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第7話 マッチ売りのダメ男

 俺たちはあの後、牛丼屋に行って夕飯を食べた。夏織さん曰く「俊くんの引っ越しパーティ」らしい。実際、知らぬ間に俺の牛丼に生卵がついていたので、きっと冗談ではなく本当にパーティのつもりだったのだろう。


 夏織さんは何気なく食べていたけど、俺にとって店で牛丼を食べるというのは新鮮な体験だった。地元にも牛丼屋はあったけど、車が必要な遠さだったので、あまり訪れる機会がなかったのだ。これが世に言うジャパニーズ・ファストフードかと感慨深く思っていた。


「ありがとうございましたー」

「ごちそうさまでしたー」

「ごっそさんでーす」


 店員の挨拶に見送られながら店を出る。雪はますます強さを増していたが、多くの人々が行き交っているせいか、足元が白く染まるようなことはなかった。ふと見まわしてみれば、傘を差した人々が向こうからやってくる傘を華麗にかわしている光景があちこちにある。都会人はすごいねえ。


「帰ろっか」

「そうだな」


 夏織さんと共に、あの雑居ビルを目指して歩いていく。まだ道には慣れないし、一緒じゃなければ間違いなく迷ってしまうだろう。むしろ一度見失ってしまえば二度と帰れない気がする。夏織さんという存在そのものが、今の俺には幻のようにも思えるのだ。


 マッチ売りの少女は華やかなクリスマスの夜を夢見たという。ひょっとして、夏織さんも俺が見ている夢なのかもしれない。情けない男を哀れんだ神様が、少し遅めのクリスマスプレゼントをくれたのかもしれない。……なんてな。


「んー、また難しいことを考えてるね」

「なんで分かるんだよ」

「難しい顔をしているからだよ」


 またも見抜かれてしまった。やっぱりこの人、エスパーな気がする。スプーンとか曲げられるのかな?


「今度は何を考えているんだい?」

「夢かもしれないなって」

「夢?」

「あまりにも都合が良すぎたからさ。夏織さんに拾ってもらったことが」

「へえ……そう思うんだ」

「何だよ」

「んー、ちょっと気に食わないだけ」


 気に食わない? 何か気に障るようなことを言っただろうか。


「ごめん、変なこと言ったかな」

「いやあ、そうじゃなくてさ。さっきはあんなこと言ったくせに」

「え?」

「俊くんはもっと素直に生きるべきだよ」


 何を言わんとしているのかさっぱり分からない。だけど夏織さんはムッとしている。とにかく何か言わないと。


「ごめん、やっぱり分からない。何が悪かったかな」

「たしかに俊くんを拾ったのはたまたまだし、ポリシーがあるからそうしたまでだよ」

「だよね」

「でもね、私だって普通はここまで世話を焼いたりしないのさ」

「えっ?」

「言ったでしょ? 俊くんは私の生き写しみたいだって。だから……他の人とは違うんだよ」


 夏織さんは少し照れ臭そうに、そっぽを向いて答えた。金も家も仕事もないのに、この人は俺という存在感に特別感を見出しているらしい。それがどれほど価値のあることで、どれほど幸せなことか。思わず俺まで恥ずかしくなってしまう。


「ごめん夏織さん、もう言わないよ」

「私、俊くんみたいなダメ男に引っ掛かるタイプだったんだあ。ちょっと嫌かも」

「俺ってそんなにダメ男かな?」

「財布の残金を数えてみなよ」

「八十四円」

「ね、ダメでしょ」


 うん、と俺が答える前に足を早める夏織さん。いつの間にか吹雪いており、周りの人たちも飛ばされないように身を屈めて歩いていた。東京に来たのは初めてだが、これがこの街で滅多にない事象だということは分かる。地元を思い出す天気だな。


「早く帰ろう、俊くん」

「もー、待ってよ」


 よく見ると、夏織さんは体を小刻みに震えさせていた。寒さには弱いのかもしれない。というか、ウインドブレーカーが薄いから俺も寒くなってきたな。東京で仕事を見つけたら、自分の金で良い上着を買おう。


 吹雪の夜に新宿の街を歩く男女二人。字面だけ見れば色っぽいが、実態は家主と居候だ。しかもその住居は雑居ビル。新宿の七不思議にカウント出来ないだろうか、などと戯言を心の中で呟いてもみる。


 ふと横を見るとラブホテルがあり、一組の男女が逡巡していた。初々しいカップルの初夜かもしれないし、単に吹雪から逃れたいがための苦渋の選択かもしれない。どちらにせよ、周囲から変な目で見られるので入るなり帰るなりした方がいいと思う。まあ、電車は動いていないみたいだけどな。


「ねえー」

「なんだよ」

「秋田出身ならさー、吹雪を止める能力とかないの?」

「夏織さんは秋田人に何を求めてるの?」

「だって寒いんだもん」


 夏織さんは両手を合わせて、はあーと息を吐いた。この天気で素手じゃ寒いよなあ。


「夏織さん、手寒くない?」

「そういう時は黙って繋ぐんだよ」

「あ、そうなんだ」

「モテる男じゃなかったの?」

「そのはずだったんだけどねえ」


 などと軽口を叩きながら、そっと左手を差し出すと、夏織さんの右手に掴まれた。ヒヤっとした感触が伝わってくる。冷え性なのかな。


「冷たいでしょ」

「仕方ないよ、こんな寒かったら」

「それにしてもさ、私たちおかしいよね。会ったばかりで手なんか繋いじゃってさ」

「まあ、いいんじゃない?」

「年末だし、別にいいかあ」


 手を繋ぐことと年末がどう関係しているのかは知らないが、夏織さんが良いならそれで良しとしよう。


 夏織さんの手は冷たく、そしてがさがさとしていた。いろいろと苦労を重ねた手だな。まだ同い年くらいのはずなのに。


「あんまり触って面白くない手でしょ」

「いや、いい手だ」

「よく言うね」

「頑張っている手だ。俺とは違う」

「……そうだったら、よかったんだけど」


 意味ありげな声色。夏織さんが何を言わんとしているのかは分からない。ふと気になって、握っていた手をそっと自分の前に持ってくる。


「俊くん?」

「ちょっと見せて――」

「だめっ!!」


 しかし次の瞬間、夏織さんは無理やり俺の手を振り払った。その時わずかに見えた手のひら。今まであまり意識していなかったが、まるで何かに焼かれたような痕があって――肌荒れと言うにはあまりにも異質だった。


「ご、ごめん!」

「!」


 我に返ったのか、夏織さんは少し息を切らしてこちらをじっと見ていた。そしていつも通りの口調で、何事もなかったかのように謝罪の言葉を述べる。


「俊くん、私こそごめんね。気にしないで」

「……うん、わかった」

「ほら、もう着いちゃうから。早く部屋に戻ろー」


 夏織さんの言う通り、俺たちはやっと雑居ビルに戻ってきたのだが、会話はギクシャクとしたままだった。この手のひらが持つ意味を、俺は後々になって理解することになる――

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