16. まさかのルシウスの婚約者
ウェンディは、王宮に出てもいいようなシックな服に着替え、スコットはその間に、訪問の意を告げる使者を王宮へ送った。
そしてウェンディはスコットに付き添われ、王宮へと出向いていった。
王宮の会議の間にはたくさんのお偉いさんと事務官が集まり、海軍の事態の収拾について話し合っているらしい。
ウェンディは、ごくりと息を呑むと、
「失礼いたします!」
と言って会議の間の扉を開けた。
「おや、これはウェンディ!」
クレイトン伯爵が嬉しそうな声を上げた。
思いがけない空気で歓迎されたので、ウェンディとスコットは足を止めた。
なんで嬉しそう?
でもすぐに分かった。
「あれ、これはこれはスコット殿まで〜。皆様、こちらがうちの娘なんで、以後お見知りおきを〜。それで、こちらはスコット・クロフォード殿です。いやなんと、うちの娘と婚約しましてね! いや、早く皆さんに報告したかったところだったんで、ちょうど良かった」
とクレイトン伯爵は嬉しすぎて赤ら顔になって、饒舌に二人を紹介した。
「お父様、今日はそんな用件ではありません」
とウェンディは閉口したが、
「こらウェンディ! 皆様にちゃんと挨拶しなさい!」
とクレイトン伯爵に窘められる始末。
「おや、スコット、どうしたんだい?」
とスコットの父親のクロフォード公爵まで歩み寄ってきた。
どこからともなくパラパラと拍手の音が鳴ったかと思うと、その音はどんどん大きくなり、会議の間は婚約を祝う拍手にすっかり包まれてしまった。
あれ? これ、ただの婚約お披露目になっちゃってるじゃん……。
ウェンディは牙を抜かれた気分になり、後退りしそうになった。
スコットはそんなウェンディの背を支える。
そのとき、ウェンディの目に、呆れ顔のマークが飛び込んできた。
「マーク!」
ウェンディは小さく声を上げた。
マークは、一目で有力な商人と分かる者たち幾人かと一緒に立っていた。港の管理組合だ。
「何やってんだ、おまえはよ」
マークは小声でウェンディを詰った。
「マーク!」
ウェンディは、マークに駆け寄ろうとした。
慌ててスコットがウェンディの腕を掴み、引き寄せた。
「ウェンディ様、今は周りをご覧ください」
「でも!」
とウェンディは言い返した。
ウェンディはマークをずっと心配していたのだ。
マークはぐったりと疲れているようだった。服は薄汚くあちこちが破け、何より血でべっとりと汚れていた。
「マーク、怪我は?」
「怪我はしていない。俺は逃げ遅れた人を助けていただけだから」
「そうなの。あんたが無事で良かったわ……。今、港はどんな様子なの?」
「……」
マークは何も答えなかった。
「マーク?」
ウェンディはマークの腕に縋りつこうとした。それをスコットがまた強く腕を引き、マークはふいっとかわす。
「ウェンディ、ルシウスもいるよ」
とマークは言った。
「俺たちがルシウスを拾ったとき、まさかこんなことになるとは思わなかったな」
ウェンディはキョロキョロと辺りを見渡すと、自分を見ている大勢の人の目の中に、ルシウスを見つけることができた。
ウェンディが「あっ」といった目をすると、ルシウスはふいっと目を逸らした。
「ルシウス様?」
ウェンディは呟いた。
それからマークは横でふっと笑った。
「あのさ、実はおまえの事務所で暴れてさ、ぐちゃぐちゃにしちゃったんだが、まあその後どうせ海軍に港全体壊されたから、もういいよな」
「はっ!?」
ウェンディは訳が分からなくて思わず声を上げた。
「ははっ」
とマークは笑った。
「おまえのその顔。ここには文句言いに来たのか? 俺たちもだ。補償は後でゆっくりと請求するが、とりあえず一時避難所を充実させろと言いにきた」
「そうだったの」
ウェンディは頷いた。
「ルシウス様は?」
「一般海軍兵のとりあえずのところの処遇について、頼みに来たようだ」
とマークは答えた。
ウェンディはもう一度ルシウスを見た。
ルシウスは、今度はウェンディの目を見てゆっくり微笑んだ。
「ウェンディ。文句だって?」
クレイトン伯爵が驚いた声を上げた。
いや、何驚いてんのよ。逆に、婚約お披露目とかの方がおかしいでしょうが!
