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よっちゃんと僕。

作者: 掃晴娘。

「よっちゃん。僕、来月から高校一年生」

 世界が茜色に染まる、早春の夕暮れ。

 山の稜線も、砂利道にのびるふたつの影法師も、徐々に輪郭を失っていく穏やかな時。

 土のあまい匂いが、鼻をくすぐった。

「うん、知ってる」

 おめでとう、と隣を歩くよっちゃんが言う。


 僕が幼いころ(カブトムシや蝉なんかを鼻水垂らして追いかけていた頃だ)大好きな両親は死んでしまった。

 交通事故だった。

 確か、駅前のデパートで買った小学校の制服を受け取りに行く途中だったと思う。

 『行ってきます』と言って出掛けたお父さんとお母さんは、まだ帰ってきていない。

 これからも帰ってこない。

 

 それからは、親戚の助けも借りつつ、三つ違いの兄であるよっちゃんと二人暮らしだ。古びた木造二階建て。四人で住んでいた頃は狭い家だったが、今ではやけに広く感じる。

 すごく、広い。


 買い物袋を持つ右腕を軽く小突く。

「嘘つけや。忘れていたやろ」

「いいや、嘘やない。お前のことなら何でもわかるんや」

「何や」

「お前の初恋の相手の名前かて、よっちゃんは覚えとるぞ」

「ほな、言うてみいや」

よっちゃんは、うーんと唸ると、満面の笑みを浮かべた。

「さちこや」

 誰やそれ。

「あ、違ごたわ。これ、よっちゃんの初恋相手や」

 再び右腕を小突く。

 すると、よっちゃんは痛いと言って、笑った。

 

 よっちゃんは、ひどく物覚えが悪い。

 僕の誕生日はおろか、自分がいつ生まれて、何年生きていたのかもあやふやだ。

 以前、『何でよっちゃん、そんなに物覚えが悪いん?』と訊いたことがあった。すると、えらく楽しそうに『だって今が楽しけりゃええんやもん。せやから、小難しいこと覚えんでもいい』と言った。自分の生年月日は小難しくはないと思ったりもしたが、なるほど、よっちゃんらしい回答だった。


 僕が、うんうんとお頷いていると、今度はよっちゃんが尋ねた。

「ところでお前の誕生日っていつなん?」

 おい。

 詰まるところ、よっちゃんはバカで適当なのだ。



 僕らは仲のいい兄弟だった。

 おかずは半分こするし、二人で風呂にも入る。

 でも、時々、本当に時々どうでもいいことで喧嘩をしたりもする。それは、よっちゃんの足の臭さだったり、トイレの長時間独占だったり、リモコンの取り合いだったり。

 今日は三番目だ。

「よっちゃん働いてるんやから、休みの日くらい好きなテレビ観てもいいやん」

「嫌や。僕、来月から高校一年生やねん。友達と会話合わなくて、いじめられたりしたらどないすんねん」

 責任取ってくれんのか、とふてくされるよっちゃんに詰め寄る。

「そんなんでいじめられるような奴は友達とちゃうわ。やめてまえ」

 頭にきた。

 体中の血が沸き、熱を持ち始める。心臓もズンドコズンドコ鳴り、視界は霞がかかったような感覚だ。

 思わず手にしたリモコンを投げつける。

「この際やから、言わせてもらうわ。もうな、よっちゃんの制服のおさがりなんか嫌やねん。知ってるか? 僕の中学校のときのあだ名。キョンシーやぞ、キョンシー。よっちゃんと慎重違いすぎてな、ブカブカやねん。せやから袖とか長くて、手突き出して歩くキョンシーそっくりなんやて。よっちゃん、僕が何回おでこにお札はられたか知ってんのか?」

