10. 真っ赤な女
(侍女のマギー視点です)
マークに言いたいことを言って、ウェンディの事務所から屋敷へ帰ろうとしていたマギーは、急に暗闇の中から女の声に呼び止められた。
「ねえ。あなたがマギー?」
マギーは、ギクッとした。こういう風に路地裏から話しかけられる事は前もあった。たいていは碌なことにはならない。
もう帰りたいのに。
「誰ですか」
マギーはうんざりしながら聞いた。
「多分あなたが探してる女よ」
と声の主は言った。
ほらみなさい厄介事、とマギーは心の中で思った。
「だいぶあちこち嗅ぎ回ってるみたいだったから、私の方から挨拶にきたの」
女は笑った。
「それは丁寧にどうも。テレーズ・シュワルツさん、ですかね」
マギーはため息を吐きながら返事した。
テレーズ・シュワルツ。スコット様の昔の恋人。
真っ赤なドレスがたいそう似合っている、美人。
なんて豊かで艶やかな金髪だろうね。
マギーはそれに関しては感心した。
「ええ。テレーズよ」
とテレーズは頷いた。
堂々とした女だわね。姿勢もいい。
マギーの額から汗が流れた。
「私に何の用ですか?」
「警戒しないでよ。あなたの知りたいことはちゃんと答えるから。その代わり、もうあんまり嗅ぎ回るのやめてくれない? 騒がしいの、迷惑なのよね」
とテレーズは言った。
「ええ、じゃあ……」
とマギーは考えた。
スコット様の昔の恋人に聞きたいこと。ちゃんと別れたのか? 身分が違うことを知っていて、何故付き合っていたのか? 馴れ初めは? 何故別れたのか? 港には何か縁があるか?
そう考えてから、マギーはテレーズについて知りたがってたことが、あんまりにも低俗すぎたので、口に出すのが恥ずかしくなった。
なんだかどっと疲れて、
「なんか、面と向かっては聞くのが情けないんで、もういいです……」
とマギーは苦笑した。
ふふっとテレーズは笑った。
「えー? スコット様絡みのことなんでしょ? あなたのご主人、スコット様の婚約者なんですって?」
「あ、はい」
マギーは頷いた。
「婚約かぁ、いいわね〜」
本当に羨ましいとは思っていない口振りで、テレーズは言う。
ちっ、嫌なヤツ、とマギーは舌打ちした。
「スコット様から、私とは別れたって聞かなかった?」
テレーズは面白そうだ。
「そういう噂でしたね。本当ですか?」
とマギーは一応話を合わせてやろうと思って尋ねた。
テレーズは当然、といった顔をした。
「本当よ。というか、たいして真面目に付き合ってなかったから!」
テレーズの言葉にマギーは苛立った。何だこの女、と思った。何を昔の恋愛話を勿体ぶって話してんだ。そんなしょーもない話なんか聞きたくないわ、この話題は終了。
それでマギーはテレーズの目を見た。
「いや、では、スコット様のことはもういいです。それより、テレーズ様は、ここには何の御用があってよくいらっしゃるんですか?」
テレーズは少し止まった。
「……。こんなとこ滅多に来ないわ」
「いえ。よくお見かけしましたよ。見間違えてはいないと思いますけど」
マギーは意地悪そうに言ってやった。
テレーズはちょっとマギーを眺めてから、ふうっと息を吐いた。
言い逃れはできなさそうだと思ったようだった。
「じゃあ、その前に、逆に私から一つ聞かせてもらうけど、あなたのご主人、港で犯罪者を匿ってるって知ってた?」
「え? ウェンディ様が?」
「そうよ、知らなかった? 脱走兵よ。しかもお偉いさんの息子」
「はい?」
「私はその人がどこにいるかも知ってるし、誰かもよく分かってるから、やろうと思えば告発できるのよ。そうなったら、あなたのお嬢様も破滅よね」
テレーズはくっくっと笑った。
「うちのお嬢様が、そんなバカなこと……」
と言いかけて、マギーは止まった。
するわ、あのお嬢様なら。情に流されるのがお得意だから……。
というか、私に黙って? バカなお嬢様……。さて、仕事が増えたみたいね。
マギーはため息をついた。
そして厭味を込めて、
「この港のこと、本当によくご存知で」
と言った。
「ねえ。この港で商いをしてくれるのは構わないわ。ウェンディ様は強引な大口取引はなさらないし、珍しいものに興味を持ってくださるから港が活気付くの。でも、あの犯罪者はいただけないわ。あの犯罪者が何かしでかす前に、出ていってもらいたいの」
とテレーズは言った。
なるほど、そっちが本命か。マギーは思った。
「私にそう言うってことは、うちのお嬢様を庇ってくださってるんですよね?」
とマギーは確認した。
「違うわよ。警告。このまま放っておくなら、遠慮なくウェンディ様もろとも告発します」
とテレーズは言った。
マギーは呆れた。
「あなた、本当にお医者の娘?」
「違うわよ♡」
とテレーズと答えた。
「じゃあ何者なんですか?」
「港の便利屋さんよ」
テレーズの言葉にマギーは納得した。うん! このどうしようもない下町感!
「そんな方が、なぜスコット様と恋仲に?」
「スコット様には上等なお客さんを紹介してもらっただけよ」
テレーズは悪びれず答えた。
「私はお客さんとお客さんを結ぶ仲介役もやってるの」
「ああ、貴族社会にコネが欲しくて、スコット様に近づいたんですね。短絡的っ! まあ、騙されるスコット様もスコット様かしら」
「騙した、のかな〜。まあ確かにそうね。 最初に私も貴族って嘘ついちゃったから。でも、すぐバラしたけど」
「それってお二人の関係が、後戻りできなくなってから?」
「そうでもないわよ。スコット様はすぐにあっさりと線をお引きになったわ。そのせいで、私もみっともなく彼に縋り付くハメになっちゃって。結局フラれたけど」
とテレーズは笑った。
この女は、ペラペラと。まるでスコット様とのことを武勇伝か何かのように。いけすかない。
ウェンディ様は、この女の影に、ずっと不安を募らせていたというのに。
まあ、ウェンディ様の幼さも異常ですけどね。
「いろいろわかりました」
とマギーは言った。
「わたしもお嬢様が破滅するのは困るので、少しは利害が一致しそうです。何とかできるところは致しますから」
「まあ、助かる。あなたが話がわかる人で良かった。またどこかで会いましょ。私の情報は結構有益よ〜」
テレーズはたっぷりの色気でウインクすると、真っ赤なドレスの裾を翻し、また闇夜に消えていった。
女の私に色気振り撒いても何も起こらないっつーの!
マギーは呆れた。
でも、男好きのする顔に、豊満な身体、魅力的な笑顔。身に纏った服も、彼女のここでの権力の証のように、堂々としたドレスだった。あの人はここで、こうやって生きてきたのね。
マギーはテレーズの消えた闇になお目を向けながら、微かに称賛した。
次話、ヒロインに戻ります。
よろしくお願いします。