5. ワイルドイケメン
「ルシウス様」
ウェンディは、ポルトロー港の船着場から少し離れたところで、腰を下ろして休憩していたルシウスに、小声で話しかけた。
「あ、ウェンディ様」
ルシウスは振り返って微笑んだ。
ルシウスはここ数ヶ月、身分に似合わぬ肉体労働で肌は小麦色で引き締まり、髪が肩くらいまで伸び、髭も生やしたまま、という野性味溢れた労働者の風貌になっていた。これなら、一目では海軍総督の息子とは思えない。
しかし、腰を下ろして寛いでいるといっても、片膝を立て、その膝に片腕を預けて空を見上げている様は、ワイルドな色気が漂っていて、かっこいいわ〜。
ワイルドイケメン?
でも破れた服で小汚いから、あんまり緊張しないのよね。あの昔のキラキライケメンが見る影もない。今のルシウス様の方が、昔のキラキラしていたルシウス様より話しやすくていいわ〜。
っていうか、話しかけたくとも、昔は『全く』話しかけられなかったんだけどね〜。
ウェンディは心の隅っこで思った。
「今日はどこの船の積荷を?」
ウェンディは訊いた。
「今日はハワード・スミス商会の船で働かせてもらいましたよ」
ルシウスはウェンディの顔を見て、やや嬉しそうに笑って言った。
ルシウス様が笑いかけて下さった……。
ウェンディは少しぽーっとなった。
「あ、あ、あの、何か珍しい積荷とか見つけませんでした?」
ウェンディはあられもない顔をしていた自分に気づき、慌てて口を開いた。こうやって人夫に話しかけては情報を得るのが、ウェンディの日課だったので。
ルシウス様については、少し口実にしてる部分もあるけれど。
「珍しい……。そうですね。セメントの質が良くなる火山土ってのを見かけましたよ。いや、土だったんで、積み下ろし、重くてかないませんでした」
ルシウスは少し考えてから、健康そうな笑顔を見せて言った。
「土ですか」
「ええ。まあ話はすぐ市場に出ると思いますけど、買付先じゃ一般的に使われ出してるっていうので、手堅いんじゃないでしょうか」
とルシウスは言った。
「ありがとうございます」
ウェンディはルシウスに礼を言った。
さすがルシウス様ね! 目の付け所もいいわ!
ウェンディは、火山土についてハワード・スミス氏に少し聞いてみるか、と思った。
「でも、ウェンディ様の興味のある分野じゃございませんよね。ウェンディ様の好きそうな物でしたら……」
ルシウスは真面目な顔をして、また考え込んだ。
ウェンディは、げっ、と思った。
「あ、いえいえ! いえいえ、ルシウス様、結構です!」
ウェンディは恥ずかしくなって、慌ててぶんぶんとかぶりを振った。
ワイルドイケメンが私の趣味を知ってるなんて……。恥ずかしすぎるっ! ていうか、ワイルドイケメンに『私の趣味』とかいう、しょうもなさすぎる情報をインプットさせるなんて。
「え? どうしましたか?」
ルシウスはキョトンとした。
「やめて下さい……。『私の趣味』がルシウス様の頭を一瞬たりとも満たしてしまうなんて、恐れ多すぎます」
ウェンディは必死な顔で訴えた。
「ええ?」
ルシウスは、余計に訳がわからないといった顔をした。
あー、しまった。またルシウス様をドン引きさせてしまった。ウェンディは頭を抱えた。
「すみません……」
それからウェンディは話題を変えようと、あたふたと頭の中で考えた。
そして
「ルシウス様は、いつまでこのようなことをなさるおつもりですか?」
と聞いた。
ルシウスはぎくっとした顔をした。
「仮にも海軍総督の御令息ですのに。なんでこんな肉体労働者がするような下働きを……」
ウェンディは続けようとする。
それをルシウスははっと止めた。
「ウェンディ様、やめてください。この港にたどり着き、運良く拾ってもらったのがあなたで、私はたいそう幸運です。私は訳あって家には戻れません。逃げた者としては、身がバレるのも困ります。肉体労働、上等です。生きているだけでいいんです」
「いや、ダメです、ルシウス様。それでは(イケメンが)勿体なさすぎます。訳とは何ですか? 何かここにいる目的があるんではないですか? どうせ私も匿った罪がありますから、手伝いますよ」
ウェンディは言った。
「なんであなたはそんなに私に親切なんです?」
ルシウスがため息をついた。
それから、何か思いついたようにきっと目つきを鋭くして、ウェンディの方を向いた。
「マークが妬いてうるさいんで、あんまり私に関わらないでください。これ以上巻き込みたくないし」
「は!?」
ウェンディはムッとした。
「関わらないって、何様ですか、ルシウス様! とうに私はあなたっていう爆弾を背負ってんですよ。できれば爆発する前に処理したいんです。そこんとこちゃんと考えといてくださいっ」
「あ、ちょっと、大きな声出さないで」
ルシウスはびくっとなった。
「分りました、分りました。今度ちゃんと話しますから」
「お願いしますね」
ウェンディはまだぷりぷりしながら、ツンとして言った。
その時ルシウスが、あっ、と言った顔をした。
「急に思い出しました。ウェンディ様の好きそうな物。ハワード・スミス氏が娘にバッグを作ってやるとかで、珍しい柄のヘビを取り寄せてました。数匹いたんで……」
「ヘビは趣味じゃありません! 私の好きなのは『家畜』です!」
ウェンディは叫んでしまってから、はっとした。
ああ、しまった。ワイルドイケメンに、余計な情報をインプットしてしまった……。しかもいい年の女子が『家畜』が趣味って、痛すぎる! 恥ずかしいよ!
なんとか彼の記憶から消去せねば、消去!
と思っていたら、ルシウスは満面の笑顔になった。
「ああ、そうだったんですね! 漠然と珍しい生き物好きかと思ってました。『家畜』だったんですね。なんかスッキリしました」
ウェンディは泣きそうになった。
「いや、もう、忘れて……後生なんで、どうか忘れて下さい……ルシウス様……」
「いえいえ、今度そういったものを積荷で見かけたら、声かけますね!」
ルシウスは明るい声で言った。
「ルシウス様……忘れて……」
ウェンディの言葉は虚しく空に消えた。