6. 輸出禁止品
それからウェンディは、ルシウスにいらん趣味をぶちまけてしまったショックで、ふらふらと港を彷徨った。
終わった……。絶対変な人だって思われた……。
「おいっ、何ふらふらしてんだ! もう日が暮れるぞ!」
振り返ると、そこにはマークがいた。
「あ、ああ、マーク?」
あはは、とウェンディは薄く笑った。
「なんだ、その、気持ち悪い顔」
マークは顔を顰めた。
「いや、ちょっと、なんでこんな風に産まれてしまったのかと反省してまして」
ウェンディは呟いた。
「頭沸いてんのか、今更だろが」
マークはピシャリと言った。
「ええ……今更……?」
マークの言葉は、ウェンディにブスリと突き刺さった。
「なんだよ、ルシウスか?」
とマークは聞いた。
「相変わらず感が鋭いことで……」
とウェンディは呟いた。
「あいつー……! ちょうど良かった、言ってやらなきゃいけないことあったし」
マークは腕まくりした。
ウェンディは慌てて止めた。
「あ、マーク、違う違う。家畜だから。ぜーんぶ家畜だから」
「は? 意味わかんねーよ!」
マークは怒鳴った。
その時ウェンディは、『家畜』という言葉に反応して、ハッと我に返った。
「あ、そうだ。マーク。変わった牝牛を手に入れたら、すごい乳量で、超コスパいい。超ラッキー。今度繁殖やってみる」
「おう。正気に戻ったか?」
「うん。繁殖いけたら、売れると思うんだ」
「どうかな。ウェンディは自分とこの家畜には甘いからなあ。どの牛?」
「だいぶ前に、ここで見つけた赤毛の牛」
「ああ、覚えてるよ。あれがねえ」
「そう。楽しみにしててよ」
「コスパのいい牛ね。売れると思うよ」
「よっしゃっ! やる気出たっ!」
ウェンディは笑顔でガッツポーズした。
マークは笑顔を返したが、急に顔を曇らせると、突然、
「ところで、ウェンディ。海軍の船が入港したんだ」
と低い声で言った。
「えっ」
「それで、ルシウスに言わないとと思ってた」
「あ、あ、そうだね! さっき言ってた『言ってやりたいこと』ってのはそれ?」
ウェンディは冷や汗が出た。
「そうだ。お前から言うか?」
「う、うん、伝えとく」
ウェンディは頷いた。
急いで教えないと。
「じゃ、頼むわ」
とマークは言った。
ウェンディはすぐに顔をあげた。
「うん、さっそく行ってくるね」
ウェンディはくるりと向きを変え、もう一度ルシウスのいる船着場に走ることにした。
さっきの趣味騒動は、もうウェンディの頭から抜け落ちている。
今のウェンディは、ただのお人好しだ。
ウェンディはルシウスを見つけると、
「ちょっと!」
と呼びかけた。
「あれ、ウェンディ様、また? どうしました?」
ルシウスは驚いたが、嬉しそうな顔をして聞いた。
ウェンディはルシウスに駆け寄ると、耳元で囁いた。
「海軍の船が入港したみたいなんです。もう今日は上がったらどうでしょう」
ルシウスの顔色が変わった。
「そうですか。それはまずいですね。隠れます。教えていただきありがとうございます」
ルシウスは頷いた。
ウェンディは、ふと思いついて
「うちの事務所に来ていただいて構いませんけど」
と提案した。
「えっ、いいんですか? 助かります!」
ルシウスは礼を言って、素直にウェンディに従った。
ウェンディはルシウスを連れて、できるだけ人通りのない道を選び、事務所に走った。そして、やっと事務所の前についたという時、騒がしい声がした。聞き慣れないがなり声。
ウェンディが振り返ると、その者たちは海軍の服装をしていた。
まずいっ。
ウェンディは慌ててルシウスを事務所に押し込んだ。
「あれ〜? なんか女の子がいる」
「ほんとだほんとだ」
