1. 婚約者
旧題『婚約者とお父様はグルでした! すごく愛してくれてはいるんですけれども……』
「さあ、これがお前の婚約者だよ」
普段使わない最上級の客間に急に呼び出されたと思ったら、クレイトン伯爵が溺愛する娘の前に連れてきたのは、社交界にめったに出ないウェンディですら名前を知っている、大人気のイケメン公爵令息だった。
「うわっ、まぶしっ! イケメンすぎる!」
ウェンディは思わず顔を覆ってよろめいた。
「はじめまして。スコット・クロフォードです」
イケメン公爵令息は、穏やかで美しい笑を浮かべて、恭しく挨拶した。20歳とは思えない落ち着きだった。
「あ、どうもすみません。ウェンディ・クレイトンと申します」
ウェンディも慌てて背筋を伸ばし、取り繕って挨拶した。
しかし内心は「まじかー」と冷や汗をかいていた。こんなイケメンが婚約者候補? ゆくゆく夫になったら、ふさわしい振る舞いを心がけなくちゃならない。毎日どんなに窮屈なことだろう。
クレイトン伯爵家では、おおよそ淑女教育は失敗していて、ウェンディに関して言えば “どこに出しても恥ずかしい” 娘だった。
一応それなりの物は着せてもらっているが、地味だし、社交界に興味はないし、おしゃれな人への苦手意識で挙動不審だし。
しかし、ウェンディの心内は知らず、クレイトン伯爵はほっとしたような目でスコットを見て、
「よかった、よかった! ウェンディは18歳にもなって婚約者がいなかったので、やや焦り始めていたところだったんです」
と浮かれた口調で喜んでいた。
いやそれだよ、とウェンディは心の中で突っ込んだ。18歳にもなって婚約者のいないようなマズい娘のところに、こんなイケメンが急に婚約者として現れるなんて、おかしいじゃないか。長く心を通わせた恋人でもいるんじゃないの?
というか、婚約なんて一応家にとっては大事件だし、事前に話し合いとかあるはずなのに、こんな当日まで当事者の私にも名を明かさないなんて、よっぽど父上も半信半疑だったんだろうか。
ウェンディは猜疑心でいっぱいだった。
スコットはウェンディの顔を見て考えていることが薄々分かったらしかったが、
「大分疑われてますね」
と笑顔で言ったきり、それ以上は何も言わなかった。
またウェンディは「いや説明してよー」と拝むような気持ちになった。
適当の社交辞令の挨拶が終わり、クレイトン伯爵は
「じゃぁ後は若い者同士で」
と、ほくほくした顔をしながら、ウェンディとスコットに、二人で話してくるよう促した。
ええ、二人きりとか、困る……。ウェンディはもう、考えただけでどっと疲れた。
しかし、言われた以上断るのも角が立つ。
仕方なくウェンディは、言われた通り、スコットと一緒に散歩することにした。まぁやっぱり、最初にはっきり聞いておくべきだと思ったし。
「お前の自慢の庭にでも行っておいで」
とクレイトン伯爵は満足げに言った。
お父様、それを言わないでっ!とウェンディは心の中で叫んだ。
クレイトン伯爵家の庭は、それなりにきれいに手入れされていた。ウェンディがよく庭に来るからだった。さすがにお嬢様がよく訪れるとなると、庭番も多少はやる気が出るらしい。
しかし、ウェンディは気恥ずかしかった。
ウェンディはわりかし大輪の花が好きだったので、ウェンディに似合わず、庭は少し派手な印象だった。
こんな地味な女が、イケメンと派手目な庭を歩くなんて。うーん、花とイケメンの引き立て役でしかない。
しかしまぁそんな事は言えず、ウェンディはしぶしぶとスコットを庭に案内した。
しばらく無言で歩いていたが、美しい花々を眺めながら、
「よくお庭には出るんですか?」
とスコットは尋ねた。
「そうですね」
とウェンディは、ぼそっと答えた。自分でも感じ悪いなと反省したが、庭には触れて欲しくないので、話の膨らませようがない。
ウェンディは何か代わりの話題を探した。でもいつものウェンディとは様子が違って、何も頭に思いつかなかった。よっぽど動揺してるのね、と自分でも思った。
ええい、もうさっさと聞いてしまえ。
ウェンディはスコットの方を向いた。
「あのー、なんで私なんでしょうか。しかもなんかこの歳になって」
スコットはウェンディの単刀直入な質問に、一瞬身構えたが、すぐに「ですよね」といった顔をした。
そして申し訳なさそうな顔をして、
「あなたの噂を聞いたんです。港でね」
と言った。
ウェンディはぎくっとした。
み、港? えーっと、この人どこまで知ってるの? おい、落ち着け、私。
「どんな噂ですか? 私が噂になるなんてよっぽどですね」
ウェンディはしらばっくれて聞いた。
「いや噂の事はどうでもいいです。噂はきっかけでしかありませんから」
スコットは微笑んで言った。
怖っ! 考えてること分からなさすぎ。 ないわ、ないない。そもそもイケメンに私は、ない!
