静寂の夜、軋む現実
翌日も夢の中で草原に立っていた
夢の中の野原は、以前よりも少し柔らかく、少し温かく感じられた。
風は穏やかに草を揺らし、空はやさしく広がっている。現実にはない静けさがそこにはあった。
澪は、いつものように陸斗を待っていた。
薄紫の瞳が優しく揺れ、彼の姿を見ると柔らかく微笑む。
「怖くない? ここなら安心していいんだよ。」
その言葉は、ひどく優しかった。
陸斗はまだ完全に心を許してはいなかったが、澪の声にふと緊張がほどける。
現実では聞いたことのない、温かくてまっすぐな声だった。
「……ありがとう、澪。」
思わずこぼれたその一言に、澪は嬉しそうに笑い、そっと手を差し出した。
「よかったら、もっと話してみて。私にできることがあったら教えてね。」
ためらいながらも、陸斗はその手を取る。
触れた瞬間、心のどこかで張り詰めていた糸が、すっと緩んでいくのを感じた。
孤独の冷たさが、ほんの少しだけ遠のいた。
夢の世界は、ただの逃げ場ではなくなっていた。
澪と過ごす時間が少しずつ増えていくにつれて、陸斗の心の奥に、微かな温もりが灯り始めていた。
けれど――現実は、何一つ変わっていなかった。
教室では、耳にこびりつくような嘲笑が毎日のように響く。
「またお前かよ、キモいんだよ。」
「存在感だけはあるよな、悪い意味で。」
誰かが笑うたびに、陸斗の心はゆっくりと削られていく。
言い返す気力も、逃げ出す勇気も残っていなかった。
家に帰れば、父の冷たい声が待っていた。
「そんな弱気じゃ、社会で通用しないぞ。」
「もっと強くなれ。甘えはもう通用しないんだからな。」
励ましではなく、突き放すような言葉ばかりが続く。
母は何も言わずに食器を洗い、陸斗の顔を見ることすらなかった。
無音の食卓。
そこに居るのに、存在を認められていないような感覚。
夜、布団の中で陸斗は何度も同じ言葉を心の中で繰り返す。
「夢で澪に会えますように。」
それだけが、唯一の救いだった。
現実の自分は何も変えられない。
でも、夢の中でだけは、澪といられる――それだけで、生きていられる気がした。
だが、その日。
眠りに落ち、野原へと足を踏み入れたとき、陸斗は気づいた。
そこには、澪の姿がなかった。
空はいつもと同じように澄み渡っていた。
風は変わらず草を揺らしていた。
なのに、澪はどこにもいない。
「……澪……?」
名前を呼んでも、返事はなかった。
ただ、静寂だけが、陸斗を包んでいた。
夢の中ですら、独りぼっちになってしまった。
胸の奥に広がっていく、深い喪失感。
救いは消え、現実と夢の境界が溶けていく。
現実よりも現実らしく、夢よりも遠い。
そんな不確かな空の下で、陸斗は立ち尽くした。