海軍兵たちは酔っ払っているようだった。やらしい目でウェンディに近づいてくる。
何、この分かりやすい絡み方! でも、ここは、ルシウスっていう爆弾かかえてるし、あんまり刺激しない方がいいかも。
ウェンディは敢えて落ち着いた態度で、
「こんばんは」
と丁寧にお辞儀をして挨拶した。
しかし、酔っ払った海軍兵たちは調子に乗った。
「お嬢さん、可愛いね」
「かっ、可愛いっ!?」
ウェンディは言われたことのない言葉にドキッとなったが、いやいや違う、と胸を鎮めた。
「道に迷われましたか? ここは卸問屋ばかりの通りですから、お酒のお店はありません。あちらですよ」
ウェンディは邪魔臭さを隠しながら、親切そうなふりをして言った。
「そっかー。ねー、一緒に飲まない?」
海軍兵たちはニヤニヤしながら近寄ってくる。
「無理です。私はお酒は飲めませんし、家に帰らなければなりませんから」
ウェンディは鬱陶しさでイライラしながら、できるだけにこやかに言った。
「そんなこと言わずにさあ」
海軍兵たちはヨタヨタと近づいてくる。
うわあ……。
ウェンディはドン引きしていたが、ここで騒いだら、ルシウスが何事かと出てきてしまう。
それだけは避けないと、と怖い気持ちを押し殺し、足を踏ん張って留まった。
海軍兵はウェンディのすぐ側まで来ると、ウェンディを見下ろして、髪を掬って匂いを嗅いだ。
「へえ。いい匂い」
げえっ、気持ち悪い……。
ウェンディは今すぐにも叫びたい気持ちを抑えて我慢した。
「ほっぺもすべすべじゃん」
海軍兵の一人がウェンディの頬に触れて、指でそっと撫でた。
「キスしてみよっかな」
「あの、港でのこういう行為は犯罪じゃあないですか?」
ウェンディは怖いのを押し殺しながら、気を張って言った。
海軍兵たちは笑った。ウェンディの言葉など意に介さない。
「ねえ、君処女?」
しょ、処女!? そんなの聞く? 当たり前じゃん、地味妖怪舐めんな! いやでも、この状況どうしようかな。
「へえ、肩、小さくてかわいー」
海軍兵たちは調子に乗ったまま、行為がどんどんエスカレートする。
「いーじゃん、気持ちよくさしてあげる」
男たちはウェンディの手首を掴むと、暗がりにウェンディを引き摺り込もうとした。
え、いやっ、助けて! あーでも、声をあげたらルシウス様に……! やばっ!
と思っていたら、バンっとウェンディの事務所のドアが開いた。ルシウスだった。
「あっ、ばかっ」
ウェンディが思わずルシウスに向かって叫ぶ。
「ばかじゃないですよ」
ルシウスは怒りの目で、ウェンディを見てから海軍兵たちを睨みつけた。
「おい、お前らの名前知ってるぞ。ロブに、ベンに、ゲイリー。港の警備隊に言いつけてやる。処分、待っとけよ!」
ルシウスの言葉に海軍兵たちはぎくっとなった。
「お、お前、誰だ? なんで俺たちの名前なんか……」
その時、
「てめーら、何してやがる!」
とマークが用心棒数人を引き連れて走って来た。
「マーク!」
ウェンディがホッとした声を上げた。
「逃すな、おまえら。俺の女に手ェ出そうとしたんだ、ただで済むと思うな!」
マークがどすの利いた声で言った。
海軍兵たちは、やべっと声を上げると走って逃げ出した。用心棒たちが海軍兵たちを追いかける。
マークは、海軍兵たちを見ていたが、ふっとウェンディの方を向いて、
「おい、ウェンディ。分かりやすく絡まれるな」
と怒気の強い声で叱った。
「あ、ご、ごめん、マーク」
ウェンディは頭を下げた。
「何もされてねーか?」
「うん」
「いや、触られてた」
とルシウスが許せないといった声で言った。
「マジかあいつら。手ェ切り落としてやる……!」
マークがまた海軍兵たちの逃げた方を睨んだ。
