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第4話 卵焼きとチューハイ

「うわあああっ!?」

「うええええっ!?」


 絶叫を聞いて目を覚ますと、何と――俺は夏織さんと抱き合うようにして寝転がっていた! 布団と毛布が絡み合いまさに滅茶苦茶! 何!? 何があったの!?


「し、俊くん何もしてないでしょうね!?」

「何もしてない! 誓って何もしてない!」

「も~~『エロいことはしない』って言ったじゃん!」

「だから何もしてないって!」


 昨日の姿からは想像もつかないほど取り乱す夏織さん。しきりに自分の胸元を覗いてみたり、手足を確認したりしている。おいおい、俺を信頼して隣同士で寝たんじゃなかったのかよ。


「ほ、本当に何もしてないの?」

「してないって。むしろ先にしてきたのは夏織さんだよ」

「えっ?」

「俺の手を握ってきてさ。何回も『しおり』って言ってたよ」

「……そう」


 散々俺のことを責めていたのに、「しおり」の名を出した途端にいつもの調子へと戻った。やはり何かあるな。だが深入りはしないでおこう。


「それより、今何時くらいだ?」

「ちょうど十二時だね。朝……いや、お昼ご飯にしようか」

「俺の分もある?」

「ないって言ったら?」

「泣く」

「子どもじゃないんだから。あるよ」

「ごちそうさまです」

「俊くん、謙虚なのか図々しいのか分かんないよね」


 などと言いつつも、夏織さんはコンロに向かっていった。小さい冷蔵庫もあるみたいで、夏織さんはその中から卵か何かを取り出していた。てっきりコンビニのおにぎりでも奢ってくれるのかと思ったけど、意外と本格的だ。居候としてはありがたいことこの上ない。


「卵焼きでいいー?」

「なんでもいい、食えるだけ有難い」

「やっぱり分かんないの」


 本来なら今日の今頃は道端で腹を空かしている頃だからな。卵焼きだろうが目玉焼きだろうが食べられるならそれに越したことはない。食事というのは全ての人間にとって必要不可欠。秋田にいようが新宿にいようがそれは同じだ。


「ご飯はレンチンしかないけど、いい?」

「いいってば」

「あっそう。お茶碗は私のしかないから、俊くんはパックから食べてね」


 レンチン、とはパックのご飯のことを言っていたらしい。一人暮らしなら炊飯器なんか買わないよなあ。まあ、うちの親は炊飯器があってもあんまり使ってなかったけどな……。


 寝間着のままコンロに向かう夏織さんは、なんだか家庭を持つ主婦のように見えていた。と言っても、本物の「母親」はあんなことしてくれなかったけど。夏織さんが主婦なら俺は何だ、旦那か? ……昨日会ったばかりの女とそんな想像をするなんて、なんだか馬鹿みたいだな。


「出来たよー」

「ありがとう、夏織さん」

「なにその顔?」

「なんか新婚さんみたいだな、って」

「ぶっ!?」


 思っていたことを言ってみただけなのだが、夏織さんが吹き出してしまった。持っていた皿を落としそうになっていたが、なんとか踏み止まる。


「だ、大丈夫?」

「あのねえ、会ってすぐの女の人にそんなこと言わないの」

「照れてるの?」

「呆れてるの」


 夏織さんはちゃぶ台に皿を置くと、再びコンロの方に歩いて行った。いつの間にか電子レンジでご飯を温めていたようだ。用意周到だなあ。きっと職場でもテキパキと仕事をこなしているのだろう。


「ごめん、割り箸しかないのよ」

「いいよいいよ」


 居候してるのはこっちなのに「ごめん」と言えるだけの性格が羨ましい。


「じゃ、食べよっか。ふりかけも適当に使ってね」

「何から何まで悪いね」

「ま、気にしないで。ポリシーだから」


 まるで魔法の言葉である。俺たちは両手を合わせ、昼ごはんを食べ始めた。今日のメニューはパックごはんに卵焼き、そしてふりかけ。俺からすれば豪勢な食事だ。


「あのさ」

「何、夏織さん?」

「あまり驚かないでね」

「?」


 意味深な言葉を口にする夏織さん。俺は割り箸で卵焼きをつかむ。綺麗な黄色だな。こんなに卵焼きらしい卵焼きを食べるのはいつぶりだろう。きっと味の方も――


「んんっ!?」

「もー、驚かないでって言ったのに」

「ごめん、食わせてもらってなんだけどさ」

「うん、まずいでしょ?」

「クソまずい」

「私もそう思う」


 噛んだ瞬間に舌先から伝わってくる辛さ。……なんだこれ。塩を入れすぎているのか? 砂糖も入れるんじゃないっけ? ちゃんと入ってる?


