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第6話 年末メランコリー

 駅ビルに着いた俺たちは服屋に向かった。と言ってもブランド品を買おうってわけじゃなくて、あくまで安いやつだ。大きい売り場を持つ量販店に入り、二人で適当に物色する。


「えーと、何がないかな」

「ズボンとシャツがもう一着は欲しいな」

「それだけじゃ寒いでしょー? パーカーか何か買おうよ」

「ごめんね、夏織さん」

「いいのいいの」


 俺の服を選ぶ夏織さんは、なんだかウキウキしているように見えた。決して金に余裕があるわけでもないだろうに、不思議な人だ。


「なんだか楽しそうだね」

「そう? 私はいつも通りだよ」

「いいや、楽しそうだよ」

「そうかな。……まあ、人と住むのは久しぶりだからね」

「それだけ?」

「一人暮らしって、案外空しいものだよ」


 ずっと実家にいたからよく分からないが、夏織さんが言うならきっとそうなのだろう。あの雑居ビルと職場を往復する毎日。たしかに孤独かもしれないな。友達がいるような様子もないし、本当に空しいのかも。


「ねー夏織さん」

「なんだい」

「彼氏とか……いないの?」

「あは。なんだよ、デリカシーあるんじゃなかったのかよ」

「気になったんだよ。一人暮らしがどうとか言うからさ」

「彼氏がいる女が男を拾ってくると思う?」

「思わん」

「そういうこと」


 考えてみれば当然のことなんだけどさ。でも妙にモテそうな女って感じがするんだよな。同い年くらいなのに経験豊富そうだし。いったいどんな人生を送ってくれば、この雰囲気が出せるのだろうか。


「ほらっ、これなんかどう?」

「うわっ、びっくりした」


 夏織さんは近くの棚からパーカーを取り出し、俺の前に突き付けた。灰色のシンプルなものだが、素材は暖かそうだし着心地も良さそうだ。やはりこの人にはセンスがある。


「うん、いい感じだよ」

「そう? 俊くんがいいなら、それにしようか」

「本当にありがとね、夏織さん」

「気にしない気にしない」


 ポイと買い物かごにパーカーを放り込み、すたすたと歩き出す夏織さん。なんだかサバサバしてるなあ。女の人って買い物に時間をかけるものだと思っていたけど。でもまあ、こっちの方が気楽でいいな。


 その後はレジに向かい、夏織さんが例のごとく支払ってくれた。いったい俺のためにいくら使ってくれたのだろう。下手したら一万円に届くぞ。道端で寝っ転がっている酔っ払いに万札を渡すのと同義だ。俺にそれが出来るかと問われると、簡単には頷けないだろうな。


「あっ、着ていくのでタグ切ってください」

「はーい、かしこまりましたー」

「えっ、どゆこと?」

「俊くん、いつまでその汚い格好で私の隣を歩く気?」

「はい、すんません」

「これ俊くんの分だから。ちゃんと着替えてきてね」

「はいよ」


 夏織さんに袋ごとパーカーを渡されて、おとなしく試着室へと向かう。……あれ? 「俊くんの分」って言わなかったか? 夏織さん、自分の服も買ってたのかな。そんな様子はなかったけど。


 不思議に思いつつも試着室に入り、ずっと着ていたセーターを脱いでパーカーに着替えた。鏡を見てみる。……おっ、なかなかいいぞ。自分で言うのもなんだけど、似合ってるな。


「夏織さーん、なかなかいいでしょ――」


 などと言いながらカーテンを開けたのだが、そこに夏織さんの姿はなかった。周囲を見渡してみたが、見当たらない。……もしかして置いていかれた? 服も買ったし後は自分でなんとかしろって?


 呆然とするが、すぐ我に返る。よく考えればここまで世話をしてくれた方がおかしいんだ。いつ家を追い出されても不思議ではなかったし、こうなったのも当然かもしれない。だけどあんまりじゃないか。せめて「さよなら」の一言くらい言わせてくれても良かったのに。


 なんだよ夏織さん、「独り立ちするまでちゃんと支えてあげるから」とか言ったくせに。……なんて、不貞腐れてみる。女々しいにもほどがあるな。ここは大人しく去るとしようか。それでもつい名残惜しくて、名前を呼んでみる。


「夏織さん……」

「なーに?」

「へっ?」


 シャッとカーテンが開く音。振り向いてみると、隣の試着室から夏織さんが出てくるところだった。しかも俺が着ているのと同じ、灰色のパーカーを身にまとっている。……ど、どういうこと?


「え、なんでいるの?」

「なんでって……試着してたからだけど」

「そ、そっか。というか、そのパーカー」

「ああ、これ? 私も気に入ったから買っちゃったよ。似合うでしょ?」


 夏織さんはくるっと一回転してみせた。その姿は可憐で、まるで芸術品のように見える。こんなに綺麗な人を疑ってしまったことを、心の中で深く反省した。


「ど、どうしたの?」

「……いや、なんでもない。綺麗だなって」

「あは、本当? お世辞でも嬉しい」


 受け流されてしまったが、これは本心からの言葉だ。そして綺麗なのは外見だけではない。心の中も透き通っているように思える。……いや、それも違うな。透き通ってはいるけど、その片隅には黒々とした何かが潜んでいる。その正体は未だに分からない。居候の身分で垣間見ていいものなのかすら、分からないのだ。