「マーク、いいよ。もういいから。あんたのおかげで助かったから!」
ウェンディが慌てて言った。
「それよりマーク、ルシウス様よ! 海軍兵の前に出ちゃったんだ、すぐにバレる」
「そうだな」
マークはルシウスを見た。
「ばかな真似したな。まあでもあのまま、おまえがウェンディを見捨てて隠れてたら、俺がおまえを殺ってたけどな」
「ルシウス様、とりあえずこの港は出なくちゃなりません。私の牧場なら、結構緩く人集めしているので、あなたのことを不審がる人はいないと思いますが……」
ウェンディは早口で言った。
「ありがとうございます、ウェンディ様。ですが、あなたの牧場には行きません」
とルシウスは慌てて答えた。
「えっ、では……?」
ウェンディは戸惑った。
その時、納得しないように腕を組んでいたマークが、急に口を開いた。
「ウェンディ、こいつは、この港でやることあるから、これまでここにいたんだろう。それなら牧場に隠れたりはしない」
「……」
ルシウスは目を背けた。
「じゃあどうするの?」
ウェンディはマークとルシウスを交互に眺めながら聞いた。
「それは、こいつの話を聞いてからだ」
とマークは答えた。
「いい加減全部話せ。俺もウェンディも十分巻き込まれていることを忘れるな」
「……」
ルシウスは黙ったままだったが、マークはルシウスから話を聞く気満々だ。マークはルシウスを睨みつけて動かない。
えっと、取込みムード、になるのかな?
ウェンディは、慌ててマークとルシウスを事務所の中に引っ張り込んだ。椅子を勧める。
そんなウェンディの腕をマークが掴んだ。
「おい、ウェンディ。おまえもここに座れ。今日こそきちっとルシウスの話を聞かせてもらうんだ」
それをルシウスが嗜めた。
「マーク、ウェンディに乱暴するな。話すさ。とっても簡単なことだ」
マークはムッとしながら、
「じゃあ、さっさと言えよ」
と言った。
「いや……」
ルシウスは躊躇って、黙った。
しかしマークはルシウスの次の言葉を促すように何も言わない。ウェンディの方も二人に遠慮して何も言えない。
沈黙が流れた。
強いマークの目にルシウスは諦めた。
ルシウスは顔を上げて、ゆっくりとマークとウェンディの顔を見ると、長いため息をついた。
そしてぽつりと一言口にした。
「ここでは、輸出禁止品を見張っている」
ルシウスの言葉に、ウェンディとマークは息を呑んだ。
「輸出禁止品……」
ウェンディが呻いた。
それは一言で充分だった。
「家に帰れないってことは……もしかして、軍が自ら?」
マークが聞いた。
「ああ。身内の話だ」
ルシウスが言った。
三人は押し黙った。
「はっ」
マークが急に手を叩いた。
「そりゃ、大問題だな。おい、ルシウス、まさか一人でやってんじゃないだろうな?」
ルシウスは恨めしそうにマークを見た。
「その話題は勘弁してくれ」
「わかったよ」
マークは頷いた。
「輸出禁止品目って国を守るための技術とかってことでしょう? 軍が輸出禁止品を自ら他国に輸出してるって、自らの首を絞めるんではないの?」
ウェンディは信じられないといった声を上げた。
「輸出禁止品目にも色々あるのさ。現在使用中の武器は当たり前として、古い技術でもう禁止する必要もないものとか、軍事転用を恐れて規制されてる民間品とか、いろいろ幅広く含まれてたりする」
とマークは言った。
「すげー金になる。俺もやりたいくらいだ」
「おいっ、マーク!」
ルシウスが冗談じゃないと言った声をあげた。
「わかってるよ、ルシウス。冗談だよ。でも、俺が扱える民間品くらいだと、バレても大抵は罰金で済むけどなぁ。軍が輸出してるとなると、そーゆーレベルの話じゃねーだろうなー」
とマークは呆れて言った。