14. ねえ、私のことを騙していたの?
以後ヒロインがんばります。
さて、港の騒動は、その日の午前中うちに片付いたようだ。
海軍の船は、陸軍のフォックス将軍の兵により鎮圧され、拘束された海軍兵は『輸出禁止品に関する重大な違反』に関係するかどうか、一人一人丁寧に調べられることとなった。
そして重要参考人として、民間のハワード・スミス氏とテレーズ・シュワルツ嬢が捕えられた。
にしても、港は見事に破壊され、暫く使い物にならない。
輸出禁止品で港が一つ消えてしまった……。
これは、重大な輸出禁止品の取引は国家反逆に相当する、と王宮が宣言したようなものなのだろう。まあ、国の安全保障の面からすれば、当たり前なのかもしれない。良い見せしめになったようだ。
新聞記者が続々とポルトロー港に集まってきていた。
「お嬢様!」
昼前になってやっと、ウェンディ付きの侍女が、無礼を承知で部屋に駆け込んできた。
本当は騒ぎが始まった時点でクレイトン伯爵の屋敷にもポルトロー港の噂が入ってきていたが、全部執事がウェンディの耳に入らないように止めていた。
しかし、噂は完全には遮ることはできない。侍女は、弾む息のまま、ウェンディの耳元でポルトロー港での騒ぎを伝えた。
「えっ!」
ウェンディも顔色を変えた。
「どういうことなの? 港はどうなっているの?」
ウェンディは思わず声をあげて、侍女に詰め寄った。
ウェンディの側にいたスコットが目を上げた。
「どうかしましたか?」
「スコット様。ポルトロー港で陸軍が海軍を制圧したんですって」
ウェンディが真っ青になって言った。
「ああ、そうですか」
とスコットは冷静に答えた。
「スコット様、なんですか、なんでそんなに冷静で……」
と言いかけてウェンディは止まった。
「もしかして、お父様とスコット様はご存知でしたの?」
そうに違いない。そうとしか思えない。この謎なおうちデートは、父が私を外に出さないための、私をポルトロー港に行かせないための、ただの足留め。
父は今日、ポルトロー港で海軍と陸軍が衝突することを知っていた……?
「まさかお父様が差し金を……? ってことは、フォックス将軍の部隊?」
ウェンディは父と懇意にしている、あの柔和な顔をした老将軍を思い出した。
「意外と鋭いですね……」
とスコットはため息をついた。
「だから、クレイトン伯爵もこんな芝居を打ったんでしょうけど」
「芝居……」
ウェンディは絶句した。
それから、ウェンディはすぐに侍女に聞いた。
「で、港の様子はどうなの? 交戦があったとして、港は無事なの?」
「海軍の抵抗が激しくて、港は壊滅状態だと聞きました」
「なんですって!? 壊滅! 港の者たちは!?」
ウェンディの頭に、マークやルシウス、そして自分の事務所で働いてくれていた者たちの顔が思い出された。
「行かなくちゃ!」
ウェンディは、立ち上がった。
慌ててスコットがウェンディの肩を掴む。
「だめですよ。どうせ戒厳令を敷いているでしょうから入れません」
「知っている人たちがたくさんいるんです!」
「何があっても、今日はあなたをこのお屋敷から出すわけにはいきません」
スコットは強い口調でピシャリと言った。
ウェンディは腹立たしさを覚えた。
「あなたは何なんです? 父の犬? おうちデートはあなたと父の芝居だと仰いましたわね。いくらあなたがイケメンでも、もうあなたのことは信用しませんわ」
スコットは動きを止めて、ごくっと息を呑んだ。
「それは残酷なことをおっしゃいますね……」
スコットは辛そうに言った。
「じゃあ私を騙してたことを、ちゃんと私が納得するように説明してください」
ウェンディは目を釣り上げてスコットを睨みつけた。
「最初に一つ言わせてください。決してウェンディ様を騙すつもりはありませんでした」
「どんなつもりだったかなんて、そんなことはどうでもいいんです。なぜお父様は、陸軍に海軍を制圧させたんですか?」
「それは、あなたが匿っていたルシウス様に関係しています」
「え? なぜルシウス様のことを知っているんですか?」
ウェンディは驚いた。
「あなたのことを溺愛して止まないあなたのお父上が、あなたが港なんかに出入りして黙って見ていると思いますか? それはもうすごい情報網が敷かれてましたよ」
スコットが呆れて答えた。
「本当に怖い舅殿です。あなたを泣かせたら私は消されるでしょうね」
ウェンディは全部父の承知の上だったと聞いて、戸惑いを隠せなかった。
「え、では海軍の輸出禁止品の取引のことも?」
「ええ」
スコットは頷いた。
ウェンディは結構ショックを受けた。
父は私をいつ何時も見張っていて、娘が巻き込まれる危険を感じたので、さっさと先に全部解決しようとしたのだ。それで港が一つ壊滅。
こわーーーっ!
恐怖でしかないんですけど!
それから、ウェンディはスコットを見た。
ーそして、この人は父に送り込まれて私の元に来た。
「で、あなたは? あなたは、なぜ私に近づいたんですか? 父の駒だから?」
スコットはふうっと息を吐いた。誤解を招きそうだが、言わないわけにはいくまい。さっきから、弁解ばっかりだ。
「私は別件でポルトロー港に用がありました。でもそれは、この婚約とは完全に関係のない話なんです! 分かってください、あなたへの気持ちは嘘じゃありません」
別件? やっぽり隠し事があったんだ……。
そうよね。
ウェンディは心が冷めていくのを感じた。
もう二度とイケメンなんか好きになるか!