「いやー、我ながらよくも毎回失敗するわ」

「すごいね、ここまで塩辛い卵焼きは初めて食べた」

「そうなの? 秋田の人ってなんでも塩辛くするって聞いてたけど」

「限度ってもんがある」

「へえ、そうなんだ」


 などと言いつつ、夏織さんは自分が焼いた卵焼きをパクパクと食べていた。高血圧になるぞ。酒ばっか飲んでた俺が言えたことじゃないけど――


「やっぱ塩辛いのにはこれだわ」

「!?」


 などと思っていたその瞬間、プシュッという音がした。あっと思った時には夏織さんはチューハイの缶を手にしており、それを口につけると一気に傾けた。


「ちょっ、夏織さん!?」

「はーっ! やっぱこれだわ」

「えっちょっ、ええっ……?」


 呆気に取られているうち、夏織さんは再びチューハイの缶を手に取り、あれよあれよという間に飲み干してしまう。東京ってのは恐ろしいところだな……。


「俊くんも飲むう?」

「いいよ、昨日の酒が残ってるし」

「え~っ? つれないなあ~」

「もう酔ってる?」

「酔うわけないでしょ~? こら~」


 夏織さんはあっという間に酔っ払いに変身してしまった。また塩辛い卵焼きをパクリと口に含み、次の缶を開けている。こりゃ長生きしないぞこの人は。


「も~、俊くんの分も飲んじゃうよお~?」

「なんでもいいけど、今日仕事は?」

「ん? お休み~。年末だからね~」

「普段からこんなに飲むの?」

「飲むよお? お酒が無かったらやっていけましぇ~ん」


 またグビグビと酒を喉に注ぎ込む夏織さん。酔った姿をさらけ出してくれているのだから、やっぱり信頼されているのだろうか。分からん。この人の行動原理が分からん。これも「ポリシー」のなせる業か。って、うん!?


「ほら、飲めよお~」

「んんんんっ!?」


 いつの間にか、夏織さんは飲んでいたチューハイの缶を俺の口に突っ込んでいた! いや~ん間接キッス……なんて思っている場合ではない! まだ二日酔いだっての!


「おらっ、家主の酒が飲めねえのか~?」

「ぷはっ! アルハラ反対! パワハラ反対!」

「え~っ、私に飲まされて喜ばぬ女はいなかったよ~?」

「俺は男だ!」

「いいから飲め飲め~!」

「おぼっ……」


 酒で溺れる! 酒に溺れるってのは聞いたことあるけど! 酒で溺れるってのは聞いたことがないぞ! 頼むから勘弁してくれえ……。


***


「もう終わり~?」

「終わりだよ……いろいろ……」


 世界がこんなにカオスだとは知らなかった。視界は円形になり、脳が溶けるような感覚に襲われ、消化器が内容物を排出しようと努めている。夏織さんはピンピンしているが。いったい何本のチューハイを飲んでしまったのか。見当もつかない。


「俊くん、お酒に弱いんだねえ~秋田人のくせにっ」

「そうじゃなくて、昨日から飲み続けてるから……」

「あは、言い訳しな~い」

「えぇ……」


 などと言っているうち、夏織さんはまた新しい缶を開けた。何事もなかったかのようにゴクゴクと飲んでいるが、このまま見過ごすわけにはいかないだろう。こんな何もない俺を拾ってくれた人間だ。せめて長生きしてもらいたい。俺はなんとか元気を振り絞り、ゆっくりと夏織さんのもとに近寄る。


「なあに~、俊くん?」

「飲みすぎだよ。そんなんじゃ体を壊す」

「え~? 居候のくせに生意気だぞ~?」

「そうかもしれないけど! ……心配だよ」

「いいの~、私なんかどうでも」

「『しおり』のことはいいのか?」

「……」


 やはりこの名前はただの名前ではないようだ。夏織さんは黙り込み、缶をちゃぶ台の上に置いた。そして胸元がはだけそうになっていた寝間着を直したかと思えば――唐突にこちらに飛び掛かってくる。


