2. 港の口利きと脱走兵
ウェンディはポルトロー港に駆けつけると、忙しそうなマークを探して回った。
マークは年端はウェンディとあまり変わらないが、少し小柄な身長に、真っ黒な短髪。穴の空いたよれよれの上着に、油まみれのズボンを履き、このポルトローの港で問題が起こっては呼ばれてゆく。
ウェンディはマークようやく見つけ、腕を捕まえて聞いた。
「ねえ、マーク。港で私の事はどんな噂になってるの?」
「なんだよ、おまえ、急に」
マークは顔を顰めて、ウェンディの腕を振り払った。
「昨日どこぞの貴族様の口から、私が港で噂になってるって聞いたのよ」
ウェンディはマークに詰め寄った。
「まぁこんだけ幅きかせてりゃ、『あれは誰だ』ってなるんじゃね?」
マークはぶっきらぼうに答えた。
「幅って何!? 違うし! ってゆーか、あんたも言って回ってんの?」
「俺は何も言わねーよ」
むしろ誰にも知られたくねーよ。大事な金づるなのによ。マークは歯ぎしりした。
「じゃあ、どこからこの話は出たんだろう……」
ウェンディは考え込んだ。
「とりあえず、私のことあんまり外に出るのは嫌なの。この辺でクレイトン家の噂を聞いたら、握りつぶしておいてくれない?」
「いいけど」
マークはまたぶっきらぼうに答えた。
「で、おまえはどーすんの? しばらくここに来るのはやめるのか?」
「なんで」
「噂になっちゃ困るんだろう?」
「いや、えっと、港で遊んでる私と、クレイトン家が無関係ならそれでいいから」
ウェンディは少し歯切れの悪い言い方をした。ここに来れなくなるのはちょっと嫌だ。
「ふーん? まあ任せとけ」
マークは顎に手をやって、一応受け合った。
ウェンディがほっと胸を撫で下ろした時、
「ていうかおまえ、婚約者ができたってホントか?」
と、いきなり意地悪そうな顔してマークが言った。
「げっ、なんでそれを」
ウェンディは後退りした。
「おっと危ない! それ以上後ろ行くと荷にぶつかるぞ!」
マークは慌ててウェンディの腕を掴んだ。
「あ、ああ、ごめん」
「ほんと落ち着きねんだから」
マークはため息をついた。
「で、なんでそれを?」
ウェンディはもう一度聞いた。
「ん。今朝マギーから聞いたよ」
また侍女のマギーか。余計なことを! どうせ婚約はなかったことにしてもらうつもりだったんだから、黙ってようと思ってたのに!
「なんだよ黙って。すげえイケメンて聞いたけど。おまえ恥ずかしがってんの?」
マークはチラリとウェンディを見ながら言った。
ウェンディはちょっと胸がちくっとした。マークのその顔に見覚えがあったから。
それで、ウェンディはちょっとトーンダウンして、
「婚約はしないから、迷惑かけるし」
と呟いた。
マークはふいっと顔を背けた。
「別にそいつと結婚してもいいんじゃないか? おまえのイケメン好きはみんな知ってるし」
ウェンディはマークの態度に腹が立った。
あんたが言うか? 私たちは共犯者じゃないか!
「うるさいな! イケメンに犯罪者を娶らせるなんて、イケメンに失礼だろうがっ!」
「お、ああ、そうかな?」
マークはウェンディの勢いにたじろいだ。
「いや、えーっと別に、おまえは俺に全部をなすりつけて、一抜けしてくれて構わないんだぜ?」
マークはそっと言った。
「そういうわけにはいきません。むしろ私があなたを巻き込んだのに」
ウェンディはプイッとそっぽを向いた。
「へえー、あー、まあ、いーや、俺には関係ねー」
マークは頭を掻くと、ウェンディに背を向けて行ってしまった。
一人になると、ウェンディはちょうど停泊しようとしていた船を見上げた。
鯨かな。
鯨の船は、男たちの気色が違う。肉を食らう獰猛な鯨と殺りあうだけの覚悟が漂っているし、武器の扱いに手慣れた者が乗り込んでいる。
大海原に砂粒のような鯨漁船と鯨。出会うことの方が難しそうなのに、出会わなければ帰って来られない。出会っても、死闘を制して鯨を仕留められなければ帰って来られないのだから。男たちは自然と野性味を帯びていて、正真正銘の海のハンターだ。
苦手だ。
そして、ウェンディは今心に思い浮かんだ心配事に、はあっとため息をついた。
そして、港をぐるりと見渡した。
なぜ。
ほんとに、なぜ。
鯨の船が寄るような、こんなポルトローほどの大きな港に、なぜあいつはやって来たのだろう。お尋ね者のくせに。
なぜ、毎日知らぬ顔して、船に荷を積む下働きをしているんだ、おまえ。海軍総督の息子が!