ウェンディは恨めしそうに父親を見た。
「お父様! 私の(大事な家畜の)取引がメチャメチャよ! どうしてくれるの!」
ウェンディはツカツカとクレイトン伯爵に近づきながら言った。
「ウェンディ! 国の安全保障を揺るがす大事件だったんだよ!」
クレイトン伯爵は、娘に声を荒げられたので、必死で弁解した。
「でも、お父様、どう見てもやり過ぎよ! 一般人関係ないし」
「私は売国奴どもを掃討したんだ。犠牲はもちろん承知だ。だから補償はきちんとしようと思ってるよ」
クレイトン伯爵は大袈裟に腕を広げて見せた。
「そりゃお父様、補償は絶対、絶対、絶対よ、よろしくね。でも、それだけじゃなくて、私、違ったやり方もあったんじゃないかって言いたいのよ!」
ウェンディは声を張り上げた。
「違ったやり方……」
クレイトン伯爵は繰り返した。
その時突然、
「ウェンディ様、よくぞ言ってくださいました!」
と端の方から女性の声が上がった。
その場にいたものは皆、「誰」と驚いて声の主の方を見た。
ウェンディは、何か見たことあるな?と考えてから、ハッと気付いた。
ルシウス様の婚約者だっ!
だいぶ昔のお茶会で見たわ! あの頃はもっとあどけなかったけれど。
でも、なんでこんなところに?
「ウェンディ様、私のルシウスが大変お世話になりましたわ。私達は他の仲間と共に、海軍の首謀者を探っておりました」
ルシウスの婚約者、ロージー・セメンス伯爵令嬢は言った。
ええ〜! この人も当事者!? 知らなかった! ルシウスには仲間がいるのは知ってたけど、まさか婚約者の令嬢が仲間だなんて。いや、むしろ、こっちが指示出す方?
ウェンディはあまりのことに口が利けなかった。
その場にいた者も皆、「こんな娘が」と驚いて固まっていた。
「クレイトン伯爵様、私たちに任せてくだされば、被害を最小限にしてやって見せましたのに」
とロージーはクレイトン伯爵に向かって言った。
ルシウスがロージーを心配して、早足で近寄った。
クレイトン伯爵はまさかこんな若い娘が関係していたとは知らずに、呆気に取られていた。
「君が、海軍の脱走兵を指揮して?」
「いえ、指揮するだなんて言葉が過ぎますけど。クレイトン伯爵様、もう少し味方陣営の方に目を向けて、私たちに気付いてくだされば。私たちは喜んで駒になりましたのに」
ロージーは言った。
半分は詭弁だろうが、その堂々とした口調には相手を説得させるものがあった。
場の空気は一変した。
私が出る幕なかったわね、とウェンディは胸を撫で下ろした。お父様に文句言いたいっと思ってここまで来たけど、そもそもこうやって注目されるの、あんまり得意じゃないし〜。
しかし、ウェンディがそっと群衆に隠れようと思っていた時、
「ウェンディ様のおかげで言いたいこと言えましたわ! ありがとうございます」
と、ロージーがウェンディをもう一度引き合いに出した。
うわっ、この場の空気、擦りつけられた!
とウェンディが思っていたら、
「そうか、おまえたちの言いたいことは分かったよ。他にやり方があったこと、認めよう」
とクレイトン伯爵はウェンディとロージーに向かって言った。
小娘たちの正面からの文句には、お父さんも弱かったようだ。
「え?」
ウェンディは父親のあっさりとした引き際に驚いた。
「ウェンディ様、お声が届きましたね」
とスコットはウェンディに小声で言った。そして、ウェンディの肩をぽんぽんと叩いた。
「え、ええ……。まさかこんな風になるとは思いませんでしたけど」
ウェンディは少し戸惑いながら答えた。
場の空気は少しざわついていたが、皆、親子ゲンカには同情気味で、娘に苦労している貴族からは涙のようなものが見えたりもした。
ウェンディは青ざめた。
あ……しまった、何この空気……。
その時、クロフォード公爵がパンパンと手を叩いた。
「ささ、皆さま時間がありませんぞ。話を戻しましょう! クレイトン伯爵の寛容なご姿勢をご覧ください。今後このような心で港の件には対応すべきですな!」
クロフォード公爵が音頭を取って、場の空気を引き取った。
会議の間の話題は、ウェンディたちが中断する前に戻り、当面の対処について、これはこうそれはそう、とどんどん話がまとまっていった。
ウェンディはほっとして、会議の間を退出しようと思った。
そして、その前に、もう次いつ会えるか分からないマークやルシウスの方を見た。
二人はウェンディの視線に気付き、にっこりした。
ウェンディも微笑み返した。
「しばらく、さよなら」
そしてウェンディがスコットに支えられて席を外そうとしていた時、突然ロージーが近寄ってきた。
「ロージー様?」
ウェンディが怪訝そうな声を上げると、ロージーは笑顔を見せた。
「ウェンディ様。私とお友達になっていただけませんこと?」
とロージーは言った。
「お友達?」
ウェンディは訳が分からない、といった顔で自分を指差すと、ロージーは頷いた。
こんな私と?
令嬢のお友達なんていたことないけど。
「だって、あなた素敵ですもの。港の補償の件も今後お手伝いしますわ! スコット様も、今後ともぜひよろしくお願いいたします。お義父様になられるクレイトン伯爵に逆らってウェンディ様に付くなんて、好感度爆上がりですわ」
ここまでありがとうございます。
次話最終回です。