宝くじよりも低い確率
バス運転手である佐藤邦男62歳は運転中に呼吸困難に襲われていた。笑いが止まらないのである。笑いが。
当初、邦男は珍しい客が乗ってきたと思っていた。ボストンバッグに加え、何か縦に長い鞄を大事そうに抱えた男の姿がミラーに写る。顔見知りの男ではあるが、普段バスに乗るようなことはなく、仕事中に彼と合うのは3年ぶりだった。男が運転席の真後ろの席に座ったのを確認しアクセルを踏む。
「やぁ、なんだか久しぶりだね。今日は休みかい?」
「え…えぇ、まぁ。」
「ほーん?それにしても大荷物だね。」
「………ちょっと旅行にでも行こうと思いまして。」
「うん?一人旅かい?」
「えぇ、まぁ。」
「ふーん?」
邦男は不思議に思った。20年近く運行し続けてきたこの路線は、他の交通とのアクセスが良いわけではない。この後に通る7つの停留所は、小学校と公民館と神社以外ほとんど民家の前にあるような物で、駅前に停まることも無ければ、他のバスとの乗り換えも無い。
信号が赤になったのを確認しブレーキを踏むと、後ろから何か固いものが落ちる、ゴンっという音がしたかと思うと、男の息を飲むような静かな悲鳴が聞こえた。何か大切なものでも落としたか、青ざめた顔をしている。。
「大丈夫かい?荷物あいてる座席に置いていいからね。」
「えっ…ああ、ありがとうございます。」
ミラーから彼の姿が消え、ジッパーを開く音が聞こえた。再度ミラーに人影が写る。
「命が惜しければ空港に向かって下さい。」
般若の面を被った人物が猟銃を構えている。
3月の暖かい日差しが窓から差し込んでいる。左には山裾の木々が、右の谷からは川のせせらぎが聞こえる。一番後ろの座席には病院帰りの常連客、山口朝子さん76歳がうたた寝をしている。また1つ、人のいないバス停を過ぎた。
「………バスジャックするには田舎過ぎると思うけど?」
佐藤邦男62歳。地域に根差したバス会社のベテラン運転手だ。