ウェンディは頭を振った。
あの男、ルシウス・グリーンバーグは海軍から逃げて来たと言った。総督の息子が自ら軍を逃げるなんて、万死に値するだろう。
そしてそれを私は庇ってしまった……。なぜ? いや、それは分かってる……、ルシウスはイケメンだったし、港の路地裏で濡れた子猫みたいに蹲っていたのが、あんまり可哀想だったから。
ルシウスは、逃げてきた理由は言わなかった。「助けて欲しかったらせめて理由くらい言え」とマークは詰め寄ったが、ルシウスは決して口を割らなかった。
まあいっか、とウェンディは思った。とにかく助けましょう。そりゃ、ルシウスのことがバレたらウェンディやマークだって絶対無事ではいられない。でもウェンディには、困っているルシウスを見捨てられなかった。
ウェンディには、遠い日の記憶、ある昼下がりの光景が思い出された。
はじめての親戚のお茶会。9歳だったか10歳だったか、ウェンディのお茶会デビューの日だった。そこで、なんかかっこいい人いるっ!と目が釘付けになったのが少し年上の少年、ルシウスだった。
でもルシウスはウェンディと違って明るくて華やかで、そしてとっくに婚約者がいた。
あの時のウェンディはまだ無邪気だったので、話してみたいという思いに忠実に、小一時間ほどずっとルシウスの周りをウロウロしてみた。しかし、大人気のイケメン少年は常に人に囲まれ、近づくことさえできなかった。
そりゃそうだ。紹介してくれる共通の知人がいなければ当たり前。頼みの父はああ見えて仕事人で、高官と難しい顔をして話しこんでいる。母は友達のマダムと一緒に、別の色っぽいイケメンを追いかけて忙しい。仕方がない。
と思っていた時に、ふと幼心に決定づけるようなことが起こった。ウェンディと同じように、その日お茶会デビューしたメアリー・ブローニング伯爵令嬢が、ささっとタイミングよくルシウスに近寄ると、彼の興味を呆気なく攫ってしまったのだった。メアリーはウェンディより歳下だというのに。
ウェンディはそのとき、ようやく自分の身の丈に気付いた。ああ、やめよう、なんか天性のものが私には足りない。地味な私が彼とお話するなんて一苦労。柱越しにイケメンを眺めている方がよっぽラクだわ。
そのときの強烈な負け組感が、ウェンディのその後の卑屈な人格形成に多大な影響を及ぼしたのだが、意外とそこからは、ウェンディは幸せに大きくなった。
イケメンは運良く見れたらラッキー!と割り切ったら、無理な努力は必要なかったから。お洒落をする必要も、イケメンと会話する機会を求めてあちこちのお茶会に出かける必要もなかった。
そしてその空いた時間で、ウェンディは趣味を開拓した。港の雑踏が好きでよく眺めに行っていたのだが、ついに自分でも商いに手を出してみたのだった。
最初も今も、子供の趣味の領域を出ない、細々とした商いだけれども、港には市場に出ない珍しいものがいっぱいで、気に入ったものをさっと手に入れることができた。
ウェンディは特に珍しい種類の家畜系が大好きで、自分で開いた牧場に集めては、新しい価値を探したり、品種改良に使ったりした。
ウェンディは趣味の牧場にお金を入れるために、興味のない物も売り買いしたが、不思議なことに、興味のない物の売り買いの方が利益が出た。
こうしてウェンディは、一応港に店を構えるほどの身分となり、番頭を置き、港であちこち顔の効くマークとも仲良くなり、そこそこ楽しくやっていた。
そして、ルシウスが罪人になって、この港に逃れ逃れやって来たのだった。
ルシウスを拾ったことをマークに相談すると、
「甘いね」
とマークはウェンディに言った。
でも結局マークもウェンディを助けてくれた。
マークが裏切ればウェンディは簡単に破滅する。マークはウェンディの命運を握る男になった。
マークにルシウス。
こんな危なっかしい立場の私は、絶対にあんな麗しい公爵令息とは釣り合わない。
やはり、スコット様との婚約は、考え直してもらわないといけないわ。
もし少しでも面白いと思って下さったら、
励みになりますので、
下の評価欄☆☆☆☆☆の方、よろしくお願いします。