 へその下あたりから湧き出る怒りを紡ぐのに必死で、息をするのすら忘れていた。

 肩を上下させる僕に、よっちゃんは、ええなあ、と羨ましそうな視線を向けてきた。

「ユニークな三年間やったやないか。よっちゃん、羨ましいわ」

 屈託のない笑みに、さらに頭に血が上る。

「もうええわ!」

 この家出てったるわ、と声を荒げ、思い切り足音を立てながら二階へ駆けあがった。


 何やねん、よっちゃん。

 今時キョンシーなんか、知らん奴のほうが多いねんぞ。それを羨ましいとか、頭ん中どないなってんねん。かち割って覗いたろか。

 自室に入ると、家出するためのリュックを探した。押入れを開けると湿っぽい空気とパラジクロベンゼンの匂いが鼻をつく。

 しかし、どんなに探してもリュックは姿を見せない。こないだ、遠足で使こたはずなのに。

 代わりに出てくるのは、昔遊んだ、よっちゃんお手製のおもちゃだった。

 お金がなくてはやりのおもちゃが変えずにぐずっていた僕のために、不器用なよっちゃんが作った下手くそなおもちゃ。

 ―――よっちゃんロボ三号

 廃材や何やらで組み立てられた下手くそなロボット。

 一号と二号は下手くそすぎて捨てたらしい。同時によっちゃんが、自分の不器用さを自覚した時でもある。

 懐かしい。これがあるだけで、他には何もいらなかった。太陽が昇ると外へ出掛け、日が落ちるまで遊んだ。下手くそすぎて、逆に斬新なデザインだったのか、友達から羨ましがられたこともあったっけ。

 オレンジ色で満たされる世界で、よっちゃんロボ三号はとても格好よかった。

 不器用なよっちゃんが作った下手くそなロボ。

 手に取ると、鼻の奥がツンとした。脱臭剤の匂いだけではない。ツンとした。

「下手くそやな……めっちゃ不細工やん」


 ふと、押入れの一番奥に隠すように仕舞われた見慣れない紙袋が目に入る。

 手を伸ばしたそれは、駅前のデパートの紙袋だった。

 恐る恐る中を覗く。

「何や、これ」

 中には丁寧に包装された高校の制服が入っていた。

「何や……これ」

 震える手で取り出すと、包装紙はぐしゃぐしゃで、セロハンテープはすでに粘着力を失っていた。

 震える指で淡いピンクの包装紙を撫でる。

 どうしてか、これはよっちゃんが僕のために買ってくれたものだとすぐに分かった。

 そうに違いないと。

 また、どうしてか。よっちゃんが嬉しそうに何度も何度も制服を取り出しては包装紙に包み直す姿が目に浮かんだ。

 そうに違いないと。

 

 高校卒業と同時に働き始めたよっちゃん。

 毎日愚痴をこぼすくせに、夜遅くまで、足が臭くなるまで頑張るよっちゃん。

 本当はいつも僕のことを考えてくれていたんだ。


『よっちゃん。僕、来月から高校一年生』

『うん、知ってる。おめでとう』


 もう鼻の奥がツンとしない。

 代わりに熱い涙が頬を伝う。

 包装紙をはがし、制服を広げてみる。

 シワひとつない真っ黒な学ランが、誇らしげであった。視界はぼやけていてよく見えなかったが、それでも分かる。これは、世界で一番上等な制服だ。そうに違いない、そうに違いない。


 ゆっくりと制服を抱きしめる。

 真新しい匂いがした。

 ええ匂いや。

「よっちゃん……」

 顔をくしゃくしゃにして笑う、よっちゃんが頭に浮かぶ。

 よっちゃんが瞼の裏で笑うたびに、涙があふれた。制服に落ちては、黒い黒いシミが出来ていく。それでも涙が止まらない。

 ありがとう、よっちゃん。

 ありがとう、よっちゃん。


 せやけどな―――





「これ……他校の制服やん」


 詰まるところ、よっちゃんはバカで適当なのだ。

 世界で一番のバカ兄貴なのだ。


 一階から『なんでやねん』と、僕が観たかったバラエティー番組の音が聞こえた。


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