ウェンディが黙ってしまったので、スコットは焦った。
「本当にウェンディ様を騙すつもりはなかったんです! 別件って、あなたが前に聞いた、私の昔の恋人のことですよ。あれがポルトローの港にいると聞いて、悪い予感がしたんです。あれには社交界で、挨拶がてらたくさんの要人を紹介しましたから」
「それで、その人が海軍の輸出禁止品の取引に関わっていたから、私の父の仲間になったのですね……」
ウェンディはどす黒い思いで胸がいっぱいになった。
スコット様の昔の恋人が悪いことしてた……。だからスコット様は、私を利用してお父様に近付いて、そしてお父様と一緒に片付けた……。
私はお父様に近付くための、駒。
ああ、もう、こんなのと結婚しなくちゃならないなんて、最低すぎるでしょ。これは絶対、婚約破棄案件!
そりゃあ、父は許さないかもしれないけどね。私を見張りまくるくらい狂気に取り憑かれた父だもの。
でも、家出してでも、伯爵家の名前を捨ててでも、あの父と、この婚約者からは逃げるわ! じゃなきゃ、気持ち悪いもの! お父様に監視されて生きるなんてまっぴらだし、こんな便利扱いされただけの結婚なんて絶対に嫌!
こんなの、お終い!
ウェンディの心の中で、終了のホイッスルが鳴った。
ウェンディが心の扉を閉ざしてしまったことに、スコットは気づいた。
……………………..
胸が痛む。
スコットは目を閉じた。
いつから、ウェンディのことを考えるだけで、こんな風に苦しくなるようになったのだろう。
昔の恋人、テレーズ・シュワルツ絡みでポルトロー港に出かけた時、ウェンディを見かけた。
ウェンディは赤毛の牛を優しく引いて歩いていた。どこぞで買ったばかりなのだろう。しかもだいぶ良い買い物だったように見える。彼女の頬は紅潮して輝いていた。
形の美しいスカートを履いた娘が牛を引くのは珍しい光景だったし、その娘の身なりが思ったよりずっと上等だったので、スコットは興味を惹かれたのだった。
スコットはすぐに、近くの者に「あれは誰だ」と尋ねた。するとその者は、「貴族の娘さんという噂だ」と答えた。
なるほど、身なりが良いのはそれで分かったが、今度は逆に、貴族の娘さんがなぜこんなところにいる?と疑問が残った。
それで、港を訪ねるたびに、彼女のことをさりげなく聞いて回った。
そうして、その娘さんが、クレイトン伯爵家の令嬢なこと、港で趣味の商いをやっていること、特に家畜の取引に熱心だということを知った。
変な女だと思った。でも、港での彼女は生き生きして、笑顔が堪らなく素敵だった。
翻って、社交界の方で情報を集めようとしても、全く話が浮いてこない。独身、恋人無し、婚約者無し、ということは分かったが、その為人となると、皆首を傾げる。
まあでも、「恋人がいないなら」とスコットは嬉しく思った。
しかし、港に行くと、ウェンディには楽しそうによく話す男がいることが分かってきた。スコットは焦りを感じ、すぐにでもウェンディを自分のものにしたいと思った。これが嫉妬というものかと、スコットは初めて自覚した。
そこからは大急ぎで、すぐに自分の父のクロフォード公爵に話をした。
クロフォード公爵は喜んだ。
スコットが、何処の馬の骨とも分からない女と付き合って、別れてからはそういった話がなかったので、そろそろ身を固めてほしいと思っていたからだ。その点、ウェンディという娘のことは聞いたことがなかったが、クレイトン伯爵といえば王宮でもなかなかの遣り手で、この縁談は申し分ない。
クロフォード公爵は両手を挙げて賛成した。
クレイトン伯爵の方も大喜びだった。娘がこれまで全く浮いた話がなかったので、そろそろよい縁談をと思っていたらしい。
スコットには、すぐに、クレイトン伯爵が娘を溺愛していることが分かった。
どこで娘を見染めたのか、娘のどこが気に入ったのか、娘の趣味をどこまで受け入れるかなど、事細かに、本当に尋問に近いくらい聞かれたからだ。スコットは、これは面接だな、と思った。
しかし、このクレイト伯爵との話の中で、ウェンディが巻き込まれかかっているスキャンダルに話が及んでしまった。
スコットもクレイトン伯爵も急に身構えた。お互い脛に傷を持っていたので。
脛の傷とは、スコットは昔の恋人テレーズ・シュワルツについて、クレイトン伯爵はウェンディが匿っている海軍脱走兵ルシウス・グリーンバーグについて。
しかし、お互い何か知っている以上、隠しておくわけにはいかなかった。スコットとクレイトン伯爵は、慎重に、お互いの腹を探り合いながら、知っている情報を交換した。
そして、誤解がないように打ち明けた後、二人は意気投合し、ウェンディを守るために今回の計画を練りだしたのだった。
だが、今、ウェンディは、完全に前後関係を誤解している。
スコットはなんとか誤解をとかなければならない。
………………………..
「ウェンディ様、私が昔の恋人の不審な情報をクレイトン伯爵に話して、今回のことを決めたのは、全部、私があなたとの婚約を打診しにきた後のことなんですよ」
「そうですか。それを信用しろとおっしゃるの?」
ウェンディは冷たい。
スコットは真っ直ぐにウェンディの目を見た。
「何度でも言いますよ。私はあなたが好きですから」
ウェンディはため息をついた。
「どうやったら、私はそれを信じられるでしょうか?」
そりゃ、私だって、スコット様を信じられるものなら信じたい!
ウェンディは俯いた。
私を利用したわけではないって。隠し事だってやましいものじゃなかったんだって。
もしかしたら、そう思い込むことはできるかもしれないけど、疑惑が残る心配だらけの、そんな結婚生活は嫌!
はっきりとスコット様を信じられるってことが分かったら、どんなに嬉しいか。