3. 散々なデート
次の日、父に「夕方は用事があるから出かけないように」と言われていたので、ウェンディは屋敷でゆっくりしていた。
すると来客があり、呼ばれるまま客間に降りていくと、そこにはニコニコした父と見目麗しいスコットが待っていた。
「うわっ、今日もイケメンっ」
ウェンディは、眩しさに思わず仰け反った。
スコットはウェンディの挙動不審はスルーして、
「ウェンディ、一緒に観劇に出かけませんか?」
と微笑みながらウェンディを誘った。
「そういうことか! またやられた!」
侍女のマギーの手によっていつもより上等な服を着せられていたウェンディは、父に仕組まれていたことにやっと気付き、頭を抱えた。
しかし、ここまで手を回されていては断れない。ウェンディはイエスと言うしかなかった。
スコットにエスコートされて馬車に促されると、ウェンディは足を止めた。馬車は豪華でさまざまな装飾が施され、まるでウェンディを威圧するように堂々と聳え立っていた。
乗れないっ、こんなピカピカ。馬車の輝く光で、私みたいな地味妖怪、完全に調伏されてしまうわっ。
ウェンディは白目を剥きながら呆けてしまった。
しかし、イケメンスコットは、申し訳なさそうな顔をしながら、
「すみません、お気に召しませんでしたよね。見た目より中身を重視するクレイトン家の御令嬢には、こんなゴテゴテしたハリボテ似合いませんのに」
と言った。
スコットの口調には厭味がなく、逆にウェンディは寒気がした。「そこまで言われては」とウェンディは渋々馬車に乗った。
隣にスコットが乗り込んできたのでウェンディはどきっとした。近い近い、距離が近い。緊張するっ!
と、急にスコットが話しかけてくれた。
「ウェンディ様。お食事はどういうものが好みですか? 伝統的なものですか? それとも最近流行の隣国風のものですか?」
「あ、申し訳ありません、流行などちょっと疎くて」
とウェンディはしおらしさを装って答えた。
本当は嘘だった。
港に頻繁に出入りしていれば、隣国どころか遠い国の食材までも目にすることが多い。たまには付き合いで口にすることもあった。取り立ててどれが好みと言うものはなかったが、その国がその食材を食べるようになったいきさつなどを聞くと、そこかしこに工夫が凝らされていて、ウェンディは感心することだらけだった。
でもそういう事は、スコットには言えない。
スコットはウェンディの言葉を疑いもせず、
「そうですよね。クレイトン家は保守的な家風ですものね。よかったです、好みを聞けて。今度お食事に誘いたいと思っておりましたので」
と少し照れながら言った。
「え、食事? お誘い?」
ウェンディは戸惑った。やばい、外堀を埋められていく。
というか、なんなの、この方。ぐいぐい来るけど。そんなに私と結婚したいの? おかしくない? ほとんど会ったことないのに。
裏がある、絶対。
と思っていたら、馬車は劇場に着いた。
外はもう暗かったので、劇場を飾り立てるようにつけられた街灯や、窓から漏れる光が、恍惚とした光景を浮かび上がらせていた。
そして、列を作る馬車の美しいこと。おびただしい数の着飾った人々。観劇ってこんな世界だったっけ。数年ぶりだからもう忘れちゃってる。
大丈夫だろうか、私ちゃんとやれるだろうか。
ウェンディは気後れして仕方なかった。
もっと気後れさせるのは隣にいる麗しいスコットだった。自分一人だったら、こそこそ隠れて目立たないようにできたのに。この人が隣にいたら否が応もなく注目されてしまう。
影? スコットの影的な感じでいってみる? スコットが輝いていたら、眩しすぎてこっちは顔見えないんじゃないかしら?
でも、無理だった。
もう馬車を降りた途端に、社交慣れした感じの年配の女性に話しかけられた。
「あら、スコット様、今日はお連れ様と一緒なんですね」
「はい。最近婚約しまして」
満面の笑みを浮かべてスコットが答える。
ええっ、早速誰かにバレた!?
