一袋分の温情
駅舎を抜けると、ホームにはヒグラシの声が響いていた。
少し前にここを全力疾走したのが遠い昔のように感じられて、透の中に懐旧の情が湧いてくる。ぐったりと疲れ切っていた透は、ベンチに腰掛けようとした。
しかし、そこにはすでに見慣れた顔の先客がいた。無視する訳にもいかないので、透は声を掛ける。
「あれ、湊介。先に帰ったんじゃなかったの?」
「ああ……」
湊介は返事をしたが、何だかとてつもない悲劇が降り注いだように元気がなかった。
しかし、今の自分よりも悲惨な目に遭った人なんている訳がないのだ。きっと湊介がそんな風に見えるのは、夏バテか何かのせいだろうと透は結論付けた。
「一緒に帰るか」
その証拠に、萎れた態度以外は、湊介はいつも通りの振る舞いをしているように見えた。透は、今は一人になりたい気分だったが、「いいけど……」と渋々頷く。
しかし、透の覇気のない返事に、湊介は不信感を抱いたらしい。「どうした?」と尋ねてくる。
「あー……うん。何でも」
自分の身に起きた事を事細かく話す気になれなかった透は、適当に誤魔化した。しかし、少し迷った末に付け足す。
「……じゃあさ、帰りにコンビニかスーパー寄って行ってもいい? その……ポケットティッシュか何か、買いたくて……」
透は、今回の件から、ティッシュくらいはいつでも持ち歩いておいた方がいいと学んだのだ。湊介は「ティッシュ?」と驚いたように言ったが、透は「ほら、それくらい、身だしなみの一つとして持っておくべきじゃん?」と返した。
やって来た電車に二人は乗り込んだ。シートに腰掛けた透は、買い物をした後は、湊介にもティッシュを一袋あげようと決めた。彼まで自分と同じ目に遭ってほしくなかったのだ。
「車内美化にご協力いただきまして、ありがとうございます」
車体が線路の上で軋む音に交じって、そんな女性の声が聞こえた気がした。