求めるものは自由!願うものは普通!
前回の掟破りの展開に、面食らったかたはごめんなさい。
しかし、邪悪な仮面の私、ついでに言うなら始原なる力も、電認作戦も、かつての私の心の裡に、実際に存在したのは確かです。
そのころはそんな名付けをしていませんでしたが。
単に現在、このテキストを書いているときに中二病的ネーミングをつけた、だけのことですね。
(じゃあ55才病だね!)
はっはっは(笑)
そんなに褒めないでくれよハニー。
さて、あなたにとって「自由」とは何ですか?
主義・主張を選択できることですか?
どこかの国の人が求めていることですか?
家族に干渉されないことですか?
反体制であることですか?
おこずかいが倍になることですか?
一日中寝ていられることですか?
私が婚活のお相手に求めたことも結局は「自由であること」でした。
「奴隷にならない・奴隷を求めない」というのは、その最低限ラインに他ならないのですから。
自己分析するならそれはきっと、私が婚活9重苦であることで感じている不自由の裏返しだったのだ、と思います。だからこそ、あれほどの嫌悪感を抱いてしまったのでしょう。
しかし、お相手への条件の補足として、「自由な人を求めています」、と書くのはあまりにも無意味でした。
「奴隷にならない・奴隷を求めない」人って書いたらドン引きだしね!
自由の意味は、ひとりひとり違うからです。
TVには都合のいいことを映し、都合の悪いことを映さない自由があります。
私にはTVを見る自由と、見ない自由があります。
莫大な契約金を貰うスポーツ選手は自由でしょうか?
好きなことを仕事にして、しかも超一流なのは自由に見えます。
しかし好きなチーム・場所・舞台にいられる自由はありません。そもそもその地位に辿りつくために、過去、どれだけの不自由があったのでしょうか?
ニートは自由でしょうか?
仕事をせずに生活でき、好きなように時間を使えることは自由に見えます。
しかし他人の目から、非難の視線から開放される自由はありません。そもそも現在の自由を得るために、未来、どれだけの不自由があるのでしょうか?
Bさんのように、大多数の人にとっては奴隷にしか思えない境遇に加わることを強制する人もいます。彼女にとってはそれが「自由」なのです。
そもそも、結婚そのものを不自由と捉える人も多いはずです。
「結婚は人生の墓場」とかね。
(うっそだあー)
自由の意味の違い、として、よく話題に取り上げられることがあります。
英語の「フリーダム」と「リバティ」の違いです。
どちらも和訳は「自由」なのですが、
「フリーダム」は「あたえられる自由」であり、
「リバティ」は「つかみとる自由」とのことです。
ただし、実際に言及される「自由」のどこからどこまでが「フリーダム」で「リバティ」なのかは、人と場合によって違うそうです。
やっぱり。
私の考える「普通の結婚」そして「自由な人」とは。
「普通の結婚」とはあたえられる自由のこと。だから、そうあってほしいと願うものであり、お相手に「よこせ」と強制するものではないのです。
そして、私がお相手に求めるのはつかみとる自由を持つ人なのでした。
問題は、当時の私が、自分にとっての自由とは何か、まるで見えていなかったことです。でも、おぼろげながらも確信はありました。
「そのとき」が来たら、自由の意味は判る、と。
(結局、判ったの?)
もちろんさ、ハニー。
さて次回は、いよいよ、最初に返答をもらえた人、Cさんと出会います。
ついに、ついに!
私は生身の婚活のお相手に会うのです!
ねえ、君にとって自由って何?
(うーん……戦うことかな……)
そう。ハニー、愛してる。
ご愛読、ありがとうございます。