ウェンディはがっくりした。
「まぁまぁ、スコット様が婚約? 聞いてませんでしたわ! 申し訳ございません。おめでとうございます!」
その年配の夫人も顔を輝かせた。
今日イチのネタ、見つけたって感じ。
「あ、あ、えっと、ウェンディ・クレイトンと申します。どうぞ以後お見知りおきを」
ウェンディは顔を見られたくなくて、深く深く礼をした。
それがこの年配の女性には、とても腰の低い慎ましやかな娘に見えたようだった。
「クレイトンさんて、あの有能なクレイトン伯爵のことかしら。まぁまぁこんな素晴らしい娘さんいた?」
その女性は顔を紅潮させた。
「あ、申し遅れましたわ。私はアンドレア・ブローニングでしてよ」
ブローニング……伯爵夫人か。よくサロン等を開いている社交界の華だ、とウェンディは思いだした。これは間違いなく、あっという間に噂が広がるな……。
げんなりしたウェンディの心内には気づかず、ブローニング夫人は、
「こんなところで立ち話もなんですから、早く中に入りましょう」
と優雅な仕草で促した。
夫人からは、あなたたちのこと全部聞き終わるまでは絶対離さないわよ、という意気込みを感じた。
その上、スコットとブローニング夫人と共に歩いている間に、たくさんのブローニング夫人のお友達が声をかけてきて、豪華絢爛な劇場エントランスに足を踏み入れたときにはもう、二十人ばかしの興味津々の人に取り囲まれ、その真ん中でウェンディは立ちすくむハメになっていた。
もうウェンディは頭の中が真っ白だった。私、私を見ないで……。場違いなのっ!
誰か、誰か助けて!
気が、遠くなるよー。
その時、スコットは隣で顔を真っ白にしているウェンディに気がついた。
はっと顔をこわばらせると、
「ブローニング夫人、ウェンディ様が体調が悪いようです。申し訳ないのですが、失礼してよろしいでしょうか?」
と早口で言った。
ブローニング夫人もウェンディの顔を見て、これはまずいと思ったらしく
「スコット様、これはいけませんわ! 早くウェンディ様をお連れして」
と言った。
そしてキビキビと馬車を手配したかと思うと、自ら先頭に立ってスコットとウェンディのために人混みの中、道を作り、
「お大事になさってくださいませ」
と親切に送り出した。
こうして、ウェンディは敵陣に数分と留まれず、呆気なく完敗したのだった。
スコットと馬車に乗り込みながら、ウェンディは、ああしまった、と落ち込んだ。
社交界が苦手すぎて倒れそうになるなんて、令嬢としてダメすぎじゃない?
「す、すみません、スコット様……」
ウェンディは心から謝った。
「いえ、こちらこそ体調が悪い中、無理を言ってしまったようで申し訳ありません。本当に大丈夫ですか?」
スコットの声は焦っていた。
スコットが真面目に心配してくれているようで、それもまたウェンディの心を抉る。
「どうぞ、私の肩を貸しますから、楽にしてください」
スコットはそう言って、ウェンディにそっと腕を差し伸べた。
イ……イケメンが私に腕を……無理無理無理……。
ウェンディが体を捩って逃げようとすると、スコットはウェンディの腰に手を回した。
「うわっ! 触れてるっ」
ウェンディが叫んだので、スコットもビクッとなった。
「え、あ、すみません! まだ失礼でしたね」
スコットは汗をかいてすぐに謝った。
ウェンディは顔から火が噴き出そうになった。もうダメだ……。不審者すぎる。絶対嫌われた……!
え? 嫌われた? 一丁前に好かれようと思ってたの、私?
ウェンディは頭がパンクして、もう何も考えないことにした。
スコットが優しくウェンディの手を取り、撫でてくれた。
もう、考えない……。ウェンディは目を閉じて、されるがままになっていた。