「俊くん!」

「うわっ!?」


 慌てて夏織さんの体を受け止めると、ふんわりと良い匂いがした。石鹸か何かだろうか。それに全身が柔らかい。……端的に言って、抱き心地がよかった。


「か、夏織さん?」

「ねーえ、俊くん……」

「エロいことはなしだよ?」

「あは、俊くんがそれ言うのお?」


 数時間前から一緒に過ごしてきただけだが、夏織さんは素敵な人だ。間違いなく。だからこそ、なし崩し的に「そういうこと」にはなりたくなかった。


「でもそうだね、エロいことはしないよお」

「……夏織さん、誰にでもこうしてるのか?」

「えっ? なに、ヤキモチ?」

「いや、そうじゃないけど。気になったから」

「そーねー……」


 少し考えこむ夏織さん。しかし、その答えはシンプルだった。


「しないよ。誰にでもはしない」

「『ポリシー』があっても?」

「あは、そうだねえ。たしかに困ってる人間は助ける主義だけどさ。家にまで上げたのは初めてかも」

「どうしてここまでしてくれたの?」

「……」


 夏織さんは俺に抱きついたまま、離れない。だけど、その綺麗な顔は俺の背後の方を見据えていた。……何を見ているんだ?


「あのねえ、俊くんの上着がね」

「上着?」

「そう。道で寝ていた俊くんが起きないうちに、ごそごそっと漁ってみたの」

「えっ!?」

「あは、泥棒するためじゃないよお。変なブツでも持ってないかなって」

「どういうこと?」

「いや、見たとこ同い年だったからさ。水でも買ってきてやろーかな、なんて思ってたんだけど、怖い人だったらヤバいし」

「ああ、なるほど」


 とはいえ、道端の酔っ払いに水を買うだけでも大した博愛精神である。俺だったら見向きもせずに通り過ぎてしまうかもしれない。


「んで、そしたらねえ。タバコが出てきたの」

「ああ……」


 俺が一本だけ吸いかけで放っておいたやつか。それがどうしたと言うのだろう?


「タバコ吸うのかあって思ってたけど、一本しか減ってなかったし。しかもライターとか持ってなかったから、吸い慣れてない人なのかなって」

「そんなことまで分かるのか?」

「分かるよお。こう見えて人を見るのは得意なんだよ」


 初めて会ったとき、只者ではない眼光だと思っていたが。やはり鋭い視線を持っているようだ。


「それでね、思ったの。きっと背伸びしている人なんだなあって」

「えっ?」

「どーせカッコつけで吸ってみたけど、すぐにやめたんでしょ?」

「うっ……それは」

「あは、分かるって。俊くんは可愛いなあ」


 またしても夏織さんは俺の頭を撫でた。犬か俺は。だけどここまで言い当てられては何も言い返すことが出来ない。


「で、どうして俺を拾ってくれたんだ」

「私と同じだからだよ」

「同じ?」

「こうやってお酒ばっか飲んでさ。卵焼きもろくに作れないのに、大人のフリしてるんだ、私って」

「……」

「そう思うと、この人は私の生き写しみたいだなって思って。私の目、そこまで間違ってなかったでしょ?」

「ああ……そうかもな」

「えへえ」


 ギュッと俺を抱きしめる夏織さん。口では余裕ぶっているが、その体は小刻みに震えている。分かっている。この人だって本当は不安なんだ。この街で仕事を続けるのは簡単なことじゃない。明日クビになるかもしれないし、明日この家を引き払えと言われるかもしれない。それでも夏織さんは地に足をつけて生きているんだ。


「なあ、夏織さん」

「なあに?」

「夏織さんは本当に偉いよ。この歳でちゃんと働いててさ、俺を拾う余裕まであってさ」

「そんなに褒めてもチューハイはもうありましぇ~ん。飲んじゃった」

「飲みかけがあるよ」

「ふえっ?」


 夏織さんに抱きつかれたまま、ちゃぶ台に置いてあった缶を取り、一気に飲んでいく。無理な姿勢で飲んでいるから、口元からだらだらと酒がこぼれているが、もはや気にするような状況ではない。


「しゅ、俊くん二日酔いは……?」

「はーっ! やっぱこれだなっ」

「もー、どうなっても知らないよお――うへえっ」

「夏織さんは偉い! 頑張ってる!」


 酔った勢いで、夏織さんの頭を撫でた。半分力任せに、髪がくしゃくしゃになりそうな感じで。


「ちょっ、やめてよお」

「偉い! 本当に!」

「分かった、分かったってばあ」


 手を振りほどいてきたので、撫でるのをやめた。酒のせいか、それとも別の原因か、夏織さんは顔を真っ赤にしていた。


「もー……会ってすぐの女の人にそんなこと言わないの」

「照れてるの?」

「あ、呆れてるの!」


 なんて言いつつも、夏織さんはにこやかな表情だった。散々酒を飲んだせいもあって、この日はずっと二人してぐでぐでと寝っ転がっていたわけだが、それはまた別の話である……。

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