガ~ルド!」
「……リリアか」
リリアが訓練場に来てしまった。
お供も連れていない。
訓練場にはもう誰もいない。
本来ならとっくに休憩時間だ。
それでも俺が剣を振り続けていたせいで、図らずも二人きりになってしまった。
「…………」
「…………」
しばしの間、沈黙の時間が流れる。
そもそも自分の中で折り合いがついてないから訓練しているのであって、こんな状況では言葉が出ないのも仕方ない。
…………。
……?
リリアから何か強い視線を感じる。
胸元あたりを、やけにじっと見ている。
そういえば、過度な訓練のせいで暑くなり、上着はとっくに脱いでしまっている。
リリアも筋肉とかに興味があるのだろうか?
少しだけ、顔が赤い気がする。
「リリア?」
「……え? ……ああ、ごめん、訓練中だったよね! すぐに用事済ませるね……はい、これあげる!」
ポケットから銀色の入れ物を渡される。
以前に貰った際は――。
「また、傷薬か?」
「うん、以前のシルフィム軟膏とは別のやつね。
シルフィム軟膏は保存性に特化した傷薬で、今回の傷薬は便利さや治癒効果重視なの。
こっちの方が消費期限が速いから、使うならこっちからね!」
「ああ、ありがとう」
「えへへ~、どういたしまして!」
リリアの満面の笑みが返ってくる。
それなのに、胸の奥はつっかえたままだ。
「じゃあ、またね!」
ぶんぶん、と手を振って去っていくリリア。
安心したような、少しだけ寂しいような。
思わず、手に持った傷薬に視線が落ちる。
貰った傷薬の蓋を開けると、甘いような香りの中に毒々しいような匂いが混じっている。
その匂いに若干眉をひそめてしまうが、どこか懐かしさも感じる。
中には赤い軟膏が入っている。
初めて見る軟膏だ。
……新作か?
これはどんな植物を使ったんだろうな……。
ふと、匂いの正体に気づく。
もしかして……ルブルムの花か?
稀に葉っぱがギザギザになって、薬効が強くなるという赤い花を思い出す。
変な臭いが強くなってて分かりづらいが、濃縮したってことなんだろう。
……まったく、もう新作が出来たのか。
指で掬ってみる。
いつもと違う感触に驚きながら、塗っていく。
以前までの軟膏は、塗るとべたつきがあって、ザラッとした粒感があった。
塗った直後はベタベタしていて、剣に触りたくなかった。
今回のはべたつきが少なく、サラサラとしていて、浸透したような感覚だ。
触感にケチをつけるつもりはないが、こっちの方が断然いい。
リリアは……どんどん進んでいくな。
子供の頃はルブルム平原の赤い花畑で走り回っていただけだった。
少し成長すると、花を摘み始め、温室で花とにらめっこするようになった。
今では、花の違いを見極め、その特性を即座に薬へと活かせるようになった。
いつの間にか……とても遠くへ行ってしまった気がする。
――ずきり、と胸が締め付けられるようだ。
この苦しさは……なんだ?
何に不安を感じてる?
リリアが遠くへ行くって部分か?
そんなことはない。
ちゃんとリリアの近くにいるじゃないか。
今までこんな気持ちになったことはなかった。
……もしかして、最近の出来事と関係があるのか?
創薬のこと?
それとも……縁談?
縁談の場に同席するのは、色々大変だった。
身体というよりは精神面で。
色んな感情の奔流で疲弊してた気がする。
どんなとき一番感情が動いただろうか?
…………。
直近だと…………ヘルマンの告白。
縁談の開始時、思いの告白、断られた時の表情。
そのときの感情を再燃させてみる。
情景を思い出し、声を思い出し、空気を思い出す。
その時の感情を追体験する。
最初は敵対心……?
次に……焦り?
頭に疑問が浮かぶ。
何で、あんなに敵視していたのか。
リリアの敵ではなかっただろうに。
そして、焦り。
リリアとヘルマンが結ばれることに何を焦る?
……そう思っているのに、じりじりと焼かれるような気持ちになる。
……わからない。
いや、もう少しでわかりそうではある。
答えは既にある気がする。
……。
…………。
ふと、頭の中で何かが繋がる。
俺はリリアのことが……好き、なのか?
かぁ、と顔が熱くなる。
心臓の鼓動がやけに早い。
まるで、身体が正解だと示すようだ。
いや……リリアは家族みたいな……そう、妹みたいな存在で。
言い訳じみたことを考えるも身体は肯定し続ける。
俺とリリアは住む世界が違う。
もし、求婚でもしてみろ、きっと――
『この縁談を前向きに考えることはできません』
突然、リリアの冷たい返答が頭をよぎった。
……そうだ、ヘルマンの縁談の最後。
あの時、俺は絶望していたんだ。
ヘルマンに自分を重ねて、リリアに断られるのを想像したんだ。
その場に座り込み、頭を抱える。
貴族と……出自のしれない人間。
剣で成り上がる?
この――生まれで決まる世界で?
騎士として叙勲を受ける?
後ろ盾は?
血の高貴さどころか、親すら分からないのに?
身分の差をもひっくり返す功績は?
俺はただの護衛。大きな脅威が降ってくることなんてない。
リリアは危険地域に行くわけでもない。
……せいぜい、領地内で狼を退治する程度しか出来ない。
いくら考えても打開策なんて浮かばない。
いつしか、心は冷めていた。
……そう、俺はリリアを守る1本の剣でいい。
――そう結論付けるしかなかった。