ウェンディは心の中で大きなバッテンを作った。適当な理由を作ってお父様に断ってもらおう。
「なんですか? よからぬこと考えてそうですね」
スコットはくすっと笑った。
「いえいえ、とんでもっ」
ウェンディは慌てて言った。
その後の会話、ウェンディはスコットに全部適当に相槌を打って流して、丁寧に帰っていただいた。
その日の晩は、ウェンディはスコットのことをどうしたものか、ベッドの中で悶々と考えていた。
というか、それより、港の噂って言ってたね。どうしよう。あんまり人に知られたくないのだけれど。
さて、しばらくおとなしくするか、港に替え玉でも置いて別人って工作でもするか。
でも私がやりたくてやってるのよね。なんだかもう立派な趣味になってしまっているし。行かないと、きっと気になってうずうずするだろうからなあ。
そうだ。こっちのお屋敷の方を替え玉にすればいいのかしら。あーそうしたい。何ならその替え玉にスコット様のことも押し付けたい、なんて。
「ぎゃー! 寝過ごした〜!」
翌朝、侍女が起こしに来たので、ウェンディは飛び上がった。
「寝てた!? いつの間に?」
朝早いのだけはウェンディの自慢だったから。
ていうか、スコット様が来た次の日に寝坊するとか、まるですごい気にしてるって思われそう。いや気にしてるのは本当か。
ぐったり脱力したウェンディは、侍女にされるがまま服を着替えると、ヨロヨロと朝食に降りていった。
すると食卓にはなぜか、どや顔の父親がいて、ウェンディは余計にぐったり疲れた。
クレイトン伯爵はにこにこと話しかけてくる。
「眠れなかったのかい? スコット殿は良さそうな婚約者だったねぇ。今日は珍しくお洒落なんかしちゃって。おまえもウキウキしてるのかい?」
「ええっ、お洒落!?」
ウェンディは慌てて自分の服を見た。
「うわっ、やられた!」
確かにいつもよりキラキラしている。侍女のマギーの悪戯そうな顔が脳裏に浮かんだ。
あいつ。絶対この状況、楽しんでるな!
「いいえ、お父様。すっごい誤解です」
ウェンディは必死に訴えたが、クレイトン伯爵は意も介さずニコニコしたままだ。
「いや、いいんだ。これまで全く男の噂のなかったおまえが、やっと興味を引く男性が現れたんだねえ。というか、おまえもハンサムが好きだったなんて、先にお父さんに教えておいてくれれば、もっと早くお父さんも頑張ったのに! いやー、イケメン好きだなんてお母さんそっくりだねえ」
珍しくようけ喋るやん! ウェンディは心の中で突っ込んだ。
そうだね、お母さんはイケメン好きだよ、社交界で他のマダムと一緒に、若いイケメン演奏家のファンクラブ作ってるもんね。そのマダムたちから「ウェンディちゃんにイケメンの旦那さんが来たら、クレイトン夫人も幸せね」とか言われて、とっても居心地悪かったんです。
いや……、今はお母様のイケメン好きはどうでもいい。とりあえず早く食べて、こんな服、さっさと着替えよう……。
ウェンディはご機嫌で話しかけてくる父親を無視しながら、とにかく黙々と食事を済ませ、早々に退出した。
港に、行かなくちゃ……。
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