「っていうか、ペアルックになるけどいいの?」

「何が悪いの?」

「……いや、夏織さんがいいならいいんだけど」

「じゃ、行こうかー」


 何も気にしていない様子の夏織さん。この人、ちょっとズレてるよな。元からズレているのか、新宿という街での暮らしがそうさせたのかは知らないけどさ。面白い人だなあ。


 袋を抱え、量販店を出る。相変わらず新宿駅は混んでいて、帰宅を急ぐ人たちで溢れかえっていた。こんな年末でも働いている人間がたくさんいるんだなあ。この人たちが日本経済の原動力になっているかと思うと、尊敬の念に堪えない。特に、社会人というレールから外れてしまった俺からするとな。


「しゅーんくん」

「ん、何?」

「難しいこと考えてたでしょ」


 隣から声を掛けられた。どこまで他人のことを見ているんだ、この人は。


「いろいろね。思うことはあるよ、やっぱり」

「東京で暮らしていくんでしょ? 何を迷うのさ」

「そうなんだけどさ。実家は嫌いだけど、秋田は好きなんだ……」


 なんとなく俯いてみる。今の言葉は嘘ではない。実家に戻りたくはないが、故郷に対する思いを捨て切れたわけではないからだ。昔の友達もいるし、何より生まれた場所というのは何事にも代えがたい財産。


 行く手を阻むような大雪も、不便な車社会も、少子化の暗い未来も、俺にとっては愛すべきものだった。たしかに東京はすごいところだ。秋田県に住む人口の何倍もの人々が毎日のように新宿駅を利用しているし、秋田にいた頃の何十倍もの情報量が押し寄せてくる。だけど、生まれ故郷は変わらないのだ。


「それなら試してみよっか?」

「何を?」

「いいから、こっち来て」


 夏織さんに連れていかれるまま、南口の方に向かって歩き出す。年齢は同じくらいのはずなのに、いつもこの人に導かれてばかりだ。情けないやら、悲しいやら。


 人の波をかき分けつつ、必死についていくと、間もなく目的地が見えてきた。テレビで見たことはあったけど実際に来たのは初めてだ。昨日の朝は東京駅着だったもんな。そう、ここは――


「バスタ新宿だよ。新宿で夜行バスに乗るなら、ここしかない」


 新宿駅のバスターミナルだ。帰省ラッシュのせいか建物内は大混雑だ。観光地に向かうであろう外国人、ベンチで眠っている若者、家族との再会を喜ぶサラリーマン。多種多様な光景が繰り広げられていた。


「どうしてここに?」

「ほら、あそこ」

「あれは……」


 夏織さんが指さす先にあったのは、券売機の上にある空席案内だった。やはり年末ということもあってか、既にほとんどの便が売り切れているが、ちょうど空きのある便があった。……なんの偶然か、秋田行きの便だった。


「もし俊くんが望むなら、私は秋田までの切符を買ってあげる。それで帰りな」

「い、いいのか……?」

「いいも何も俊くんが決めることだよ。さ、どっち?」

「……」


 ここでうんと頷けば、夏織さんはきっと約束通りにしてくれるのだろう。今実家に帰って、あのクソ会社に頭を下げれば、もう一度元通りの生活に戻れるかもしれない。車で東北を駆け回って、コンビニ飯を食らって、安宿に泊まるあの生活に。


 良い生活とは言えないだろうが、仕事があって家もある生活だ。頑張って働けば世の中の平均くらいの暮らしは出来るだろう。だけど俺はそこから逃げ出した身だ。もう一度戻ったところで、ずっと続けられるかどうか。


 今の状況はそれと対照的だ。仕事はないし家もない。たまたま夏織さんに拾われただけで、本来なら道端で朽ちていてもおかしくなかった。東京というメガロポリスに夢を見て、勝手に失望した哀れな男。それが俺だ。


 両者を比べればどっちもどっち。夢も希望もありゃしない。秋田でサラリーマンとしてすり潰されていくのか、東京を彷徨う亡霊と化すか。だが後者にはおまけがついている。……夏織さんという存在だ。


 何もない俺を拾ってくれたばかりでなく、いろいろと世話を焼いてくれている。こんな人間と出会えたこと、それ自体が大きな財産だ。たとえ人口が多い東京といえども、夏織さんのような女神様はそうそういないだろう。――何より、俺にはこの人から受けた恩を返す責務があるのだ。


「……俊くん?」

「秋田には戻らない。このまま残るよ」

「ん、そうか。理由を聞いてもいい?」

「夏織さんがいるから。それだけだよ」

「……へえ、言うじゃんか」


 俺の言葉を聞いた途端、夏織さんは踵を返して歩き出した。慌てて後を追うように歩を進める。


「か、夏織さん?」

「いやあ、会って二日目の女にそれを言うんだ。俊くんはモテそうだね」

「急にどうしたのさ」

「分かるでしょ? 分かってよ」

「何が」

「……私だって、恥ずかしいんだよ」


 ますます歩く速度を速める夏織さん。照れ隠しのつもりなんだろうが、むしろ愛おしく思える。初めてこの人に一泡吹かせたような気もするな。


「ねー、そんな早く歩かないでよ」

「うるさいよ、居候のくせに」

「でもペアルックはするんだ」

「それが何か?」


 夏織さんはこちらを振り返り、頭に疑問符を浮かべていた。やっぱりこの人はどこかズレている。けどまあ、それも含めて夏織さんだよな。


「別に、面白いなって思っただけだよ」

「えー、何がよ?」

「それよりお腹が減ったよ。何か食べようぜ」

「もー、お金を出すのは私なんだからね」


 ゆうべ(正確には今日の朝早く)に会ったばかりなのに、気がつけばすっかり打ち解けてしまった。やっぱり東京に残ってよかった、と思う。夏織さん、きっといつか恩は返すから――

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